これは死んだあなたに贈るラブレターです

白雪花房

追憶

 あなたが死んだ。

 車に轢かれそうになった子どもを庇って。


 日曜日の昼、あなたの兄から訃報を聞いた。

 信じられない。脳が認識を拒否している。

 それなのに心だけが事実を受け入れていた。あなたならそうするだろうと。とてもらしい結末だと。


 その瞬間、全てが崩れ去るような音がした。

 それは思い出の絵画が壊れるかのようで。

 自然と涙がこぼれる。遊びに来ていた友達のマキと一緒に、泣いた。


 ***


 永遠に続くと思っていた。

 学校の生活も、あなたとの日々も。

 いるのが当たり前だったし、通学するのも当たり前だった。

 それ以外の日常を知らない。

 だから学校生活がいかに大切なのか、知るよしもなかった。


 早く終わりにしたい。

 退屈だった。

 楽しくない。

 だから手を抜いた。

 勉強は不真面目で、部活は帰宅部。

 とにかく頑張らない道を選び、惰性に一日を消化していく。


 対してあなたは楽しそうだった。

 勉強や部活に一生懸命で、生き生きとしている。

 そんなあなたが羨ましかった。妬ましくすらあった。


 以前、尋ねたことがある。

 なぜあなたは、なにに対しても一生懸命になれるのかと。

 答えてくれなかった。

 代わりにあなたは次のように教える。


「これは兄貴の受け売りなんだけどさ、青春ってのは一過性なんだ。二度と戻ってこないんだぞ。手を抜いていると、後悔する」


 私は聞き入れなかった。

 念押しするように言われても、実感が沸かない。

 なによりマキが言う。


「彼、本当に肝心なところは伏せるのよ。重要なことなんて言ってないわ」


 彼女の言葉を信じて、「なんだ」と受け入れる。

 私は聞き流してしまった。


 実際に『兄の受け入り』という部分は嘘。彼はごまかしてばかりだった。

 ならば真実はどこにある。

 本心は分からない。だけど兄から聞かされた内容としては、こうだ。


 あなたは一度死んだ身。

 保育園児のころ、川に溺れた。

 すぐに助けられたけれど、助けた人は命を落とす。


 話を聞いて、なんとも因果なものかと感じた。

 そう、これは同じシチュエーション。

 きっとあなたは、迷わなかったのだろう。車の前に飛び出した子どもを救うことに。

 そうせざるを得なかった。

 自身が他者の命を持って、命を拾った身なのだから。


 あなたは知っていた。

 永遠は存在しないと。

 いつ終わってもいいように、悔いがないように生きる。


 そんなあなたをずっとそばで見てきた。

 惹きつけられるものがあったことも、覚えている。

 その日々はまさしく、黄金色の輝き。

 ああ、気づいてしまった。

 私にとってあなたは特別なのだと。

 心の空白がそれを証明している。

 私は大切なものを失ってしまった。


 全てを受け入れてしまうと、とめどなく涙があふれてくる。

 同時に後悔が潮水のように胸に襲いかかってきた。

 もっと一緒に遊びたかった。

 海へ、デートへ。

 この感情を知っていたのなら、色々なことをやれたはずなのに。

 思い出だって積み重ねられた。


 だけど全ては叶わぬ夢。

 あなたはいない。

 二度と会えない。

 同じ日々を過ごせない。

 時計の針は巻き戻らない。

 二度と、戻らない。

 あの日々が尊いものだったと、今なら分かるのに。


 この想いは誰にも届かない。

 送り先が空の箱であることも分かっている。

 それでも、心の空白を埋めたかった。

 吐き出さなければ、こちらこそ成仏できない。


 今、自分が流した涙の意味を知りました。

 ありがとう、さようなら。

 あなたを『永遠』のものにしたかった。

 私の『永遠』をあなたに預けたかった。

 これは私のラブレター。

 死んだあなたに贈るラブレターです。


 ***


 月曜日だ。

 大変憂鬱。

 学校には行きたくない。

 サボろうかな。


 ベッドの上でスマートフォンに手を伸ばす。

 そのとき、液晶がブルブルと震えた。

 メールが届く。


『ずっと伝えたくて、何度も書いた。でも、消した。それでも、一つだけ伝えたかった。君が好きだ』


 一瞬きょとんとして、また少しさみしくなって、ほんのりと笑んだ。

 頭に蘇ったのは、以前マキが話していたこと。


――『彼、本当に肝心なところは伏せるのよ』


 結局、最後まで伝えられなかったのだ。

 だからこそ、こうして残っている。


 端的な言葉が彼らしくて、泣けてしまう。

 自然と口元には笑みがにじんだ。

 種が分かっている。

 それでも届くはずのない返信は届いた。

 これが残された私に対する、ちょっとした奇跡のように思えてしまう。


 私は前を向いた。

 まだ引きずっているけれど、今日という日を精一杯、生きてみよう。

 もういないあの人のように。


 ベッドを抜けて、支度を始める。


 透明な光が夜を追い出していった。

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