第2話 影に潜むもの

 影丸かげまるが足を踏み入れたとき、すでにそこはもぬけの殻であった。畳に広がる渇き黒くなった血染みを見下ろし、小さく舌打ちを残す。


「誰かいるのか?」


 通りかかった警備の者が開いたままの障子を覗く。つい数刻前に城主の亡くなった部屋である。城主の亡骸はきちんと葬るために布団の上に丁寧に寝かされてある。はずだった。

 部屋には布団だけが敷かれているだけで誰もいない。寝かされたはずの城主の亡骸もない。


「なっ! お館さまが消えて!? 曲者だ! 皆の者! お館さまの御遺体が盗まれたぞ!」


 下手人とされる末姫を追うため人手を割き、手薄となっていた城の警備がにわかに厳戒態勢へと変わる。

 城主の命だけでなく遺体まで奪われたとあっては武者でない使用人たちも慌ただしく動きだす。すでに日は沈んで空は暗くなっている。各々が松明を持って盗人を探しはじめた。

 その様子を城の最上部、屋根の上に潜む影丸は見下ろす。時を同じくして少し離れた門付近では末姫の衣を纏う下女が馬に乗って騒ぎを起こしている。その様子も見て取り、影丸は深いため息とともに大きく脱力した。


(いったいぜんたい、どうなっていやがる)


 影丸は芥の里より城主への密書を届けにやって来た使者だった。遠く里からわざわざ赴いてみれば届け先の城主はすでに死んでいて、なんでも雪竹の末姫が手を下したというではないか。末姫の剣技の才やら境遇、父への敬愛を風の噂で影丸も聞き及んでいたが、


(果たしてあの姫君が本当に父親を手にかけるだろうか)


 いやそんなことは今はどうでもいいのだ。どうでもいいことを思案しかけた頭を左右に振り、気を取り直す。

 影丸にとって重要であるのは、このままでは本来の目的を果たせずに何の功もなく里まで戻ることになってしまうということだ。そんなことになれば同期らに何を言われるか……それは影丸としても不本意だ。

 そこまで考えたとき城の裏手、そこに存在する抜け道を通りぬける遠目にも目立つ白髪を見つけた。影丸の目がすっと細められ、それから口の端が吊り上がった。


「……里への手土産には十分か」


 呟きが空気を揺らすよりも早く、影丸の姿は名の通り影のように立ち消えた。

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あやかしもの 百目鬼笑太 @doumeki100

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