考え方が変わったのですが。
別に設定でキャラを好きになること自体は、自然なことではないかと。
そう、思った次第の記事です。
とりあえず、例として明確に設定から好きになったキャラを出します。
Fate系列の天草四郎。
容姿は別に好きなわけではない(強いていうなら筋肉質で、傷が多いところとか、和装バージョンは好き)、あくまで加点に過ぎない。
どんなところがいいのか。
・救済系ラスボスである点。明確に善性を持っているキャラ。目的が本人にとっての善いことに傾いている。
・それを成し遂げるための手段がいい感じ(切嗣の聖杯への願い方にツッコミが入るのとは反対のニュアンス)
・覚悟ガンギマリ、精神力。
・アヴェンジャーがまともなほうと呼ばれるところ。
・闇落ちしていないところ。復讐心を得るで終わったら普通だった。そこを目的のために憎しみを捨てたっていうのが、ポイントが高い。
・第三次でのマスターがホムンクルスであった点が、なんか深読みできる。
・いろんな陣営を手玉に取った点。(実は赤と黒の陣営の戦力差はそんなになく、天草(とジーク)がジョーカーだと言われる)
・基本は敬語で人当たりがよく、素はタメ口で一人称が俺になる点。
・60年生きている、不老の肉体、でも中身は少年。
・悲劇を書くなという、令呪の使い方。
・一部心理描写(また聞きなので、正確なところは知らん)
こんな感じです。
私の好みを整理しますと
ラスボス系主人公、人外、章ボス、有能、強キャラ、頭がいい、覚悟ガンギマリ、イカれている。
こんな具合です。
あとは意識はしていないのですが、演じている系も好きなんだろうなと思います。
怪盗キッドが好きなあたり、そう。
され、上の羅列でなにかが分かるかと言われると、特になく。
強いていうならキャラクター設定が、きれいに組み合わさっているタイプ。
動機→目的→手段、行動
きちんと整合性を持って、描かれているんですよね。
それに付随した心理描写もある。
純粋に完成度が高いキャラが好きなんですよね。
なんだこいつから始まって、ストーリーを読み進める内に印象が変わって、意外な一面やギャップ要素を得て、見せ場もあり、好感度をカンストした時点で退場される系。
あと、上の羅列はストーリーから設定へ落とし込められた点も多い気がします。
目的・動機の面は言うまでもなく。
ラスボスであるという立ち位置、ストーリーを明確に動かしている点。
確かにストーリー内で動いて、舞台に乗っている。むしろ、主軸ですし。
まあ、活躍するキャラが好きで、舞台に乗っているキャラが好きという前提もあるのですが。
なんとなく。
設定とは、作中で描写されたものを、圧縮・要約したものなのではないかと。
基本、なにも情報もなくストーリーだけ見て、そのキャラの動きや描写に注目するとして。
話が進んでいけば、こういうキャラなんだって分かりません?
そして、設定というのは属性です。
萌え属性とでもいえばいいのか。
わかりやすく言えば、性癖。誰かに刺さる要素です。
正直、見せ場だけで気に入ったキャラは割と、一時的に好きになったに過ぎない感じです。
仮にストーリーで好きになったと言い張るとして、そのキャラの持つ設定になにも心を動かされないとしたら、それって本当に好きであるといえるのか? という感じです。
ほかに例を出しますと。
原神なら二番目くらいに好きなキャラって、アルベドなんですよね。
一番は運営の描き方次第なので、保留。(まあキャラとしてはかなり好き。興味深いし、ストーリーの立ち位置が特殊で、変化も描かれているので)
実質一位不在です。
で、露骨なのですが。
アルベドにずっと注目しているのって、重要人物だからなんですよね。
レインドットと繋がる点、カーンルイア関係者ではある点、人造人間という設定。
まあ、別に重要キャラってほかにもいるんですよね。
なんなら私、きちんと本筋に合流するのか、疑っていた節がありますし。
なぜアルベドなのかは、冷静に考えると分からないなと。
タルタリヤとか面白い設定というかバックボーン持ってますけど。あれは割とおいしい立ち位置。
それはそれとして好きにはならんとこ、なところはあります。
よく分かりませんが、古参に近い実装順で、当時からしてかなり重要度が抜けた印象があったところ。
その印象をずっと引きずっているんですかね。
ほか、逆にストーリーの描き方が大きかったキャラ。
これは間違いなくエレン・イェーガー。
ラスボス系主人公。主人公の癖にめちゃくちゃやっている点。で、エンディングのあれやそれ。
特にマーレ編以降のムーブは面白ぇなーと思いながら見ていました。
これは私が引きずったという点が大きい感じ。
普通の作品なら主人公はあんなことにならないんですよね。絶対に救いはあるし、ラスボスを倒して終了。
なんなら正義であることが作品から保証されているようなもの。
ただ、エレンにはそれがなかった。
いえ、実質目的は達成されています。巨人を駆逐すると有言実行しているのは、かなり高評価です。
それはそれとして20歳以下で死んでいるんですよね。それで、ヒストリアの手にキスした時点で詰んでいたという。
未来に向かって進み続けたこと。
最終回での種明かしとか。
自由を求めながらも、一番不自由であったという、皮肉。
エレンに惹かれるのはこんなところ。
あとはストーリー終盤では普通に強いし、翻弄している点。主人公なのに第三陣営みたいな立ち位置となったところが、普通に面白い。
あと、記憶ツアーの部分とかかなり好きです。
並べてみると割と設定で好きになっている点も多い気がします。
進撃の巨人の能力とか、割と好みですし。
ストーリーと設定の境って思った以上に、小さいのかといった印象。
なんだかんだいって、キャラの解像度が高いのも影響しています。
苦手なところがあったとして、それがそのキャラだから仕方がないと飲み込める、希有なキャラですので。
私の傾向としては、設定で好きになるほうが、長続きはします。
言ってしまうと人外キャラしか、安心して好きにならないんですよね。
だからポケモンばっかり好きになっています。
具体的に言うと、レックウザ・ジガルデ・ギラティナ・ガブリアスあたりです。
話がそれました。
結論を言うと、設定だけで好きになるのは、あながち間違いではなさげ、もしくは、半分合ってる。
ストーリーから設定を抜き出すことを前提として。
描かれなければ、確定しなければ設定になり得ないという解釈ですが。
キャラクターを理解し、実はこういうキャラだと分かっても、ストーリーでは分かりにくく、皆に違った解釈として受け取られた場合。
もうそういうキャラでしかない、といった具合。
一方で、設定だけでも駄目という話ですが。
このキャラ掘ってもなにも出ないなーとなった場合、自然と離れるというか、諦めるのですが。
これも結局設定が組まれているか否か、みたいなところがあります。
それっぽい雰囲気だけど実際になにもないし、本筋には関わらない。
じゃあ、設定なしも同義で。そういうキャラを好きにならないのであれば、設定は重要ということ。
これってストーリーが設定を作っているパターンなので、ストーリーが前提ではあるのですが。
だからこそ設定だけで気に入るのは、間違ってはないのでは、と思った次第です。