第六章 人生マイナス三十分?


              ☆☆☆その①☆☆☆


 一日の授業を終えると、舞人たちは喫茶店の前で待ち合わせ。

 バイトは週五日。火曜日から土曜日までで、実働として一日四時間。

「それじゃ、出発よン」

 最初の一週間で、宇宙に上がるのも慣れて来た。

 ある日のバイトは雨で、どんより曇天な地上から雨雲を突っ切ったとたん、爽やかな晴天だったりした事も、初めての経験。

「はい、ワープぅ♡」

 いわゆるワープ航法の事も、教えてもらった。

「僕、ワープって 例えばスピードを上げていって光速を超えるとか、そういうものを想像してました」

「うふふ、その方法だとぉ 速度を上げるのにも止まるのにもぉ、時間もエネルギーもぉ、すっごくすっごく、かかってしまうのよン♡」

 時間だけで換算すると、限りなく光速に近づくのさえ、数日を要するという。

 しかも、それだけの加速のみに使用する燃料さえ、物理的には積みきれないらしい。

 この辺は、アイドルがキラキラしたドヤ顔で教えてくれた。

「つまりね、ロケットで加速するには燃料を燃やすでしょ。で、加速し続けるにはそれだけ沢山の燃料が必要でしょ。燃料をたくさん積んだら重くなるから、そのぶん長くエンジンをふかし続けないとダメ。そうするとそれだけ多くの燃料が必要になって、増やした燃料のぶん船体が更に重くなっちゃうから、もっとエンジンをふかさなきゃダメで、そうすると更に沢山の燃料が必要になって……って、雪だるま式にキリがないってワケ。そしてその方法だと、物体は決して、光の速度を超えられないわけよね」

 つまり、現在の地球タイプのロケットでは、消費する燃料と船体の重量や物理的なバランスの関係で、光速を超えること自体が無理。という事らしい。

「それでぇ、この宇宙船だけどねン」

 レモネードα号は、銀河系の惑星人たちが使用する宇宙船としては一般的なタイプで、地球の車に例えると、ワゴン車とか軽トラックみたいな位置づけだという。

「中型車みたいな感じですか?」

「そ。でねン」

 宇宙空間は無重力。と思われているけど、厳密には違う。

 月や太陽や木星、天の川の星々、更には遠く離れたアンドロメダ星雲や、あるいは目の前の見えない塵からさえも、宇宙に存在する全ての物質には、引力が存在している。

 ただそれらは、あまりにも距離が離れていたり、あるいは物質そのものが小さかったりで、人間には感じられないだけである。

 さらに言えば、人間自体も当然の如く引力を持っている。

 ただその引力は、お互いになんの影響も受けないほど、微弱でしかない。

「でねン、ワープについてだけどぉ」

 この程度の「極めて少人数が相手の個人的な講釈」程度なら、宇宙連合のルールには触れないらしい。

「宇宙での一般的なワープ航法はぁ…うふん、ガーターベルトのぉ、ゴ・ム・みたいな感じよン♡」

 宇宙船のワープエンジンは、船体を「球形の中心」として力場を形成。

 更に周囲の、数光年と遠くの引力を、ゴム紐みたいに感知している。

 それら無数の引力紐の中から、目的の宙域に向かって必要な引力の紐をゴムみたいに引っ張って、力を貯めて一気にビュンっとジャンプ。

「だからねン、目的の宙域に一瞬で到着してぇ、到着と同時に逆方向の引力紐を引っ張って停止ぃ。っていう・ワ・ケ。でも私、一瞬でイっちゃうなんてイヤだわン♡」

 この、引力のゴム紐を引っ張るワープ航法は「引力紐ワープ」と呼ばれていて、宇宙では最も普及している航法らしい。

「ゴム紐でワープ……」

 頭の中で、この宇宙船が宇宙中にゴム紐を引っ張っているイメージが、ポっと浮かぶ。それらの紐を、指でつまんで引っ張って離すと、宇宙船がワープ?

「なるほど~」

 ちなみに、この宇宙船自体のエネルギーは、太陽光だという。

「船体の表面が全~ん部、大気圏突入に耐えられるソーラーパネルみたいなものなんだって。なんか 超テクノロジーよね~」

 ポニテ少女のそんな話に、ツインテール少女も、自称宇宙人としての知識を披露。

「それでもですね~、このお船よりももっと大きな、例えば銀河間航行クラスのスペースシップになるとですね~、いわゆる地球タイプに近い、燃料消費型のエンジンも積んでいたりするのです~。と、凛々は解説するのでした~」

「? そうなの? なんで?」

 大型船ほど最新技術の塊。みたいなイメージがあったけど、実は違うらしい。

 レモネードα号のように銀河系内航行用の宇宙船なら、強弱の差はあっても、どこでも太陽光を受けられるから、エネルギー的に問題ない。

 しかし大型の、例えば舞人たちの暮らす天の川銀河からアンドロメダ銀河へと航行する船とかになると、そうも行かないのだという。

 人間の視点から見れば、地球の周りさえ何もない宇宙空間だけど、宇宙規模で見れば、銀河ほど物質の密集している場所はない。

 銀河と銀河の間は、ダークマター以外には何もない空っぽの宇宙で、引力も弱すぎてゴム紐ワープも使えず、太陽光も微弱過ぎてソーラー発電は適していないのだ。

 だから、銀河間航行をする船は全長数百キロと超巨大で、しかも船体の九十パーセントは燃料タンクだという。

 そんな船体だと、生命体がいられるスペースなんて居住区も兼ねたコックピット程度で、荷物なんてギリギリな量の食料ぐらい、らしい。

「噂なのですけれど~、片道数十年とか数百年とかかけて~、銀河と銀河を行き来しているらしいです~。と、凛々は知っているお話を披露したのでした~」

 まるで、御伽噺を話し終えた幼い保母さんみたいな少女だ。

 そんな話を聞いて、フと思う。

「船体の燃料が殆どって…それって、何のために航行してるの?」

 なんて疑問に、ビキニ鎧の副所長が、ビキニ鎧のピチピチボディをクネクネさせながら、答えてくれた。

「あらン。それこそ男のロマンってコトでしょうン? そんな旅にチャレンジ、今ではぁ、一部のチャレンジャーな男性たちくらいらしいわよン。それにしてもぉ、男のロマン…男は船、女は港……ぁあん、いづれは舞人くんも、そんな罪作りなオトコになねのねン♡」

「い、いえ…僕は、別に…」

 なんて話しているうちに、宇宙船は、いちもの宙域に到着。

 三人は貨物室に移動して、大きなクロワッサン型のカラーボックスとペイントガンを装着して、宇宙へと飛び出した。

「それじゃ、今日も行ってきま~す!」

 アイドルが飛び出すと、続いてゴスロリ宇宙服の少女も宇宙へ。舞人はラスト。

 この順番は、三人の間で自然に決まったものだ。

 自称、宇宙人の凛々だけど、宇宙での行動は舞人よりもヘタ。

 そこで、一番先輩の優香里が最初に宇宙へと出て、後に続く後輩たちを見守り、続いて凛々が出て、舞人は後ろからバックアップ。という形になっていた。

 現在のところ事故なんて起こってないけど、念のためだ。

「今日もがんばりましょ~!」

「はい~。と、凛々はやる気まんまんなのでした~!」

「うん、それじゃ」

 絵の手前十キロのあたりで、いつものように、それぞれ担当する箇所に分かれる。

 優香里は絵の下から描いていって、凛々はびいどろ部分から色を置く。

 舞人は女性の髪の部分を塗るために、色の球を発射してゆく。

「この辺は、もう黒髪なのにな~」

 絵画のモデルは黒髪女性だけど、毛髪は単純に黒一色、という事でもない。

 どれほど厳重に保管していても、時間の劣化は防ぎきれない。

 けっこう微妙に色が変化していたりして、ほぼ黒と、やや薄い黒と、微妙に茶色とか、結構こまかい違いがある。

 もっと作業が進んだら、極めて細かい「塗ってない白」で、髪の流れなどが表現されていたりもする。

「ん~…この色、もうちょっと黒寄りっぽいな」

 コンピューターが選んだ色は、ほとんど正解だと感じるけど、機械的なイラストゴーグルを通して見ても、やっぱりコンピューターの選択と極力の肉眼とでは、極々だけど、微妙に違う。

 もちろん、作業宙域に到着するまでの間、宇宙船内で絵画の色味を再確認しているし、それらの感覚も実作業に反映される。

 色選びに関する最終的な判断は、少年たち人間の感覚に委ねられているのだ。

 人間に任される理由として、依頼主である惑星タトスの事情があった。

「タトス星人の方たちにとって正解ぃ。ということがぁ、第一条件なのよねン。だからねン、みんなが色を撃ちだす時にぃ、イラストゴーグルにぃ、すっごぉく薄~~ぅい、この水色のフィルターを通してぇ、判断してねン♡」

 バイトの初日に、作業というか現地訓練を開始して一時間くらいした頃、そんな説明を受けていた。

 ヘルメットに表示される元の絵画に、言われた通り、極めて希薄な水色フィルターを重ねて、舞人たちは色の調子を見ている。

(水色そのものは殆ど見えないくらい薄いけど、ちゃんと反映させなくちゃダメ。っていう事なんだよね)

 理由はともかく、仕事なのだから注意せねば。と、三人は常に意識していた。

 ちなみに舞人たちが使っているペイント弾は、イラストゴーグルを着けた者のみ、見る事ができる。

 だから仕事をしている少年たちも、ヘルメットの中のイラストゴーグル機能をオフにすると、白いフレームも打ち出した色も、全て無色透明になってしまうのだ。

 なぜゴーグルがないと見えない、という仕様なのか。

 現在のところ、理由は不明だ。

「理由はぁ、んんん…そのうち教えて、あ・げ・る♡」

 と、ウインクをしながら楽しそうに言われたのを、覚えている。

 そんな感じで、バイトは続く。

 絵画の最下端で着物部分を描いているのが、優香里。

「んんん…この色は薄い茶色……いいえ、やっぱり赤茶色系よね」

 着物自体が、薄い赤色と白の二色で、駒かい市松模様。

 更に、薄い青色の花柄なども、随所に乗せられている。

 帯も、薄い緑色と黄色で複雑な模様だし、袖の中も、濃い目の色どり。

 現在アイドルが色付けしているのが、描かれている袖の中側部分だった。

 凛々は、フレームの真ん中あたりで、作業を進めている。

「ぅわ~ん。薄い青緑色だけだと思ったのですが~、同じような色が微妙に複雑に混ざってます~。と、凛々はあらためて発見したのでした~」

 元々、筆で描かれている浮世絵だ。

 一見すると綺麗だけど、よく見るとムラの部分がそのまま乾いていたりもするので、微妙に色の濃さが違う。

 このバイトを、機械でなく人間がする理由は、まさにここら辺りにある。

「うふふふ…そういうビミョ~な色の違いってぇ、どんなに科学が進んでもぉ、結局ぅ、人間の視力がぁ、一番 正確に読み取ることが出来るのよねン♡」

 人間は、感情で動いて、気持ちで感じて、深く深く洞察する生き物だからだろう。

 機械の整備とかは機械に任せてもいいけど、有機的に作られた物は有機的に認識した方が、より正確。という事なのだ。

「それにしても……」

 仕事を始めてから実感したけど、このバイトは大変な作業だ。

「つまり元の浮世絵の縦だけでも……少なく見積もって一千万個以上に仕切ってあって、それに合わせて色の弾を撃っていくって事だもんね」

 一千万という数字は、舞人なりに想像した数字だ。

 フレームの手前十キロからでも定着させた色が見えるのだから、一つのマス目の大きさが一メートルって事もないだろう。

「一マス一キロとか、そんな感じなのかな」

 モチロン、こんな数字はあてずっぽうだ。

 ただ、地球から五千光年とか、対幅一千三百二十万キロのフレームとか、宇宙スケールに多少は慣れて来た少年。

 だから、あんな数字もスラっと出てしまう。

 マス目の大きさとか、訊けば答えてくれるだろうけど、自分から訊くつもりはない。

 想像する事そのものが。楽しいのだ。

「とにかく、宇宙を移動しながら撃つべしだ!」

 一日四時間の仕事が終わると、母船に戻って気密された出入口の空間で、七色の光線を浴びる。

「これも、万が一の量子変化を防ぐ処置なのよね」

 何だかわからないけど防護処理を終えた三人は、ペイント道具を貨物室に戻してから、コックピットへ。

「はぁいン。三人ともぉ、ちゃんと揃ってますねぇン」

「佐々野原優香里 帰艦しました」

「古里凛々~、帰還いたしました~。と、凛々は元気に報告をするのでした~」

「一条舞人、帰還しました」

 全員揃っている事は見ればわかるけど、本人による口頭報告での確認は、宇宙航行の基本で絶対なルールらしい。

「うふふ、全員帰還ねン♡ もし一人でも置いてけぼりにしちゃったらぁ、タ~イヘン、だものねン」

 こんな宇宙のド真ん中に独りぼっちだなんて、確かにシャレにならない。

 四人が揃った宇宙船は、地球方面に向かってゴム紐ワープ。

 五千光年を一瞬で跳躍すると、目の前には、漆黒の闇に青く輝く地球があった。

「なんかあれだよね。地球に帰ってくると ホっとするよね」

「そうね。母なる星って、よく言ったものだわ」

 大気圏突入も、想像していたものとはずいぶんと違っていた。

 SFアニメで見るような、大気の圧縮と摩擦で真っ赤に燃えて。とか思っていたら、地球に向かってユルユルと降下。

 燃えるようなスピードどころか、パラシュートで降りている感じに近い。

「うふふ、まぁエンジンも原理もぉ、全然違うものねン。この船はぁ、自由落下しているわけじゃなくてぇ、地球に引き寄せられる引力を利用している形、なのよねン♡」

 舞人にはよく分からないけど、いわゆる重力制御の一つらしい。

(宇宙に出た時の宇宙船の中だって、ちゃんと重力があるくらいだもんね)

 日本に近い太平洋に着水すると、船はそのまま潜水しながら、東京湾の海底にある入り口へ。

 エレベーターにロックされて坂道を上がると、船体はひのまるビルの地下三十階の空間まで移動して、後部を壁に埋めるような恰好で固定される。

「はぁ~い。みなさん、お・つ・か・れ・さまねン♡」

 操縦席の副所長から労いの言葉を貰って、みんなで下船。

 舞人たちはロッカールームに入って、宇宙服から私服に着替える。

 ロッカーの中のハンガーに下げておけば、宇宙服は専門の機械で自動的に洗浄されるらしい。

 しかしそんな便利機能よりも、少年が気になってしまう事がある。

(…み、見ないようにっ、しないと…っ!)

 舞人の準備が遅いのか、それとも女子二人のカーテンが早いのか。

(わわっ–もう着替え始めてるっ!)

 ごく薄い仕切りの向こうで、優香里がスーツを脱いでゆく。

 元々クリアなスーツだけど、影の中に脱衣した肌色が見えると、それはそれで裸身を想像してしまい、ドキドキしてしまった。

 凛々はある意味、もっと過激。

ふわふわなミニスカメイドドレスタイプのスーツを脱ぐと、身長の割に起伏に恵まれたシルエットが出現する。

 そのギャップは何度見ても、焦るくらいエッチな眺めだ。

 スーツの下には何も着けていないから、着替える動作に合わせて、剥き出した乳房がプルっタプっと揺れて、妙に艶めかしくて生々しかった。

(か、影だからかな…なんだか、余計に想像させられちゃうよ)

 しかも時々、ショーツを履くときなどの屈んだタイミングで、カーテンにお尻が触れる事がある。

 そんな時は、影の中なのにハッキリとお尻の谷間が見えたりして、少年はつい目が離せなくなってしまう。

「一条くん、作業は慣れた?」

「えっ–うっうん…っ!」

(ビ、ビックリした……バレたのかと思った)

 楽しそうな声を掛けられて、少年も慌ててカーテンを閉めて、着替えを始めるのだった。

 着替えが終わると、エレベーターの前で待っていてくれる唯と合流。

 宇宙船にはバレーボールくらいの大きさなメンテナンスロボが大量に張り付いて、ハチゴロウさんの命令で、点検と整備にあたっていた。

 エレベーターに乗って地上へ戻ると、みんなで所長さんへと報告に行く。

「所長ぅ、ただいま戻りましたン。相沢唯ほか三名ぃ、無事に帰還ん、でぇす♡」

「うむ、みんな ご苦労さまだったね。怪我もなくて良かったよ」

 と、いつも通り無表情な所長さん、ミスター・アシウラーが、落ち着いた大人のボイスで暖かく迎えてくれた。

「それじゃ、失礼します。お疲れ様でした」

 バイトの三人は、挨拶を終えて退室すると、一階の喫茶店へ。

 一日の労働の労いとして、このお店で一杯だけ、好きな飲み物が頂けるのだ。

「わたしは…今日はミルクティーがいいわ」

「凛々は~、いちごミルクを注文するのでした~」

「僕は…あ、アイス・ラテなんてあるんだ」

 それぞれのドリンクが届くと、とりあえず一息。

 そして時間がある時は、三人で宿題を片付けたりもする。

「英語の塙先生、結構な量の宿題 出してくれたわよねぇ」

「ホントにね、ははは」

 宿題そのものには辟易するものの、優香里と一緒にいる時間が増える事は、舞人にとって嬉しい事だ。

 そんな時間を過ごす中で、分かった事。

「優香里ちゃんって、もしかして英語 ちょっと苦手?」

「えへへ、バレちゃった」

 テストの時など割と上位にいたりするから、得意な方だと思っていた。

「結構 一夜漬けだったりするのよね。歴史とかなら得意なんだけど」

 意外な一面が分かって嬉しい。ちょっと秘密を共有したみたいな、不思議な優越感だ。

 今日は宿題のない凛々も、手伝ってくれたりする。

「凛々は~、英語と古文が大得意です~。と、ちょっと自慢なのでした~」

 と言いつつ胸を張る少女。

 確かに、舞人たちが詰まってしまう英語なども、凛々はスラスラと教えてくれる。

(自称 宇宙人なのに、英語と古文が得意なんだ……)

 ツインテール少女が宇宙人という説、ちょっと怪しくなってきた。

 時間を忘れて宿題を片付けた頃、アイドルがハっと思い出した。

「あっ、いま何時っ!? きゃ~っ、もうこんな時間っ!」

 見たい再放送の番組があるときは、やっぱりドジってしまう優香里。

 急いでカバンにノートを詰め込み、そして慌てて立ち上がる。

 すると。

 すとん。

 肩幅に開脚したツルツルの腿を、白いショーツが膝まで滑り落ちる。

「……っ!?」

「ぁ……わっ、きゃあぁんっ!」

「ひやや~、優香里ちゃん大胆です~。と言いつつ、凛々は見てしまったのでした~」

 いつもの、パンツがすとンと落ちるハプニング、通称「パンすと」だ。

 凛々に言われながら、アイドルは真っ赤になって、慌てて、今日は珍しく私服で着用していたミニスカートを、押さえる。

 でもそんな仕草も、かなりHっぽい。

(お、押さえられたスカートって…やっぱり直に、そのっ…触れてるんだよねっ!)

 ついそんな事も想像してしまう、年頃少年だった。

 こんな感じで、数日が過ぎた。


              ☆☆☆その②☆☆☆


 宇宙での仕事は、想像していたよりもずっと、とても、すっご~~~~~っく、退屈だった。

 宇宙を飛んでいる、というワクワク感は、意外とすぐに慣れる。

 もちろん楽しいけれど、問題はそんな事ではなかった。

「……宇宙って、何キロ飛んでも景色が変わらないんだね……」

 ヘルメット越しに見えている星々だって、一つ一つは数千光年とか数百万年とか離れている。

 自分たちが仕事を引き受けた惑星タトスだって、上空百六十万キロとか離れると、宇宙に浮かぶちょっと大きい球体の一つでしかない。

「こんなに離れて場所に絵を描いて どうするんだろ」

 そんな疑問も、頭を過る。

 それに、後で距離とかは調整する。と言っていたけど、完成したら縦だけでも一千万キロ以上のとんでもなく巨大な絵画なのに、動かせたりするのだろうか。

「もしかして、それも僕たちの仕事なのかな」

 完成した超巨大な絵画を、粒というか塵みたいに小さい自分と優香里と凛々の三人で、ウンウンと押したりして。

 なんて、フレームにペイント弾を乗せながら、考えたりした。

 そしてそんな想像すら退屈しのぎにならない程、ただ同じような事の繰り返しな作業。

 なんといっても件の絵画は、横幅だけで八百八十万キロという、想像すら出来ない大きさである。

 女性像の頭髪あたりから色を乗せ始めた舞人は今、ちょっと後悔し始めていた。

 絵画「びいどろを吹く女」の頭髪部分の頂点、赤い髪飾りは、左右でいえば中心よりもちょっと右寄り。

 フレームの前方十キロの距離でも、どちらの端っこも見えない。まあヘルメットの望遠機能を使えば、マンガの吹き出し型で、見える事は見えるけど。

 そして、一色毎に色を乗せるスペースは、目算だけど一キロ四方くらいだろうか。

 色を横に埋めてゆく場合のマス目の話だけど、約九十万キロの中の一キロなんて、無いに等しい。

 例えれば、掌サイズのクッキーの、指先に付着する粉一粒、よりも小さい、みたいなイメージ。

「しかもちゃんと狙って、正確にマスに撃ち込まないと……」

 十キロも離れたターゲットに命中させるのだから、ちょっと手元がずれたら、着弾点は数百キロも離れてしまう事もしばしば。

 しかも修正しようとしたケシゴム弾が外れて、また修正箇所が増えた。なんて失敗も、何度か体験している。

 結局、けっこう慎重に狙わないと、逆に時間ばっかり掛かってしまうし、その分ストレスも溜まってしまうし、しかし実作業はジリジリと進まない。という感覚が強い。

「髪の毛だけでもこうなんだから、背景的な紙の部分の色を塗るのに、どれだけ時間が掛かるんだろ?」

 なんて、ちょっとゲンナリしてしまう。

 とはいえ、始めたバイトは最後まで頑張らないといけないし、なにより優香里が誘ってくれてバイトなんだから、良いところを見せたいのも、男子の本音だった。


「んんん~…はあぁ。今回のバイト、思ったよりもキツイわね~」

 そんな感じでまた数日が過ぎると、さすがのアイドルも、ちょっと疲れ気味な様子だった。

 スーツに着替えた後、伸びをして一息。

「そ、そう、だね…」

 胸を反らしたらスーツが引っ張られたらしく、その時だけ、左右のダイヤモンド型の中心が、僅かに色薄くなったように見えた。

 少年的には、思わぬドキドキポイント。

「凛々はとても楽しいです~。と、凛々はお仕事に新たな意欲が湧いているのでした~」

 一名を除いてちょっと気力も萎えて来たこの日、いつものように色を乗せていたら、唯からちょっとしたサプライズがあった。

『みんなぁ、ちょっと注目~ン。と言ってもぉ、お姉さんの、カ・ラ・ダ・の事じゃあ、ないのよン。イヤん♡』

 いつものアヤしい声色に、三人は手を止めて振り向く。

『母船に対してのぉ、上方向を見てぇン。ちょっと珍しい天体ショーがぁ、見られるわよン♡』

「天体ショー?」

 言われた通りに頭を上げる。バイザーの機能で、目の前は満点の宇宙。

 だけど「天体ショー」の単語に反応したシステムは、バイザーの中に新たな天体映像を映し出した。

「わっ、何ですかこれっ!?」

 バイザーの中央より少し左上に、小さな光の激しい点滅が見える。

 輝く光点は、ただ一の色ではなく、青や赤や白や虹色など、目まぐるしく変化していた。

 小さな光たちは、不思議な美しさを魅せている。

 暫し見惚れていた優香里も、ワクワクしながら光の正体を推測したらしい。

「唯さん、もしかしてブラックホールが出来た。とかですかっ!? あっ、もしかして今まさに、ブラックホールに星が呑み込まれている瞬間とかっ!?」

 凄い興味津々。みたいに瞳を輝かせて、アイドルは光の素性を知りたがって

いる。

『うふふふ、も~っと、珍しい現象よン。地球では観測された事ないからぁ、解らなくても当然だけどン。それではぁ、正解の発表よン♡』

 お姉さんの言葉と同時に、宇宙船から光線が発射。

 舞人たちの頭上百メートルほどの距離に映し出された空間投影は、確かに初めて見る天体現象の、それだった。

 遠くの光を捕らえて、少年たちのバイザーと同じく視認しやすく処理された映像は、宇宙空間に発生した巨大な渦。

 濃い青色の宇宙空間に、小さくて真っ黒い染みがあり、その染みに向かって渦を巻いたガスやチリが、吸い込まれているのだ。

 吸い込まれるガスやチリは、漆黒の染みに近づくほど速度が増している。

 更に強大な重力にも影響されているのか、超加速と超圧縮をされて潰れながら質量が増したチリは、燃焼しながら赤色や青色などの、強い光を発していた。

『宇宙でもかなり珍しい、時空間の嵐でぇっす♡』

「時空間の嵐…っ!」

 広い空間の中の、極めて小さな黒い染みに向かって、七色の絵の具を薄く溶かしたようなガスやチリが、吸い込まれている。

 ユックリと渦に捲かれてゆく物質が、染みに近づくほど速度を上げて、まるで宝石の如く赤色や青色の眩い光を放ち、キラキラと輝いているのだ。

 ガスが七色なのは、高速と高圧縮で吸い込まれるチリたちの光を反射しているから。

 これら全ての、遥か彼方の現象を、視覚的に見やすくしてくれているのだ。

 それでも初めて見る光景に、三人は暫し見惚れていた。

 まさしく、宇宙空間に浮かんだ光り輝く渦巻き。

 眺めている少年たちの頭の中では、サラサラキラキラした清楚な効果音まで、イメージされてしまう。

 地球でも観測された事のない現象は、自称宇宙人の少女も、初めて見たらしい。

「綺麗です~~~……と、凛々は思わずウットリしてしまうのでした~~」

 美しい光の渦巻きだけど、頭上に大きく映し出されているから、ちょっと怖くもある。

『うふふ、大丈夫よン。この現象はぁ、私たちの仕事場からぁ、二百光年くらい離れた空間で起こったぁ、現象だからねン♡』

 二百光年といえば、太陽系の直径の二百倍。もう舞人には、想像すら出来ない距離。

 しかも二百光年という事は、いま舞人たちが見ているこの現象があったのは、実に二百年の過去、という事なのだ。

「二百年前の、光の渦……」

 なんだか、宇宙の壮大な時間の流れを見ている気分。

 人間の大きさが異様に小さくも思えてきて、軽い恐怖感で、下腹部が引き締まる感じまでする。

 少年の心情を知ってか知らずか、お姉さんはからかうように、更なる情報も伝えて来た。

『でもねン、あの小さな小さな染みねン……空間の裂け目だけどねン、いやン、割れ目じゃなくて裂け目よン。あの裂け目だってぇ、小さく見えるけどぉ、実は地球よりもずっと、大きいのよン♡』

「ぇえっ–本当ですかっ!」

 映し出されたガスをテニスコートに例えると、染みはビー玉ほどもない。

「あんな染みが近くに出現したら、地球だって、一飲みされちゃいますね……」

 なんて想像すると、舞人は思わず身震いする。

『まぁ、質量の大きな物質ほど引力も大きくなるからぁ、裂け目が現れるとしたらぁ、極力なぁんにもない場所、らしいのだけれどねン』

 時空間の裂け目は重力の影響が少ない空間で発生をして、早いと一瞬も待たず、長いと数年かけて消失すると、唯は教えてくれた。

『でもねン、お姉さん、一瞬でお終いなんてイヤだわン』

 何やら別な事に対して、想う事を漏らす副所長。

 十分ほど天体ショーを見て、舞人たちは再び空間絵画のバイトに取り掛かる。珍しい現象を見せて貰ったから、疲労感も取れて、その日のバイトは捗ったのだった。


              ☆☆☆その③☆☆☆


 また別の日。

 単調になりがちなバイトを続ける舞人たちは、出発前の喫茶店で、副所長から思わぬ逆転の発想を貰った。

「同じトコばっかり色を塗っててもぉ、疲れちゃうでしょうン。わたしだってぇ、同じトコロばっかり責めてくるのなんてぇ、飽きちゃうもン。ぷんぷん。だ・か・ら・ね、時にはぁ、背景の紙とかをね、思うがままに飛びながらぁ、バアァっと塗っちゃうのン。まだ若いんだからぁ、時には思うままにぃ、自分勝手に攻めてみる事もぉ、た・い・せ・つ・よン♡」

 何か別の話も混じっているように聞こえるけど、つまりは仕事に差し支えがなければ、気分転換もいい。という事だ。

 広い宇宙空間を、色に対して注意を払いながらだけど、好き勝手に飛び回る。

「なるほどっ、それは面白いかも!」

「そうね! 宇宙をビューーーンって!」

「ビューーーンですか~…と、凛々も想像してみるのでした~」

 目的の宙域に向かいながら、少年は。

(今日、髪の毛部分を塗ってて疲れたら、ゼヒ試してみよう!)

 と、ワクワクし始めていた。

 ワープで仕事場に到着する。

 いつものICスーツで宇宙に出て、イラストゴーグルをオンにする。

 と、闇と光点しかなかった宇宙に、描きかけの絵画が映し出された。

「……もう二週間以上も頑張ってるのに、まだ全然、絵にすらなってないんだね」

「まぁ、なんたって一千万キロ以上のサイズの画用紙みたいなモノだものね。さ、今日もガンバリましょ~!」

 大きなクロワッサンを肩から掛けて、今日も三人は宇宙に飛び出す。

 そして広い広いフレームに、点描みたいに色を撃つ。

 それでも二週間も経つと、三人の間にも慣れとか技術の進歩とかの、差が出てきた。

 元々、絵を描くのが好きな舞人は、なんだかんだ言いつつ、ジリジリと出来てゆく絵そのものを楽しんでいる。

 バイトを始めて一週間が過ぎた頃に、作業にも慣れて来たし効率も上げたい三人は、一日の作業目標を決めたりもしていた。

 単純作業の繰り返しだから、少年は色の撃ち出しにも徐々に慣れてきて、ペイントガンの照準を決めるタイミングも、速さを増す。

「ほいっ、ほいっ、ほいっ–」

 絵に対して真横に飛びながら、それぞれの点ごとの微妙な黒を、左の指でクロワッサンのスイッチを切り替えながら、次々と連射。

 最初のころは、色を撃つために飛行を停止して狙って撃って。という手順だったのが、逆に飛行速度に合わせて、マスの正面に来ると弾発射。というタイミングで、作業を進められるようになっていた。

「同じような色を集中的に仕上げていけば、切り替える色も二~三色で済むぞ」

 操作するボタンがその程度なら、いちいち考えなくても、身体が勝手に覚えてくれる。

 作業時間が一日四時間だから、その範囲で決めていた、一日の塗りの目標。

 しかし二週間が過ぎるころには、舞人は一日の作業目標を、三時間とかからずに終えられるようになっていた。

「よし、今日の目標範囲は終わりっと」

 その日の作業目標を達成した少年は、翌日分の作業にかかる。と思えば、さにあらず。

「凛々ちゃん、作業の具合 どう?」

「はい~、もう少しで–あややっ、また色を間違えました~。と、凛々はドジしてしまいましたのでした~……しょぼん」

 ツインテールの少女は自称宇宙人なのに、宇宙に慣れるのに意外と時間が掛かっている様子だ。

 ICスーツでの空間移動はちょっとモタついて、色の撃ちだしも一日一回は間違えたりしている。

「手伝うよ」

 スーツを使った宇宙空間での移動は、地球上と同じような重力の空間をイメージした方が、移動し易い。

 そんな事実も、この二週間で身についている。

 フレームの上下をそのまま正位置と意識して、自分は自由に空を飛べる。と考える。

 すると、動かすのは地上と同じで、自分の方だから、方向転換も位置修正も、思いのままだった。

 舞人は女性画の頭髪を塗っていて、凛々はびいどろを塗っているから、少年の意識する位置的には、かなり下方。

 視線を移すと、吹き出しの中では一生懸命に作業をしている少女の愛顔が、ヘルメット越しに映し出されていた。

 何と言うか、ビルからダイブする感覚で飛行すると、ゴスロリスーツの少女の方へと、グングン近づいてゆく感じ。

 そして全身像が見えた時、少年はドキっとさせられた。

(わわっ–凛々ちゃん、上下逆だったのっ!?)

 宇宙空間だから、厳密にいえば上下はない。

 しかし正位置とかを意識していた舞人には、いつの間にか逆さまの位置で作業している凛々が、上下逆になっていた。

 心臓が跳ねたのは、その事ではない。

 舞人は少女の下位置から飛翔してきた事になるので、ゴスロリスカートの中が覗けてしまったのだ。

 そこに見えたのは、オーバーニーストッキングとスカートの間に見える肌色や、生まれて初めて見たガーターベルト。そして純白フリルのついた、小さなショーツ。

(し、し、下着…っ!)

 女の子のスカートの中を見たのなんて、人生で初めてだ。

 しかし凛々は、少年の視線に気づく様子もない。

 スカートの裏にもふんだんにフリルが付けられていて、フワフワな生地に包まれたお尻は、まるで巣の中のひな鳥を思わせて、とても無防備に見える。

 なのに、白いオーバーニーとショーツの間の肌が、しても艶めかしい。

 何より、丸くて小さなお尻には僅かにショーツが食い込んでいて、それがすごく、生々しく感じられた。

(お、女の子のお尻って……罪深い…っ!)

 もちろん、宇宙空間なので生足や生ショーツなんて事はない。

 どんなに扇情的なショーツだってICスーツだし、覗ける肌はスーツのクリア素材で包まれている。

 それでも、年頃な少年にとって「スカートの中が覗けた」という事実は、それだけで十分な刺激を受けてしまうほど、衝撃的なのだ。

 ドキドキしたまま、飛ぶでもないユルユルなスピードで空間を漂っていたら、凛々から声が掛けられた。

「あれれ~? 舞人さんが浮遊してます~。もしかしてお疲れなのですか~? と、凛々は心配するのでした~」

 こちらを覗き込む少女は、股下からこっちに向いている格好。幼げなその姿は、自分の下着が見えているとか、全く意識していない。

「ハっ–い、いやいや、全然大丈夫です! いま手伝いますので……ごほん」

 故意ではないけど見てしまったのは、ちょっと後ろめたいというか。何だか無意識なまま敬語になる。

 この日、少年はいつも以上にがんばって作業を手伝った。


 バイトも三週間目に突入。

 舞人よりもバイト先輩な優香里は、宇宙の移動には慣れているものの、ペイント作業では舞人に抜かれていた。

「一条くん、呑み込みが早いっていうか、慣れるの早いわよね~。ちょっと悔しいけど、でもスカウトしたわたしも、鼻高々だわ」

 ニッコリと微笑むアイドルの美顔は、ヘルメットに映るどんな星々よりも、キラキラと輝いていて、眩しい。

「そ、そうかな。あはは」

 宇宙を飛びながらの色撃ち出し作業に於いては、もはや少年が最速。

 今週の半ばにかけての一週間で、なんと舞人は、女性像の頭部全体から胸元までを、完成させていた。

 自分の作業だけでなく、優香里や凛々の作業を手伝いながら、である。

 頭髪の黒の微妙な違いに目が痛くなったり、細かいかんざしや髪の生え際、薄く櫛を通した頭髪の隙間から覗く耳や背景など、意外と細かい作業が目白押し。

 だけどそのせいか、広い面積をバーっと塗れる白い顔などは、かなり早く塗り進んだ。

 びいどろは口に咥えているので、凛々は現在、女性画の手首へと色を進めている。

 絵画の下端、着物の腰辺りを塗り終えた優香里は、長く靡いた袖を塗り始めていて、目標の範囲を塗り終えた舞人は、今日はアイドルの作業範囲を手伝っていた。

 元絵に従って色を撃つ出しながら、優香里は言う。

「それにしても、これが昔の人の絵だっていうのが、凄いわよね」

「え?」

「着物の細かい柄とか色使いとか。薄い赤でチェック柄で、そのうえ ちゃんと法則性のある配置で薄い青色の花とか描かれてるし……世界一にまで進化した今の日本の漫画にだって、決して引けを取ってなんて、ないわよね」

 そんな事を考えていたんだ。と、ちょっと驚いた。

 舞人はとにかく作業というか、宇宙を飛んだり高速連射で色を命中させてゆく事とか「いつものラクガキ感覚+」でやっている事への慣れそのものが、面白くなってきていたから、優香里のように考えた事なんてなかった。

「優香里ちゃんって、やっぱり知的っていうか、すごいよね。細かく見てるし色々なこと考えてるし、勉強家だよね~」

 思った事を素直に告げると、アイドルからは意外な言葉が返ってくる。

「あら すごいのは一条君よ」

「…僕?」

「うん。仕事に対する慣れの早さだけじゃなくて、特に色のセンスは流石だわ」

 楽しそうに話す優香里によると、舞人の撃ち出す色には迷いが無く、しかも一見すると違和感があるようにも見えて、でも全体で見ると元絵と同じ色合いとか空気感になる。

「これは理屈や機械では出来ない、いわゆる人の感覚なのよ。何より凄いのは、それらの色の組み合わせを迷ってる事なく一発で決めて、しかもそれを高速連射の中で出来ているってところだわ!」

 熱っぽく言いながら。優香里の瞳がちょっとした尊敬でキラキラしている。

「そ、そうかな…」

 憧れの少女にそんな目で見られたら、少年はテレテレで真っ赤になってしまった。

 とはいえ、舞人が真っ赤になっているのは、褒められたからだけではない。

 隣で作業しているアイドルのスーツが、やっぱり刺激的だからだ。

 スーツの下は全裸だから、ごく薄い素材でピッタリフィットのスーツはボディラインがクッキリと見える。

 そして優香里が装着しているのは、日ごろからスベスベすぎるお肌で苦労しているから、全く隙間の無いスーツ。

 しかもビニールみたいにスケスケだから、見た感じは艶々な全裸だった。

 一応、胸の先端とか股間部分は、赤くて縦長なダイヤモンド型のパーツで隠されているものの。そのぶん、ボディーペインティングにさえ見える。

 特に背後からの眺めは、大きなロケットブースターを背負っていて背中が隠れているけど、腰から下は肌色だから、余計に全裸っぽくて、あぶない。

 ちょっと片足を上げただけで、 または軽く腰を捻っただけで、全身の肌色が柔らかく変形をして、男子の脳に女体特有の弾力と温かさを想像させてくるのだ。

(女の子の身体って、なんだかそれだけで、エッチっぽい…!)

 空気とか周囲の物体とかがない宇宙だから、本来だったら恒星からの光を受けている肌色部分と、ほぼ光を受けない影だけで浮かび上がる肢体だ。

 だけどヘルメットで光の感度を調整しているから、少女の肌を彩るのは、地上と同じようなグラデーション。

 だから余計に、エッチなのだ。

 なんて事をボ~っと考えていたら「ただ」と、優香里から意外な忠告。

「ただ、一条くん ちょっとスピード…あ、この場合、仕事そのものじゃなくて、スーツでの飛行速度の事ね。ちょっと早すぎるかもしれないわ」

「? 飛ぶのが早いって事?」

 作業が早く進むのは良い事だと思うけど、何か問題があるのだろうか。

「講義で習った、相対性理論よ」

 物体は、重力から解放されるほど時間の進み方が早くなって、移動速度が速くなるほど時間の進み方が遅くなる。

 という話だ。

 現実に、地球の重力から遠退いて、更に超高速で飛行している人工衛星は、地球上との時間経過にズレが生じている。

 だから内蔵時計は一秒ごとに、百億分の四・四五秒、とかの遅れを修正しているのだ。

「ううん、そっちじゃなくて。ICスーツの場合、あんまりスピードを上げちゃうと光速を超えちゃう事が、ごく稀にだけどあるから。そうなると、もっと大変な事が起こっちゃうかもでしょ」

 ICスーツは、装着者の意思で稼働しているし、移動もしている。

 そして何より、スビードとか重力による時間の影響を受けないように、工夫されてもいるのだ。

 それは、少年たちが講義で習った「物理霊子論」とか「超越概念論」の話。

 速度が上がるに従って、物体は質量が増してゆく。

 そして光速になったら、物体は質量の限界に近づいて、宇宙で最も重たい物質、ブラックホールに極めて近くなってしまう。

 とはいえ、そうならないように対策がしてあるから、宇宙船でのゴム紐ワープとかが可能なのである。

 ただ問題は全て解決しているわけでもなく、ブラックホール化しない技術は、別なる危険を、もたらしてもいた。

 色を撃ちだしながら、会話を続ける二人。

「つまりね、ICスーツであんまり速度を上げて、うっかり光速とかになっちゃうと、最悪の場合、次元の壁を突き抜けちゃう事もあるってことなの」

「次元の壁? それって別次元に行っちゃうとか、別の時代に出ちゃうとか、パラレルワールドに出ちゃうとかってこと?」

「わたしも、講義での範囲でしか言えない事なんだけど、ソレだったらまだ良い方らしいわ。酷いと、次元と次元の隙間に閉じ込められちゃって、出てこれなくなっちゃうとか」

 ちょっと聞いただけでも、それは怖い。

 頭の中では、七色の空間から出られず、そのままやがて飢え死にとかしちゃう自分が、想像されてしまった。

「それは……怖いね…」

「まぁ、あくまで科学上での可能性らしいけどね。わたしが友達から聞いた範囲では、まだそういう体験した人って、この銀河でも数人いるかいないか、みたいな感じらしいし」

「ほぇ……え?」

 とまで聞いて、フと思う。

「この銀河でも、て……優香里ちゃん、地球人以外の人と、会った事あるの?」

 別に、所長であるミスター・アシウラー氏の「カカトオトッシー星人」説とか、凛々の「テレパシスター星人」話を疑っているというワケではないけど、ほぼ無いくらい実感が薄いのも事実。

 少年の疑問に、アイドルは「昨日たいして話題にもなっていない新商品のお菓子を食べたのよ」程度に、フツーに答える。

「うん。あれ、話した事なかったっけ? わたし前ね『ガウール星の大流星落とし』っていうバイトに参加したの」

 初めて聞いた。

 っていうか「大流星落とし」とやらの方が、がぜん気になる。なんかすごく面白そう。

「そのバイトの時にね、依頼主のガウー星人の人とか、地球以外のバイトで集まった別の惑星の人とか、お友達になったの」

 楽しそうに「お友達になったの」と告白してるけど、要は「宇宙人と接近遭遇した」と言っているのだ。

「今でも手紙のヤリトリとか、してるよ」

「……なんか…す、凄いね…」

 ともかく、アイドルとしては、宇宙移動のスピードには注意した方がいいと言う。

「光速までスピードを上げるなんてコト事態、まぁ無いし。大丈夫だとは思うけれどね。ま、念のためにね!」

 そう言って、優香里はドヤ顔。

 その一瞬の愛顔は、とてつもなく可愛い。

「う、うん。ありがと、気を付けるよ」

 真っ赤になった少年は、そう答えるのが精いっぱいだ。

 同時に、大流星落としの事も、頭から消えてしまった。


 そして二人は、新たな範囲を塗り始める。

「わたし右に色を塗るから、一条くんは左に塗っていって」

 女性像の、緩やかにカーブを描きながら左右に流れる袖で、提案してきたアイドル。

「うん、わかった」

 少年が答えるよりも早く、提案した少女が右に向かって身体を流した。

 その姿に、舞人はまた、視線を奪われる。

 右方向に飛翔する優香里は、素直に横寝の姿勢になって、頭から右方向へと流れてゆく。

 そんな移動方法だから、舞人はスケスケスーツ少女を下から眺める位置関係となっていた。

「わわっ–っ!?」

 凛々の時は、斜め後ろからだったし、ミニスカートだった。

 それだってかなりドキっとさせられたけど、今回はもっとすごい。

 自分もそうだけど、飛ぶときはなんとなしに、肩幅まで足を開いたりする。

 ツインテール少女もそうだったけど、優香里も無意識なのだろう。同じような姿勢だ。

 ただ、優香里は裸みたいなスケスケで、しかもほぼ真下から見るような恰好。

(ゆっゆっ–優香里ちゃんのっ、あわわっ!)

 もちろん、大切な場所は赤いパーツでキッチリと隠されている。

 だけど女の子の身体を真下から見るなんて、普段の生活ではありえない。

 しかも肌色成分がやたらと多いスーツだから、まるで全裸の優香里を下から見ているようで、うっかりエッチな勘違いをしてしまいそうだ。

「え、えっとえっと…わわわっ!」

 視線を逸らさなきゃ、と焦る理性と、もっと見たいという本能が葛藤していたら、思春期少年の思考を読み取ったヘルメットが、少女の股間をズームアップ。

 数キロと離れているアイドルの股下が、まるで目の前にあるかという程、ヘルメットの中で大写しになっていた。

「? どうしたの一条くん。何か問題発生?」

 作業場での共通用語で、優香里は真面目に聞いてきた。

 しかも足下を覗き込むような恰好だから、無意識に僅かに、より足を開いた格好。

(!! こ、これ以上はマズいっ!)

 このまま見ていたら、年頃な少年としては、健康で正常な反応だけど少女たちから見ると軽蔑の対象いがい何物でもない、若さ故の緊急事態が発生しそうだ。

 舞人に対して自分の恰好がどれほど刺激的だとか、今の位置関係や姿勢が大変な事だとか、全く気づいていないアイドル。

 少年は精いっぱいに意思を振り絞って、頭を絵画に向き直した。

「い、いやあのっ–ううん、大丈夫。何でもないよ。あははは」

 そして大きく深呼吸して、気持ちを落ち着かせてから、作業を再開。

「すうぅ……はぁあ……! よしっ–わあっ!」

 気持ちを新たに仕事を進めようとして、ペイントガンを構えた途端、ヘルメットのモニターにニヤニヤ顔の唯が、アップで割り込んで来た。

『うっふふふぅン。舞人くんたらぁ、優香里ちゃんのぉ、どこを、見・て・た・のかしらン?』

「いっ、ぃえっそのっ–すすっ、すみませんっ!」

 思わず正直に謝ったら、副所長はちょっと堪らない的に、美顔を萌えさせた。

『っぅうン、そんなに恥ずかしがっちゃってぇン。それじゃあ、こんなの、ど・う・ン?』

 言った途端、舞人のモニターいっぱいに、ビキニ鎧の巨乳の谷間が映し出された。

「わぁっ、すっすごいっ!」

 ただでさえタップリと実ったお姉さんの巨乳は、アップでは、もはやお尻と区別がつかない程。

 カップがワンサイズほど小さいらしいビキニ鎧の淵を、ムッチムチに食い込ませている。

 カップから溢れそうな乳脂肪は、柔軟に縁へと乗せられていて、今にもカップを破壊しそうだ。

 押し込められているからか、谷間はより深く形作られている。

 コックピット内の明かりのせいなのか、照らされる肌の艶と、色濃くなってゆく谷間のグラデーションが、Hを通り越して扇情的でさえあった。

 映像だけなのに、その大きさと存在感は「どどんっ!」とかSEまで、聞こえてきそうな程。

 思わず魅入ってしまった舞人は、つい谷間の奥まで注視してしまう。 

青少年の意識が持っていかれていると、優香里の声が聞こえて来た。

「一条くん、手が止まってるけど、どうかしたの? あ、もしかして、疲れが溜まってるんじゃない?」

 真面目に心配する少女の声に、色々とバレたのかと思って、正直、心臓が飛び出る思い。

「ハっ–ぃいや、うんっ、別にっ! ちちょっと考え事っ、しちゃって、あははは。さ、さ~て、仕事仕事っ!」

「? 手伝ってくれるのは嬉しいけど、あんまり無理しちゃダメよ」

「う、うん。ありがと」

 真っ赤になって取り繕った少年に、Hなイタズラを成功させたお姉さんは、やっぱりニヤニヤ美顔だった。


              ☆☆☆その④☆☆☆


 その後も特別に危険な事などなく、バイトは順調を極めて、数日が過ぎてゆく。

 仕事に慣れてくると、無意識にも作業を早く進めたくなるのは、人類共通の性癖なのだろう。

 かくいう舞人も、つい先日、優香里から忠告を受けたばかりなのに、宇宙を飛行するスピードが、少しずつだけど速くなっていた。

 ICスーツの動力源は、装着者の体温とか意思とかの、生命エネルギーみたいなモノらしい。

 朝ごはんを食べてもお昼にはお腹がすくように、ICスーツで作業をしていると、その程度に活力みたいなものを消費する。という事だ。

 だから、ここ数日のバイトで結構なスピードを出している少年は、仕事が終わると、とても空腹だったりする。

 それでもスピードが上がってゆくのは、仕事の後でごはんを食べれば、すっかり満腹になれるからだろう。

 そんなわけで、舞人は今日も、凄い速さで宇宙を飛ぶ。

「この水鉄砲、連射力も凄いんだな」

 最初のうちは、目標の前に停止して、ジックリ狙って一発ずつ色を撃っていた。

 しかし同じ作業を重ねてゆくうちに、舞人なりのコツも掴めてきている。

 脇を閉めて水鉄砲を身体に固定して、フレームに対して全身を正面に向ける。あとは姿勢をずらさず、一直線に飛びながら、色を連射。

「慣れれば楽だな」

 最初は色を撃ちだすのに三十秒くらいかかっていたけど、今は三十秒もあれば、マスを千五百くらいは埋められる。

 埋めるマスも、視覚的に「視認」しているというより、無意識に「認識」できていた。

 少年は「見ている」という段階を、自分でも気づかず、とっくに卒業していたのだ。

 楽な分だけ単調で退屈な作業だからか、少年らしいチャレンジャー魂が、フツフツと湧いてきた。

「今日は背景にあたる白系を塗っていこう」

 絵画のてっぺん、フレームにして横の距離八百八十万キロを、左から右へと一直線に塗り潰すつもり。

 絵画の右上には絵のタイトルが書かれているから、女性画だけでなく文字部分も仕上げなければ「びいどろを吹く女」の完成にはならない。

 依頼をくれたタトス星の人も、ちゃんとした完成形を望んで、依頼をくれたのだ。

 一秒間に五十発も撃てる水鉄砲だけど、まだまだ能力の限界ではない様子。

「たしか訓練期間中に聞いた話では、一秒間で最大五万発だっけ?」

 なんて話を聞いて「そんな連射、人間の方が認識できないんじゃないかな」とか思った記憶がある。無駄に高性能な水鉄砲だ。

 仮に、その性能をフルに発揮してマスを埋めたとしても、飛行速度は秒速五十万キロ。

「光の速さが秒速だいたい三十万キロなんだから、どうしたって人間に超えられるスピードとは思えないよね」

 アイドルの言葉を信じないわけではないけれど、このICスーツを以てしても「うっかり光速 超えちゃった。てへ」とか、とても有り得ないと思う。

 そんな事にもちょっと安心しながら、少年は美人画に向かって、左上の角に位置した。

 ここから右に向かって、八百八十万キロの距離を、一直線に飛ぶつもり。

「一秒間に五十発……いや、百発として、二時間半と少し、くらい…二時間切りたいな」

 チャレンジを決めると、心がワクワクしてくる。フレームを基準にして身体を水平にして、心の中でカウントダウン。

(位置について、よ~い…)

「どんっ!」

 合図と同時にスタートダッシュ。

 宇宙に浮かんだ舞人の身体が、見えないゴムで弾かれたように、一瞬で数十キロ先へと跳躍していた。

 真空中だから飛行を体感するモノはないけれど、そのあたりは、ICスーツがスピード感のフィードバックをしてくれる。

 ヘルメットの外では、まるで雲と空気が流れるような、極細の白い筋が、無数に流れてゆく。

 空を飛んでいる感覚な自分の身体が、興奮と緊張と軽い恐怖感でピリリっと痺れる。

 ジワっと僅かな汗とともに、下腹部の奥がキュっとなる感覚。

(よしっ、僕は飛んでる!)

 そんな認識をする間にも、ペイントガンを握っているラクガキストの右腕は、身体に肘を固定したまま、トリガーを引いて色弾を連射。

 左腕はいつもどおり、クロワッサンのスイッチに触れている。

 –っビュオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォっっ!

 と飛びながら。

 –っタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタっっ!

 と弾を撃つ。

(うひゃあぁ~っ、速いぃ~っ!)

 景色は数万光年と離れた星々しか見えないから変化はないけど、ヘルメット内のモニターは目まぐるしく変化。

 ターゲットのマスは上から下へと超高速で通り過ぎて、もはや表示ではなく点滅状態。

 撃ちだした色がシッカリと命中しているOKマークも、ピカカカカカカカカカカっと連続で点滅していた。

 水鉄砲の表示は、もはや一秒間に百発を軽く超えて、更に数値が上がってゆく。

 体感的には、飛行速度が速すぎて、もう息だってできない。みたいな感じ。

 それでも、モニターの左に表示されている絵画の全体像を見ると、フレームの天辺で、白くて細い糸みたいなものが、ゆ~っくりと延びているのが見える。

 そんな状態を見ると、自分は決して速くない、と感じてしまう。

 舞人はほとんど、何も考えずにワクワクだけしながら、思った。

「もっと早く、もっと飛ぶっ!」

 そう意識した途端、連動したスーツが更に速度を上げてゆく。

 –っっギューーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっ!

 と同時に、水鉄砲の連射速度も急激に上昇。

 発射の感覚が狭まってくると、無音で無反動だけど、その変化も解った。

 –っっクホウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥっっ!

 一発一発を撃っているのではなく、ホントに水みたいに、弾が一瞬の途切れもなく出てゆく感じだ。

「良い感じっ、あははっ!」

 軽く興奮しているからか、体感スピードに対応するように、色に対する認識力も、研ぎ澄まされてゆく。

 背景色の白は決して単色ではないし、その箇所ごとの微妙な白を置いてゆかねばならない。

 一秒で百マス以上のわずかな色の違いを、ラクガキ少年は的確に、そして的から外す事なく、正確に塗り潰していった。

「意外と出来るモノなんだっ!」

 それはもはや、完全に視覚ではなく、認識力そのものの拡大、みたいな現象。

 このとき舞人が体験しているこの感覚は、日常では言うまでもなく、またこのバイトを普通にこなしていてもまずあり得ない、意識そのものの認識拡大と超跳躍だった。

 腕に着けたダブルタイマー。

 赤と青の時計が刻んでいるその時間に、ズレが生じ始めている事にも、全く気づいていない舞人。

 グングン上がるスピードに、少年の何かが、まるで成功者の如く高揚してゆく。

「もっと速く、もっと遠くに、飛べるんだっ!」

 思わず叫んでいた。

 自分は何よりも、速く飛ぶ。

 そんな耳に、アイドルの緊迫した声。

「一条くんなダメっ! スビート落とっ–」

「えっ–」

 ヘルメット内のすぐ近くで聞こえたような優香里の忠告が、突然切れた。

 そして刹那。

 目の前の景色が、進行方向に対して縦に潰れる。

 ぶにゆり、みたいな印象で宇宙が潰れたと思った次の一瞬には宇宙全体が真っ暗になって、そして次の瞬間にはまた星々が煌めいていた。

「っ–っ!!」

 そして気づいたら、少年は停止。

「……な、なんだろ、今の…?」

 何だかよく分からない景色の変化に、キョロキョロと周りを見ると、ちゃんと宇宙船や凛々が、吹き出しの中に確認できる。

 マスを見るとちゃんと塗れていて、正面のマスが、丁度これから弾を撃つ状態だった。

「なんか今、景色が–わあっ!」

 進行方向の前を見たら、なんと仁王立ちしている優香里が。

 凄く早く飛んでいたと思っていたのに、少女はそんな自分の先頭を行っていたのか。

「ゆ、優香里ちゃん いつの間に……飛ぶの 速いね~」

 なんて驚きながら笑ったら、ちょっとご立腹の様子で、意外な答えが返ってきた。

「三十分前から待ってたもの。それより一条くん、大丈夫なの? 身体に何か 変化はない?」


              ☆☆☆その⑤☆☆☆


「さ、三十分…? 身体に変化…?」

 高速で飛んだから身体の心配をしてくれているのかな。嬉しいな。

 とか思っていたら、唯からもコールが来た。

『舞人くぅン。ちょっとコッチにぃ、い・ら・っ・しゃ・い。うふふ』

 モニターに映った美顔は微笑んでいて、特に怒っている様子はない。

 というか、むしろちょっと興奮しているっぽい。

 舞人は、優香里と凛々に付き添われて、母艦へと帰還。

 一旦作業が中断されると、ビキニ鎧の副所長に連れられて、宇宙船の後部へと向かった。

「舞人くんたらぁ、意外とぉ、暴れん坊さん、なのねぇン。うふふふ♡」

 何か意味深に微笑んでいる。

 カプセルみたいなベッドのある小さな個室に連れられると、お姉さんはニコリと、ちょっと頬を染めて、ダイタンな命令をしてきた。

「さ、脱いでン♡」

「ぇえっ–ぬ、脱いでって–ななナゼですかっ!?」

 ベッドの個室と、セクシーなお姉さん。

 ヘルメットを脱がされた少年が真っ赤になって慌てていると、アイドルとツインテールの少女も入室してきた。

 二人とも既に水鉄砲を下して、ヘルメットも脱いでいる。

 頭を露出したICスーツの優香里は、首回りと手袋とブーツ以外は何も着けていない、みたいな、かなりHな姿に見えた。

「一条くん、肉体を概念に変化させたでしょっ!?」

「?」

「一条さんてば凄いです~! 私そんなかた、初めて見ました~! と、凛々はコーフンしているのでした~!」

 何だかよく分からないけど、優香里は軽く呆れて、でも安心している様子で、凛々は珍しい動物を見るように瞳がキラキラ。

 よく分からないと顔に書いてあるらしい少年をベッドに座らせると、ビキニの巨乳お姉さんは、隣に座って教えてくれた。

「あのねン、舞人くんたらすっごく、スピード出したでしょぅン。お姉さん、速すぎるのは嫌いよン。うふふ。それでねン、グングン速くなった舞人くんはぁ、アっという間にぃ、光速まで達しちゃったのよン」

「こ、光速 ですか……?」

「そ。それでねン、光速に達したまま更に加速してたからぁ、光速を超えちゃってぇ、舞人くんの身体が、概念へと転移しちゃったのよン。うふふ、この、あ・ば・れ・ん・ぼ・う・さん♡」

 ニコニコする美女のしなやかな指先で、少年の額がツンと突かれる。

 所々で説明がエッチっぽくなる唯に代わって、アイドルが説明を続けた。

「まぁ そんな事があってね、一条くんはわたしたちの前から消失しちゃったワケ。わたしが忠告した直後のことよね。そしたら凛々が、探してくれてね」

「はい~。光速を超えて この時間から消失してしまった一条さんが、三十分後にまた出現する事と~、その正確な座標が解りました~。と、凛々は報告したのでした~」

「え…えっと……」

 つまり優香里たちの話によると、超高速で飛行していた舞人は、そのままスピードを上げ続けていた結果、光の速度を突破。

 更に加速を続けて超光速となった瞬間、ICスーツによって肉体という物質が概念へと相転移。

 そして、三十分だけ時間を跳躍してしまった。

 という事らしい。

「そ、そんな事が……」

 と、驚いているものの、実感なんて、全くない。

 ただ一瞬だけ景色が潰れて真っ暗になってまたすぐ戻った。

 という程度だ。

「時間を飛んだことは、ダブルタイマーで確認できるでしょ」

 言われて、見ると、自分自身の時間を示すと教えられている赤い時計が、自分以外の周囲の時間を示すと教えられている青い時計よりも、三十分ほど遅れている。

「……同じ時間を表示していたのに、時間がズレてる…」

 実感はないけど、つまりそういう事らしい。

 舞人はいま、三十分後の世界にいるのだ。

「ホントに、三十分タイムスリップしたってこと…」

 なんとなくそう思う少年に、優香里はホっと息をついた。

「三十分だったから良かったけど、これが一年とか三十年とかだったら大変よ。凛々が三十分で戻ってくるって言ったときは、みんな どれだけ安心したか」

「り、凛々ちゃんが…僕の、タイムスリップの時間とかを、言い当てたの…?」

 凛々には、舞人が三十分後の時間に時間跳躍した、と解ったらしい。

「たから言ったじゃないですか~。凛々は~、テレパシスター星人なのですよ~。と、凛々はあらためて自己紹介をするのでした~」

 言いながら、人口重力のある宇宙船内で、少女のツインテールがフワフワっと頭上に向く。

 そして宙に浮かんだ先端部分が、柔らかく緑色に輝いた。

「わわっ–凛々ちゃんの髪…っ!」

 滑らかな頭髪が束になって上を向いて、まるで水中花のように、ユラユラと揺れている。

 優しい発光で室内が緑色に照らされると、とても幻想的に思えた。

「はい~。凛々たちテレパシステー星人は~、意識を集中すると、近くの生命体の精神を感じ取る事ができるのです~。と、凛々はその時に念力集中したと説明したのでした~」

「しかも凛々の精神感受って、現在だけじゃなくて、過去とか未来とかの別時間、割と近い時間だったら 感受できるらしいの」

 どうやら、海藻の如く揺れているツインテールで、舞人の三十分タイムスリップを感じ取ってくれたようだ。

 テレパシスター星人の面目躍如、といった感じな、愛らしいドヤ顔の凛々。

「はい~。ですから~、舞人さんのタイムスリップが三十分だけだったので~、凛々にも感知できたのでした~。と、凛々は説明したのでした~」

「そ、それは…お手数をおけて致しまして…」

 迷惑をかけてしまった事だけは確かだ。

 なんと詫びて良いのか解らず、舞人は頭を垂れて、そしてお礼を述べた。

「と、とにかく、ありがとう 凛々ちゃん。それと、ご迷惑をおかけいたしました」

 唯と優香里にも謝った少年だ。

 少年の隣で、ホステスさんみたいに密着するビキニ鎧の副所長さんは、少年のスーツに指を掛けながら、楽しそうに説明を続ける。

「そんなわけでぇ、とりあえずねン。舞人くんにはぁ、脱・ぎ・脱・ぎ・してもらわないとねン♡」

「ぇえっと……それは ナゼでしょう…?」

「あのねン、時間跳躍とかぁ、肉体と概念体への相転移とか、しちゃってぇ、もし何かあっても、困るでしょうン? だからぁ、に・く・た・い・を、量子治療しておくのよン♡」

 言われてドキリの宇宙ネタ「何かあったら大変」の「何か」とは、SF的に言うところの「浦島効果」というヤツらしい。

 現在、タイムスリップした事によって、舞人と周囲の時間が、たったの三十分とはいえズレている。

 これが、舞人自身の肉体にどんな影響を及ぼすのか、あるいは及ぼさないのかなど、正確には解らない。

 例えば、新幹線で一瞬も止まらず北方領土から沖縄までの日本縦断とかによる「数十億分の一秒」程度ならともかく、三十分ものズレは、日常的には決してあり得ないタイムラグだ。

 だから万が一の事がないようにと、一応、念のため、肉体の時間だけを元通りに合わせておくのだという。

 現在、舞人たちが集まっているこの部屋は「量子治療室」といい、宇宙を行く中型以上の宇宙船だったら、義務として標準装備されている必要設備だ。

「まぁねン。三十分だけだしぃ…少なくともお姉さんはぁ、今までこういう現象を起こした地球人はぁ、見た事ないんだけれどねン。でもね…うふふ……♡」

 舞人の治療も大切だけど、どちらかというと、少年が脱衣する事実が大好物。という空気を隠さない唯だ。

「とりあえずぅ、ベッドに寝てン。あとはぁ、お姉さんにぃ、お・ま・か・せ♡」

 ウィンクをくれる副所長にドキドキさせられる舞人だけど、まさか本当に脱衣のお任せをするわけにはゆかない。

「い、いえ、あのっ–じじ自分で、脱ぎますので…っ!」

 ちなみに、時間跳躍をした生命体を救出する方法は、一応だけど確立はされている。

 ただし滅多にない事象という事もあって、例えば一年後にタイムスリップした生命体を現在時刻に救出するための設備稼働そのものに、一週間以上もかかるうえ、保険適用とはいえ費用も激高。

 なので、今回のような当日転移というケースでは、凛々の能力をアテにする事が最善だったと、後に教えてもらった。

 女性三人が退室をすると、壁のインターフォンから唯の声。

『さ、舞人くん。全部、ぜ~んぶぅ、脱・い・でぇ、ベッドで横になってねン♡』

「は…はい」

 見られていないと思いながら、少年はICスーツを脱衣して、ベッドに仰向け。

 ベッドの天井には、何か半球形の照明らしき機材が取り付けられていた。

『どうかしらン? キミの準備は、OKぃ?』

「あ…は、はい」

 当たり前だけど、やはりカメラ等はないのだと、ちょっと安心。

 転がったまま答えると、ベッドの周囲から透明なカーテンが展開。ベッドがスッポリ包まれると、天井の照明が七色に輝き始めた。

『ちょっと眩しいと思うけどぉ、五分くらい、ガマンしてねん。お姉さん、我慢強い男の子って、大好きよン♡』

『も~、唯さんてば』

『はい~、凛々も熱湯風呂のコメディ、大好きです~。と、凛々はアピールでした~』

 操作室のヤリトリが、手に取るようにわかる。

 カーテンに囲まれて照らされていると、なんだか、行ったことはないけど日焼けサロンにいる気分だ。

 光そのものは温かいわけではないから、室温調整されたベッドの上は、裸であっても暑くも寒くもない。

 と言っても。

(うぅ…)

 数分間とはいえ、自分の部屋でもない場所で、裸になって寝ている。

 扉の外というか、壁一枚隔てた近くには、クラスメイトの女子たちがいる。

 とか想像すると、何だか恥ずかしい。

 長い五分を感じているついでに、脳が勝手に想像を開始。

(……優香里ちゃんが時間跳躍したら、やっぱりココで、裸になるのかな……)

 頭の中では、優香里が全裸になってベッドで寝転ぶ。

 スーツに着替える時にカーテン越しに見えた、影の中の鮮やかな肌色が頭を過ると、心臓がドキドキして、身体が熱くなってもきた。

(っ–っ、ダメだっ、それ以上は想像したら…っ!)

 こんなところでコーフン状態なんて、万が一にも知られたら恥ずかしすぎる。

 歌麿先生には失礼だけど、美人画の女性の瓜みたいな顔を、必死に想像。

(絵を完成させないとっ–これは仕事だ仕事っ!)

 肉体的というか精神的というか頭の中的にというか、とにかく危機が去った頃、量子治療の照明が消灯。

 カーテンが開けられると、またインターフォンから声が聞こえた。

『はぁい、治療が完了したわよン。スーツに着替えたら呼んでねン。ぁん、お姉さん的にはぁ、着替える前に呼んでくれても、い・い・け・ど。うふふ♡』

 もちろん着替えてから「はい、OKです」と一声かけた。

 全てが終わると、扉が開かれて優香里たちが入室してくる。

「大丈夫? 気分はどう?」

「うん、ありがとう。なんともないよ」

 量子治療とか初めて体験したけど、正直、何がどうなったのか、そもそもどのあたりに治療が必要だったのかとか、全くわからない。

 どこが痛いわけでもなければ、気持ち悪いとか眩暈とかも無し。

 治療光線を浴びたけど、スーツと一緒に装着したダブルタイマーの時間はズレたまま。

「あン、それはねぇ」

 量子治療は、光線を浴びたら即完治。という事でもないらしい。

「肉体にぃ、負荷がかからないようにねン、一週間かけてぇ、舞人くんの新陳代謝をぉ、調整するのよン。だからぁ、これから一週間ん、代謝の関係でねぇ、うふふ…イ・ロ・イ・ロ・出ちゃうわよン。いやン♡」

 お終いあたりが意味深な唯だ。

 舞人が、自分の身体を一通り無事だと確かめていると、あらためて、みんなにちゃんとお礼を言っていなかった気がした。

「あ、凛々ちゃん、唯さん、優香里ちゃん。助けてくれて、ありがとうございました」

「いいえ~、お役に立てて何よりです~。と、凛々は嬉しかったのでした~」

 言いながら、ちょっと頬が赤い宇宙少女。

「ところで一条くんっ!」

 無事が確認された少年に、アイドルがググっと美顔を近づけてきた。

「時間跳躍って、どんな感じ? やっぱりこう、タイムトラベルしてる間、異空間の壁は虹色だったりすのっ? それとも歪んだ時計がいっぱいだったっ? それとも一条くん自身が七色の輪郭でペラペラになっちゃってたっ? あ、黒い空間に白い魂みたいなのがいっぱいだったとかっ? ねぇねぇどんなだったのっ?」

 どうやら優香里は、アニメとかでイメージするタイムトンネルみたいなものを想像しているらしい。

 問うてくる瞳は、まるで子供のようにキラキラでワクワク。

「ぇえっと……一瞬だった…かな…」

 景色が縦に潰れた途端に真っ暗になったと思ったら元に戻っていた。

 と、面白いワケでもなかったありまままを話したら、アイドルはガッカリするどころか、意外にも感激していた。

「うぅ~ん、なるほどね~っ! 言われてみれば確かにそうね! 三十分後に現れた一条くん自身の時間は三十分遅れていたって事なんだから、つまりタイムスリップしている最中の人にとっては、全てが一瞬の出来事なワケよね! こっちでは三十分過ぎてたのに、一条くんにとっては一瞬。わたしたちの三十分は、一条くんにとってなかったに等しいワケよね!」

 ウンウンと頷いて、アイドルは何やら納得している様子。

 お姉さんがセクハラではなく心配して、舞人の身体をサワサワしながら、真面目に判断。

「とにかくぅ、今日のお仕事は、ココまでにしましょうねン。舞人くんはぁ、一応ね、今後も募集すると思うバイト要員さんの為にもぉ、今日の事で報告書を作ってもらうからねン。お姉さんに・出・し・て・ねン。報告書。うふン♡」

「は、はい、わかりました」

 何か、自分の所為で今日の仕事が中断した。

「あの…色々とご迷惑をおかけしました、すみませでした」

 あらためて素直に頭を下げた少年に、お姉さんは、とても暖かい笑顔をくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る