>仮にストーリーで好きになったと言い張るとして、そのキャラの持つ設定になにも心を動かされないとしたら、それって本当に好きであるといえるのか?
ここの部分について。
AIに聞いたら、「あなたは少数派です」と否定されました。
では、そのキャラのことは好きだけど、キャラが背負う設定には興味がないし、なにも感じない。
そんなことは、ありえるのかと(普通、大多数がそうとは言っていない)。
私なりに解釈しようかと思いました。
根拠もソースもありません。
ただ、考えてみれば、そうなるかといった印象ではありますが。
それで、一見すると、好きなキャラなのにあまりにも無関心過ぎない? と思います。
ただ私としては「変」「浅い」と切り捨てることはできません。少なくとも、ありえはする感じです。
第一に、設定だけで好きになるのは、少数派です。
大多数の人ってこれ↓なんですよね。
いいところを見せたキャラがいるとして、「これはこういう設定だから、よく描かれているんだ」とはなりません。「いい人なんだ」と見ます。
これが自然です。
画や文面に映ったものを、そのままにとらえる。
作り物ではなく、そこで実際に起きたことのように没入する。
メタ視点がないといいますか。
ストーリーでこう見えたから、こういう描写があるから好きなんですよね。
点・線(設定)と、面(描写)は違います。設定はあくまで補強材料ですので。
一方で、私は設定だけのキャラは好きではなく、設定でこうだからこうとゴリ押されることも、嫌です。
だから、描写でそうはっきりとあったとしても、認めません。
これは公式の描写に逆らっていることを意味します。明らかにまともではない(逆張り)のですよね。
そう考えると、妥当だなと。
これでピースが埋まったわけです。
実際に見たことを意識するからこそ、設定という概念が薄れるのだと。
とりあえず、書き手は、設定→書き起こしという風でしょうけど、読み手からしてみれば、逆順なんですよね。
ストーリーや描写→設定。
あとは、まあ何度も言っているのですが。
善悪ではなく、好悪なんですよね。
設定、事実ではなく、それを見てどう感じたかでしかありません。
設定開示によって好感度が上がったパターンも、どちらかというと印象が変わったに過ぎない。
少し話しますと。
過去が語られる、真実が語られる。
これは確かに設定ですが、肝心なのは、それでどう感情が動いたか。メインとなるのは、設定ではなく、感情。
一般的には「どうせ作り物」だと決めつけるような、冷めた見方はしない。
(物語を見慣れない時に怖いと感じるのは、これが原因かと、思ったり。)
つまり、その人にとって好きなものは、「設定」ではないんですね。見えているものをそのまま受け入れ、キャラを愛する。
データ情報でしかないキャラを好きでいるのは、こういうことかと。だから仮に架空の存在であったとしても、響くのだと思います。
結論としては、好きなキャラの設定に興味を持たないのは、成立しなくもない。
そもそも、設定として、とらえず、キャラを見るのですから、さもありなん。
だから言い換えます。
キャラクターそのものを見て、キャラクターを好きになる。
こういうことだと思います。