This is a love letter to you who have gone.
椀戸 カヤ
2人だけの1日
「久しぶりだね、大阪。」
空港の荷物受取所で、ベルトコンベアーからキャリーケースを下ろした。母と2人で、ロビーに向かって並んで歩いていく。
「そうねぇ、あ、あそこにいるの、裕也くんじゃない?」
「
大勢の人でざわめく関空の到着ロビー。私を呼ぶ声が一際大きく聞こえる。
「
「ええ、気をつけていってらっしゃい。」
母は関西出張で来たので、ここで別れる。
三日後、一緒に家まで帰る予定だ。
ロビーはどこも塵ひとつなく磨き上げられていて、なんだか近未来の建物みたいだ、と毎回思う。
私は、手を振って駆けてくる幼なじみとハイタッチした。
「あれっ、明日香小さなってない?」
「うわ、久しぶりの関西弁だ。ていうか、会ってすぐに私の背が低いのをいじらない。裕也が伸びたんでしょ。」
顔を見合わせて笑う。なぜかその笑顔がとても眩しく見える。見上げたところにあるからだろうか。きっとそうだろう。
実は私たちは、イギリスで小学校4年までを過ごした、いわゆる帰国子女だ。2人とも親の仕事の都合で、家族でイギリスに引っ越してきていた。そんな境遇が似ていたからか、とても仲が良い。しかし残念なことに、小学校高学年からは、どちらも日本に帰ることになってしまった。私は埼玉、裕也は大阪に住むことになり、すぐに会えない距離に絶望した記憶がある。
「いやぁ、久しぶりやなぁ。まっ、年に一回は会ってるけど。」
「そうそう、私たちの家族仲良いもんね。」
ただ、毎年夏には、どちらかの家に遊びに行くという家族ぐるみの付き合いである。私には三つ下の
「じゃ、父さんが迎えに来てるから、そっち行きながら話そうぜ。」
私のキャリーケースをすかさず奪って歩きだす。さすが裕也。こういうところで気がきく友達は、なかなかいない。
「そうだ、最近思うんだけど、私たち中学卒業したから、今は中学生じゃないでしょ?でもまだ高校生でもないし、なんか変な感じ。」
そう、今回は春休み中。去年の夏は私たちの受験があったために、恒例行事ができなかったのだ。どちらも受験が終わり、比較的自由になったので、私の母が裕也の家に連絡を取ってくれて、今回の旅行が実現した。
「ほんまそれな。めちゃ分かるわ。あ、そうや。聞いたときびっくりしてんけど、真衣香は骨折なんやって?」
裕也がエレベーターのボタンを押す。
「そうなの、バスケの練習で、滑って転んじゃって。そのとき付いた手首がグキッと。全治三週間らしいけど、旅行の一週間前とかバッドタイミングすぎるって凹んでたよ。」
「そりゃそうやな。あんまりにも可哀想」
この事件のために、旅行が危うく中止になりかけた。でも私は、真衣香には申し訳ないけれど、絶対に行くつもりだった。念願叶い、今は大阪である。真衣香はもちろん、父と留守番だ。
エレベーターに乗って前を向くと、鏡の中の自分と目が合う。あ、髪が少し跳ねてる。
いつもは気にしないのに、なんだか恥ずかしくて、裕也の視線を見計らって手で整えた。
エレベーターを降り、近くまで来てくれているという車を探す。雅樹も乗っているらしい。私が先に、反対車線で止まっている車を見つけた。
「あっ、あの黒のだよね。雅樹がこっち見てる。おーい、」
私は、そちらへ向かって一歩踏み出した。
「明日香っ、危ないっ……」
裕也に腕を掴まれ、抱き抱えられた次の瞬間、私の視界は黒く染まった。
><><><><><><><
『……か、あすか……』
誰かが私の名前を呼んでいる気がする。お願いだから、放っておいてほしい。
「明日香。あすかー!いつまで寝てるん、今日は朝から、」
「……まだダメだよ……」
裕也と2人で遊びに出かける夢なんてそう見られるもんじゃないのに。え、夢?
「明日香、ここ俺の家。」
当の本人が、ドアの向こうからこちらを覗いている。
「うわっあ!裕也、なんでいる……ってここ裕也の家か。」
ようやく目が覚めた。何か大事なことを忘れているような気がする。でも私の直感が、それは思い出さなくていいよと告げている。
「全然起きねぇんだもん、約束してたのに。そりゃ、勝手に来た俺も悪いけど。」
私は、重大な事に気がついてしまった。
「な、なんで寝てる私を起こしにくるのが裕也なの。恵子おばさんは?」
「今日は、俺以外の家族はみんなおらんよ。」
裕也が寂しそうに笑う。その笑顔は、私の胸を締めつけた。裕也の言葉に疑問を持たないくらいに。私は裕也に、もっと明るく笑ってほしいと思った。
「じゃあ今日は2人だけで大阪観光だね。裕也も楽しみにしてたよね。ごめん、急いで準備する。」
「ええよ、下で待っとるわ。」
急いでハンガーラックに掛かっていたレモンイエローのワンピースを手に取る。そういえば、裕也が一昨年の夏、似合ってると言ってくれた服もこんな色だった。あれから私は、店頭でレモンイエローの服を見るたびに、足を止めてしまう。
慌ただしく準備を終え、階段を下りた。リビングにいる裕也に声をかける。
「裕也?準備できたよー。」
裕也は、ジーンズにカラーシャツを合わせていて、そんなシンプルなコーデがとても似合っていた。
「おう、朝飯作ってた。裕也特製オープンエッグサンド。」
テーブルの上にコト、と置かれたプレート。こんがり狐色のトーストにドンと乗った半熟目玉焼き。その下にベーコンと、チーズも隠れていることを私は知っている。
「わぁ、ありがとう!裕也これ好きだね。何回も作ってもらってる。」
それは、裕也と私が初めて一緒に作った料理だ。小学校低学年の私たちにとっては十分な挑戦だった。
「どういたしまして。あったりまえだ、思い出の味みたいなもんやし。……明日香、そのワンピース似合ってるな。」
それは、あの夏とまるで同じ言葉。脳裏に焼き付いて離れなかった光景が、再現されたようだった。少しはにかんだように、でも私の目をじっと見て。
朝食を済ませ、家を出た。地下鉄に乗ると、様々な声が飛び交う車内にいつも驚く。まずは大阪城だ。何回来ても飽きないと思うのだが(私は日本の城に目がない)、裕也は少し退屈そうだ。だけど、天守閣に上るのは、いつもわくわくしているみたい。
城を早めに出て、少し買い物した後、お昼を食べよう、と裕也が案内してくれた。かなり人で溢れた賑やかな通り。ひょうきんな顔のフグが空に浮かんでいる。新世界って言うんだっけ、と記憶を呼び起こす。初めてその名前を聞いた時は、すごくお洒落な、ハイテクな建物が整然と並んだ街を想像していた。この辺りに最初に来たのは、確か小学校6年の夏だ。あの時は、真衣香と2人で迷子になりかけた。裕也がすぐ見つけてくれたっけ。
串カツをたらふく食べて、それから通天閣に上った。外は曇りなのか、足元のカラフルな通りしかよく見えない。新世界の上にいるなんて、ちょっと神様みたいだ。
展望デッキの人混みを、するすると抜けていく。
「なぁ、さすがにもう大丈夫だよな?あれ、神様なんやけど……」
裕也の視線は、台座に座った金色の像のほうにあるのだろう。私はスッと目を逸らした。
「ウン、モチロン、カワイイヨネ。」
「おーい、全部棒読みになっとる……まぁ、仕方ねぇよな。」
私が初めてあの方を見た時は、怖くて涙がポロポロ出てきた。それに比べたら進歩したと思ってほしい。意外と小さいと言う人もいるが、まだ背の低かった私からしたら、上から睨み付けられているようにしか感じなかった。
くいっ、と手が引かれる。
「行こうぜ、怖いもん見てたって面白くないわ。」
あの時も、黙って泣く私に最初に気づいて、手を握ってくれた。どうして、こんなに昔の裕也を思い出すことばかりあるのだろう。いつも、私の手を引いてくれたのは裕也だ。思い返せば、裕也が私を置いて行ったことなんて一度も無かったんじゃないか。
そこから、ぱっ、と浮かんだ自分の考えが怖くなった。何もない空間に放り出されたみたいで、答えが欲しくて、聞いてみる。
「ねぇ、裕也。あのさ、私、いつも面倒じゃなかった?もしかして義務みたいに思ってたりしない?」
少し前を歩いていた裕也が、目を丸くして振り向く。
「そんな訳ないし。俺は、明日香に会えるだけで嬉しいで。」
裕也の言葉は、いつも私の前を明るく照らしてくれた。次に進むべき道が分からなくなった時、私が一番心を許して相談できるのは、裕也だ。
「明日香は俺よりしっかりしてんで。真衣香のこといつも気にかけとったし、雅樹も頼りにしとる。みんなで遊ぶ時、意見をまとめてくれるのは明日香や。時々おっちょこちょいやけど、頑張ってるところ、俺めっちゃ知ってるで。」
今度は私が目を見開く番だ。裕也がそんな風に思っていたなんて、ちっとも知らなかった。私の心の奥で、ぐっ、と何かが動いた。積もった想いがこぼれ出す。
ああ、そうか、時々心が跳ねる、これは、恋なんだ。
流れる想いに、ようやく名前を付ける。
私の全てが、そうだよと囁く。震える。
こぼれ出た熱が、全身を駆け巡る。
「ありがとう、裕也。」
不思議と浮かんできた涙をくっ、と拭って、そう言うのが精一杯だった。裕也の満面の笑顔が、また私の想いを熱くした。
トトントトン——トトントトン——
なんとか座ることができた帰りの電車で、私は疲れからか、ウトウトしていた。
うるさかったはずの車内がやけに静かだ。裕也の小さな声が耳に飛び込んできた。
「明日香が無事なら、それでええねん。これから一緒におられへんくても、俺には楽しい思い出ばっかりあるから。」
なんだか胸騒ぎがして、眠気が飛んでいった。目を開けると、窓は真っ黒に染まっていて、明るいはずの車内も映っていない。電車には私たち以外の姿は無い。怖くなって裕也に声をかけようとするけれど、私の喉からはなんの音も出ない。
「明日香、起きたんか。別れにくくなるから、そのまま行こうと思ってたのに。」
——別れるってどう言うこと。裕也とこれからも遊べるよね?
裕也は、分かってると言うように頷く。しかし、私の欲しい言葉は聞けなかった。
「ごめん、俺は一緒に帰れへん。それに、これからはもう会えへんくなる。」
——ねぇ、本当にわかんないよ。どうして帰れないの。どうして会えないの。一緒に帰ろう?
気づいたら、私たちは駅のホームらしい場所に立っていた。遠くの景色は、白く霞んで全く見えない。雪が舞っていると思ったものは、地面に落ちると、全て桜の花びらに変わる。
「明日香はここで降りて。」
有無を言わせない強い口調だ。裕也には珍しい。
「ほんまは分かってるんやろ。俺がもう死んでしまうって。思い出さんほうが良いと思ってたけど、起きてしもたから。」
死、という言葉に、頭を殴られたような衝撃が走る。私は地面を睨みつけた。なんで裕也が、そうだ、私のせいで。他に何も考えられない。
——ごめん、裕也。私、ほんとに、
顔を上げて、裕也の漆黒の瞳を見る。ぞくっとするほど綺麗だ。私はなんて悪いやつなんだろう、こんな時なのに。ほんとうは、きっと、裕也は私を見ていない。勝手に見られている気になっていたのは、その瞳に魅せられた私だ。
「明日香、そんな怖い顔すんなって。俺は明日香の笑った顔が見たいねん。最後の思い出があんなになって、俺かてほんまに申し訳ない。だから今日は、一日付き合ってもらったんや。」
——なんで謝るの……私のせいだよ。裕也、私を置いて行かないで。連れて行ってよ、おねがい、だから。今日一日ずっと楽しかったよ。ほんとに、離れたく、ない。
言葉を絞り出す。頭の中がぐちゃぐちゃで、出てくるのは、混ざり合った醜い色ばかり。自分の気持ちばかりの汚さが、嫌になる。
「謝るのはいらんし、連れて行く約束もできへん。明日香を守りたいと思ったんは俺や。俺の気持ちや。明日香のせいで死ぬんやない。そんなふうに思ってほしくない。」
そんなのずるい、と思う。カッコつけにも程がある。私を守ってくれて、最後にいい思い出ばっかり残して。涙で裕也の顔が見えない。
「あ、何考えてるか分かったで、カッコつけとか思っとるんやろ。」
最後まで、裕也は裕也だ。でも、だんだん音が聞こえなくなる。ああ、もう時間がないんだ。まだ伝えたい言葉は紡げない。自分の熱い気持ちに、さっき気づいたばかりで。
『ほんまのお別れや。でも、ずっと明日香の味方やから。』
鼓膜は、もう空気の震えを捉えない。電車の窓一枚隔てた向こうにいる裕也の、唇を読む。あの言葉だけでも伝えたいのに、身体が思うように動かない。
『またな、』
深呼吸して、唇を動かす。私には、こっちの方が、まっすぐに出てくる。
—— I love you forever, never forget.
伝わったのだろうか、裕也の表情が変わる。真剣な目。いつも私が映っていた。
そうか、ちゃんと裕也だって、私を見てくれていたんだ。
こぼれそうな涙を拭い、裕也の言葉を凝視する。
『I love you too, Asuka.』
聞こえなくても、しっかりと目に焼き付ける。私の頬に一筋、煌めく星が跡を付けた。
次の瞬間、視界が黒く染まった。
><><><><><><><
「……か、あすか……」
誰かが私の名前を呼んでいる。起きなくちゃいけない。重いまぶたをゆっくり動かす。
見えるのは白い天井。顔を動かすと、そこには母の、涙で濡れた眼差しがあった。
「良かった……気がついて。」
母の顔が柔らかに崩れる。他に人影は無い。
「お母さん、裕也は。」
それ以上は言葉にできなかった。私の視界がぼやける。痛いほど感じる喪失感。もう彼はここにはいない。開きかけた母の口が、私の涙を見て、閉じられる。どちらも言葉を発することができず、病室に沈黙が下りた。
私は結局、裕也の弔いには行けなかった。まだ体が万全ではない。私を診てくれた先生の言葉を借りると、あれほどの事故で、これだけの怪我で済んだのは不幸中の幸いだよと。それでも入院は必要だからね、とも言っていた。そうだとしても、心には見えないナイフで抉り取られた穴が空いている。心のほうが重症だよ、と思った。先生の話は他人事のようで、そこから覚えていない。私は有り余る時間を、無傷の右手で彼への言葉を綴りながら過ごした。
To my love
裕也へ
This is a love letter to you who had gone.
これは、行ってしまったあなたに贈る、ラブレターです——
私が書いた中身は、この世界では私以外だれも知らない。読んで欲しい人はもういない。だけど、きっと大丈夫。だって——
You exist now only in my memory.
あなたは私の記憶の中でだけ、今も生きている。
——fin.——
This is a love letter to you who have gone. 椀戸 カヤ @kaya_A3_want
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