歌う鳥(5)


          5


 花嫁の赤い衣装には、豊穣の願いをこめて羊や麦や花の模様が刺繍されている。頭にかぶる被衣かずきにも、布製の靴にも。黄や紺、紅や碧に染め分けられた艶やかな絹糸は、燭台の光を浴びて繊細に照り輝いている。それだけでも眩しいのに、十本の指には指輪が、前腕には腕輪が、胸と背には邪眼を退ける護り板がつけられ、額飾りから顔の両側に垂れた菱形の金の糸飾りが、動く度にしゃらしゃらと鳴った。

 全身を豪華な装身具で飾られた鳩は、ミトラに化粧を施されて頬を染めていた。周りには、青と白の晴れ着をきた鳶とラディースレン、エイル、キノとロンティ達がいて、目を輝かせている。


「鳩お姉ちゃん、きれい!」


 鳶はもう何度もこの言葉を叫んでいた。鷹は、じっとしていない子ども達にお揃いの金の鈴のついた羊毛の帽子をかぶせ、娘をなだめた。


「ほら。あなた達は花嫁さんをひきたてないといけないんだから、頑張って頂戴よ」

「はあい!」


 子ども達は、鬱金香ラーレや薔薇の花びらと苺と焼き菓子を盛った籠を持たされ、はしゃいでいた。準備ができたという合図をうけて、鳩が重たい腰を上げる。紅玉髄ガーネットの煌めく黄金の環の巻きつく腕で、長い衣の裾を持ちあげた。

 花嫁の腕を支えるのは、隼だ。白銀の髪を結い上げ群青の長衣デールをまとった彼女は、凛々しい青年のようだった。夜空のような瑠璃ラピスラズリの嵌め込まれた黄金の髪飾りと、唇に刷いた紅が、天女めいた美貌をきわだたせている。

 鳩は彼女にみとれていたのだが、隼は王女を護衛する騎士のごとく微笑み、低い声で囁いた。


「綺麗だよ、鳩。胸を張って」


 〈女たちの家〉の周囲に集まっていた人々から、拍手がわき起こった。鳩は耳朶を朱に染め、隼の手をかりて馬車に登った。花嫁と同じく赤い衣を着た鷹とミトラ、まるい月琴ヨーチンを抱いたタオが同乗する。

 隼は女達が全員乗ったのを確かめると、ひらりと葦毛ボルテに跨り、御者を促した。錦の帯と化粧で飾られた二頭の馬が、馬車を牽いてゆっくりと歩き出す。台に覆いはなく、花嫁たちの姿は外からよく観えた。

 子ども達はちりちり鈴を鳴らし、馬車を先導して花びらを撒き、見守る人々のなかに子どもを見つけると苺と菓子を配った。タオが軽快な曲を奏で、ミトラは香りのよいお茶を淹れた。


「街を巡るだけよ。ちゃんと息をしないと、もたないわよ」

「が、頑張る……」


 鳩はぎくしゃくと頷き、お茶をひとくち飲んだ。額飾りが重くて首が折れそうなのだ。鷹がすかさず干した桃の欠片を手渡してくれる。確かに少し食べておかないと、神殿に着く前に倒れそうだった。

 沿道の若い女性の群れから、「花嫁さん、可愛いーっ!」と声がかけられる。鳩は内心で悲鳴をあげつつ、笑顔で手を振った。



 平和と慈悲の神・ウィシュヌを祀る神殿の前で、新郎たちは馬車の到着を待っていた。神殿といっても、日干し煉瓦造りの素朴な建物だ。トグリーニ族との和解が成立した年に、この地に戻って来たニーナイ国の人々が建てたものだった。

 オダは帽子をかぶり、華麗な刺繍で飾られた丈の短い赤い上着を着て、ゆったりとした脚衣ズボンを穿き、父である神官と並んで立っていた。既に宴会の支度はととのっている。葡萄棚と日よけの下には食卓が並び、茹でたばかりの羊肉、腸詰め肉の炙り、肉饅頭モモ肉饂飩ラグマン炒め飯プロフ揚げ餃子サモサとナン、葡萄酒サクア蒸留酒アルヒ干酪チーズやナツメヤシや新鮮な果物が、きれいに盛りつけられていた。

 鷲と雉をふくむ数人の男達が、さざめきながら乳茶チャイを飲んでいる。喉をうるおして歌と踊りに備えているのだ。彼らは太鼓の革の張りをたしかめ、馬頭琴モリン・フール古琴グーチンの音程を合わせた。馬頭琴は二本だ。


「落ち着けよ、オダ。には、花嫁が逃げる風習はないんだろ」


 緊張している青年に、鷲が笑って声をかける。オダは、ひきつった苦笑を浮かべた。


「ここまで来て、逃げられたら困ります……」

「心配するな。ちゃんと隼とタオが連れて来るから」

「はい。それはもう、信頼しています」


 オダは頬をひきしめて頷き、傍らの父と目線を交わした。こんなに盛大な結婚式は、ここ数年おこなわれていない。〈女たちの家〉と自分達の資金だけでは用意できなかった。鳩の親代わりの鷲と鷹だけでなく、雉も、隼とタオも手伝ってくれた。――深く感謝する一方、青年は、このところ情緒不安定な鳩が途中で泣きだしてミトラたちを困らせてはいないかと、危惧していた。

 鳩は彼に不満があるわけではなく、『これまでの自分』と別れることに感傷的になっている……と、オダは解釈していた。どうやら彼女のなかで、結婚すると何かが変わってしまうらしい。青年にはよく解らない感覚だが。

 夏祭りナーダムの間、鳩はトグルに会えずじまいだった。もっと気軽に会って話せていたら、違ったかもしれない……。


 待ちくたびれた客がざわめき始めた。鷲は仲間と合図をして立ち上がり、口琴コムズを鳴らした。華やかな曲が始まる。


「来たぞ!」


 誰かが叫び、人々の視線がそちらへ向いた。オダは背筋を伸ばして待ち構えた。

 角を曲がって最初に姿を現したのは、葦毛ボルテった隼だった。そんな場合ではないと承知していて、オダは溜息を呑んだ。やはり、隼は美しい。蒼天から舞い降りた天女のような毅然としたすがたに気圧されて、群集が一瞬しずまりかえる。それから馬車が現れ、改めて歓声があがった。


 子ども達は、花嫁とともに馬車に乗っていた。タオの弾く月琴ヨーチンの音が近づき、口琴と馬頭琴はそれに合わせた。隼は馬から降り、子ども達が馬車から降りるのに手をかした。鷹とミトラが被衣かずきをかぶった花嫁を支えて降ろすと、拍手が起こった。

 ラーダ(オダの父)が近づいて、花嫁を迎える。オダは立ったまま彼女が近づくのを待ち、二人並んで神殿へ入った。隼とタオと子ども達はその場へ残り、鷹とミトラが付き添う。


 オダと鳩は、花と宝玉で飾られたウィシュヌ神像の前で手をつなぎ、跪いてこうべを垂れた。ラーダは二人に祝福の聖水をふりかけ、ウィシュヌ神にも降りかけると、厳かに宣言した。


「ここに、婚姻の契約が成立したことをご報告します。末永く健康で、幸福であるように」


 オダがちらりと窺うと、被衣かずきの下で鳩は泣いてはおらず、黒い眸を大きくみひらいていた。

 二人が神殿の外へ出ると、子ども達が花びらを撒いてくれた。太鼓と笛の音に、手拍子が重なる。挨拶の口上を述べる父の陰で、オダは鳩を気遣った。


「大丈夫? 馬車に酔わなかった?」

「平気よ……」


 鳩は小声で応えたが、まだどこか上の空な風情が、オダには気懸かりだった。

 宴会が始まった。

 新郎新婦は並んで席に着き、ラーダがオダの隣に、鷹が鳩の側に坐った。鷲が陽気に声をかけ、にわか楽団が演奏を始める。観客に料理と酒が運ばれ、子ども達は鷲と一緒に歌った。



     当歳、二歳の仔馬たちが

     とび跳ね合って、蹴り合って、

     喜びと悲しみを共にして、


        友よ 運命をみつけた

        尽きない歌のごとき 幸せよ


     たくさんの試練を超えた、その果てに

     心は決して折れることはない


        友よ 我が祈りは君のため

        離れ離れになった熱き魂は 今どこに


     草原を渡り、沙漠を越え

     何処で暮らしていようとも

     幸福であれかしと願う


     歌よ 君に届け



 鷲は歌っては口琴を鳴らし、また歌っては縦笛を吹いた。太鼓と馬頭琴とタオの月琴が曲を盛りあげる。

 男たちは上機嫌で手を叩き、唱和した。子ども達が薔薇の花束を手に踊りだす。その花は差しだされた相手を踊りに誘い、次から次へと相手を替えて手渡される。子どもから大人へ、男性から女性へと。

 雉は馬頭琴を弾く手をとめ、鷲とならんで澄んだ美声をはりあげた。



     世界の光を あなたは与えてくれました

     草原の花を あなたは集めてくれました


         優しい風 豊穣の大地

         春の眼差し 秋の実り


     あなたがくれた翼で 空を飛びましょう

     幼いころから愛した全てを 捧げます


         夏の夜空にきらめく星

         美しい山々は すべてあなたのもの

         

     あなたがくれたものは 私の魂の宝

     あなたに相応しい贈りものを探して 世界中を巡りましたが


     どうか赦して下さい

     太陽も月も 私の手には入りません……



 オダは、鳩が小声で歌っていることに気づいた。彼女の気持ちが晴れたようで、ほっとした。鷲たちに頼んで良かったと思う。

 青年は歌詞の意味を心のなかでなぞりながら、鷲と雉とその後ろで演奏しているタオ達を眺めた。隼はタオと並んで椅子に坐り、上機嫌で鈴を振っている。月琴を抱くタオの隣には、古琴と馬頭琴を奏でる草原の男達がいる。

 雉はけっきょく応援を頼んだらしい――と考えて、オダは己の目をうたがった。裏方に徹する演奏者のなかに、見慣れた黒衣の男をみつけたのだ。一心に馬頭琴を奏でている、トグルを。


「……鳩」


 オダは呆然とささやき、彼女の手に触れた。鳩は訝しみ、彼の視線の先へ目をやった。その表情が凍る。

 トグルは演奏に集中していて、二人を観てはいない。しかし、精悍な横顔は見間違えようがない。

 鳩の眼に、ぶわりと涙が湧いた。オダもまなうらが熱くなった。


「来てくれたんだ、ね」

「うん」


 かつての敵地に盟主が来るのは難しかろうと、オダは諦めていた。父と街の世話役たちには報せず、そのまま帰るつもりなのだろう。

 鳩は、オダの手に自分の手を重ねた。指をからめ、握り合う。――会えなくても、言葉を交わさなくても、トグルはちゃんと理解してくれていた。

 緑柱石ベリルの瞳がこちらを観て、かすかにわらった。


『ありがとう。トグル、お兄ちゃん達……』

 これで、歩き出せる。

 鳩は、涙のつたう頬をそのままに、面をあげて微笑んだ。






『飛鳥』番外編:歌う鳥

     完

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歌う鳥 ―『飛鳥』番外編 石燈 梓 @Azurite-mysticvalley

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