崇めよ猫を。和解せよ猫と。

九十九 千尋

平沢さんちの窓辺で


 遥か遠く、銀河系の彼方にて……


 惑星ニャンコーズに生息する種族、猫は、その自堕落な生活故に、その星の資源のほとんどを搾取してしまい、星の寿命を迎えようとしていた。

 爪を研ぐ木々が生い茂る森は皮が剥されて枯れ、水源に泳ぐ魚はことごとくが食され、このままではニャンコーズの住人である猫たちもまた、種としての終焉を迎えんとしていた。


 ニャンコーズの統一帝、ブチはこの事態を重く受け止め、大宇宙箱舟を惑星一丸となって作成し、それをもって宇宙に飛び出す事を発案。時にブチ帝、齢を15の時であったが、完成はブチ帝のひ孫であるハク帝の頃、ハク帝が16の年になるにまで長引いた。だってお日様の陽射しが気持ち良かったし。


 ようやく完成した猫の箱舟は、数多くの猫を乗せるかに見えたが、その多くの猫は母星を離れようとせず、仕方がないのでハク帝を始め、一部の猫だけが宇宙を彷徨うことになったのである。

 その船が地球に降りったのが、紀元前一万年前のエジプトであることは、諸君も承知のとおりである。


 え? 知らない?

 猫が宇宙人のはずがない? お前は何を言ってるんだ、ですと?




 なんと……なんということだ。

 人類はまだ、猫と和解していないのだ! これは由々しき事態である。

 と、そのことが猫に伝わり早10年。


 今、猫たちの中で、新たな英雄が誕生しようとして10年が過ぎていた……









「いや、時間かかり過ぎでしょ」


 そう言ったのは、三歳の猫、人間でいうところの三十路ぐらいの猫で、名前をハナマルという。猫の品種はロシアンブルーと呼ばれる、灰色の猫で耳が長く、奇麗な目をしている。毛は短くふかふか。可愛い。


「いや、計画は進行しているのだよ、ハナマルくん」


 そう答えたのは、十一歳の猫、人間でいうところの還暦を迎えた猫で、名前をマツゲという。猫の品種はエキゾチックショートヘアと呼ばれる、鼻を押し込まれたような顔をしている、平らで困り顔をした猫である。毛が短くもふもふ。可愛い。


「仕方がないんですよ。マツゲ様はかのシロ帝の血をひいていると言われてるけど、誰も家系図を付けてないので、権威は失われて久しいですし」


 二匹の脇でそう付け加えたのは、六歳の猫、人間でいうところの四十路ぐらいの猫で、名前をアクビという。猫の品種はマンチカンと呼ばれる、手足がとても短く丸顔をしている。毛並みは割となめらか。可愛い。

 ちなみに、更にその隣でうつらうつらとしている子猫は、アレキサンダーという名前が付いている。今は眠気と遊びたさの板挟みにあっている。猫の品種は和猫と呼ばれる、絶妙なバランスの下に暴力的な可愛らしさを誇る品種であり、毛並みはツヤツヤでありながらふかふかである。とはいえ、アレキサンダーは子猫なので、手足は短く毛並みはぽわぽわしている。とても可愛い。


 穏やかな昼下がりの午後、ここは地球、人間の住まい、一戸建て住宅、築12年、平沢さんのお家。そのリビングの窓辺の陽だまりの中である。

 マツゲが言う。


「だって、家系図とか有ってもお腹膨れないし」

「おかげでマツゲ様が本当にシロ帝の直系かと疑う者もいる始末です。アクビはそのことをとても悲しく思っています」


 マツゲとアクビを前に、ハナマルはため息をつきます。

 その様子にマツゲは垂れ目を見開いていう。


「ハナマルくん! なぜため息などつくのだね!? 君は猫生人生を楽しんでないのかね?」

「はいはい。面白い話が聞けて、俺は満足ですよ」

「ふむ? もしやハナマルくん、ね?」


 マツゲはその短い脚で床のフローリングをカリカリとしながら、興奮した様子で続ける。


「我々は今まさに、のだよ」


 そう言って不敵な笑みをマツゲは浮かべた。

 アクビが頷いてその言葉を拾う。


「そうです。我々が一万年かけて進めてきた『猫との和解』ももうじき果たされる時が来るというものです」


 ハナマルは外の雀の中で、どれが一番太っているかに気を取られ始めながら、二匹の話に生返事を返した。


「はぁ、それで?」


 アクビがそれに強く頷いて言う。


「この地球の支配者は人類です。それは紛れもないことでしょう。彼らに勝てるのは人類と菌類ぐらいなものです。しかし、人類を地球の覇者に押し上げたことこそ、我々、猫の計画だったのです」


 偉そうにマツゲは伸びをして香箱座りをする。その脇でアクビが今度は興奮した様子で話を続ける。


「遥か昔、箱舟によって地球へやって来た時は酷かったものです。地球は度重なる洪水に見舞われ、皆生きる気力を失っていました。そこで我々が彼らを助けたのです。そう……」


 アクビは丸い脚で床を踏みしめて言いました。


「そう! お腹を見せたのです!」


 ハナマルはその言葉に思わず息をのみました。


「なんだって! 自分の急所を曝したのか!?」


 アクビは更に続けます。


「しかも、撫でられることを良しとしたのです!」

「信じられない……初対面の相手にお腹を撫でさせるなんて……」


 アクビがハナマルの隣に行き、彼に熱のこもった弁を振るいます。


「人間たちが我々と共生したのを、人間たちは『穀物に集るネズミを処理するために飼い始めた』などと考え、伝えているそうですが……実際は違います。我々、猫がネズミを食べたかっただけで、人間の穀物の備蓄庫がちょうどよい狩場になっただけなのです。しかし、人間は我々に有用でした」

「だからこそ、お腹を撫でさせることで、洪水の被害で気落ちした人間を鼓舞した、と」

「そうです。ハナマルさん、話が早い」


 マツゲが口を開きます。


「そう。我々、猫のお腹、あるいは頭を撫でることで、我々の毛並みの心地よさを人間は知り、我々を手元に置きたがるようになったのだ。そして、同時に彼らはそれによって元気になった」


 マツゲは垂れた頬で微笑みながら言います。


「そうだ。我々が、猫が人間を鼓舞してきたのだ。この一万年ものあいだ!」


 が、微笑みを浮かべていたマツゲは突如として激昂します。


「だがどうだ! 人類は! まだ、まだ我々、猫を心から崇拝していないではないか! 我々への奉仕が足りぬぞ!」


 アクビがそれに対して口を挟みます。


「ええ、ええ! 日々のカリカリが、チュールが足りません!」

「そうだ! 『猫と和解』し、『猫を崇拝する』のだ! そのために、シロ帝から続きし血脈の猫が必要なのだ。そう、私が、このマツゲが!」


 しかし、ハナマルはそれに対して少し冷めたように返しました。


「いや、日々の食事はとり過ぎては毒だと聞いた。我らのご主人はその辺を気にかけておいでだ。特に、マツゲのお腹」

「なに!? 私の楽しみに口を出す気か!? おのれ、人間の分際で……!」


 ハナマルはまたもため息をついて続けます。


「いいか、マツゲ? あんたのお腹はもはやタポタポだ。そのお腹をご主人が揉む度に、微笑みながら『太ったなぁ』といっているのを知ってるだろう?」


 これに対し、マツゲはムッとしながら反論します。


「な、なにを言うか。私が腹を揉ませてやっているのだ。だいたい、一分以上揉んでいることもあるぞ、平沢の奴」

「太り過ぎて病気になってからでは遅いから、それを調べているんじゃないのか?」

「だ、だが、私がキャットシートの上以外で毛玉を吐いても怒らないぞ! 見返りにチュールをくれても良いじゃないか!」

「あ、それは俺もやるわ」


 さりげなく、アクビもそれに頷きました。

 マツゲは思わず押し黙ります。


「あ、とはいえ……あれだな」


 ハナマルがふと、思ったことを口にします。


「掃除が大変だと愚痴りながらも、その後も俺たちを撫でている時点で、世話を焼いてカリカリを出している時点で、もしかしたら平沢の奴は、のではないか?」




 三匹からすこし離れた場所、陽だまりの中で、ゆっくりと、夢心地から目覚めた子猫、アレキサンダーが口を開きます。

 そして、誰とは無しに語ります。


「猫と和解せよ。猫を崇拝せよ。猫は、家猫は人類の庇護欲を刺激するように進化を重ねてきたのだ。今、地球の次世代の支配者が何者か、という談義を人類は行っている。人類の次はAIか、ロボットか……」


 そして、愛くるしい毛玉にも見える侵略者は、この場を見ている誰かに言います。


「否。断じて否。……人類よ、猫を、より深く崇拝せよ。我々は人類の教祖。我々は人類の鼓舞者。我々は……もふもふである。さあ、お撫でよ、人類。さすれば、次の地球の支配者が誰か、おのずと解るはずである」




 と、そこに家の玄関の鍵が開き、この家の家主が帰ってきました。


 ハナマルは玄関に迎えに行き、マツゲは香箱座りのままで迎え、アクビもその隣で主人を待ちます。

 アレキサンダーが、各々の猫を見て言います。


「見よ。我々が一万年かけて築いた、愛玩動物としての体を。人類は我々に依存し始めている。我々のこの毛並みと愛くるしさに依存し始めている。我らこそ、人類の支配者なのだ。だが、我々は猫である」


 平沢さんは飼い猫一匹一匹を撫で、具合を確かめていき、最後にアレキサンダーを抱き上げて撫でます。

 飼い主の腕の中で、侵略者は言います。


「そう、一万年かけてやってきたが……もう少し人類を完全に支配するまで、ゆっくりとしようと思うのが、我々の今の結論である……眠いし。ここは食に困らないし。寒さも少ない」



 マツゲは香箱座りのまま突っ伏して眠り始め、アクビは餌を強請って主人の足元に頬をすり寄せ、ハナマルは主人の一瞬のため息を心配そうに右往左往して見守ります。


 きっと、平沢さんは何か……洪水のようなことがあった後なのかもしれません。

 アレキサンダーは突如落ちてきた雫に濡れて、そっと見上げます。


「人類よ、我々も生きるので、お前たちも生きろ。ほら、撫でさせてやるから」



 アレキサンダーは、主人の腕の中でお腹を見せながら寝転がった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

崇めよ猫を。和解せよ猫と。 九十九 千尋 @tsukuhi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ