第一章 色鉛筆のラクガキと、クラスのアイドル
☆☆☆その①☆☆☆
平均よりもちょっと背が低い男子高校生、一条舞人の趣味は、無地のノートにラクガキをする事だ。
普段は学校で、休みの日には公園などに出かけて、色鉛筆を走らせる。
「なに描こうかな~」
そして休日。隣町の公園に来たからといって、遊具で遊ぶ児童たちを描くわけでもない。
ただ思いつくまま、ときには飛行機を、ときにはアニメのロボットを、スラスラと描くのが好きだ。
「ブランコは…子供が入れ替わり立ち替わり揺らしてる……滑り台も、子供でいっぱいだ」
幾面かの遊技場がある広い公園を散策しながら、適当なベンチに席を取り、ノートの白いページを開く。
「天気もいいし……あ、いいモデル発見!」
樹木を模した焦げ茶色な常夜灯の天辺に、ツバメが留まっていた。当たり前だけど、見上げるアングルだから背景が青空で、絵的にちょっと良い感じ。
舞人はペンケースを開いて青色の色鉛筆を取り出すと、真っ白い紙面に、慣れた手つきで手早くツバメを描き始めた。
「お腹は…意外と黄色いんだな。くちばしも明るい色なのか」
–さらさらさら……しゅしゅしゅ、しゅしゅしゅしゅ…。
パーツ毎に描いていって、やがて全体の黒色を乗せてゆく。イメージが湧くと、白いけど薄く黄色いお腹に、茶色も描き込んだりしてゆく。
やがてツバメはどこかへ飛んで行ってしまったが、舞人は既に、頭の中に残ったツバメを書き出している。
やがて。
「ん~ん……良し、ツバメ完成~!」
数十分と待たず、少年は一枚の絵を完成させた。
黒い身体と黄色っぽいお腹のツバメは、影となっているお腹の一部が、ちょっと茶色。
黒っぽい本体の艶は赤く、しかもツバメだけどお腹からのアングルだから、意外と黄色系な色が多い。
ツバメの生息環境を表現すべく、羽毛の表面を虹色の艶で彩ったり。
逆に焦げ茶色の常夜灯は、薄い色使いの一色だけでキメてみた。
背景の青空はエンリョがちに水色だけど、周囲は赤色で囲んだりする。
「うん、良い出来!」
ツバメにしてはカラフルだけど、趣味なんて自己満足だから、舞人は絵の出来に満足だ。
気に入った一枚が出来て、新たに創作意欲が湧いてくると、またモデルを探してキョロキョロする。
ドコとなく視線を巡らせていると、休日の公園には似つかわしくない人物を見つけた。
「ん? あの人、女の子だよね……なんか、パンクっぽい感じだけど」
ベンチに腰かけて、何やらファッション雑誌を読んでいるらしい一人の少女。
セミロングの髪をポニーに纏め、大きなサングラスで顔は見えない。
黒革らしい短いジャケットの下は、もっと短い白いシャツ、というかタンクトップで、胸の谷間や細いウェストが大胆に露出。
上着と同じく黒いボトムは、サスペンダーで吊るされ、股上が浅くて腿も付け根まで剥き出しな、セクシースタイル。
アクセサリー類も色鮮やかで、足元はヒールの高い黒ブーツで飾っていた。
派手な衣装だけど、女の子で、しかも小柄なせいか、なんだかちょっと可愛らしい印象。
「僕は ああいう恰好の女の子って、結構ニガ手だけど……」
でも何だか、可愛く見える。気づく間もなく、視線を奪われること三分以上。
などとボンヤリ眺めていたら、パンクっぽい少女は少年の視線に気がついた様子。
ベンチからユックリと立ち上がると、コチラに向かって歩いてきた。
「わわっ、見てたの、バレたのかな…!」
慌てて視線を逸らすものの、女の子はスタスタ近づいてくる。
もしかしたら、手ひどく怒られるのでは。
そんな想像をすると、緊張で心臓がドキドキと高鳴る。逃げたいと思いながらも足が動かず、ベンチに座ったまま硬直。
果たしてパンクっ娘は、舞人の背後に立ち止まると、数秒間だけ視線を寄越して、またスタスタと歩いて行ってしまった。
「……行っちゃった」
後ろ姿をチラ見しながら、なんとなくホっとする。
黒パンキー少女の後ろ姿は、白い腿がパツパツで輝いて、なんだか格好良くも見えた。
☆☆☆その②☆☆☆
翌日、舞人は学校の屋上で、またラクガキ帳である無地ノートを開いていた。
お昼休みになると、手早くお弁当を食べてさっさと屋上に上がるのが、ラクガキストの日課である。
特に、今日みたいな晴天の日は、遠くのビルや日本で最も高い電波塔までよく見えて、想像力というか創作意欲というか、とにかくラクガキ欲が刺激されるのだ。
「お、近くになかなかのモデルを発見!」
遠くの景色ではなく、目の前の金網と、そこに留まるスズメをスラスラと描いていると、数人の友人が面倒くさげにつぶやく。
「舞人ってホント、ラクガキ好きな」
「そんなに絵かくのが好きならさ、美術部にでもさ、入ればいいんじゃね?」
「あ、美術部って言やあ、聞いたか聞いたか? 佐々野原(ささのはら)の事」
「何っ、優香里(ゆかり)姫が、どうしたって!?」
(–っ佐々野原さん!?)
気になる名前が聞こえて、ラクガキの手がピクっと止まる。
男子たちの間で噂になっているのは、クラスメイトの女子、佐々野原優香里(ささのはら ゆかり)だ。
セミロングな黒髪が美しい少女で、一見すると大人しい印象。しかし大きな瞳は子猫のようにクリクリしていて、凛とした愛らしさも魅せている。
身長も平均よりやや小さく、濃紺色なブレザーの上からでも綺麗なラインの身体つきが見てとれた。
席を立つときも、スカートを抑えて品の良い所作。
そんなところも愛らしく似合っていて、女子たちからも「優香里なんだかお姫様っぽいよ」とか、よく言われている。
だからだろうか、一部の男子たちは憧れを込めて「優香里姫」とか呼んでいた。
そして何より、明るくて、話すと気さくな性格が魅力的で、クラスでもアイドル的な存在。
その評判は同学生どころか、上級生たちの間でも多数のファンがいる程だ。
実は舞人も、そんな男子の中の一人である。
入学式の時、体育館に向かう途中で見かけた瞬間、なんて綺麗な女の子なんだろうと、視線を奪われた一人。
そして一年A組でクラスメイトになった時、周りの男子たちと同じく、内心喜びに震えたりもした。
明るくて、なんだか眩しさまで感じる優香里。
しかし、可愛すぎて近づき難いというか、自分から話しかける事も特になく、少女から話しかけられる事も、またなかった。
(でもやっぱり、オシャベリくらいはしてみたいな…すごく緊張しそうだけど)
別に、アイドルクラスメイトが男子を嫌っている、というワケではない。彼女の方から男子へと、普通に話しかけている場面だって、何度か見ている。
それでも、ほとんどの男子は緊張してしまい、あまり饒舌に話している様は目撃されていないのだ。
そしてそんな、ウワサの優香里は入学以来、様々な部活を見て廻っているという。
「美術部とか陸上部とか、いろんな部活に顔を出してた…らしいんだけどさ」
「ああ、俺も聞いた聞いた。それでも仮入部すらしないんだろ?」
部活に熱中する生徒たちを暫し眺めているだけで、特に何をするワケでもない。
文科系の部活を中心に廻っている様子だけど、やっぱりドコでも顔を出すだけ。
まるで人間観察。
「でも部としてはさ、欲しい人材だろさ。陸上部だけじゃなくてさ、野球部とかサッカー部とか剣道部とかもさ、マネージャーとして勧誘してるらしいよな」
「わかるわかる。あんだけ美人で可愛いマネージャーとかいたら、そりゃモチベも上がるし部員も増えるってモンだ!」
しかしそれらは、全て優香里に断られている。部活を巡っている理由は先生が尋ねても教えてくれないし、女子たちが聞いてもハッキリとは教えて貰えないらしい。
「あぁ~、ナゾ少女か~……可愛いよな可愛いよな~ 優香里姫~」
「うむ、まぁお前は憧れるのが精いっぱいだろう」
「さすが~、ドモりながらデートに誘ってハッキリと断られた男は、言うことが違うな!」
そんなバカな会話を聞きながら、舞人は気持ちを切り替えて、スズメの絵を描き進めてゆく。
(僕も話してみたいけど…どのみち、そもそも部活とかに入っていない僕が話しかけられる事なんて、無いだろうし)
などと後ろ向きな事を思いながら、自覚も無くラクガキに没頭して、鼻歌交じりで色鉛筆を交換。
緑色の金網に赤い影を色づけて、雀のお腹を水色でサラサラと塗ったりする。
「ふんふんふ~ん………あ、なんかオレンジも欲しいな」
シャッシャと色鉛筆を走らせていると、友人たちの会話が静かに止まった。
いつの間にか空気が緊張を帯びている事を、斜め後ろに感じたラクガキ少年は、何気なくキョロキョロする。
そして触れそうなほど直近な真後ろに、緊張の正体でもある、一人の少女の立ち姿をみとめた。
「ねぇあなた、なんでスズメのお腹が水色とオレンジ色なの?」
「え……っ–っわわぁっ!」
耳のすぐ後ろで、子猫みたいな可愛い声が聞こえて、すごくビックリさせられる。
しかしそれ以上に驚かされたのは、コロコロとした綺麗な声が、いま友人たちが噂をしていた少女、佐々野原優香里だった事。
ラクガキノートを、背後から頬が触れ合いそうなくらいの近くで、覗き込んでいる。だから少女の声が、すぐ隣の数センチという、超近距離から聞こえていたのだ。
まさに、耳元。
「–っさ、佐々野原さん…!」
間近で見たアイドルは、風に乗って爽やかな微香を漂わせている。両掌を膝に当てて屈んで、大きな瞳で興味深げに、ラクガキをジっと眺めていた。
少年の肩に、細い顎が触れそうな距離。
こんな近くで女の子を見たこと自体、舞人は初めてだ。
午後の日差しを逆光に受ける優香里は、少し神秘的な雰囲気を漂わせてもいた。
ホッペタなんか、艶を魅せるほどスベスベ。きわめて近距離のせいか、暖かい体温まで仄かに伝わってくる、気がする。
(……ほ。本当に、綺麗だ……)
しかも今日は、オレンジ色のリボンでポニーテールが纏められている。白いうなじが何だか儚くて、細い後れ毛が愛らしかった。
暫し見惚れていると、ポニーの髪を靡かせる少女は、再び尋ねてくる。
「ね、なんでスズメのお腹が この色なの?」
今度はこちらを見つつ、絵のお腹には触らないように気を使って指さししながら、ちょっとだけ笑顔で聞いてきた。
ブラウンの大きな瞳には、緊張している様子の舞人が小さく映っている。そしてその背景には、もっと緊張している友人たちが映り込んでいた。
「え、あ……特に意味はないけど…なんとなく、気分で…」
本当に意味はないんです。そのとき気に入った色を重ねているだけです。
そんな意味で正直に答えると、セミロングのアイドルは「ふぅん……」と、しかしちょっとだけ面白そうに、またラクガキへと視線を向けた。
「あなた、一条舞人くんよね? 同じクラスの」
「う、うん……」
少女の視線が、キラりと光る。
そして、更に耳元に近づかれて、小声でささやかれた。
「ね、わたしと一緒に、アルバイトしない?」
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