歌う鳥(5)
5
花嫁の赤い衣装には、豊穣の願いをこめて羊や麦や花の模様が刺繍されている。頭にかぶる
全身を豪華な装身具で飾られた鳩は、ミトラに化粧を施されて頬を染めていた。周りには、青と白の晴れ着をきた鳶とラディースレン、エイル、キノとロンティ達がいて、目を輝かせている。
「鳩お姉ちゃん、きれい!」
鳶はもう何度もこの言葉を叫んでいた。鷹は、じっとしていない子ども達にお揃いの金の鈴のついた羊毛の帽子をかぶせ、娘をなだめた。
「ほら。あなた達は花嫁さんをひきたてないといけないんだから、頑張って頂戴よ」
「はあい!」
子ども達は、
花嫁の腕を支えるのは、隼だ。白銀の髪を結い上げ群青の
鳩は彼女にみとれていたのだが、隼は王女を護衛する騎士のごとく微笑み、低い声で囁いた。
「綺麗だよ、鳩。胸を張って」
〈女たちの家〉の周囲に集まっていた人々から、拍手がわき起こった。鳩は耳朶を朱に染め、隼の手をかりて馬車に登った。花嫁と同じく赤い衣を着た鷹とミトラ、まるい
隼は女達が全員乗ったのを確かめると、ひらりと
子ども達はちりちり鈴を鳴らし、馬車を先導して花びらを撒き、見守る人々のなかに子どもを見つけると苺と菓子を配った。タオが軽快な曲を奏で、ミトラは香りのよいお茶を淹れた。
「街を巡るだけよ。ちゃんと息をしないと、もたないわよ」
「が、頑張る……」
鳩はぎくしゃくと頷き、お茶をひとくち飲んだ。額飾りが重くて首が折れそうなのだ。鷹がすかさず干した桃の欠片を手渡してくれる。確かに少し食べておかないと、神殿に着く前に倒れそうだった。
沿道の若い女性の群れから、「花嫁さん、可愛いーっ!」と声がかけられる。鳩は内心で悲鳴をあげつつ、笑顔で手を振った。
平和と慈悲の神・ウィシュヌを祀る神殿の前で、新郎たちは馬車の到着を待っていた。神殿といっても、日干し煉瓦造りの素朴な建物だ。トグリーニ族との和解が成立した年に、この地に戻って来たニーナイ国の人々が建てたものだった。
オダは帽子をかぶり、華麗な刺繍で飾られた丈の短い赤い上着を着て、ゆったりとした
鷲と雉をふくむ数人の男達が、さざめきながら
「落ち着けよ、オダ。こっちには、花嫁が逃げる風習はないんだろ」
緊張している青年に、鷲が笑って声をかける。オダは、ひきつった苦笑を浮かべた。
「ここまで来て、逃げられたら困ります……」
「心配するな。ちゃんと隼とタオが連れて来るから」
「はい。それはもう、信頼しています」
オダは頬をひきしめて頷き、傍らの父と目線を交わした。こんなに盛大な結婚式は、ここ数年おこなわれていない。〈女たちの家〉と自分達の資金だけでは用意できなかった。鳩の親代わりの鷲と鷹だけでなく、雉も、隼とタオも手伝ってくれた。――深く感謝する一方、青年は、このところ情緒不安定な鳩が途中で泣きだしてミトラたちを困らせてはいないかと、危惧していた。
鳩は彼に不満があるわけではなく、『これまでの自分』と別れることに感傷的になっている……と、オダは解釈していた。どうやら彼女のなかで、結婚すると何かが変わってしまうらしい。青年にはよく解らない感覚だが。
待ちくたびれた客がざわめき始めた。鷲は仲間と合図をして立ち上がり、
「来たぞ!」
誰かが叫び、人々の視線がそちらへ向いた。オダは背筋を伸ばして待ち構えた。
角を曲がって最初に姿を現したのは、
子ども達は、花嫁とともに馬車に乗っていた。タオの弾く
ラーダ(オダの父)が近づいて、花嫁を迎える。オダは立ったまま彼女が近づくのを待ち、二人並んで神殿へ入った。隼とタオと子ども達はその場へ残り、鷹とミトラが付き添う。
オダと鳩は、花と宝玉で飾られたウィシュヌ神像の前で手をつなぎ、跪いて
「ここに、婚姻の契約が成立したことをご報告します。末永く健康で、幸福であるように」
オダがちらりと窺うと、
二人が神殿の外へ出ると、子ども達が花びらを撒いてくれた。太鼓と笛の音に、手拍子が重なる。挨拶の口上を述べる父の陰で、オダは鳩を気遣った。
「大丈夫? 馬車に酔わなかった?」
「平気よ……」
鳩は小声で応えたが、まだどこか上の空な風情が、オダには気懸かりだった。
宴会が始まった。
新郎新婦は並んで席に着き、ラーダがオダの隣に、鷹が鳩の側に坐った。鷲が陽気に声をかけ、にわか楽団が演奏を始める。観客に料理と酒が運ばれ、子ども達は鷲と一緒に歌った。
当歳、二歳の仔馬たちが
とび跳ね合って、蹴り合って、
喜びと悲しみを共にして、
友よ 運命をみつけた
尽きない歌のごとき 幸せよ
たくさんの試練を超えた、その果てに
心は決して折れることはない
友よ 我が祈りは君のため
離れ離れになった熱き魂は 今どこに
草原を渡り、沙漠を越え
何処で暮らしていようとも
幸福であれかしと願う
歌よ 君に届け
鷲は歌っては口琴を鳴らし、また歌っては縦笛を吹いた。太鼓と馬頭琴とタオの月琴が曲を盛りあげる。
男たちは上機嫌で手を叩き、唱和した。子ども達が薔薇の花束を手に踊りだす。その花は差しだされた相手を踊りに誘い、次から次へと相手を替えて手渡される。子どもから大人へ、男性から女性へと。
雉は馬頭琴を弾く手をとめ、鷲とならんで澄んだ美声をはりあげた。
世界の光を あなたは与えてくれました
草原の花を あなたは集めてくれました
優しい風 豊穣の大地
春の眼差し 秋の実り
あなたがくれた翼で 空を飛びましょう
幼いころから愛した全てを 捧げます
夏の夜空にきらめく星
美しい山々は すべてあなたのもの
あなたがくれたものは 私の魂の宝
あなたに相応しい贈りものを探して 世界中を巡りましたが
どうか赦して下さい
太陽も月も 私の手には入りません……
オダは、鳩が小声で歌っていることに気づいた。彼女の気持ちが晴れたようで、ほっとした。鷲たちに頼んで良かったと思う。
青年は歌詞の意味を心のなかでなぞりながら、鷲と雉とその後ろで演奏しているタオ達を眺めた。隼はタオと並んで椅子に坐り、上機嫌で鈴を振っている。月琴を抱くタオの隣には、古琴と馬頭琴を奏でる草原の男達がいる。
雉はけっきょく応援を頼んだらしい――と考えて、オダは己の目をうたがった。裏方に徹する演奏者のなかに、見慣れた黒衣の男をみつけたのだ。一心に馬頭琴を奏でている、トグルを。
「……鳩」
オダは呆然とささやき、彼女の手に触れた。鳩は訝しみ、彼の視線の先へ目をやった。その表情が凍る。
トグルは演奏に集中していて、二人を観てはいない。しかし、精悍な横顔は見間違えようがない。
鳩の眼に、ぶわりと涙が湧いた。オダもまなうらが熱くなった。
「来てくれたんだ、ね」
「うん」
かつての敵地に盟主が来るのは難しかろうと、オダは諦めていた。父と街の世話役たちには報せず、そのまま帰るつもりなのだろう。
鳩は、オダの手に自分の手を重ねた。指をからめ、握り合う。――会えなくても、言葉を交わさなくても、トグルはちゃんと理解してくれていた。
『ありがとう。トグル、お兄ちゃん達……』
これで、歩き出せる。
鳩は、涙のつたう頬をそのままに、面をあげて微笑んだ。
『飛鳥』番外編:歌う鳥
完
歌う鳥 ―『飛鳥』番外編 石燈 梓 @Azurite-mysticvalley
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