第三章 水鉄砲とトランポリンと、みんなで妄想

 

              ☆☆☆その①☆☆☆


 翌日。

 優香里は学校で、自分から挨拶をくれた。

「おはよう 一条くん」

「あ、うんっ–ぉおはよお…」

 初めて女の子から、しかも輝くような眩しい挨拶をされて、ドキっとしてシドロモドロな舞人。

 そんな光景に、親友たちは勝手な噂話だ。

「優香里姫が、舞人に挨拶してったぞ!」

「良かったな舞人。ようやくクラスメイトとして認識されたみたいだぞ」

「お前は認識されてないみだいだが」

 友達同士の馬鹿話に、ドキドキが収まらない少年は生返事。

「そ、そうだね…」

 バイトの事は他言無用だから、舞人にはアイドルと秘密を共有しているような優越感を感じつつも、心の中で友人たちに詫びてもいた。

 そして放課後。

 少年は一足早く喫茶店に向かう。店の前で暫し待っていると、優香里と凛々がやってきた。

「おまたせ~。さ、事務所に行こ」

 そして、人生初のアルバイトが、本格的に始まる。

 優香里を先頭に階段を上がると、事務所で挨拶。

 なんと副所長さんだと教えてくれたお姉さん、赤い秘書スーツの舞に、昨日作った履歴書を手渡した。

「あの、履歴書です」

「はぁい、た・し・か・に♡」

 頭のボールをプラプラさせる副所長は、ニコニコしながら書類に目を通すと、そのまま所長のデスクに正位置で置く。

 昨日の喫茶店の事を言われないトコロを見ると、優香里の言う通りだったようだ。

 やっぱり太っ腹な会社だと、あらためて思う。

「さあぁ、く・ん・れ・ん・の、始まりですよぅん♡」


 なんだかHな保母さんみたいなお姉さんに引率されて、屋上へと上がる三人。

 晴れた空の下で、あまり広いとは言えないビルの屋上。

 この「ひのまるビル」よりも高い両隣のビルに挟まれて、折角の屋上も解放感には乏しい。

 前後方向は景色が開けているけど、前は裏通りで、後ろは少し距離があるけどそこそこの高さのビル群という、ちょっとしまらない眺めだった。

 キョロキョロしていた舞人は、出入り口から見て右側に、大きな黒い物体を見とめる。

「……? 布?」

 高さ五メートル、幅十五メートルほどの生地が、四角い枠みたいな鉄骨に、括り付けられているような感じ。

 しかも黒い布そのものは綺麗で、昨日取り付けた新品、みたいに見える。

「舞人くぅん、ちょっと、お・て・つ・だ・い・してぇン」

「あ、はいっ!」

 女性から「舞人くん」と呼ばれた舞人は慌てて、お姉さんがオイデオイデしている屋上倉庫へと走る。

 屋上の一角。出入口の隣に設置されている倉庫というか物置の中は、思った以上に広くて、色々な荷物が整然と収められていた。

「その三番目の箱の中身、二つ、運んでくれるかしらン? 一つは私が運ぶからン」

 金属質っぽい茶箱のような箱を開けると、剣道の防具一式を収納する袋みたいなモノが、五つほど入っていた。

 白くて銀色に艶めく柔らかい袋は、見たことない、不思議な素材だ。

 これを、舞人と唯で、合計三つ運ぶらしい。

「コレですか…よいしょ」

 一つ持ったら意外と軽かったので、少年は年頃らしい意地と自尊心で、三つ持った。

「あらあら、さすがは男の子ねぇ。頼もしいわン♡」

 猫なで声ではなく、天然に甘いボイスだ。

 覗きに来た優香里と凛々も「ぉお~」と笑顔で驚きながら、パチパチと拍手をくれている。

 舞人は、指示された黒い布の前へと、荷物を運ぶ。

「それじゃあぁ その袋、みんなで開・け・てン」

 不必要にHっぽく告げる唯の命令に従い、少年少女がそれぞれ一つずつ、袋を開ける。中にはまた、見た事のない道具が入っていた。

「何だろ、これ……ウォーターガン?」

 袋の中で姿を見せたのは、おもちゃのSFライフルみたいな大型銃らしき物体と、スポーツバッグほどの大きさの、三日月型というか、クロワッサンみたいな形をした肩掛けカバンらしきモノ。

 クロワッサンは銀ピカで、両端がベルトで繋がっている。クロワッサンからは細いチューブが伸びていて、水鉄砲へと繋がっていた。

 初めて見るナゾの物体に、舞人も凛々も「?」しかない。

 一方で、バイトの先輩でもあるポニテ少女は、ちょっと違った反応を見せていた。

「わたし、これ使うの初めて! 一度使ってみたかったのよね~っ!」

 大型の水鉄砲を手に、とても嬉しそうだ。

 ここで、唯が不思議な事を問うてきた。

「はぁい、ここで凛々ちゃんと舞人くんにだけ、問題でぇっす。ジャジャンっ! その道具は、どうやって持ち歩くのでしょぉかぁ? 優香里ちゃんは知ってるみたいだからぁ、解答権は、ありませぇン♡」

 最後の「ン」をナゼかセクシーに、出題を終えた唯。

「…クイズですか…」

 流れが解らない少年は、一瞬だけ思考が遅れた。

 とはいえ、大きな荷物にベルトが付いている以上、これは肩から掛けるのだろう。モノも大きいので、舞人は左肩から右腰に向かって、斜めに下げる。

 チューブに繋がれた水鉄砲も、とりあえず利き腕で持つ。

 少年に倣って、凛々も荷物を肩に斜め掛け。

 そんな二人に、アイドルは苦笑い。

「あ~あ、当てちゃった。わたし、ちょっと自慢したかったのに」

「というワケでぇ、舞人くんも凛々ちゃんも、だぁいせぇかぁい♡」

 まるで難しいクイズに正解したかのように、小躍りの唯。頭ではピアノ線に繋がれたカラーボールが、楽しそうにピョンピョンと弾んでいる。

 正解した凛々も嬉しそうだ。

 しかし舞人からすれば、褒め称えられるような事では、決してない。と思う。

「いや、あの…これ以外には考えられないと思いますけど…」

 とつぶやく少年に、先輩少女がサラりと告げる。

「ううん、こういう事が結構、重要なのよっ! そのまま右肩だけで下げちゃう人とか、結構いるらしいし」

「………? 斜め掛けが、そんなに重要なの?」

「うぅ~ん…何ていうか、最初に斜めに掛けた事が重要っていうか、逆に片掛けしなかった事が重要っていうか。とにかく、そんな感じなの。ファースト・イマジネーションから始まる重要性?」

 サッパリ解らないけど、褒められた事だけは確かみたいだ。

 アイドルも、銀ぴかクロワッサンを斜めに掛けると、どうやら準備はこれだけの様子。

「それじゃぁ三人ともン、布の前に十メートルくらい離れて、並んでぇン。あ、みんな同士も、距離をとってねン」

 黒い布の壁に向かって、左から舞人、優香里、凛々の順に並ぶ。お互いの距離は大体四メートルくらいか。

 準備が完了したら、髪留めのボールを揺らしながら、副所長が意味深に合図。

「はぁい。それじゃあ『水鉄砲』を構えてぇ…壁に向かって、元気に発射あぁン!」

 ああやっぱり水鉄砲だった。とか思いながら、舞人は大型水鉄砲を布に向けて、引き金を絞る。

 勢いよくビューーーーーーっとか水が出るかと思ったら、発射されたのは水というより、銀玉鉄砲の銀玉みたいに、小さな赤い粒。

 しかも連射。

 –っポポポポポポポポポポポポポポポポっ!

「わっ、なんだこれ?」

 発射の反動とかはなく、ゼリーみたいな赤い小弾が、ただ連射されている。

 玉は、黒い布に命中すると、潰れて三センチ程の丸い赤色を残す。

 なんだかわからない少年の隣では、ポニテ少女が水鉄砲を、小さく上下左右に動かしていた。

「なるほど~、こうなるのね!」

 アイドルの弾痕は、最初は同じ場所に当たっていた様子だけど、すぐに銃口を横に流したらしい。

 そのまま上下左右に振ったら、ほぼ等間隔で色を残して、数字の「4」を逆に描いていた。

 更にその隣では、凛々が銃に振り回されている感じ。

「あややややっ–きゃっ! えぇっと、ぁあん、むつかしいです~。と、凛々は困惑しているのでした~」

 解説語で言いながら、一センチとズれずに全く同じ場所へと色を乗せているツインテールの少女だ。それはそれで凄い。

「舞人くんにぃ、凛々ちゃぁん。優香里ちゃんみたいにぃ、水鉄砲を動かしてみてぇン♡」

「あ、はいっ!」

 銃口を左右に振ると、弾痕は点線を描きながら横へと流れる。

 特にそうしろと言われたワケではないけれど、少年は引いた横の点線に沿って、すぐ下にも同じような横点線を描いてゆく。

「………」

 こういうのは、その人の性格なのだろうか。

 ちょっと綺麗にラインを引けたら、そのままの流れで、上下の間隔も綺麗にそろえたくなる。

 着弾点同士の幅やラインの長さも、なんとなく合わせたくなってきた。

「……んんん…意外と難しいな」

 黒い布に向かって、無反動の水鉄砲でひたすら撃ちまくる。少しずつだけど、ラインの幅や色の間隔が揃ってきた。

 大きな布の殆どが赤い色で塗り潰された頃、セミロングのお姉さんが合図をくれる。

「はぁい、そこまでぇン。水鉄砲をぉ、下してぇン」

 噴射を終えると、意外と熱中していた自分に気が付く。

 あらためて黒い布を見ると、3人それぞれの連射痕が、赤い印となっていた。

 凛々は、ほぼ一点だけに集中砲火をしていたらしく、見事なくらい、小さな赤色塗料の膨らみが出来ている。

 優香里は意外にも、綺麗に出来ていたのは最初だけで、逆「4」以降はすぐにグシャグシャな乱射状態になってしまっていた。

「あ~あ、なかなかうまくいかないものね~」

 そして舞人は、赤い点線を横にひいて、そのまま同じ長さの水平ラインを、下へと何本も引いていた痕跡。

 出来上がっていたのは、点線を並べて作った歪な四角、みたいな形だった。

 それでも、少年の作った弾痕が一番よく形を纏めている。

「へぇ~、一条くん 器用なのね」

「そ、そうかな。えへへ…」

 アイドルに褒められて、素直に嬉しい舞人だ。

 眼鏡の副所長が、みんなの注目を集めて告げる。

「はぁい、本日の水鉄砲の研修はぁ、コ・コ・ま・で・ねン♡」

 Hっぽくウィンクをくれるお姉さん。

 三人が道具を袋に片付けると、今度はそれぞれ、自分が使った袋を物置の箱に片付ける。

 水鉄砲を使ったナゾの訓練は、気が付くと四十分ほど続いていた。

「布はこのまま自動洗浄するからン、大丈ぅ夫♡ さ、次の研修にぃ、移りましょうねン」

 言いながら、物置の入り口の横に取り付けられた、四角いスイッチボックスをオープン。中にはいくつかのボタンがあって、唯はそれをポンポンと押した。

「一条くん、こっちこっち」

 アイドルに腕を引かれながら、副所長や凛々と同じく、舞人も物置の中へと一歩下がる。

 黒い布が屋上の床下へと収納されると、続いて予想だにしない光景が。

 屋上がズンっと重く、一瞬だけ振動をする。

「わっ–な、何っ?」

 屋上全体よりも一回り小さく、床が一段下がった。下がった床が、左右に割れる。

 と、今度は入れ替わるように、大きなトランポリンが、せり上がってきた。

「ト、トランポリン…?」

 シッカリとした枠に縁どられたトランポリンは、一辺が四メートルくらいの正方形で、それが全部で四面ある。

 床から弾む面までの高さは、おおよそ三メートルくらいか。

 こんな高さのあるモノをしまっておいたら、下の階は、いったい……?

 などと想像していたら、台の足は折り畳み式。収納状態では意外なほど薄く変形できるから、大丈夫なようだ。

 ガタん。と揺れて、自動設置が完了。唯は頭のボールをフラフラさせながら、楽し気なウィンクと一緒に、説明をくれた。

「それでは、次の研修よン。このトランポリンでぇ、いっぱいぃ、跳・ね・て・ねン」

「は、はい…」

 答えながら、舞人は唯に、なんだかよくわからない違和感を感じる。

 それは、不快ではないという点も含めて、丁寧語で解説語の凛々に感じる違和感にも似ていた。

 赤とか青のカラフルなステップを上がって、三人はそれぞれの面に立つ。バネの伸縮で揺れる生地などを見るに、どうやら普通のトランポリンらしい。

 安定しない足下に、正面の凛々は慌てふためいている。

「あややや……きゃん」

 転んで、ポヨンポヨンと跳ねた。

 転倒した拍子に、ストライプのパンツがチラり。

 不意にショーツを捕らえたのは目の端だし、一瞬だけ本能的に視線が向いてしまったけど、年頃の少年としては、紳士的に慌てて顔を逸らした。

「あわわっ–んんっ!」

 などと咳払いをしながら、生まれて初めて、女子のパンチラ。

 もうちょっと見たかったな。とか思ってしまう、少年のお年頃。

 隣に陣取った優香里は制服だからか、ミニスカートの前後を両手で押さえて、跳ね始めた。

「この訓練、久しぶり~。あはは」

 トーーーーーン、トトーーーーーーーーーンっ!

 バネをキシキシ言わせながら、少女は楽しそうに高く跳ねる。数メートルと跳ねあがると青空を背負い、太陽の光に照らされてキラキラ見えた。

 ポニーテールが、空気で激しく上下に靡く。

(……優香里ちゃん、綺麗だな~)

 なのに、スカートを前後でキッチリ押さえているのが勿体ない。

 別にイヤらしい意味ではなく、折角なら両腕を開いて格好良く跳ねた方が、美しい気がする。

 とはいえ、前と後ろしか抑えていないミニスカートでの連続跳躍は、空気抵抗で、落下時に両サイドの布をヒラヒラと舞い上がらせる。

 少年が視線を奪われていたら、優香里の腿の付け根が、ヒラりと露わになった。

「っ–っ!!」

 ビックリして心臓がドキっと跳ねて、思わず息が止まる。

 グラビアや漫画で見慣れているとはいえ、やっぱり目の前で捲られたスカートのインパクトは、強烈。

 しかも相手は、憧れている少女だ。

(ゆっ–優香里ちゃんの…いや、下着じゃないぞっ、脚っ!)

 外側とはいえ腿の付け根という、普段は隠されている肌色が大きく露出した。それだけなのに、鼓動が凄く高鳴る。

 特に、腰の前からお尻に続く横ラインとか、本物を見せられたら、思春期少年の目と脳には、どうしたって焼き付いてしまう。

(……白いパンツも、見えた気が……)

 チラっとだけど、白いものが見えたと、意識では思う。

 もう一度二度三度いやずっと見たくなってしまうけど、バレたら怒られるし嫌われてしまうだろう。きっと。

 強い意識で、ジリジリと視線を優香里から流したら、目の前では凛々が盛大に弾んで転がっている。

「きゃんっ…あやや~」

 お尻を空に向けて跳ねるツインテール少女は、桃色のストライプ下着。今度は不意打ちで、ハッキリと見てしまった。

「うぅっ……見ちゃダメだ…っ!」

 真っ赤になって頭を振る、真面目な舞人。

 不安定な足場なのに、不意にお姉さんが、普通に歩いて近づいてきた。

 シットリとした唇が耳元に寄せられて、小声で甘くささやかれる。

「あらあらぁ。年頃な舞人くんはぁ、優香里ちゃんたちの、パ・ン・ツ・にぃ、目を奪われちゃうかしらぁン?」

「わぁっ–ゆゆ唯さん…っ!」

囁かれて、初めて接近に気づいた。

 図星を指摘されて、思わず下の名前で呼んでしまう。

 名前呼びされても何だかニヤニヤしている眼鏡の女史は、年下の男子が真っ赤になってアワアワしている姿が、大好物なご様子だ。

「ちちっ、違いますっ–ゴクり…っごほんっ、こ、これからっ、飛ぶところですっ!」

 取り繕う少年にホホホと妖しい笑みを残すと、唯はまた自然な歩行で、揺れるトランポリンから降りて行った。

「く、訓練訓練…っ!」

 すーはーと深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、優香里を見習って、舞人も跳ねる。トランポリンとか、幼稚園のとき以来だろうか。

 トーーーーーーン、トーーーーーーーーーンっ!

 ちょっと跳ねたら数メートルもジャンプして、何だか楽しい。

 屋上という高さもあるけど、安心安全な金網よりも高くジャンプをすると、ちょっとしたスリルも感じられた。

 こうなると、闘争心らしきモノに火が付くのが男子だ。

「ようし、もっと高く! それっ!」

 っトーーーーーーーーーーーーンっ、トーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンンっ!

 何度目かのジャンプで、限界まで高く。

 跳ねながらすぐに慣れてきて、器用に身体の向きを変えて廻りを見まわしたら、ビルの向こう、遥か遠くに海が見えた。

「わあぁ、海だっ!」

 誰にでもなく、言葉が漏れる。

 青い海には、遠くに水平線が見えて、背負った蒼穹には白い雲。

 ジャンプの頂点、重力感がゼロになった一瞬だけ、自分が自由に空を飛んでいる気までしてきた。

「どこまでも飛べるぞっ、それっ!」

 もっと高く。もっと遠くに。意識は完全に、空を飛んでいる。

 そんな少年を、アイドルはちょっと羨ましそうに、でも楽しそうな笑顔で見上げていた。

「一条くん…すごい」

 ツインテールの少女は、バネとジャンプのタイミングが掴めていない。

「えいっ、えいっ…あややや~。凛々はなかなか上手く、トランポリンが出来ないのでした~!」

 四十分ほどが過ぎると、お姉さんからの合図。

「はいはぁいン、それじゃあみんなぁ、降りてぇン。次の研修に・う・つ・り・ま・しょ♡」

「あ……はい」

 笑顔で告げられると、我に返ったような感覚で、少年は跳躍を終える。

 舞人たちがステップに来るまでの間に、歩の安定しない凛々は、生地とバネの間にスッポリと嵌ったりした。

「それじゃあ、トランポリン収納よン」

 唯に言われて、指定されたボタンを押すと、トランポリンはまた脚部を畳み薄くなって降下。

 左右から床が閉じられると、屋上は元通りの平面になった。

「じゃ、三人ともぉン。 付・い・て・き・てン♡」


              ☆☆☆その②☆☆☆


 セクシーなウインクをくれると、楽しそうな鼻歌交じりで三人をつれて、階段へと向かう唯。

 階下に降りながら、舞人は思う。

(水鉄砲にトランポリン…イラストの仕事と、何か関係があるのかな…?)

 屋上での時間は、終わって見ると楽しかったけど、何の訓練なのかサッパリ解らない。

 更に、屋上から降りるときに何気なく振り向いて、その環境に気づいた事があった。

「左右のビル…こっちに向いた窓とか無いんだ」

 黒い布に向かってひたすら水鉄砲を連射している姿とか、幼児みたいにトランポリンで跳ねて喜んでいる姿とか見られるのは、今にして思えば少し恥ずかしいかも、とか思った舞人。

 誰も見ていなかったであろうと思うと、ちょっとホっとしてもいた。

 四人が階段を下りて向かったのは、一階の喫茶店。

「喫茶店で訓練…?」

 外はまだ水道管の工事をしているけど、お店の中は静かだ。

 一番奥の四人掛けの席に、唯と優香里が並んで座り、向かいには舞人と凛々が着席。

 座った三人を見まわして、副所長が告げる。

「それではぁ、三人ともぉ、目・を・閉・じ・てン♡」

 意味深げに優しく、目を閉じろという。

 一人だけ、先輩の少女が問う。

「この訓練、わたしもするんですか?」

「もっちろぉン♪ 優香里ちゃんだってぇ、二週間以上のブランクがぁ、あるでしょうン? 研修の対象よン」

「は~い」

「………!」

 唯に感じていた違和感が、なんとなく、分かった。

 普通なら、水鉄砲やトランポリンを、優香里のように「訓練」と呼んでもおかしくない。

 しかし唯は「研修」と言う。

 特別におかしいわけではないし、会社とバイトの違い、ともとれる。

 けど、会話の中でも、唯はあくまで「研修」と言い続けている。

(まぁ、そういうモノなんだろうな)

 と、理解は出来なくても、舞人は違和感をそう納得させた。

 全てではないものの。

 二人のヤリトリの後、凛々と舞人は言われたままに目を閉じる。こういう時、なんとなく背すじがシャンとするのはナゼだろう。

(…緊張するけど、なんか落ち着くなぁ)

 気分は修行僧とか座禅とかだ。

 両掌の指も、意味なくお腹の前で組んでたり。

 そんな気分とはちょっと離れた感じの、お姉さんの優しい声。

「三人ともぉ、落ち着いてぇ、鼻で深呼吸してぇン……。静かぁに、すううぅぅ、はああぁぁ……」

 言われた通りに、静かに鼻で深呼吸。

 二~三回ほど吸って吐いたら、不思議と、気分がより静かになったような気がした。

「それじゃぁ三人ともン、想像してねン。あなたは今ぁ、屋上でぇ、空を見上げていまぁす……」

(想像? ……青空……)

 相変わらず何の訓練だか解らないけど、想像は好きな少年だ。

 頭の中には、一瞬で青い空が広がった。

(さっき屋上から見上げた空……青くて 広くて……ドコまでも高くて……)

 隣のビルが、魚眼レンズみたいな曲線で見える。そんな建物を押しのけるかのように、晴れ渡る空がグングンと広がってゆく。

 爽やかで気持ちいい風が真正面から吹いていて、白い雲が後ろへと流れていった。

(あぁ…気持ちい~)

 無意識なまま、空を飛ぶイメージで両腕を広げて、優しい風を全身で受け止める。

「あはは……あ」

 自分の手が、隣の凛々に当たった。

 どうやら想像につられて、現実の自分も両腕を広げていたらしい。

 ちょっと恥ずかしくなって、ツインテの少女に詫びる。

「ご、ごめんね。痛かった?」

 凛々は、ニッコリと笑顔だ。

「いいぇ~。それにしても、一条さんは本当に浸っていたのですね~。と、凛々は感心しきりなのでした~」

「あ、うん……」

 ズバリを言い当てられると、やっぱり恥ずかしい。

 空想にハマった少年に、お姉さんとポニテ少女は、ちょっと驚いた様子。

「あらあぁ。舞人くんたらぁ、凛々ちゃんにぃ、タッチしちゃってぇン♡」

 ワザと意味を間違えた様子でニヤける唯。

 そういえばこのお姉さんは、喫茶店に来ているのに、頭のボールを着けたままだ。

「っていうか、もしかして一条くん、空想の空を飛んでたりした? だったらすっごく、段階が早いわ!」

「段階…? 早い…?」

 ちょっと興奮気味で、ウンウンと納得した様子のアイドル。

 舞人にはサッパリである。

「それじゃぁン。また目を閉じてぇン。さっきからのぅ つ・づ・き♡」

 セクシーに言われて、また妄想。頭の中は一瞬で青空。

「そのままでいいからぁン、空のむこうを、想像してみてン」

(空のむこう…)

 少年にとっては何のこともない。普段、自身がベッドの中で思い描いている妄想と同じだ。

 舞人は頭と意識を天井へと向けて、あらためて自分を空へと浮上させる想像。

 さっきの屋上から足が離れると、少しずつ自身の高度が上がってゆく。

 トランポリンで見たぱかりだから、周囲のビルがリアルに、足下よりももっと下へと遠ざかって、小さく小さくなってゆく。

 足下が何もないと想像できると、座っていてもちょっと怖い。

「……こんなに高く……」

 思わずこぼしたら、お姉さんから注意を受けた。

「あぁン、舞人くぅん。空を飛ぶのではなくてぇ、その場でぇ、空のむこうを想像ぉ、し・て・み・て・ねン♡」

「は、はい……」

 言われて、想像の中に意識を置いたまま、素直に返答。

 どうやら「空を飛ぶ」のではなく「屋上にいるままで空のむこうを想像する」という事らしい。

 想像し直し。

(ビルに戻って……)

 高度が下がると、元いたビルの屋上に、ス…と着地。

 訓練としては、この場にいたまま空のむこうを想像する。

(空のむこう…やっぱり、宇宙の事だよね)

 高くて澄んだ青い空を見上げて、更にそのむこうの、宇宙を想う。

 ずっとずっと遠い空を想像するからか、今度は空を飛ぶように腕を広げるのではなく、上を向いて天上を掴むかのように、拡げた両掌を無意識に空へと伸ばしていた。

(空のむこう……)

 数十キロという距離の上空。

 そのむこう側を想像すると、自分の意識を飛ばすのではなく、空の方を引き寄せる感覚なのだと気がつく。

(空のむこう…こっちに来い)

 そう意識をすると、拡げた両腕に吸い込まれるみたいに、空が近づく。

 青い空も白い雲も、成層圏さえも吸い寄せると、自分の腕の中に、宇宙がやってきた。

「わぁ…宇宙だ……」

 宇宙空間そのものを、腕の中に抱いている。

 それは舞人にとって、初めての想像だ。

 自分が宇宙に飛び出してゆくのではなく、宇宙の方から自分の中にやってきた、みたいな。

 目の前の、腕の中の宇宙は、火星や木星をずっと超えて、見知らぬ星々や遠くのアンドロメダ銀河、オリオン座や蠍座の星アンタレスまで、手が届きそうだった。

 そんな宇宙は、自分の腕の中なのに。

「………広い……」

 思わず、そんな言葉が溢れていた。

 空想の中を意識で泳ぐ少年に、お姉さんとアイドルは、予想すらしていなかった歓喜の声を、聴かせてくれる。

「まああぁぁンっ、舞人くんったらぁン…なぁんて素晴らしいン。お姉さん、ドキドキしちゃうわぁン♡」

「–っハっ!?」

 明るくて元気でセクシーな声で、ビックリした。

 見ると、唯は頬を真っ赤にして眼鏡の瞳をうるませて、しきりにウンウンと感心している。

 隣では優香里も、あきらかに興奮している様子で、両掌をグーにして鼻息も荒い。

「やっぱりっ、私の目に狂いはなかったわっ! 一条くん、このバイト、絶対に向いてるわよっ!」

「え、そ、そぅ…なの…?」

 水鉄砲とトランポリンと想像。

 何の事やらサッパリ解らないけど、アイドルに褒められたことは事実。

 それはやっぱり、素直に嬉しい。

「えへへ…」

 蕩けそうな笑顔の少年。

 隣に座る凛々は、舞人をジィっと見つめている。

「一条さんは、見事に想像できたのですね~。と、凛々は心の底から、凄いと思ったのでした~」

 いつもの解説語で話す少女は、ちょっと頬を染めて、羨ましそうな感情も混じっている。

 感心してくれる、お姉さんとアイドルと同級生。

「え、いや、ど、どぅも、あははは……」

 人生でこんなにも、女子から注目された事なんてない少年だ。

 内心では緊張と喜びで、訳もわからずウヒャウヒャしきり。

「さてとン♡」

 副所長が、パチんと手を叩く。

「さっき屋上でのぉ、水鉄砲とトランポリン。それとぉ、今やったイメージトレーニングぅ。この三つをセットでぇ、明日からぁ、また研修してもらいまぁす♡」

 訓練は訓練だったんだ。とか、あらためて思った。

「明日からぁ、それぞれの研修はぁ、各四十分ずつねン。三つで二時間とちょっとねン♡ まずはこれをぉ、一週間ン、つ・づ・け・て・ねン♡」

 言いながらウィンク。

 訓練の意味を理解しているのは、バイト経験者の優香里だけだ。

「優香里ちゃんン。私が用事の場合ぃ、リーダーとしてぇ、みんなの訓練を、見てあげてねン」

「はい。了解です 唯さん」

 明日からの予定や連絡事項が伝達されると、今日の訓練は終了らしい。

「それじゃぁ、今日はこれで、解散ん。みんな好きな飲み物を、注文してねン。このお店はぁ、うちの会社が経営してるからからねン。私は事務所で仕事があるからぁ、飲み終わったらそのままぁ、解散しちゃっていいわよン♡」

 そう言って唯は席を立つと、ニコニコと手を振りつつ、事務所へと戻っていった。

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