あやかしもの

百目鬼笑太

第1話 雪竹の姫君

「姫さま! 姫さまぁ!」


 広い城の敷地内で少女の声が響いていた。そんな少女の声を城内の者たちは慣れた様子でいる。一部では苦笑を浮かべる輩までもがいた。それだけ少女の慌ただしい様子は日常の一部となっていた。少女は探し人を呼びながら城内のあちこちをばたばたと走り回る。

 少女、は雪竹の末姫付きの下女だ。二人は年が近く、おぬいの性根のまっすぐさを当の姫が気に入ったことで身分差がありながらも友のように親しくしていた。

 人気ひとけのなくなった城の裏手。おぬいが耳を澄ませると、微かに空を切る音が聞こえた。おぬいはその音に、ぷくりと頬を膨らませ向かっていく。城の裏手は警備もあまり通らない場所である。何かを隠れて行うにはおおよそ向いていた。おぬいの想像通り裏手、影になった空間でついさっきまで城中を探し回っていた姫が素振りを行っていた。

 細い腕が木刀を振る度に鋭く空気の切る音が周囲へ響いた。


「姫さま!」


 木刀を持つ白髪の少女がおぬいの呼びかけに振り返る。白く長い髪を後ろで三本に編みにまとめる薄氷はくひょうの瞳の美しい姫だ。かすみという名を持つ姫はおぬいを切れ長の目に映すと表情を和らげて微笑む。


「おぬい。そう急いでどうした」

「どうした、ではございません! また隠れて剣の稽古などされて! お館様に見つかったら叱られてしまいますよ!」

「そう心配はいらないさ。父上は日々、城主の業務にお忙しいのだ。私のことなど気にもされておらぬだろう」


 なんてことのないように、霞がそういうもので思わずおぬいは黙ってしまう。おぬいの脳裏に浮かぶのは郷里の父とのことだ。


(親子とは、そんな縁遠いものだったかしらん)


 少なくとも雪竹氏の親子関係はおぬいの知るものとは遠くかけ離れている。はるかに身分の貴い方のことはおぬいには分からない。そこまで考えて分かるわけもないと思考を放棄した。


「それで、おぬい。私を探していたのだろう」

「ああ、そうでございました。姫さまのことをお館様がお呼びでございます」

「っ! 父上が! そうか! ではすぐに向かうとしよう!」


 物静かな微笑みから一転し、霞は子供のように薄氷の瞳を輝かせる。木刀をおぬいに預けて、足早に父の待つ城内へ向かう。

 その背を見送るおぬいには姫君がなんとも哀れに思えた。霞が父を深く敬愛していることは城内の誰もが知るところだ。そしてその敬意が常に顧みられないことも。


 雪竹城は周辺でも有数の美しさを誇る白亜の城である。城主の雪竹蓮貴ゆきたけれんきは入り婿だ。その出自は城主としてあまりに不透明であったが、それを推しても先代の城主に姫との婚姻を許された。周囲の他の家臣からも特段に強い反対もなかったのだから、その才覚は推して知るべきだろう。

 そしてその成り上がりの城主には三人の子供がいる。長子の瑛士えいしに、次男の守彌もりや。そして末の娘の霞だ。雪竹家の古い慣習で雪竹の子供は十六で成年式を行う。家系という伝統を持たぬが故か現城主はとくに古い慣習には忠実だった。

 時世を考えればかなり遅いが城主は末の姫の裳着もぎにも慣習に従うようであった。長兄も次兄の元服も十六で行った。霞も年が明ければ十六となる。裳着を行い成年を迎えれば、霞は姫として生まれた娘の役割を果たしに領地の外へ送られるだろう。


 父の待つ部屋へと向かい、霞は城内を進む。しかし、その道すがら誰ともすれ違わない。それは珍しいことだった。普段であれば父の傍らには常に家臣のなにがしかが控えるのが常であった。そんな少しばかりの不穏さに敬愛する父からの呼び出しに浮足立つ霞は気が付けない。


「父上。霞が参りまし、父上?」


 障子を開く前に、膝をつき中へ声をかける。父からの返事はない。どころか気配すらもない。流石に疑問に思った霞は、叱られることを覚悟しながら恐る恐ると障子を手にかける。

 開けてすぐに鉄に似た悪臭が霞の鼻孔をついた。

 赤。

 視界を占領した光景を、一拍、置いて理解した霞から途端に血の気が引く。広い部屋の真ん中には父が倒れている。胸には深々と太刀が突き立てられ、父を中心に畳に赤い円が広がる。すぐ横には太刀のものと思しき白鞘が転がっている。


「父上!?」


 我に返った霞は父に駆け寄る。倒れ伏す父を抱き上げて、深く畳にまで刺さった太刀を力任せに引き抜く。勢いのまま投げ捨てた。風穴の開いた父の胸からごぷりと血があふれ出す。赤い血に染まった手で震えながらも父の首を触れる。

 とくんとくん。

 脈はひどく弱い。それでもまだ生きていた。喉から声を振り絞り、父に呼びかけた。


「は、ち、父、上……、」

「か、すみか……」

「父上! 一体、誰が、このような……惨いことを!?」


 力なく薄く目を開けた父に霞は叫ぶ。しかし父は霞を認めると再び目を閉じる。

 それから勢いよく咳き込み、その口からは鮮血が吐き出された。血は飛び散り霞の頬にはねる。淡い色の衣にも抱き上げた際の血が染みていく。そんなことは霞には気にする余裕もない。


「、……。あ、くたの里を、さがせ」

「芥? 一体、それは……! 父上! やだ、やだ! 父上!!」


 ほとんど霞は泣き叫んでいた。触れ合う部分から、父の呼吸が弱まっていくさまを直に霞は感じている。だんだんと父の目からは光が失われ、やがて呼吸も止まる。涙と混乱で霞の視界がぐるぐると回りだす。あまりの衝撃に思考はまとまらない。

 霞の叫びにより足音が集まって来る。

 急ぎ足で現れた家臣たちも血塗れで主君を抱きあげる末姫の姿に困惑を隠せない。二人の傍らには凶器と思しき太刀が転がっている。これはどう動くべきか、霞を囲みながら誰もが決めあぐねていた。


「何の騒ぎだ。一体、何を集まっている」


 そんなとき家臣たちと同じく騒ぎを聞きつけた嫡男の瑛士えいしがやって来た。左耳から右目の下にかけて大きな古傷があるもののそれも生来もつ魅力を引き立てているような偉丈夫である。

 どうすべきかも分からないままだった霞は長兄の姿に安堵の笑みを浮かべる。兄ならばどうにか出来るだろう、と思ったのだ。しかし瑛士は父を抱く霞を温度のない目で見下ろす。その目の冷たさに霞はたじろいだ。


(はて、この兄はこんな冷たい目をする人であっただろうか)


「まさか、貴様が父を……。なんということをしてくれたのだ、霞」

「なっ!? 違います! 父上は私がやって来た時には、すでに!」

「くだらぬ言い訳を……真実などは調べればすぐに分かる。何をしている! この罪人を捕らえよ!」

「兄上!?」


 霞が悲痛に叫ぶ。城主の長子たる瑛士の命令に鈍くも、ようやく家臣は動き出す。霞は呆然と囲みだす周囲を眺める。その脳裏に父の言葉が蘇った。


『芥の里を探せ』


「あくた、のさと……」

「何……?」


 その言葉の意味を霞は理解してはいなかったが、それでも父の残した言葉である。あの父が最期の瞬間に意味のないことを言うわけがない、と霞は自然と信じた。父の体を畳に寝かせ、傍らに転がる白鞘と太刀を拾い上げる霞の目には確かな意思が宿っていた。もはや迷いはなく己が何をすべきかを解していた。

 霞が太刀を手にしたことで家臣たちの動きが慌ただしく変わる。しかし警戒してか、周囲を囲むだけで、霞の様子を窺っている。家臣たちへ苛立ったように瑛士が怒鳴る。


「何をしている! たかだか娘一人だろう! 早く捕えぬか! 霞! 貴様も大人しく何故出来ぬ!」

「兄上。申し訳ありませぬ。……霞はやらねばならぬことが出来ましたゆえ、その命令は聞けませぬ。これより暴れようと思います。どうかお許しを」

「な、貴様……!」


 未だに刃を濡らす父の血を払い、太刀を霞は構える。向かうは長兄。霞はそれまで剣術を父により固く禁じられていた。そのわけは幼い霞が兄に勝利をしてしまったからだ。長兄の頬に走る古傷は、霞が付けたものであり故に瑛士はその凶悪な剣才を痛いほどに知っている。

 太刀を構えて己に向かってくる妹の姿に瑛士の顔を青ざめ、ずくんと頬の古傷が痛みだす。思い出すのは当時の、いくつも離れた妹に負けたという果てしない屈辱である。きつく奥歯を噛みしめると瑛士は佩いた太刀に手をかける。

 瑛士にしても幼い日の屈辱を再びなどはごめんであった。たとえ相手が妹であったとしても、今は城主を手にかけた容疑者である。手加減をする道理もない。……たとえこの場で殺してしまったとしてもだ。


「ぐっ……!」

「失礼いたしまする。兄上」


 瑛士が太刀を抜くよりもまえに霞は床を勢いよく蹴り、宙へと高く跳んだ。天井へ大きく跳んだ妹を瑛士は思わず目で追ってしまう。その上に向いた顔を霞は容赦なく踏みつけた。兄の顔面を踏み台にさらに高く跳ぶと囲む人の輪を飛び越え、そのまま庭を走りだす。いつの間にか太刀は白鞘へ納められている。


「何をしている! 追わぬか!」

「っ、はいっ!」


 両の鼻から鼻血を出しながらも手で押さえ瑛士が命令を出す。思わずその背を見送っていしまっていた家臣たちも我に返ると霞を追って走り出した。


 物陰に隠れて、追手をやり過ごすこと数度、霞は城の裏手に潜む。すぐそこの馬小屋では騒ぎを感じ取った馬たちが騒ぎだしている。馬小屋の近くには幼い日に見つけた抜け道があるはずだった。

 霞が目指すは芥の里。しかしそれは一体、どこにあるのだろうか。雪竹領内の地名を霞はおおよそ記憶しているがそんな里の名は聞いたこともない。

 かさり。


「っ!」

「姫さま!」


 背後でした物音に振り返れば、落ち着かない様子のおぬいが顔を青ざめさせて立っていた。よく知る顔に霞は肩の力を抜く。唇の前に人差し指を当てて静かにするよう指示を出す。口を両手で押さえておぬいは何度も頷いた。


「姫さまぁ、皆が噂しておりますよう。姫さまがお館様を……なんて」

「お前はどう思う。私が……、その噂と私のどちらを信じる」

「そんなのもちろん! 姫さまでございます! 姫さまがどれだけお館様を敬愛されておられたか! おぬいはよく知っておりますもの!」


 力強くおぬいが胸を叩く。そんなおぬいの言葉にしばし霞は目を瞠り、うつむく。隠したまま表情を少しだけ和らげた。


「では力を貸してくれ。私は芥の里へ向かわねばならない。そのためにまず、この城から出なければ」

「おぬいにお任せください!」



 時は進み、日が沈み出したころ、馬のわななきが家臣たちの耳に届く。城内から庭まで、霞を探して隅々まで目を光らせていた家臣たちは顔を上げる。その視界に地面を蹴る馬が見えた。馬の背には血濡れの衣をまとう娘の姿が。末姫であると自然と皆が思った。


「いたぞ!」

「捕らえよ!」


 家臣たちが次々に集まりだす。その目標は馬に乗る娘だ。再び城内は騒がしくなり、大捕り物が始まろうとしていた。その城の様子を抜け道から脱出を成功させた霞は振り返る。纏う衣はさっきまでおぬいが身に着けていた動きやすいものに変わっている。

 慣れぬ馬に乗り、家臣たちの意識を逸らさせるというのはおぬいの提案だった。その隙をついて霞は抜け道を利用したのだ。心の中でおぬいに礼を告げて霞は歩き出す。向かうべき場所はわからず、それでもどこかにはあるはずだ。ならば地道に探していくしか道はない。


「必ずや、父上のご無念を晴らしてみせまする」


 向かうは芥の里。ともは白鞘の太刀のみである。

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