第八章 アイドルと究極の初体験


              ☆☆☆その①☆☆☆


 優香里が意識を取り戻しても、恐怖感からだろう。

 二人はずっと、掌を握り合っている。

 そんな事実に心の奥で感激しつつ、少年の好奇心は、別なる感動でも占められていた。

「そっか~。僕たちはほんとに、ビッグバンの真っただ中にいるんだ~っ。すごいっ!」

 有史以来というか、大きく譲っても地球人類史上、宇宙の誕生を目撃できる人間なんて初めてだし、史上初の快挙だろう。

 大きな花火を眺める以上な、ワクワク気分の舞人だ。

「ついに宇宙誕生に関する目撃者の誕生だよっ! 僕と優香里ちゃん、きっと超絶有名人になっちゃうよっ!」

 空想少年の頭の中では、世界中のマスコミに囲まれての記者会見風景。

 あらゆるメディア関係者が集まった巨大なホールで、着飾った自分と優香里が、盛大な喝采と拍手とフラッシュのシャワーを浴びて、微笑んでいる。

 とかではなく、短いニュースなんかでよく見る「どこかの大学教授が新発見。その難しい理論は、来月発売のイギリス科学雑誌で」の記者会見みたいな、小さな一室での普段着のままな発表風景が、思い浮かんでいた。

 宇宙を掛ける空想とは真逆な、地味で控えめな妄想だ。

 アイドルと並んでネットニュースの真夜中のトップとかを飾る想像にニヤニヤしている舞人に比して、空想されているポニテ少女は、ちょっと焦燥。

 普段の優香里だったら好奇心いっぱいの瞳を輝かせて、ビッグバンの瞬間の目撃者となった事実に、興奮を抑えきれないだろう。

 しかし少女は今、興奮を超えた、予想される恐ろしい事実に、強い焦りを感じていた。

「有名人どころか、このままだと わたしたち…っ!」

 不安そうに頭を抱える優香里に、さすがの空想少年も気遣う。

「どうしたの? このままだと どうなるの?」

 舞人といえど、ビッグバンの大爆発くらいは知っている。

 ただ、それがドレほどの事態だとかは、想像が追い付いていないだけだ。

「あのね、ビッグバンってね……」

 誕生とほぼ同時と言えるタイミングで、宇宙そのものが爆発して膨張する際に、宇宙全体の温度が上がり、熱の塊の状態となる。

「その温度はたしか『十の十五乗ギガ電子ボルト』って、推測されていてね……正直、高温過ぎてわたしだって想像もできないけれど。とにかく、わたしたちには理解できない程の、超々々々々高温の、火の玉になったっていう事なのよ」

 説明を受けて、なんとなくだけど、これから起こる事態が想像できてくる。

「えっと……つまり、僕たちのいるこの空間は、これから大爆発のとんでもない高温に包まれるってこと………って事は…僕たちも、その超高温…に…?」

 間違いなく、巻き込まれる。

 そう理解をすると、あらためて自分たちの周りが、というか自分たちのいる空間そのものが、ただの光ではなく発火している瞬間の炎なのだと、恐ろしく実感できてしまった。

「ぼ、僕たち、このままだと……」

「ビッグバンの信じられない超高温で…燃えちゃうどころか、一瞬で蒸発しちゃうかも…っ!」

「どえええぇぇぇぇぇぇっ!?」

 変な悲鳴を上げる少年。まさしく命の危機。

 しかしアイドルは、焦りながらもちょっとバツが悪そうな、何か言いづらそうな様子で、言葉を続けた。

「っていうか、あたし…実はもっと、怖い可能性を感じてるのね…」

「い、一瞬で蒸発しちゃう以上の、怖い事って…?」

「今ね、私たちの周囲の時間 進み方が遅いでしょ?」

 言われてタイマーを見ると、さっき確認した「マイナス十の三十六乗分の一秒」が、ゆっくりゆっくりと、0が一つ消えようとしているところだ。

「た、確かに、信じられないくらいの遅さだけど…」

「ビッグバンが発生するのが、宇宙が誕生してから一瞬の後ですらない『マイナス十の三十四乗分の一秒』って、同じ虚数の時間だと言われているわ。こんな、時間とも呼べないくらいの刹那の瞬間なのに、わたしたちはこうして、目の前の変化を確認できていて、考えて、話す事まで出来ているのよ。これって、変だと思わない?」

 焦って話す優香里の美顔が、スケスケの肌が、更に明るくハッキリと見えてゆく。

 つまり、この空間そのものが、超々々々々高温状態へと、変化している最中なのだ。

 しかも、それを確認できているという事は。

「わたしたち、周囲の時間が異常にユックリって感じられるくらい、今も超~光速で移動中ってことなわけで…つまりこのままだと、一瞬で蒸発どころか、意識を保ったまま ゆっくりと高温で焼かれてゆくって事に…!」

「つ、つまり…熱に苦しんで死んじゃう…って、こと…?」

 静かに頷く優香里。

 このままだと、超々々々々高温化して物質が燃えて更に蒸発するような灼熱空間の中で、二人揃って、ユックリユックリ焼け死ぬ。

 そう理解すると、途端に恐ろしくなってきた。

 本当の意味での、絶体絶命の大ピンチ。

「そ、そんなのいやだよっ–どどっ、どうしようっ…えっとえっと…っ!」

 慌てる舞人だけど、考えるのは優香里と二人で助かる方法。

 しかしただでさえ、アイドルよりも科学知識に疎い少年が、ここ一番に素晴らしい閃きなんか、得られるはずもない。

 その間にも、周囲の空間は赤く明るくなってゆき、もう優香里の全身、スケスケスーツの肌色がHっぽく赤く染まって、ハッキリと見えていた。

 素肌を晒すようなスーツのポニテ少女は、舞人の両腕にソっと手を添える。

「落ち着いて、一条くん。あたし、ちょっと思うんだけど」

「え、はっ、はいっ!」

 つい見てしまった正面姿では、優香里の両腕に寄せられた標準以上のバストが谷間を作っていて、ちょっとドッキリ。

 ついでに、要所を隠す赤いパーツも、赤い光と混色。存在そのものがほとんど見えなくて、視覚的に、優香里はほぼ全裸にも見えた。

 そんな少年の本能理解に気づくこともなく、アイドルは真面目に話を続ける。

「あたしたちが、どうしてビッグバンの瞬間にいるのかっていうと…時空間の穴から逃げる時、ICスーツの機能で、あたしたちの身体が物質から概念へと相転移して、時間を超えちゃったからでしょ? 前に、一条くんがバイト中に体験したのと同じで」

「う、うん……そうだよね」

 舞人が以前バイト中に、調子に乗ってタイムスリップ、とかしてしまった時のことだ。

「今回もそうだったら、助かる方法は一つだけだと思うの。つまりもう一度、ここから超光速で移動して、出来れば元の時間に戻る。っていう事よ」

「もう一度、超…光速…?」

 アイドルは、真剣な眼差しで告げている。

 そんな美顔は、凛としていて恰好良くて可愛くて綺麗だ。と、舞人はつい見とれてしまう。

「……一条くん…?」

「ハっ–う、うん、そうだね。もう一度やってみる……っていうか、もう『出来る』しかないよね。それしか助かる方法 ないっぽいし!」

「えぇ、ただね…わたしたち、今だって超高速移動しているのに、まだこの空間にいるって事も、事実でしょ?」

 確かに、タイムスリップしてから空間に停止とかしていないのに、二人は未だ、この時間の中にいる。

 だからハッキリ言って、逆にどうして時間移動していないのか解らないし、どうすれば時間移動できるのかさえ分からないと、優香里は言う。

 ついでに、色々と原因が解らない以上、帰れるどころか、灼熱地獄から確実に脱出できる確信もない。

「ごめん…あたし、変な事ばっかり言ってる…」

 それでも帰りたいし、帰るしかないのだ。

 大切な人が落ち込んでいると、なぜだか男子は、少し落ち着けて、根拠のない勇気が湧いてくる。

「とにかくさ、他に可能性はないんだよね。だったら、とにかくやってみようよ!」

「…うん、その通りよね。それじゃ一条くんっ、シッカリとわたしを捕まえていて」

 言いながら、アイドルはまるで舞人の決意に励まされたかのように、明るく微笑んだ。

 少年の左掌を握ったまま、両腕を広げる。

 何だか裸身の優香里が自分を迎えてくれているような恰好に、軽く興奮してしまう舞人。

「えぇっ–い、いいのっ!?」

「抱き合っていたほうが、安心でしょ?」

 確かに、超光速で離ればなれになったら、とか思うと恐ろしい。

 少年は無意識に右掌を自分の腰辺りで拭うと、生まれて初めて、少女の身体を抱き寄せた。

 向かい合って、胸同士が触れ合う密着。

 初めて「女の子の身体って、なんて細くて儚いんだろう」と、理解できてしまう。

 肩幅も細いけど、括れたウェストはもっと細い。とても弱々しく感じられる。

「一条くん、その……シッカリと抱きしめて…」

 こういう事を言うのは、恥ずかしいのだろう。仄かに頬を染めるアイドルが、無性に可愛いかった。

「そ、それじゃあ…」

 緊張しながら、優香里のウェストから背中へと、両掌を廻す。

 こんな時でも「嫌われたらヤだな」とか考えてしまうのは、若さ故の緊張感なのか、はたまた人の本能か。

 少女の腕が、舞人の脇から背中へと廻されると、上半身を弱い力でキュっと抱かれる。

 対して自分は、縋り付く優香里の細腕ごと包み込むように、あらためて優しく抱きしめた。

 まるで、恋人同士になったみたいな抱擁。

(うわ……細くて 柔らかい…!)

 初めて触れたアイドルの背中は、薄くてプニっと柔らかくて、少年の指を柔らかく受け止めている。

 触れた感触だけで、凄くHに感じてしまう。

 舞人のバックパックには、優香里の掌が触れている。

 そして、少年の指先は少女の筒状ロケットにタッチしながら、掌は細い背中を抱いていた。

(な、なんだか…優香里ちゃんの吐息を感じる、ような…!)

 お互いのヘルメットの影響で。抱き合う相手の顔が、すぐ横に接近している。

 通信だけでなく、接触するヘルメットからも、緊張する少女の「ハ…」というと吐息が伝わってきて、まるで裸の優香里をそのまま抱擁しているみたいな錯覚さえ覚えていた。

 どことなくセクシーな触れ合いにドキドキしていると、少女が耳元で囁く。

「あ…あたし、男の子と抱き合うとか、初めてだわ…」

 命の危機の中、その声はちょっとだけ、照れ笑い。

 宇宙服を着ているけど、触れている肌同士が、なぜか、艶めかしい直の触れ合いみたいに感じられる。

 そして二人は、この豪炎地獄と化す初期の宇宙からの脱出を開始した。


              ☆☆☆その②☆☆☆


「それじゃ一条くん…いい?」

「はっ、はい!」

 これから光速。

 と考えて、舞人は、いま自分たちが光速よりも少し速度がおちた状態なんだと、改めて理解する。

 それじゃあ加速。とか思ったら、優香里が基本的な事を訊ねてきた。

「えっと…ごめんね、あたしまだ訊いてなかったわ。ね、一条くん…時間って、ただ自分たちの速度を上げるだけで、超えられるの?」

「え?」

 言われて気づいたけど、舞人自身も、意図して時間を超えたわけではない。

 ただ加速したら超えていた。とだけしか、体感がない。

「えぇっと…ごめん。とにかく いつの間にか。ってのが、実感というか…」

「そっか…それじゃとにかく、加速しましょっ!」

「う、うん!」

 お互いに決意を込めて、ギュっと抱き合う。

 胸に挟まれた少女の乳房が。柔らかく変形していた。

 その間にも、空間は熱と光を、赤く増してゆく。

 舞人と優香里は、日常に向かって、意識を発進させた。

「それじゃ、一条くん」

「「三・二・一・スタートっ!」」

 –っっギュウウゥゥンンっ!

 意思を合わせて、二人はICスーツを加速。

 何もない無重力の空間だから、加速しても特別な実感なんてない。

 しかしスーツの機能のおかげで、二人の周囲は物凄い空気圧、みたいな圧迫感を感じていた。

 –っヒュウウウウウウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥンンっっ!

 舞人と優香里の身体が速度を上げて、あっという間に光速に達する。

 熱空間との摩擦が起きて、ヘルメットや進行方向の肌が、更に赤く照らされる。

 みたいに感じられるのは、意識の成せるイメージだろう。

 ICスーツの機能によって、二人の移動速度は十分に、時間移動できる速度の筈だと、舞人の体感。

 しかし周囲の空間は赤いままで、時間移動している様子はない。

「か、加速はしてるけどっ–あわっ!」

 時計で周囲の時間を確かめたら、背中でブスンっと、イヤな音と振動があった。

「な、何か背中にぶつかったって……いや、違うっ!」

「一条くんっ、背中っ!」

 舞人の背中に触れている優香里には、舞人本人よりも、すぐに異変が解ったらしい。

 次の瞬間、少年のバイザー内に緊急事態を告げる警告音と共に、異常個所が表示された。

 舞人の意思ではなく、触れあいながら耳元で叫んだアイドルの意思に反応しての、表示らしい。

「えっなっ何っ–ぇえっ、バックパックがオーバーヒートっ!?」

 バイザー内、光の人体模型によると、少年のバックパックが熱暴走をして、もはや爆発寸前の危険な状態らしい。

「い、一条くんっ–っ!」

「だっ、大丈夫っ! それより優香里ちゃんっ、周りが…っ!」

 見ると、背中の心配どころではなかった。

 既に空間は赤色を強め、光そのものも、眩しいくらいに強さを増している。

 バイザーに表示されている周囲の温度は、なんととっくに千度を超えていた。

「もう、そんなに…っ!」

 宇宙の暴走も加速している筈だから、空間の拡大に従って、業炎の熱も飛躍的に上昇してゆくのだろう。

 スーツの耐熱温度は三千度強と聞いているから、まだ焼け死ぬことはない。

 だけど、千度を超える熱の中はやっぱり怖いし、スーツ内の温度も真夏のように感じられた。

(熱い~っ! 速くっ、この空間から逃げないとっ!)

 たぶん、アイドルも心でそう思っている。

 速く時間跳躍しないと、二人揃って意識を保ったまま焼け死んでしまうのだ。

「速くっ、速くっ、もっと速くっ!」

「お願いっ、時間を飛んで…っ!」

 体感温度が上がってゆくと、願いが言葉になって出てしまう二人。

 相当に無理な加速なのだろう。舞人のバックパックが、小刻みにイヤな振動を繰り返す。

(もってくれっ、僕のバックパックっ!)

 炎の塊となった初期の宇宙を、二人は光の弾丸のように、飛びすさぶ。

 –っヒュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥっっ!

 もう何十秒も飛翔している筈なのに、いつまでも変わらない、炎の景色。

 少年が、無意識で縋るようにバイザー表示を見ると、速度は光速を軽く超えている。

 現在、秒速四十三万キロなのに。

(な、なんでっ…どうして時間を超えられないのっ!?)

 以前のうっかりタイムスリップでも、ここまでの速度なんて、出てなかった筈なのに。

「くっそ~っ、もっと速くっ、速く~っ!」

 歯ぎしりをして、時間移動を意識する。バックパックはガタガタと振動を強め、背中を板で叩かれているみたいに痛い。

 周囲の温度は更に上がり、業炎は二千度を超えている。

 移動を始めて一分ぐらいだけど、もう何時間もこのまま、みたいな気がしてきた。

(どうして、時間移動できないのっ!?)

 そんな焦りは、アイドルも一緒。

 ある意味、舞人よりも知的だからか、変わらない現状に、少女はちょっとだけ心が折れかけていた。

「一条くんっ、あたしたち、このまま…っ!」

「優香里ちゃんっ!」 

 焦りと悲しさが混じった声で、少女は更に、舞人の身体を強く抱く。

(優香里ちゃんが…こんなに怖がってる!)

 いつだって、バイトリーダーとしてみんなの先頭に立っている優香里。

 明るくて好奇心いっぱいな、クラスの、いや、誰よりも舞人にとってアイドルな少女が、恐怖に震えているのだ。

(こんなっ…優香里ちゃんを怖がらせて、たまるかっ!)

 そんな事を、男子としての強い本能が決意させる。

「は、速くっ–もっと速くっ! もっと速くだああああっ!」

 少年の意思に反応して、バックパックは更に出力アップ。

 –っっギュオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォっっ!

 周囲の空間炎が、一瞬と待たずに通り過ぎてゆく。

 ヘルメットと肩で摩擦する炎が、まるで、沸かしたてのヤカンから直接に熱湯を浴びせられているみたいな、異様な暑さ。

 自分たちの移動速度は、現在、光速の二百%。

「行けっ、このままっ、時間を飛べ~っ!」

 もはや願いの言葉。

 その途端、舞人の背中で、ドコンっという小さな爆発が起こった。

 ただでさえオーバーヒート気味だった、背中のパック。

 二千度を超える熱の中で酷使したためか、無理がたたって爆発。

 完全に、機能停止状態になってしまったのだ。

「いっ、一条くんっ–っ!」

 移動装置が壊れてしまった。アイドルの脳裡には、焦燥と絶望が過る。

 しかし舞人は、それでも何とか脱出したいと、命がけで決意していた。

「大丈夫っ! 優香里ちゃんっ、絶対に助かるってっ、信じてっ!」

 もちろん、根拠なんて無い。

 ただ妄想少年は、信じているだけだ。

 そんな事実に関係なく、優香里は舞人の言葉を、素直に受け止めていた。

「う、うん…っ!」

 空間の熱が、遂に三千度に到達。

 もはやICスーツの断熱性能を通しても、まるで茹でられているみたいに熱い。

 その灼熱の圧迫感は、空間そのものの炎と相まって、二人に「焼け死ぬ」という、恐ろしい近未来を実感させてくる。

「はぁ、はぁ…んくん…!」

 肌が汗を吹き出して、熱い空気に息が苦しい。喉を鳴らしても唾液が出ない。

 –っっゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォっっ!

 超加速と炎の摩擦で、肌がチリチリと焼ける気までする。

 バイザー内のイメージ機能が映し出す景色は、どこまでもどこまでも終わらない超炎。

 抱き合う、目の前の優香里の姿さえも、既に眩し過ぎる空間の炎光で、ほとんど見えない。

 自分たちは、確実に焼かれつつあるのだ。

 死の予感が、近づいてくる。

(し、死んでたまるかっ!)

 必死な本能が、そう叫んでいる。

「ぁっ、熱ぃ……ぁたし…っ!」

 熱の恐怖で心が押し潰され始めたのか、優香里が舞人の身体を、精いっぱいの力で強く抱く。

 柔らかい胸が押し付けられて、極薄素材だけで包まれた下腹部が触れ合う。

 その肌感触で、舞人の脳裡に「死にたくない」を超える、本能的な感情が沸き起こってきた。

(優香里ちゃんっ…すっごく、柔らかい…っ!)

 女の子って、柔らかい。暖かい。スベスベしてる。

 触ってるだけで、男子の本能と欲求が膨張してゆく。

 絶体絶命の中なのに、舞人は、抱き着く優香里の肌の温かさと柔らかさを、意識していた。

 そして、そんな女の子独特の優しい肌触りに、男子としての新たな意思が、力強く沸き立つように、目を覚ます。

「優香里ちゃんはっ、僕が護ってみせるっ!!」

 好きな女の子の肌を感じられたから、絶対に守りたいと思った。

 –っぼわっ!

 三千度を超える灼熱の中、遂にバックパックが熱溶けを始めて、舞人のスーツも灼熱の炎に包まれる。

「うわちちっ! 背中がっ、全身が熱いぃっ!」

 このまま焼け死ぬ。

 そんな死の実感に、しかし却って強くなる意思。

「死んでっ、死んでたまるもんかあああぁぁぁっ!」

 焼け死ぬなんてイヤだけど、少年の意思はもっと別のところにあった。

 こんなに柔らかくて抱き心地の良い優香里ちゃんと、死んでお別れなんてイヤだ。

「優香里ちゃんを助けてっ、僕も助かってっ、二人でいつもの生活に戻ってっ、それでっ–」

 もっともっと、いっぱい。

「僕は、もっと優香里ちゃんに触りたいっ! 優香里ちゃんを抱きしめたいいぃっ! もっともっといっぱいぃっ、優香里ちゃんとっ、触り合いたいんだあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 死にたくないという逃げの願いが、死んでたまるかという闘志の決意へと、シフトアップしてゆく。

 優香里とイチャイチャする日常。という、凄まじい妄想力。

「い、一条くん…!」

 そして脳裡を過った、優香里との屋上での初会話。

 優香里と並んで座って、ノートにラクガキをする、少年の未来。

 舞人の絵を眺めながら、微笑む優香里は愛らしい。

 その時、抱き合う優香里のロケットが、舞人の強い意思に反応した。

 –っっキュイイイイイイイィィィィィィィィンンっっ!

 少女のバックパックが虹色の軌跡を描き、二人の意思を体現するかのように、力強く七色の炎を噴射。

 バイザーに映る、美しい七色の、光の粒たち。

 周囲に対する自分たちの変化が、優香里にも解ったのだろう。

「わ、わたしたち…」

 二人はお互いを見て、また強く抱き合った。

 そして舞人は、決意の全てを出し切る。

「僕たちは元の時間に、日常に帰るんだっ! 飛べえええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええええっっ!」

 –っっシュウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥっ–っしゅんっっ!!

 周囲が三千と五十度を超えた瞬間、目の前の炎がペシャンっと潰れて、一瞬で真っ暗になって、二人の身体は灼熱地獄から消失した。

 そして宇宙は、真っ白だった。


              ☆☆☆その③☆☆☆


 誰かの声が聞こえる。

『今度の宇宙はっ、この少年と少女のデータから~、雌雄の作成を始めるゾ♪』

『億年単位の、予定通りでOっK~♪』

『手を貸す必要があるかと…心配したのですがっ!』

『自力で無事に帰れて何よりでありまスっと』

『スゲー妄想力だなーこの少年』

『いやいや、二人ともお疲れさんっした~』

 人ごとみたいに能天気な。

 とか思った舞人だった。


              ☆☆☆その④☆☆☆


「……くん………ちじょうくんっ……一条くん…っ!」

「ぅうん…」

 綺麗な声で呼ばれて目を覚ますと、目の前には、上から覗き込む優香里の姿。

「ぁあ…一条くんっ、気が付いたのねっ!」

 何だか知らないけど、自分はベッドで寝かされているらしい。

 目を覚ました少年の視界に入ってきたのは、安堵したアイドルの美顔だった。

 どれほど心配してくれたのか、頬は上気し、大きな瞳がうるんでいる。

「優香里ちゃん…あ」

 やっぱり優香里ちゃんは可愛いな。とかボンヤリ思っていたら、遅れて脳も覚醒。

 優香里と一緒に病院のベッドにいるという事は、宇宙初期の灼熱に焼かれる事なく助かった。という事だ。

 天国が病院に似た造り、とかじゃない限り。

 首を巡らせると、なんだか身体がダルい。

 アイドルは、白系のブカブカっぽい膝丈半袖なワンピースを纏っている。

 白い天井と白い壁と、窓の外には青空が見えた。

 ここが病院だとすれば、優香里が着ているのは患者さん用の服で、きっと自分も同じ格好をしているのだろう。

(とにかく……無事に脱出できたんだ)

「優香里ちゃん…怪我はない?」

 男子としては無意識に、当たり前の事を尋ねる。

 頬が上気する優香里は、しかし恥ずかしさを誤魔化すように、ハキハキとした答えを返す。

「ぅうん、大丈夫。一条くんも、もう身体、動かせるでしょ?」

「え?」

 言われて、反射的に手足を動かしてみると、実に軽快に動かせる。

 身を起こしてみると、さっき首がダルかったのは、単なる寝起きだったからだと分かった。

「怪我じゃなかったんだ。僕は結構 丈夫なのかな」

 と思うと同時に、今ここはいつ時間なのか。自分たちは無事に帰ってこられたのか。など、様々な疑問と不安が、湯水のように湧いてきた。

「良かった。それじゃ みんな呼ぶね」

 目覚めた間の、しっとりっぽい空気もどこへやら。

 優香里は大きめのスリッパをパタパタ言わせつつ、扉の外に声を掛けた。

 途端にドアが開かれて、バイト仲間の凛々や副所長の唯、更に足の裏の着ぐるみみたいなアシウラー所長まで入室。

 舞人の疑問も不安も、一瞬で消し飛んでいた。

 どう考えたって、ここは元の時間だ。

(よ……良かった…)

 ホっと胸を撫でおろした少年。

 ツインテールの凛々は、ツインテールを震わせながら、大きな垂れ目の目尻に涙を浮かべている。

「一条さんも、優香里ちゃんも、ご無事で何よりでした~。と、凛々は感激しているのでした~」

 花柄のハンカチを充てながら、制服姿の少女は、二人の無事を喜んでくれていた。

 タイトスカートな女教師みたいな恰好の唯は、やっぱり頭の上に虹色の球をユラユラさせつつ、溢れそうな涙を細い指先で拭う。

「危ない目に遭わせてしまって、ごめんなさいねン。二人が無事に帰って来てくれてぇ、お姉さん、嬉しいわぁン♡」

 と、ウィンクと投げキッスをくれる、いつものセクシー副所長だ。

 命からがら逃げて来たばっかりだけど、屈んだ際の巨乳の谷間とか覗けると、やっぱりドキドキした舞人だった。

「ど、どうも……」

 なんて照れていたら、視界の半分が唐突に、肌色の壁で遮られた。

 所長さんは、やっぱりダンディーなボイスで告げる。

「何はともあれ、みんな無事でよかった。今回の事は すまなかったね」

「い、いえ。こんな事故って、滅多にない事だって、僕も理解してますし」

 本来、宇宙空間でも引力の極めて弱い場所で発生する時空間の嵐、

 それが、宇宙絵画という、微弱でも引力のある近くで発生した事自体、まさに想定外の中の想定外だったのだ。

「そうか。ふ……そう言ってもらえると 私も嬉しいよ」

 少年の理解に、所長は渋い声で答える。

 ちなみに、件の事故から現在まで、二時間程しか経っていないらしい。

 舞人たちの状態も、特に危険はなく健康で正常なので、今日中に退院して帰宅できるという。

「そうですか。安心です」

 アシウラー氏が買ってきてくれたお見舞いのケーキを、みんなで戴きつつ、暫しの歓談。

 ベッドの舞人を中心に、右隣には優香里と凛々が椅子に座り、左側の椅子には唯と所長さん。

 数十分が経って、話の中心が女性陣に完全移行して、雰囲気も落ち着いてきた頃、アシウラー氏が少年に訊ねてきた。

「一条くん、気分はどうかな? もし差支えなかったら、今後の安全の為にも、キミの体験を聞かせて貰えないだろうか。銀河労働者会議の議題にも、乗せたいからね」

「ぎ、銀河…労働…? あ、は、はい!」

 何やら壮大な名前を聞かされつつ、舞人は自分の体験を、出来るだけ細かく話す。

 少年の話を、凛々や唯だけでなく、一緒に体験した優香里も、興味津々に聞いていた。

 先に目覚めていた優香里にも、既に同じく話を聞いているだろう。

 しかしやっぱり、当事者全員から聞いておく必要があるらしい。

「…それで、いつもどおり色を撃ち出していたら、突然 警告があってですね…」

 舞人は、時空間の嵐が発生したあたりから、避難命令が出て急いで時空間の穴から離れた事や、唯がマジックハンドで助けてくれようとした事、気づくと優香里と二人で真っ暗な空間にいた事や、優香里の推測で自分たちが宇宙誕生の瞬間にタイムスリップしてしまった事。

 そして、ビッグバンの灼熱から二人で脱出してきた事、などを話し終えた。

 ただ、脱出の瞬間に、頭に聞こえたような、ボンヤリとした会話みたいな言葉。

 あの出来事だけは、舞人自身にも現実なのか幻聴なのかわからないので、うまく説明は出来なかった。

「へえ…わたしはそんなの、聞こえなかったわ」

 それだけが、同じ体験をしたアイドルとの、唯一の違いだ。

 常に一点しか見ていないどころか、どこを見ているのかすらわからない感じの、大きな白目に小さな点目の所長さんは、感慨深そうに頷いている。

「なるほど……うむ、よく分かったよ」

 ブラックコーヒーをすすりつつ、ハンディコンピューターでレポートをまとめる所長さんは、落ち着いた声色で、事故の報告を聞き終えた。

「今回の事故は、現象としても大変に珍しい事だ。君たち二人の報告は、銀河労働者会議だけでなく、宇宙航行安全委員会等の席上でも、今後の安全管理や事故対策に、大いなる参考資料となるだろう」

「う、宇宙…航行…?」

 銀河なんとかよりも、更に壮大な名前を聞かされた。

 所長さんや凛々、今回の仕事の依頼主でもあるタトス星人が、いわゆる宇宙人なのだから、銀河や宇宙には知的生命体がたくさんいて、そりゃ当然だろう。

「ふむ、それら知的生命体が集まって全体の安全を図っている会議が、つまり宇宙会議、というわけだ」

 そんな組織があったのだ。

 なんて予想外の事実を知ったと同時に、舞人にも疑問があった。

「あ、あの…」

「なんだね?」

 少年からの質問を当然のように予想していた所長が、優しく対応してくれる。

「僕たちは、その…どのくらい タイムスリップして…っていうか、えっと…」

 色々と尋ねたいけど、上手く言葉が出ない。

 とりあえず順番、みたいな感じで、まずは凛々が答えてくれた。

 最初の疑問。舞人と優香里は、どのくらい元の時間から消失していたのか?

「舞人さんたちはですね~、元の時間から消失して、五分くらいして、帰ってきました~! と、凛々は自信たっぷりに答えるのでした~」

「ご、五分?」

 時空間の嵐から逃げて、元の時間からビッグバンにまでタイムスリップした二人が、現代に戻ってきたのが、約五分後。という事だ。

 いま思うと、身を焼くような灼熱の中を逃げ回っていたのは、長いようでも、ほんの三分にも満たなかった気もする。

 だから、その時間よりも、帰ってきたまでの時間の方が長い、というのは、ちょっと不思議な感じだ。

 ツインテールをユラユラさせている少女の言葉を、メガネのお姉さんが続ける。

「それでねン、二人のビーコンが時空間嵐よりもずっと遠くで消失してから、時空間の穴が急速に閉じ始めたのよン。とっても恥ずかしがり屋さんなのねン。でもお姉さん、シャイなコ好きよン。でねン、辺りが消失したと同時にぃ、凛々ちゃんが五分後に二人が現れるってぇ、座標も指定してくれたのよン」

 ちょっとあぶない事を言いつつ、舞人の二つ目の疑問「時空間の穴はどうなったのか」も、答えてくれた唯だった。

「そうなんですか…ありがとうございました、唯さん、凛々ちゃん」

「えへへ~…と、凛々は恥ずかしくなるのでした~」

 二人が帰ってくる空間の近くで宇宙船を待機させつつ、時空間の穴も観測。

 突然、目の前に出現した舞人と優香里を回収する頃には、穴は完全消失していたらしい。

 現在は、痕跡すら残っていない、摩訶不思議な現象だったのだ。

「わたしと一条くん、スーツのメモリーによるとだけど、光速の二倍の速度でタイムスリップしたっぽいのよ。それなのにね、この時間に出現した時は、ゆっくり漂ってたんだって。それも不思議よね~」

 アイドルはもう、いつもの興味深々な顔つきだ。

 灼熱の恐怖からは、早々に立ち直った様子で、舞人は心から安堵する。

 優香里の言葉を、所長さんが受け取った。

「うむ、これは私の推測なのだがね…二人はきっと、この時間に戻ってきた事が、本能的に分かったのかもしれないね。安心して、無意識がICスーツを停止させた…。という可能性も、考えられるね」

 アシウラー氏の考えには、ちょっとした根拠があるらしい。

「報告によれば、君たちがビッグバンまで時空間移動をした後に意識を取り戻した時、二人の移動速度は殆ど変化していなかったのだよね…? もし移動した先で二人が停止していたとすれば、時間的にも意識を取り戻す間もなく、灼熱に焼かれていただろうからね。しかし実際には、そうなっていない。という事は…あらゆる生命体が当たり前に持っている無意識、本能が、いま自分たちのいる状況が安全かどうかを常に判断していた。と考えれば…現在の段階では一番、納得できるだろう」

「言われてみれば…」

 確かに、その通りなのだろう。

 というか、舞人的には他に考えようがないのも事実だ。

 更に所長さんは、帰還するまでの二人の状態も、推察する。

「移動した先で、君たちの時間に比べて周囲の時間がとんでもなく遅かったのは、既に承知の通り、君たちの移動速度が極めて光速に近かったからだと思われるね。同時に、量子跳躍したという事は、二人の身体が物質から概念態へと相転移していたという事だ。にも拘わらず、触れ合う事が出来ていた。つまり可能性として、移動した先での君たちは、概念態と物質態の中間状態にあった。と推察されるね」

 話を聞いたアイドルの質問に、足の裏の着ぐるみみたいな所長さんが答える。

「つまりそれは、物質でありながら概念でもあった…っていう事ですか?」

「その通りだね。論拠として、舞人クンのバックパックが壊れて融解していたね? ICスーツ自体はロケット推進ではなく、スーツそのものの引力制御で動いているから、バックパックは機能的には不必要な装飾品にすぎない。とはいえ、装着者にとって、バックパックの与える精神的な安定感はバカに出来ない。そして舞人クンのバックパックの破壊具合から察するに、壊れたのは二人が帰還への時間跳躍を果たす前だろう。と、ハチゴロウ氏も断言しているよ」

 舞人の頭に、メカニック担当の江戸っ子みたいな職人ロボットの宇宙人が、フと過る。

 ダンディーな所長さんは、実はこの手の話が好きなのかもしれない。説明を続けた。

「ICスーツは、装着者自身の意識に反応するが…脱出時、舞人クンのスーツが優香里クンの意識に反応していた形跡があり、また優香里クンのスーツにも舞人クンの意識に反応した形跡も、認められていた」

「あ……確かに、優香里ちゃんの言葉に反応して、モニターにバックパックが破損したって表示されたっけ…」

 二人の話に、アイドルも思い当る様子。

「う……それにわたし、確かにちょっとだけだけど『もうだめ~っ』とか思っちゃったのよね。それでも戻ってこられたっていう事は……」

「うむ、舞人クンのスーツだけでなく、優香里クンのスーツも、戻りたいと強く決意した舞人クンの意思に反応した。という事なのだろうね」

 所長はどこかを見つめたまま、持論を纏める。

「それはつまり、二人が物質ではなく概念態だったからこそ、他者のスーツにまで意思が通じたのだろうね……偶然とはいえ、本当に良かった事だ」

 ちょっとホノボノしたところで、メガネのお姉さんがニヤニヤとツっこんできた。

「二人が戻ってきた時ぃ、す~~っごく抱き合ってたのよねン。舞人くん、元の時間に絶対に戻りたいってぇ、思ってたみたいなんだけどぉ、あっちの時間でぇ、優香里ちゃんとぉ、なにかあったのかしらン?」

「べべっ、別になにもっ–いやそのっ、帰りたいとか、とと、当然の願いでっ–っ!」

 抱き合った優香里の肌が柔らかくて暖かくて、もっともっと抱き合いたいと思って還ってきました。

 とか、口が裂けても言えない。

 ついでに、抱き合った身体の感触が妙に生々しかったのは、お互いに概念態だったから、実はスーツを通り越した、直接の肌に触れ合っていたから、とか、舞人たち自身にも解らない事。

 羞恥し慌てる少年に、お姉さんは楽しそうに、追い打ちをかける。

「それにしてもぉ、うふふ…ちょっと残念だったわン。回収した二人を一秒でも早く救護する為にぃ、二人とも裸んぼさんにしてぇ…宇宙船のベッドで並べて寝かせて、一緒に検査装置にかけたのよン。緊急事態だったし、うふふ♡」

「「えっ–っ!?」」

 この事実には、舞人だけでなく、優香里も驚いていた。

 気絶して安全確保の為とはいえ、二人は一時でも、全裸で隣り合っていたのだ。

「ゆ、優香里ちゃんが、隣で…っ!?」

「そ♡ な~んにも着けてないぃ、生まれたまんま~のぉ、恰好でねン♡」

 そんな自分たちを想像すると、少年の心臓はこれまでで最大という強さで、鼓動を打った。

 アイドルも、さすがに頬を真っ赤にして、恥ずかしさでお冠。

 かと思ったら、ちょっとベクトルが違う。

「唯さん~、そういう事は 男子には話しちゃダメですよっ!」

「うっふふふ~。優香里ちゃんはぁ、舞人くんの・ハ・ダ・カ、見たのン?」

 ややセクハラ気味な質問に、アイドルは今度こそ羞恥で頬を染めながら、ピシャリと答える。

「見てませんっ! だいいち、わたしだってこの病室のベッドで目が覚めたじゃないですか」

 そえなんだ。とか思って、自分の裸とか見られてなくて、ちょっと安心した少年だ。

 今回に限らず、宇宙というただでさえ極限状態の中での仕事だから、何かあったら男も女も関係なく、いち早い対応は当然の事だと、舞人も理解はしている。

「だからね、わたしも一条くんも一緒に検査されて当然だったって思ってるわけ。でもだからって、そんなこと聞かされても、一条くんだって困るでしょ?」

「えっと…ぅ、うん…」

 話を合わせつつ「実はもっと聞きたいです主に優香里ちゃんの事!」とか思う。

「うふふ~、でもねン…二人を着替えさせたのはぁ、わ・た・し・なのよン。凛々ちゃんは主にぃ、優香里ちゃんをお願いしたけどねン。着替えさせている時の舞人くんたら……いやン、エッチぃ♡」

 何かを思い出して頬を染め、身をくねらせる眼鏡のお姉さん。頭の上のボールも、右に左にユラユラと跳ねた。

「なっ、何があったんですかっ!?」

「ま、それはさておきだ」

 少年にとって気になる事を、ダンディ所長は華麗にスルー。

「一条クン、私的な好奇心でもあると、先ほど優香里クンにも聞いた事なのだが…移動した先はどのような状態だったのか、良かったら教えて貰えまいか」

 やはりアシウラー所長は、科学的な探求心の強い人物らしい。

「あ、はい。えっと…とりあえず、時空間の穴から逃げ回っていたら–」

 タイムスリップした先で気絶していた優香里からは、それ以前の話は聞けていないらしい。

 対して舞人は、気絶していないので、タイムスリップをそのまま覚えている。

「……という感じで、一瞬で目の前が真っ暗な空間になっていて、すぐ隣で手に触れている優香里ちゃんすら見えないほどの、暗闇でした」

 それらの話を初めて耳にする優香里本人も、興味深げに聞いていた。

「それから、バイザー内のライトを点けたら、優香里ちゃんが見えて…目覚めた優香里ちゃんと一緒に時計を見たら、アウター時計が例の…虚数の時間? を、示してました」

「ふむ…なるほど」

 何かを深く考察する、という風に見えなくもない白目に点目で、所長さんは納得していた。

「キミたちが時計を見た時間を考えると、ふふ……『人間原理』を思い起こさせるね」

 いわゆる「知的生命体たる人類がそれを認識したから、認識された側が『ああそうなんだ』と理解した論」の事だ。

「つまり『僕たちが真っ暗な空間を見て、更に時計を見たから、その空間が自身を宇宙として自覚した』っていう事ですか?」

「うむ。つまり一条クンが見た途端、知っている宇宙誕生の知識。それを想像したから、見られた空間が、一条クンの知っている宇宙誕生の現象を起こした。とも考えられるね」

 どのみち確証はない話だね。

 と、アシウラー所長は、ちょっと楽しそうに笑う。

 少年は興奮気味に、ずっと考えていた事を、思い切って聞いてみた。

「あの…僕たちが見たのは、この宇宙の誕生の瞬間なのでしょうかっ!?」

 少年の問いに、優香里だけでなく、凛々や唯も、興味を持つ。

 ワクワク感いっぱいの舞人に対し、大人の男性は落ち着いて答えた。

「一条クンにとっては、ちょっと残念かもしれないが…そうだともいえるし、そうでないとも言えるね」

「どういう事でしょうか?」

 アシウラー所長は椅子から立ち上がると、まるで推理ドラマの私立探偵よろしく、室内をゆっくりと歩く。

 カツ…カツ…と小気味良い靴音を立てる姿は、しかし足の裏の着ぐるみショーにも見えた。

「まずは、キミたちが移動した先が、我々の宇宙誕生の瞬間だったのかどうか。という確かな事実確認を得る手段がない。という事だね」

「そ、そぅ…ですね…」

 そもそも、宇宙誕生という現象じたい、色々な推論が語られていて、現在の宇宙会議でもハッキリとした結論は出ていないという。

「宇宙誕生に関して言えば…ある一点から大爆発したという見解や、別の空間から出現するとする説……」

 他にも、地球でも話題になっている「母なる宇宙が存在し、そこから無数の子宇宙が生まれ、無数の子宇宙から更に無限の孫宇宙が生まれる」とされる「マザーユニバース」説。

「ほかにも『そもそも宇宙には始まりも終わりもなく、ただずっとリングのように永遠なだけである』という、別名『宇宙永遠』説。などというものも、あるからね」

「そ、そうなんですか……」

 宇宙に関する研究や説話は、それこそ知的生命体ごとに数十種とあるらしく、いまだハッキリ確定できていないという。

「時空と関係なく単なる宇宙嵐という説から、アレこそ新たな宇宙誕生の現象だという説まで、様々なのだ」

 そして、舞人たちのように「宇宙誕生」と思える瞬間にスリップした知的生命体は、実はこの銀河にも、何人がいるらしい。

「しかもそれら全ての証言が、それぞれ違っていたりするからね」

 つまり、舞人たちが一三八億年前の宇宙誕生の瞬間に偶然タイムスリップしたのか。

 あるいは舞人と優香里たる知的生命体が空間を認識したからこの宇宙のビッグバンが起こったのか。

 または、実は時間移動そのものはしておらず、単にこの宇宙とは別の空間に移動して、そこの宇宙誕生だったのか。

 あるいは、宇宙とか全然関係なかったりして。

 何にしても、確信は全く得られないのだ。

「そう、ですよね……」

「う~ん…惜しいわよね!」

 一緒の体験をしたアイドルも、ちょっと残念そうだ。

 そんな若人たちを、大人の男は別なる理論で励ます。

「いやいや、ガッカリすることも無いだろう。逆に考えれば、二人の体験した事がこの宇宙誕生でないと否定する材料がないのも、また事実だからね。どう考えて何を信じるかは、キミたち次第という事さ」

「……そうですよね!」

 この宇宙が「人間原理」によって生まれたのか、あるいは自分たちが偶然、そういう瞬間に立ち会ったのか。

 また意外と、この宇宙と同じ時間に誕生した別の宇宙誕生の瞬間を目撃したのか。

「それは…今は僕たちが信じられれば、それで良いんですよね」

「とか言って、実はホントに、な~んにも関係なかったりしてね」

 と、アイドルは自身にも辛辣なコメント。

「それはヤだな~」

「そうね、あはは」

 アイドルと笑い合って、みんなで笑ってしまった。

「だったら僕は、あれこそがこの宇宙誕生の瞬間だったって、信じます!」

「わたしは『人間原理』かな。なんかその方が、人間そのものに特別感があるって感じ?」

 言いながら、優香里は遠い宇宙を想像して、ウットリしている。

 そんな顔もやっぱり可愛いくて、舞人はとにかく、無事に帰ってこれて良かった。と、あらためて思った。

 などと浸っている舞人に、唯が耳打ち。

「それはそうとぉン、舞人くん、優香里ちゃんとぉ、概念態で抱き合っていたのよねぇン。概念態、つまりICスーツってぇ、おジャマな物質を介さないでぇ、直接のお肌の、ふ・れ・あ・い・よねぇ♡」

 そうだったから、余計に焦る。

「えっ–そ、そうでしたっけっ!? ええっとぉ…よく覚えてないですかねぇえ…っ?」

 そんな少年も、お姉さんの大好物らしい。

「二人っきりだったアッチの空間で抱き合って♡ 何か、特にお身体的にぃ、オ・ト・ナ・の階段ン、二人で登っちゃった感じぃ? ィヤんィヤん♡」

 副所長は大変な事を想像しているらしく、メガネの美顔を上気させて、頬に両手を充てつつ、魅惑的なボディをクネクネとくねらせた。

「ぃやあのっ–」

 舞人自身も、色々と思い出させられて想像させられて焦っていると、アイドルが興味深々な美顔を近づける。

「なになに? 何の話?」

「なっ–なななんでもないよっ、うんっ!」

 とにかく、帰ってこれて良かった。


              ☆☆☆その⑤☆☆☆


 そして、舞人たちが即日退院を経て翌日一日を休みに充てて、今日から作業再開。

 唯から「アルバイト、どうするン?」と聞かれた少年は、特に躊躇することもなく「頑張ります!」と笑顔で答えて、そして今また、宇宙にいる。

 六割以上が完成していた宇宙絵画だけど、時空間嵐の発生によって、その大半が吸い込まれたり壊されたりしていた。

「あの絵をもう一回 描くのか……」

 縦一千万キロ以上、横八百万キロ以上のスペースに、また一から色を乗せてゆくのかと思うと、ちょっと辟易する。

 でも、やりかけた仕事を途中で投げ出すのはイヤだし、第一、誘ってくれた優香里がバイトに復帰しているのに、自分が出ないなんて、あり得ない。

 しかし何より、この「宇宙に絵を描く」という仕事を、やり遂げてみたかったのだ。

 この仕事、気に入ってもいるし。

「さ、頑張りましょー!」

「はい~! と、凛々もやる気を新たにしているのでした~!」

 三人のICスーツは、以前と同じデザイン。

 舞人はジャージと軽装甲みたいなハイブリッドタイプで、凛々は羽根付きのゴスロリドレス。

 優香里は、ボディラインにピッタリフィットの、スケスケクリアなICスーツ。

『みんなぁ、ご苦労様だけどン、頑張ってねン』

「「「は~い!」」」

 ビキニ鎧のセクシー副所長に応援されて、三人は宇宙空間へと飛び出した。

 モチベーションを上げるために、まだ描いたことのない箇所を描こう。

 という事になり、舞人はびいどろ部分から、凛々は帯から、優香里は頭部から色を乗せてゆく。

「さてと、気持ちを新たに 一から描くぞ!」

 以前は一ヶ月弱で六割だった作業。

 だけどその一ヶ月の慣れはかなりのものだったと、作業を再開した三人は強く実感していた。

 依頼された宇宙絵画を、三人はなんと一ヶ月もしないで、描きあげてしまったのだ。

「まあぁ、三人ともン、すごいわン♡」

「なんか、自分たちでも信じられません」

 時空間の嵐に関しては、依頼主であるタトスでも観測をしていた。

 そして、一度事故で絵画がダメになっての再開だから、依頼者の人たちも、絵画の完成はもっと時間が掛かると想定していたらしい。

「それが、あんなに短期間で仕上がるとは…フフ、私も驚かされたよ。ありがとう。キミたちは素晴らしい」

 と、渋いボイスで所長さんにも褒められた。


              ☆☆☆その⑥☆☆☆


 バイトが終わって、その週末。

「今日は バイトのお給料が入るんだ」

 人生初の、自分で稼いだお金。しかも優香里と一緒に働いたお金。

 少年にとっては、一生大切に取っておきたいと思わせる程の価値がある。

「あ、一条くん、こっちこっち~!」

 いつも通り、喫茶店で待ち合わせをして、三人で事務所へ。

「はぁ~い、それじゃあ お給料をぉ、手渡ししちゃいまぁすン♡」

 三人で並んで、優香里、凛々、舞人の順で、給料袋を受け取る。

 初めて手にしたその袋は、お金という存在を通して、少年に対し、なんとも言えない緊張と興奮と、大きな喜びを与えてくれた。

「な、何か……大人になった。みたいな感じだよ~」

「あ、それ解るわ。わたしもそうだったもの!」

 バイトの給料は、宇宙絵画が完成してからまとめて戴く事になっていたから、初めての給料は二ヶ月分で、予想以上の金額だ。

「わぁ~、凛々は生まれて初めて、お金を稼いだのです~。と、とても嬉しいのでした~」

「凛々ちゃんも そうなんだ。僕も初めてのお給料だよ」

 三人で喜びを分かち合っていたら、ダンディなアシウラー氏から、サプライズを戴いた。

「ところでキミたち、これからちょっと、船で出かけてみないか?」

「「「はい?」」」

 ICスーツに着替えて、所長さんと副所長さんとの五人で、レモネードα号に乗船。

 アシウラー氏のスーツは、クリスマスにビルなどで飾り付けられる、大きな靴下みたいなデザインだった。

 唯の操縦で向かった先は、なんと絵画の依頼主である、惑星タトス。

「こ、ここはっ、地球以外の人たちの星っ!」

 フワフワヤと大気圏突入をして、都市部から遠く離れた宇宙港に着陸すると、初めて、地球以外の惑星に降り立つ舞人。

 まだ昼である惑星の光景に、三人は軽く息を呑んだ。

 惑星タトスは、地球と同じく大地と大気のある惑星であるにも拘わらず、その景色はまるで水中にいるかのように、薄い水色で染められていた。

 空は、ごく薄く霧が発生したかのように、しかし太陽は雲間で透けて見えて

いる。

 雲も地球のように白くはなく、薄い水色で、影の部分は少し濃い水色。

 樹木も足下の草も薄い青緑色をしていて、しかし緑色は輝く太陽に照らされて、鮮やかに艶めいていた。

 薄ボンヤリとした水色の世界で、しかし遠くの緑色まで鮮やかに見える、幻想的な惑星タトス。

「すごい……! まるで…水の中みたいな…夢の中みたいな…不思議な 光景…だ……!」

「ほんとう…なんだか、すごい…」

「凛々も、うっとりしちゃいました~。と、凛々も、うっとりしているのでした~」

 やはり初めて降り立った優香里と凛々も、感動を同じくしているようだった。

 三人はしばらく、ただ美しい景色に見惚れてしまう。

「さて、君たちに見せたいものというのは、この景色だけではないよ。しばらくはゆっくりと、名産のタトスコーヒーを頂こうか」

 所長さんに促されて、広い宇宙港の喫茶スペースで、時間を過ごした。

 いくつも並んだ丸いデッキの一つを囲み、五人で腰かけて、ドリンクを戴く。

 タトスの大気は、地球とは違うらしい。

 喫茶スペースはテーブル毎に、床から大きな半球形の透明カバーを展開できて、その中の大気成分を様々に調整できる。

 舞人たちがテーブルに着くと、唯がカバーを展開させて、内部の大気を地球とほぼ同じに調整。

 五人はようやくヘルメットを脱いで、ドリンクを戴けた。

(前に食べたタトスのお菓子が、とんでもなく美味しかったから……)

 テーブルからせり上がってきたタトスコーヒーは、どんな味なのかと、ドキドキワクワク。

「戴きます。んん……あれ、コーヒーは 地球とあんまり変わらない…?」

「くんく…あら、ほんとだわ」

「同じ感じです~。と、実は初めてコーヒーを戴いた凛々なのでした~」

 なんとタトスコーヒー。地球のものと全く同じ、色と味と香りであった。

 というか、コーヒー初めての凛々が、話を合わせましたと自白した事が、可愛い。

「はっはっは、タトスコーヒー、予想外だったかな?」

 きょとんとする三人を、所長さんは渋い声で笑う。

 宇宙港には、職員さんだろう。数十人のタトス星人がいる。

 少年は初めて、タトス星人の姿を確認できた。

「あ、あの人たちが…タトス星人…さん……」

 名前から、直立したカメとか想像していたら、そのまんま。

 顔つきは地球のカメそのもので、背中には大きな甲羅らしきものを背負っている。

 肌、というか身体は緑色とか黒っぽいとか様々だけど、シルエットも見た目も、まんま立ち上がったカメだった。

 際立った個性といえば、甲羅の形や顔つきが、よく見ると色々と違いがある。くらいか。

 身体の前後には、地球でいう衣服に相当する布を纏っていて、後ろは甲羅のまま。

 話す言語は二種類らしく、いわゆる現地語である現タトス語と、古代に使用されていたといわれる東タトス語。

 知的生命体同士で広く使われている公用宇宙後は、地球でいう英語みたいなものであり、更にほとんどは自動翻訳機でヤリトリされるので、使用言語には含まれないのだとか。

 当たり前だけど、タトス語については、舞人たち若い三人は、全く理解できない。

 宇宙港内で初めて聞こえてきたタトス語は当然わからないし、バイト先は「スペースナンデモ株式会社 地球支部」なのだから、公用宇宙語じたい聞いた事もない。

 アシウラー氏も、地球の日本語を饒舌に話しているし。

 というより、少年はそれどころではなかった。

 何といっても、目の前には本物の宇宙人がいる。というか、宇宙人の生活圏にオジャマしているのだ。

「すごい……本当に、宇宙人…」

「わたしも、タトスの人って初めて見たわ」

「はい~、凛々もです~。と、凛々は興味津々なのでした~」

 ついキョロキョロとしてしまう三人に、大人の男は笑って自省を促す。

「おやおや、そんなに珍しそうな顔をしていると、田舎者だと笑われてしまうよ」

「ハっ–そ、そうですねっ!」

 言われた三人は、ピシっと背すじを伸ばした。

 対してタトスの人々にとっては、他惑星人は、それほど珍しくない様子。

 通り過ぎる人たちの中でも、こちらを見るのは子供くらいで、大人たちは特別に気にする様子もない。

「なんていうか、僕たちにとっての外国人。みたいな感じなのかな」

 よく見ると、タトス星人いがいのシルエットもチラホラ。別の惑星の人っぽい。

(ここは確かに、地球よりも進んだ惑星なんだ)

 初めての眺めに、長い時間もあっという間に過ぎていた。

「所長ン、いらっしゃいましたわン」

「おや、これはこれは。この度はご招待にあずかりまして」

 所長さんが立ち上がると、ヘルメットを被る。

 習って舞人たちも立ち上がって装着をすると、待機成分を調整していた半球カバーが解除されて、床に消えた。

 アシウラー氏と挨拶をかわしているのは、舞人的には、やっぱりカメの人。

(…カメみたいな依頼主さんと、足の裏みたいな所長さんと、ビキニ鎧の副所長さんが、歓談をしている)

 何と言うか、コスプレ会場の準備室を連想させる。

 だけどこれは、宇宙レベルでの仕事の現場である。

 所長さんは、バイトの少年たちを先方に紹介すると、舞人たちにも紹介してくれた。

「今回の仕事の依頼を下さった、タトス星人のラウコさんだ」

「初めマシ~て、ラウコ~でぇす」

 ペコリと挨拶をくれた人物は、たどたどしい日本語。

 しばしボ~っとしてしまった舞人たちは、ハっと気づいて、慌てて挨拶を返した。

「はっはいっ–あの、初めましてっ!」

 緊張する少年たちへと、副所長が更に説明してくれる。

「こちらの方はねン。ほら、先日ぅ お菓子の差し入れを下さった ラウコ氏よン」

「あぁっ、あのすっごく美味しかった–あわわ!」

 と、つい感動反応してから羞恥する少年に、ラウコ氏は甲羅を揺すって笑う。

「カカカカカ、気に入ってもらえ~て、良かったです~わ」

 どうやら氏は、翻訳機ではなく、地球の日本語も話せるようだった。

 ちなみにラウコ氏は、タトス星の宇宙外務官補佐室長で、主に芸術分野を担当しているのだとか。

 自身も芸術家であるラウコ氏の案内で、五人は車に乗って、さらに郊外へ。

 小高い丘の上で停車して、下車をすると、周囲は山々に囲まれていた。

 完全に陽が沈んでいて、山は影に暗く、深い青色の夜空には、満点の星。

 そしてあらためて、思った通り。

「星がすご~い…でもやっぱり、青いというか、惑星全体が薄~く水色っぽく見えるわ」

 優香里の感想に、唯が答える。

「そ。タトス星はぁ、地球とは太陽光の色も待機成分もぉ、違うからねン。だからほらン、色を撃ちだす時にぃ、薄~いフィルターを、そ・う・ちゃ・く・したでしょうン」

「あぁ、そういえば~。と、凛々も思い出したのでした~」

 タトスの大気の色が地球と違うから、地球人である舞人たちは、タトスの環境に合わせて色を修正する必要があったのだ。

「それは解りましたけど……その…?」

 見上げた夜空には、青い月と煌めく星たち以外、何も見えない。

 せっかくなのだから、描いた絵画を見てみたい。

 そんな希望を、もちろん承知のラウコ氏だ。

「カカカカカ。ではみな~さん、ゴーグル~の機能を、通して見てくだ~さい」

 言われて、ゴーグル機能のフィルターをオンにして空を見上げて、舞人たちは驚かされた。

「うわぁ……あれが…!」

「わたしたちが…描いた…」

「ああぁ……と、凛々は…言葉もありませんでした~…」

 雲一つない満点の夜空。

 山の向こうから星々に囲まれて上がってくる「びいどろを吹く女」。

 煌めく星を無数に背負って、空の一角に描かれた、日本の絵画。

 描いている時は端も見えないほど巨大だった絵画なのに、大地に立って両手をかざすと、葉書ほどの小ささしかない。

 それでも、ただ絵を見ていると、どんな地上物よりも高く浮かぶその美人画は、とてつもなくとてつもなく、壮大だった。

 太陽と月とタトス星の、三つの引力で宇宙空間に安定された、縦一千三百二十万キロ、横八百八十万キロの、名画「びいどろを吹く女」。

 山の稜線よりも、空よりも、ずっと向こうの星空に描かれた日本画という光景は、手の届きそうな宇宙、という感覚と一緒に、宇宙の果てしない広大さを想像させる。

「僕たちは……宇宙に、絵を描いたんだ…!」

 少年はあらためて、そんな事を実感していた。

 作業中は安全のためにと、タトスの上空百六十万キロに設置していた、スペースキャンバス。

 絵が完成した後、位置などを修正する全ての操作系を、依頼者に譲渡。

 責任者であるラウコ氏の指示の下、地上から最も美しく見える距離に、数日かけて移動させたらしい。

 その距離は、タトスの上空、約六万キロ。

 ちなみに、色の撃ち出しに使用したインクも訓練の時とは違い、基本的にはゴーグルを通さないと見えない偏光率に設定してある。という事だ。

 水中眼鏡みたいなゴーグルを着けたラウコ氏も、しみじみと見上げている。

「地球の絵画……本当~に…素晴らし~いです……」

 舞人の隣では、優香里も瞳をキラキラさせている。

「……素敵だわ……」

 自分たちは、宇宙に絵を描いたのだ。

 夜空に描かれたその絵画を、少年たちはずっと見上げていた。

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