放課後の悪魔
逢雲千生
放課後の悪魔
私が通う学校には、七不思議の他にもう一つ噂がありました。
七不思議といえば全国に必ずあると思いますが、私の学校ではもう一つ、『放課後の悪魔』という噂があるのです。
私の学校は歴史があり、父も祖父も通っていた学校です。
図書室の古いアルバムを開けば、祖父が写っている白黒写真があるほど古い学校のため、昔からお化けの噂は絶えなかったと聞いています。
その中でも有名だったのが『放課後の悪魔』でした。
この『悪魔』には名前がつけられていて、父の代では『サトル』、祖父の代では『マサフミ』というふうに、時代によって呼び方が変わっています。
私の代では『ナオキ』と呼ばれていて、女子からは『ナオくん』と親しげに呼ばれたりもしています。
これは、そんな『彼』のお話です。
私が通う学校は私立校で、歴史こそありますが、とても古い学校なのであちこちがボロボロです。
どこかで雨漏りがすれば別の場所でも雨漏りがしたり、床が抜けたかと思えば壁が崩れたりと、とにかく古すぎて危険がいっぱいでした。
学校側も寄付金を募って、どうにかしようとしていましたが、不景気が続いていたこともあり、なかなか思うように集まらなかったそうなのです。
先生達からも気をつけるようにと言われていましたが、いつどこが壊れるのかわかりませんでしたし、壊れ具合からある程度予測ができたので、自分は大丈夫だと思っていたのかもしれません。
ある日の放課後、私のクラスで男子達がふざけて野球をしていました。
野球といっても、掃除用具に入っている箒と丸めた雑巾で作ったボールを使い、机を教室の後ろに押し込んで遊んでいたため、勉強しようとしていた人は図書室に、帰ろうとしていた人達は呆れた顔で帰っていったのですが、ふざけていれば必ず何かが起こります。
帰りにどこかで勉強しようと友人と話していた私は、男子達の雑巾ボールが大きく飛んだのを見ていました。
あまりにも真っ直ぐに自分のところに来たので、避けるのを忘れてしまったのです。
一瞬のうちに目の痛みと衝撃を感じ、座っていた椅子から落ちました。
友達の悲鳴と男子達の焦る声を聞きながら、痛み出した顔を押さえたのですが痛い、と思う以上に悔しさがありました。
いくら男子達のボールとはいえ、あれくらいなら避けられたのにと思うと、涙が出てきたのです。
自分でも何故なのかはわかりませんが、悔しくて悔しくて泣いていると、友達が呼んできた先生が駆け込んできて私を起こすと、すぐに保健室に連れて行かれたのです。
保険医さんがいたので診てもらうと、目に固めた雑巾が思い切り当たったことで充血し、かなりひどい状況だと言われました。
すぐに近くの病院に連れて行ってもらうと、医者からは目の中で出血していると言われたのです。
どうやら血管をいくつか切ってしまったらしく、しばらく眼球が腫れ上がり、目の周りも膨れ上がるように膨張すると言われ、その日は入院になりました。
次の日に検査してもらったところ、幸いにも失明するほどではなかったのですが、腫れ具合ではそうなる可能性もあるというので、最悪の場合、血を抜くための手術をしなければならないと言われました。
入院して何かあった時に備えるか、それとも通院で自宅にいるかと言われ、迷わず自宅を選びました。
そして医師には止められましたが、期末テストが近かったこともあり、ほとんど泣きつく形で通学の許可を得ると、その次の日から学校に戻ったのです。
野球をしていた男子達は先生と親に叱られ、私の友達からもひどく怒られたらしく、登校するとすぐに謝ってきました。
あまり話したことのない人達でしたが、本当に申し訳なさそうだったので「大丈夫だよ」とだけ言いましたが、彼らはそれからふざけるのをやめたそうです。
目の出血は思ったよりひどくて、事故から三日もすると、顔の半分が腫れるほどになって、この時の自分の顔はお化けのようでした。
それでも、期末テストを受けるために、痛み止めを打ちつつ乗り越えました。
少しでも衝撃を与えると手術だよと言われていたので、顔の半分をガーゼと包帯で隠しつつ、体育などの体を動かす授業は休みながら十日が経った頃です。
ようやく腫れが引き始め、医師からも順調だと言われていましたが、その日はいつも一緒に帰るはずだった友人が急用で先に帰ってしまったので、一人で帰ろうと教室を出た時でした。
廊下の向こうから誰かが走ってきたなと思ったら、思いっきりぶつかってしまったのです。
ぶつかったのは先輩で、急いでいたのか「ごめんね」とだけ言うと、そのまま行ってしまいました。
しかし残された私は大変なことに、あれほど衝撃を与えるなと言われた目の近くを、床に思いきり打ち付けてしまったのです。
一部始終を見ていたクラスメイトが駆け寄ってくれましたが、あまりの痛みに何を言われているのかわからず、ただただうめくことしかできませんでした。
誰かが「先生を呼んでくる!」と言ったのは聞こえましたが、もう痛くて痛くてどうしようもなくて、廊下を転げ回っていたといいます。
目がどうなっているのか、顔はどうなっているのかと、心配と不安で心もめちゃくちゃで、もう自分が何をやっているのかわかりませんでした。
ああ、失明するんだなと覚悟した時、私の頭に誰かの手が触れました。
クラスメイトだろうか、それとも先生だろうかと、痛みをこらえて無事な目を開けると、そこには見たことのない男子生徒がいたのです。
その人は、伸びた前髪のせいで顔はよくわかりませんでしたが、自分と同じ年齢くらいの人だと思いました。
けれど制服は違っていて、いつも見ている男子達の制服よりも古い感じがしたのです。
痛みから流した涙のせいで顔はぐしゃぐしゃになり、恥ずかしい話、鼻水も出ていたと思います。
それでも彼は一文字に引いた唇を歪めることなく、私の腫れた目に触れて軽く撫でました。
見知らぬ男子にそんなことをされれば怒りますが、この時は不思議と安心したのです。
驚いたとか嫌だとか、そんな気持ちは一切ありませんでした。
大騒ぎしていたはずの周囲の声は聞こえず、彼しか見えないような状況でしたが、私は大人しく彼に目を撫でられると、しだいに痛みが引いていきました。
苦しいほどの痛みが
「あ……」
軽い触れ方でしたが、心地よく感じていた私が小さく声を出すと、彼は立ち上がって私を見下ろし、
『もう、大丈夫……』
空気に溶けるような声が聞こえたかと思うと、水の中から浮かび上がるように意識が戻ったのです。
目を開けた時、片目の視界に入ったのは真っ白な天井で、大きく息を吸い込むと消毒液の匂いがしました。
病院だとわかるとすぐに看護師さんが覗き込んできて、ここは病院で運ばれてきたのだということを教えてくれたのです。
あの時、私はあまりの痛みに気絶していました。
急に暴れなくなった私をクラスメイト達が起こそうとしてくれましたが、体を揺すっても肩を叩いても起きず、先生が来るとすぐに救急車を呼んだそうなのです。
呼吸はしていましたが、顔の腫れがさらにひどくなり、病院に到着するとすぐに緊急手術になりました。
一時は失明も覚悟していたと言われましたが、手術が終わるとすぐに腫れが引いていき、動かさなければ痛くない程度にまで落ち着いていました。
医師は運が良かったと言っていましたが、私はそうではないと思っています。
夢だったのか現実だったのかはわかりませんが、あの時見た見知らぬ男子生徒が、私の目を助けてくれたのではないかと思うのです。
一週間ほどの入院で怪我も良くなり、学校には二週間で戻れました。
視力低下も覚悟していましたが、その心配もないくらいに回復し、切れていた血管も奇麗に繋がったそうです。
学校に戻ってから、あの男子生徒について先生に聞いてみましたが、誰もそんな人は知らないと言っていました。
どうしても知りたくて、一番古いアルバムから写真を見てみましたが、彼らしき人はどこにも写っていませんでした。
それから間もなく、ある生徒が『放課後の悪魔』を見たという話が広まり、私達の間で『ナオキ』と呼ばれるようになりました。
実はそれを見たという生徒が、廊下で私とぶつかった人らしいのです。
放課後に一人で校舎にいたところ、どこからか視線を感じて怯えていたら、突然教室の電気が全て消えたそうです。
急いで電気をつけようとしましたがつかず、このままではまずいと思って廊下に出たところ、恐ろしい顔をした男子学生が現れて、校舎中を追いかけ回されたと話していたといいます。
玄関で捕まりそうになった時、急に意識を失ったとかでそれ以上は覚えておらず、気がついたら校舎の外に倒れていたそうなのです。
学校中が大騒ぎになりましたが、その話を教員室で聞いた時、近くにいた教頭先生が口にした言葉を今でも忘れられません。
『そうか、また悪さした人が出たんだなあ。あの人は昔からそうだからなあ……』
何気なく呟いた教頭先生に、「何がですか?」と尋ねましたが、「いいや、何でもないよ」と笑顔で誤魔化されました。
この教頭先生は、父の代から学校で教員を務めているので、おそらく『放課後の悪魔』について何かを知っていたのでしょう。
しかし、それ以上は何も語らず、『放課後の悪魔』についても『ナオキ』についても、それ以上の情報は得られませんでした。
もしかしたらなのですが、『放課後の悪魔』と呼ばれる人は、あの男子学生の姿をしているのかもしれません。
それで悪さをしたのに謝らなかったり、逃げてしまったりした人にお仕置きしているのではないでしょうか。
私に雑巾のボールをぶつけた人達はきちんと謝ってくれましたが、私にぶつかった人はきちんと謝らずに行ってしまいました。
おそらく私の怪我のことなど知らず、ぶつかったことすら忘れていたのかもしれません。
けっきょく、ぶつかった人からの謝罪はありませんでしたから。
卒業するまで『放課後の悪魔』について大騒ぎしていたと聞きましたが、なぜあんな目にあったのか、今でも不思議に思っていると思います。
あの時私の目を撫でてくれた彼のおかげか、怪我した目は完治して、視力も落ちることはありませんでした。
後遺症もなく、今でも怪我する前と同じように生活ができています。
彼に会うことはもう二度とないでしょうが、もしもまた会えたのならば、きちんとお礼を言いたいとは思っています。
『放課後の悪魔』でも、『ナオキ』でも、『サトル』でも、『マサフミ』でもない本当の彼に。
卒業まであと数ヶ月。
大きな希望を胸に、大学受験、頑張ります!
放課後の悪魔 逢雲千生 @houn_itsuki
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