第二章 いざ面接と、アイドルのパンすと
☆☆☆その①☆☆☆
たとえ相手が、特に話した経験のない少女であっても、可愛い声で名前を呼ばれて嬉しくないハズがない。
更にそれがクラスのアイドルともなれば、喜びも天井突破だ。
(佐々野原さんが、僕の名前を知ってた…!)
屋上での出来事の後、舞人は友人たちの質問攻めにあった。
何を話したのかとか、なぜあんなに近づけたのかとか。
「ち、近づいたのはっ…彼女の方だよ」
目の前の友人たちは、凄まじい眼圧で羨まし視線を向けている。
「なんだなんだ? 優香里姫はラクガキする男子にキョーミあったのか?」
「うぅ~、俺もラクガキすっかな~!」
小声でささやかれたアルバイトのお誘いは、みんなには秘密だ。
(あんな小声だったし、みんなにはナイショなんだろうな)
なんて、自己満足成分を大量に含んだ納得をして、ちょっと秘密共有みたいなドキドキ感。
しかし午後の授業が開始されても、その間に優香里から話しかけられる事など、全くなかった。
その後の下校時になっても、少女は特に舞人を意識している様子もなく、アルバイトの話どころか、帰りの挨拶も出来ず。
「……もしかして、屋上での出来事は僕の幻覚…?」
そんな事を考えながら帰宅した少年は、昼休みの急接近が夢でも幻でもない事を、優香里からの家電で実感した。
夕食の後、部屋でラクガキをしていたら、ドコかニヤついた母の呼び声。
「舞人~、電話よ~。佐々野原さんて~、女の子~!」
「えっ–っい、いま行くよっ!」
色鉛筆を放り出して、駆け足で電話へ。ニヤニヤしている母親から受話器を受け取ると、キッチンへ姿を消すのを待ってから、ひと呼吸。
「すぅ、はあぁ……んんっ–も、もしもし。お電話、代わりました」
『もしもし一条くん? 夜に電話して、ごめんなさいね』
「ぃいやいや、ぜんぜんっ。うん、それで、何か……」
電話越しなのにすごく近くに聞こえるのは、綺麗な声だからだろうか。用件で予想できる事と言えば、当然、アルバイト云々だろう。
と思っていたら。
『うん、わたし、あなたのアドレス知らなくて。それでさ、もし迷惑じゃなかったらなんだけど、アドレス、教えて貰っていい?』
「あ、うん。ちょっと待ってて」
部屋に戻ってスマフォを手にし、再び電話口へ。画面を見ながらナンバーを伝えた。
『ありがとう、これで安心だわ。夜遅くに電話してごめんね』
「い、いや別に–」
『それじゃ、また明日ね。おやすみなさい』
「え……」
と言って、電話は切れてしまった。
耳には不通状態の「ツーーーーーー」的な電子音が残っている。
「……?……え~と…」
ついボ~っとしたまま、受話器を持って立ち尽くす少年。今の電話は何だったのか。
(アルバイトの話じゃなかったみたいだけど……)
初めて貰った女の子からの電話で緊張していたせいか、突然に電話が終了されて、なんだか瞬間的な強風に吹かれたような、そんな気分。
「……何だったんだろ……」
受話器を戻して「?」頭で部屋に戻ると、スマフォがブーブー鳴った。
「あ、もしもし–」
『ごめんなさーーーいっ! わたし肝心な要件、伝えるの忘れてたよ~!』
スピーカーの向こうから、慌てたそのままなアイドルの声。
何度も遠ざかって聞こえる『ごめんね~』の声に、スマフォへ向かって詫びている姿まで想像できた。
『あのね、明後日の放課後、時間ある? ほら、今日のお昼に話した、アルバイトの面接なんだけど』
「あ、うん。それは大丈夫だけど……でも明後日の面接か…履歴書とか、まだこれから用意だけど…」
『あ、それはきっと大丈夫。一条くんが描いたイラスト あったでしょ?』
あえてイラストと呼ばれると恥ずかしい。なんといっても、デッサンもなにも勉強していない、まさに気ままなラクガキなのだ。
『履歴書は面接に合格してからで大丈夫だよ。っていうかあの会社、いつもそうだから』
話から察するに、アイドルは件のバイトについて、経験豊富な様子。
それにしても、ちょっと気になる。
(履歴書が後からでもいいって…バイトって、みんなそうなのかな…?)
「あの、そういえばバイトって–」
『心配ないよー。一条くんだったら絶~対、合格するって。わたし、スズメの絵とか見て確信したもん。それじゃ、また明日ね』
「ああの…また切れた」
自信たっぷりな言葉をくれると、少女はまた一方的に通話を終えていた。
そして翌日。
優香里は学校で軽い挨拶をくれただけで、後はいつも通り。
舞人も、いつもより親しく話すという事もなく、アイドルとは挨拶いがい、無会話の学校生活だ。
正直を言えば少しだけ、いつもと違って会話が出来るかな、とか想像していた少年。
ちょっと肩透かしを食らった気分だ。
「そうだよね……日常に突然の変化とか、まぁないよね」
そんな事を思いながら、今日はお昼になると、数人の友達と屋上でお弁当を食べる。本日もよく晴れていて、空気も暖かい。
いつも通り昼食を終えた友人たちは、屋上ドッヂボールやら、どうでもいい会話とかを楽しんで、そしてラクガキストは無地ノートを広げる。
(………………)
しかし、昨日のナゾ電話とか明日の面接という事もあって、ラクガキする気分にはなれずにいた。
昨夜、唯一にして最大の収穫といえば、結果的に優香里とアドレス交換が出来た事だ。
(いやそれより、面接ってドコで? なんて会社? 仕事の内容も聞いてない
けど……)
面接に必要らしいラクガキ帳は、いつも持ってるからいいけど。
なんて事を考えていたら、ポケットの中からスマフォが呼んできた。
「ん…あ、さ–佐々野原さん…!」
思わず小声が漏れて、周りの誰にも聞こえていなかった事を確認、コールに出る。
「んん…もしもし」
『あ、一条くん。昨日はごめ~ん。わたし 面接の場所とか、伝えてなかったよね』
アイドルは予想外に、おっちょこちょいみたいだ。ちょっと可愛い。
緊張しながらも、ホンワカした親しみを覚える舞人。
「うん、えっと……」
同じクラスだから、明日の放課後、面接の場所まで一緒に向かいましょう。
とか思っていたら、どうやらそうではないらしい。
『あのさ、駅前のロータリー 知ってる?』
歩いて十分ほどの地元駅。知っているけど、なぜだか待ち合わせをしたいらしい。
校内同士で通話しながら、優香里は場所を指定してくる。
『–うん。その角を曲がって左側の三軒目にね、ビル一階の喫茶店があるの。名前は「ぶるー・らべんだー」っていうんだけど、その前で待ち合わせをしましょう』
「あの…校門前とかで待ち合わせちゃ、マズいの…?」
まだ緊張しているからか、ちょっと遠慮がちに聞いてしまった。
『ん~、マズくはないんだけど…ハッキリ言って、今のトコロあんまり目立たない方が助かったりするの』
さすがはアイドル。自分が男子たちからどれ程の注目を集めているのか、よく知っている。
なるほど舞人のような目立たない男子なんかと一緒にいるトコロを目撃されて、根も葉もない噂なんか流されるのはゴメンだ。
という、舞人にとって自虐的な意味ではない様子。
『別に怪しい仕事とかじゃ、全然ないんだけどね。仕事自体、まだあまり知られない方がいいって言うか…まぁ知ったトコロでみんな本気にはしないだろうけど。イタズラに騒がれるのも、ど~かな~って感じというか……うんまあ、そんな感じ』
どんな感じなのかはわからないけど、とにかく待ち合わせをした方が良いらしい。
そんなこんなで通話が終わり、舞人は明日、面接に向かう事になった。
(……まぁ、佐々野原さんがアブないバイトをしているとも、思えないし)
それに、履歴書よりもラクガキの方が大切でという話だから、何か絵を描く関係のバイトである事に、間違いはないだろう。
新聞チラシのイラストとか、そんな感じか。
少年の頭には、それよりももっと大切な事実が浮かんでいた。
「何にしても、明日は佐々野原さんと待ち合わせ……」
人生で初めて、女の子と二人、待ち合わせをする。
それは年頃の少年にとって、結構忘れられない思い出になる。
その日の夜、舞人は母に重大な相談をした。
まだ決まったワケではないけど、もしかしたらアルバイトをするかもしれない。という事。
「アルバイト…? 勉強は大丈夫なの?」
と、ちょっと心配そうな母の言い分は、もっともだ。少年の成績は中の中、平均中のド平均。
つまりこれ以上、勉強が疎かになったら、平均以下に落ちること決定である。
「もちろん、勉強は頑張るよ。それになんだって、自分で働いてお金を稼いでみたいんだよ」
嘘ではないが、本当の理由は、折角アイドルの優香里に誘われたバイトだから断るなんてイヤだ、というトコロ。
バイト事態、反対されるかもしれない。けど黙って親にバイトするのもイヤだから、ここは突破するしかない。
そんな、ひそやかな決意を秘めていた少年に、母はバイトの内容などを色々と尋ねて、考えてから、答える。
「絵を描くアルバイトねぇ。たしかに舞人には良いかもだけど…。そうね、ん、パパが良いって言ったらね」
「ホントっ、ありがと母さん!」
「そのかわり、成績が今より一番でも下がったら、すぐにやめてもらいますからね」
なかなかキビしい条件が付けられてしまったけれど、とりあえずバイトOKの許しが貰えたのは、素直に嬉しい。
その夜、帰宅した父が一息ついてから、部屋にいた舞人は母に呼ばれた。
リビングで美味しそうにビールを飲む父に、アルバイトの一件を伺う。
ちょっと緊張の少年は、件の話を終えると、視線をなんとなく父からテーブルへと落としてしまった。
舞人の家では、父を敬うようにと母から躾けられているから、父の意見は絶対である。
とはいえ、肝心な時は母が援護してくれる。
今も、食卓の上座に座る父に対し、正面に腰かける一人息子の隣で、母は鎮座していた。
話そのものは、先に母から聞かされていたのだろう。父はコップのビールを飲み干し、息子の顔を見ながら答える。
「バイトか。いいんじゃないか? なんでも経験だからなぁ」
「うん。ありがとう、父さん」
嬉しさいっぱいで顔を上げた息子に、父もちょっと嬉しそうな笑顔をみせて、一言だけ追加。
「ただし、二つだけ約束しなさい。ママの言う通り成績は下げるな。ママに心配はかけるな。これは約束だぞ」
「はい!」
こうして、舞人はバイトの許可を貰った。
☆☆☆その②☆☆☆
翌日、待ち遠しい放課後。舞人は足早に駅前へと向かう。
教室を出る時も、特に優香里とは視線を合わさないようにして退出する。
わざわざ待ち合わせをしてまで目立たないようにするワケだから、このくらいの気遣いは当たり前だろう。
とか出来る自分が、自己満足的に誇らしかったり。
駅ビルが目立つ駅前は、結構な賑わいだった。
線路を渡った向こうは繁華街だからか、地元の学生だけでなく、近隣の中高生たちも見かける。
「えっと、駅に向かってロータリーの右側の道を……」
聞いた通りの道を進むと、人気の少ない裏通りに出た。
暗いという印象はなく、商業ビルというか、四~五階建てのビルがほとんどな地域。
そして角を曲がって三軒目。
狭そうな四階建てビルの一階部分に、喫茶店「ぶるー・らべんだー」はあった。
脳紺色に縁どられた四角い看板が、なんだかお店を目立たなくしている。
「…平仮名での名前も地味だけど、外見も地味…」
お店の窓はあまり大きくなく、店内の様子も見えるけれどハッキリとは伺えない。壁も薄茶色みたいなボンヤリした色味で、足下の色褪せたレンガも地味さに一役買っていた。
見上げたビルも古ぼけた灰色で、小さなヒビとかが見て取れる。
喫茶店の右側にビルの入り口があり、小さな看板の名前を見ると「ひのまるビル」と、また普通によくありすぎて印象の薄い名前だった。
「……ここだよね」
なんだかアヤしいというか、少なくとも安心感はない感じ。
近所で水道管の工事中らしく、五月蠅い程ではないけど、それなりの音が聞こえてくる。
ちょっと怪訝に感じながら、初めての待ち合わせにドキドキもしている少年。
喫茶店の前でウロウロしていたら、ワクワクの相手がやってきた。
「あ、一条く~ん。待った~?」
「あ、佐々野原…さん……」
気軽に挨拶をくれたクラスメイト。
その隣には、見知らぬ少女がニコニコしている。
制服からすると、同じ学校の女子だ。身長は、優香里よりも頭半分くらい小さくて、フワフワのツインテールが更に幼い印象。
両掌でカバンを持っていて、腕に挟まれる乳房が大きく目立っていた。
「えっと……」
初対面した戸惑いの少年へと、アイドルが楽しそうに紹介をしてくれる。
「あ、この娘はわたしの友達で『古里 凛々(ふるさと りり)』っていうの。同じ一年生よ」
凛々と呼ばれた小柄な少女は、ニコニコの温かい笑顔を更にニッコリ~と緩ませて、挨拶をくれた。
「初めまして~、一年B組の、古里凛々です~。と、凛々は初対面の少年に、自己紹介をしたのでした~」
「……は?」
昨夜、耳掃除をしたばかりな舞人の耳が正常ならば「凛々です~」のあと、ミョーな言葉が続いていた気がする。
少年の反応に、ツインテールの少女は童女のように小首をかしげて、また挨拶をくれた。
「あや~、よく聞こえませんでしたか~? というわけで、凛々は再び、自己紹介をするのでした~。初めまして~、古里凛々です~。果たして今度は、届いたでしょうか~?」
なんだろう。聞き間違いでない事だけは解ったけど、自己紹介いがい、何が言いたいのかよくわからない。
(う~ん………)
どう返してよいのか戸惑う舞人に、優香里は楽しそうにコロコロと笑いながら、助け舟を出してくれる。
「あははは、よくわからないでしょ。初対面だと、だいたいそうよね~」
「?」
「凛々のクセっていうか生態っていうか、なんか解説みたいな話し方するでしょ。面白いわよね。でもすぐに慣れるから。あはは」
「あ、はぁ…」
(なんか生態とか聞こえたけど…)
「と、少年は腑に落ちない様子で、納得するしかなかったようでした~」
などと、ニコニコな解説語で微笑む凛々。どうやらこういう女の子らしいし、ホンワカした笑顔はまるで、チワワの赤ちゃんみたいに愛らしい。
そして舞人も「生態」発言を忘れるくらい、まだ自己紹介していない事を、思い出した。
「あ、えっと…僕は、一条舞人です。一年A組で、佐々野原さんとはクラスメイトです」
「まぁ、ご丁寧に~。凛々は一条くんの誠意に、小さな嬉しさを感じたのでした~」
「そ、それはどうも…」
自分の感情まで解説してる。
とか思いながら、やっぱりよくわからない。
「さ、ひとしきり自己紹介も済んだし、面接に向かいましょ。あっ、一条くん スケッチブック、持ってきてる?」
そういえば確認するのを忘れていた。と、少女は思い出して自己反省をする。
舞人的には、ラクガキノートはいつも持ち歩いているから、結果オーライ。
「ごめんなさ~い。わたし、ついつい連絡ミスしちゃうのよね~」
詫びる少女を先頭に、舞人を最後に、三人はビルの入り口からすぐの階段を上ってゆく。
ビルの中は外見よりも更に狭くて、正直、あまり明るい印象はなかった。
少し古いっぽいビルだからか、階段は意外と急斜面。
一番前の優香里はともかく、目の前の凛々はギリギリまで、ミニスカートから腿が覗けていた。
(な、なんか…見えそう……)
とりあえず視線を逸らすのは、紳士だからとかではなく、バレたら恥ずかしいからだ。
とはいえ、もしあからさまにスカートを抑えられたりしても、それはそれで痛くない腹を探られるみたいで、正直、ちょっとヤだ。
二階まで上がると、優香里が事務所らしいドアをノックする。
途端に中から、明るいお姉さんの返事が返ってきた。
『はぁ~い。優香里ちゃんねぇン、開・い・て・る・わよン』
「失礼しま~す」
素で入室する先頭の少女に続いて、ニコニコの凛々と、お姉さんのセクシーボイスにドキっとさせられた舞人が入室。
手頃なソファや机が適度に配置された狭い室内にて、少年はちょっと、異質な女性と対面をした。
「いらっしゃぁい、優香里ちゃん、凛々ちゃん。あぁん、キミが一条くんねン。優香里ちゃんから聞いているわよン♡」
何と言うか、溶かしたお砂糖菓子の如く、甘い話し方をする女性。
舞人よりも少し背の高いその女性は、秘書みたいな赤い制服に身を包んでいる。
タイトスカートが女性教師みたいな印象を与えているものの、豊かなロングヘアはフワっフワなウェーブを描いていて、なんだかセクシー。
蕩けるようなタレ目なのも、女性特有な色香をより引き立てている。
しかし一番異質なのは、頭に付けたアクセサリーだ。
金色ラメのカチューシャで、ピアノ線で揺れているレインボーラメなピンポン玉らしきキラキラの球が、二つ付いている。
でんでん虫の目っぽいというか、安いパーティーグッズかなとか想像すると、たぶん正解な感じ。
頭の飾りのおかげか、大きなメガネも印象が薄れてしまう。
お姉さんはニコリ…とほほ笑みをくれると、ツインテ少女、凛々と話す。
「凛々ちゃん、り・れ・き・しょ、持ってきてくれたのン?」
「はい~。と、凛々は大切にしまっていた履歴書を、お渡しするのでした~」
「はぁい、た・し・か・に。うふふン」
官能的に対応するお姉さんと、解説語で話すツインテールの少女。
なんだろう。不思議な会話感覚すぎて、ちょっとよく解らない。
ポカンと眺める少年に、セクシー秘書みたいなお姉さんが、語りかける。
「初めましてン。私は『相沢唯(あいざわ ゆい)』よン。キミたちアルバイトの、管理係…かな?」
かな。と言いながら、小首をかしげる。
同時に、愛らしい美顔がすぐ近くまで寄ってきた。
フワりと柑橘系の良い香りまでして、思わずドキっと心臓が跳ねる。
「は、初めまして…! い、一条舞人…です! よ、よ、よろしくお願い、いたします!」
少年の緊張が、セクシーお姉さんには。ちょっと面白いらしい。
「えっとぉ、それじゃあ、キ・ミ……面接、始めちゃおっか?」
細い首をまたかしげて問われると、ミョーなくすぐったさを意識してしまう。
女子に不慣れな少年は、ただ「は、はい」と頷く事しか出来なかった。
面接が始まる直前、少女二人は事務所から退室する。
「それじゃあ一条くん、面接シッカリね。まぁダイジョブたち思うけど。あ、わたしたち一階の喫茶店にいるから、終わったら来てね」
「あ、うん…」
そんな約束をなんとなくして、少年はソファに促され、人生初の、バイト面接が始まった。
お茶を淹れてくれて、対面に座るセクシー秘書さんは、グっと胸元を寄せながら、ウィンクをくれる。
「うぅんと……まずはキミの、ア・レ…見せてン♡」
「はっはぃ–っ!?」
アレとは何か。やはりアブないバイトなのか。
思わず赤面で動揺する小柄少年。
対してお姉さんは、イタズラっぽい笑顔だ。
「そ。んふふ…キミの、イ・ラ・ス・ト・ノート、よン」
「あ、はぃ…」
ドコかでホっとしながら、慌ててノートを取り出す。
そんな純情少年の姿が、お姉さんには楽しいらしい。
鞄からノートを取り出して、向きを正位置にしてから、唯に手渡す。
笑顔で受け取ったメガネのお姉さんは「それじゃあ…ジックリたっぷりと、見せてもらうわねン♡」と、必要以上にセクシーで、蕩けるような美顔をくれた。
ここ一ヶ月ほどのラクガキを、唯は一枚一枚、丁寧に眺めながら、ページを進める。
二人きりのうえ、会話とかない静かな室内には、ノートを捲る「ぺらり…」という軽い音しか聞こえない。
水道管の工事も小休止なのか、今は聞こえていなかった。
それほど広いとは感じられない事務所には、現在の面接にも使っているテーブルとソファと観葉植物と、一番奥に、いかにも所長用らしいデスクが一組。
そう見えたのは、件のデスクに「所長」と書かれた札が立てられているから。
所長さんは外出中なのか、今は空席。
背後の壁に掲げられた「社会奉仕!」と筆書きされた額縁が、目に飛び込んできた。
などと、緊張ゆえで室内をひとしきり見回しても、まだイラストのチェックは続いていて、舞人の緊張が緩む事はない。
(ぼ、僕の絵がこんなに見られてるなんて…やっぱり、恥ずかしいな…)
どう思われてるのかな。
聞いていたよりもヘタなのね。とか思われてないかな。
色々と負な想像をしてしまい、耐え難い緊張感だけが高まってゆく。まるで、高校入試の時の面接みたいな気持ちだ。
対して、少年のラクガキを眺めるお姉さんは、鼻歌交じりだけどシッカリと絵を見続けている様子。
(やっぱり、絵の事とか聞かれるのかな……僕は専門的な事、何一つとして知らないけど……)
外からは車の音や雑踏が、ちょっと遠くに聞こえる感じ。
喉がカラカラに乾いて、出されたお茶を、隠れるような気持ちで一口だけ、頷いた姿勢のままコクリと飲んだ。
だからだろうか。当然のように予想される質問だって、唐突に感じられた。
「ね、一条クン。どうしてスズメのお腹が、オレンジ色なのかしらン?」
「あっはいっ–あのっ、別に深い意味とかなくてっ…なんとなくというか、そのっ…」
しどろもどろになりながら、あるがままを正直に答える。
そんな少年の慌て姿に、なんだかお姉さんは楽しそうだ。
「なんとなく、ね……うん、わかりましたン。うふふ♡」
何かに納得した様子のセクシー秘書さんは、笑顔で丁寧にノートを閉じると、わざわざ正位置で返してくれる。
そしてニッコリの笑顔で告げた。
「はい、面接はぁ、ご・う・か・く・よン。明日にでも、い・ち・お・う、履歴書、持ってきてねン♡」
☆☆☆その③☆☆☆
「………は……」
一瞬、耳を疑った
合格&一応、を、セクシーに告げられた事ではなく、なんだかわからないうちに合格したらしい。
「とは言えン、明日からはまだン、見習いとして色々な研修があるけどねン。あとの細かい事はぁ。そうねぇ…優香里ちゃんに、お・ま・か・せ・しちゃおっかなぁ。やぁん♡」
なんだか「優香里におまかせ」で、別な想像をしている様子の、赤面お姉さんだ。
「………は……」
と、ココまで来て舞人はようやく、知らなければならない事を確認する。
「あの…ここはなんていう名前の会社で、僕は何をすれば良いのですか…?」
ずっと聞きそびれていた事だ。
面接になんとなく合格してから今更な気もするけど、当たり前に気になる。
ちょっと勇気を振り絞った少年に、お姉さんはニッコリと教えてくれた。
「え~、コホん…わが社は『スペースなんでも株式会社』といってぇ、その名の通り、宇宙の何でも屋さんよン。あん、何でも屋と言ってもぉ、ホントにぃ・ナ・ン・で・も・するワケにはいかないけど・ネ♡」
ナ・ン・で・も・のあたりに、セクシーっぽい空気を匂わせるお姉さん。
年頃の少年は、あらぬ想像をさせられそうになって、ちょっとドキドキしてしまった。
「な、なんでも…と、い、いいますと…?」
「ん~そぅねぇ…例えばぁ、お引越しのお手伝いとかお荷物の運搬。デブリの破壊や回収から隕石落としまで、犯罪や戦争協力いがいなら、な~んでも…うふふ」
また「な~んでも」のあたりが、エッチっぽい言い方。
「それじゃあ。明日からぁ…ヨ・ロ・シ・ク・ねン♡」
セクシーに合格通知をくれたお姉さんは、セクシーにウィンクまでくれた。
「……なんだかわからないうちに合格しちゃった……」
面接を終えて事務所から退室した舞人は、ノートの入ったカバンを片手に、一人ポツポツと階段を降りる。
いったい何の面接を受けていたのかさえ、サッパリ解らない。
「スペースなんでも株式会社? 戦争協力いがいだったらなんでもする? っていうか、隕石落としって何?」
いろいろと頭の中に過りながら一階に到着すると、外を回って喫茶店へ。
小休止を終えたらしい水道工事が、音を立てて再開していた。
(め、面接が終わって…佐々野原さんと、また待ち合わせだ……)
人生二度目の、女の子との待ち合わせ。しかも今回は喫茶店だから、気分はよりデートを意識。
緊張しながら、喫茶「ぶるー・らべんだー」の、暗い感じの扉をソっと押す。
お店は外見と同じく、ちょっと暗めの照明設定。でも明るすぎない店内は落ち着いた様子で、なんだか大人っぽい雰囲気もあった。
お客さんはいない様子。
数組のテーブルとカウンター席があって、カウンターの中にはマスターと思われる人物。
タップリの髭で顔がよくわからないマスターは、舞人をチラと見ると、軽く会釈をくれた。
舞人もなんとなく会釈を返す。
そんなボンヤリしたヤリトリをしていると、お店の奥から元気な声で、名前を呼ばれた。
「あ、一条く~んっ、こっちこっち!」
立ち上がって手を振る優香里だ。カウンター越しの席らしく、上半身だけ見える。
「あ、佐々野原さん」
笑顔で手を振る優香里は、やっぱり可愛い。窓からの光で逆光なっていても、そんなウッカリなところもやっぱり可愛い。
とか見惚れていたら、アイドルは何だか足下に気づいて、真っ赤になって屈む。カウンターの向こうで姿を消したかと思ったら、しばし、取り繕った様子で、顔が赤いまま、また静かに立ち上がって手を振った。
「? なにかあったのかな…」
よくわからないけど、とりあえずテーブルに向かう。
店内はBGMもなくシンとしていて、とても静か。
アイドルに「な、何飲む?」と聞かれて、当たり前に自分が支払うつもりで、アイスコーヒーを注文した。
テーブルでは、優香里と凛々が向かい合って座っている。
アルバイト、という意味ではポニテの優香里が一番の先輩だから、舞人はツインテールな凛々の隣に座った。
アイドルの前にはレモンティーが、ツインテ少女にはココアが出されている。
クラスメイトはいつもの笑顔で、でも何だかちょっとバツが悪そうにも見えた。
「あはは…えっと、見えた?」
「何が?」
サッパリ解らない素直な返し質問に「ううん、何でもないわ」と、やはり取り繕った風にニコニコ。
「良かった……パンすと見られてないわ…」
「?」
何か不思議な言葉が聞こえたけど、照れ笑いみたいな笑顔も可愛いと思った舞人の頭の中からは「パンすと」なる言葉はすぐに消えていた。
そんな少年の脳内に気づく事もなく、優香里は「コホん」と芝居っぽく咳払いをして、空気を変える。
「んん…それで、面接はどうだったの?」
「うん、何か合格だって。明日からよろしく、って言われた」
「やっぱり! わたしの思った通りだわ!」
少女はパチンと両掌を叩くと、満面の笑顔で祝ってくれた。
「よかったね、おめでとう! 明日から 三人で頑張ろうね!」
優香里の祝辞に、凛々も子犬のような笑顔で、やる気満々の様子。
「はい~。舞人さん、よろしくお願いいたします~。と、凛々も嬉しかったのでした~」
「あ、うん。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
照れながら、二人に挨拶を返すと、アイスコーヒーが出て来た。
乾杯をしてから、ミルクとシロップを入れて一口戴くと、ようやく人心地ついてホっとする。
「ふぅ…あ、それでさ、佐々野原さん」
「優香里でいいわよ。で、何?」
優香里でいいわよ。と言われたからって、それでは遠慮なく。とか、呼び捨てになんて出来ない。
(で、でも…アイドル直々のお許しが出たんだし……っ!)
年頃の少年としては、精いっぱいの見栄と勇気と以て、さりげなく、もう一度。
「ゆ、ゆー…優香里、ちゃん……は、その…バ、バイトって、な何でも屋さんみたいだけど、具体的に、何するの? 事務所の、ぉお姉さん、特別には、言ってなかった…こくん…けど……」
平静を装いながらも、思いっきり噛み噛み。
少年の緊張を気にする事もなく、バイト先輩の少女は胸を張って、答えてくれた。
「うん、今回は絵を描くアルバイトよ。と言っても、ちょっと特殊な道具とか使ったり専門知識とかもあったりするから、明日から十日くらいは、訓練とか研修とかになるけど」
「特殊な道具…?」
絵の仕事と聞いて、漠然と、イラストとかポップ作りみたいな仕事を想像する。
でもどうやら、特殊な道具を使うような、思っていたよりもっと大がかりっぽい仕事のようだ。
(でも、優香里ちゃんとか古里さんとかが働くくらいだから、重労働じゃないよね)
隣の小柄少女をチラと見ると、視線に気づいて、ニコと微笑んで言った。
「私も~、どうぞ凛々とお呼びください~。と、凛々はお話したのでした~」
「え、あ、はぃ…」
マイペースな女の子の凛々。
とにかく、人生で二人目の「ちゃん付け」に、舞人はチャレンジ。
「り、凛々…ちゃん、確か…さっき 履歴書を手渡していたよね」
やっぱり緊張して、やや丁寧な話し方になった。
「はい~。私も明日から、一緒に訓練です~。と、凛々はお答えしたのでした~」
テンポの掴みにくい会話に、優香里が付け足す。
「とにかく明日からは、放課後このお店の前で待ち合わせしましょう。わたし、バイトの先輩だから、解らない事とか教えてあげるねっ!」
言いながら、アイドルは「ねっ!」と同時に可憐なドヤ顔。
(あぁ……優香里ちゃんのドヤ顔、可愛い……)
愛らしく輝くフェイスに、ニコニコぼ~っとしてしまった。
三人はドリンクを飲み干すと、今日は解散。
男子のプライドとして三人のお茶代を出そうとしたら、優香里が教えてくれた。
「あ、いいのいいの。ウチの会社、バイト従業員にはお茶だしてくれるから」
明日からのバイトなのにいいの? とか思ったら。
「合格したんだから大丈夫よ。わたしの時もそうだったし」
「ふ~ん…太っ腹な会社なんだね」
と思って「まぁ、もしダメだったら明日にでも、お茶代払えばいいかな」とか考えて、ごちそうになった。
帰り道は別々らしく、舞人はお店の前で二人とお別れ。
「じゃ、また明日ね~」
「よろしくお願いいたします~。と、凛々はご挨拶をしたのでした~」
「それじゃあ、また明日ね」
一人で帰路に就く少年は、ちょっとポワポワしている。
「優香里ちゃん、凛々ちゃんか~。なんか、生まれて初めて、女の子を『ちゃん付け』で呼んじゃったな……」
一日で、しかも二人もだ。今日は舞人にとって、ちょっとした記念日。
「えへへ…明日からのアルバイト、がんばろ~!」
いつまでもニコニコ顔の少年だった。
地元の文具屋さんで履歴書を買った舞人は、帰宅した直後、説明書とにらめっこしながら、人生初の履歴書を書き始める。
「えっと…あれ、幼稚園を卒業したの、平成何年になるんだっけ…?」
更に、書き間違いなどで、また最初から書き直し。しかも、
「え、写真がいるの。って、そりゃそうか」
知識としては知っているはずなのに、イサとなったら忘れていた。慌てて自転車で駅まで走って、簡易式の照明写真ボックスで撮影。
写真を手にして急いで帰ると、全部で二時間ほどかけて、履歴書を書き上げた。
「なんとかできた……それにしても、照明写真って結構な数が余るんだな…」
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