歌う鳥(4)


          4


 本営の草原は好天がつづき、ミトラたちの商売は順調だった。或る日など、オルクト氏族長が四人の妻を連れて訪れ、高価な絨毯を何枚も購入していった。鳩が絵付けした食器は可愛いと好評で、全て売れたので、鳩は心から安堵した。

 夏祭りナーダム開催初日、鳩はオダと祭りを観に行った。競馬や弓の競技が行われるまえに、二人は手を繋いで会場全体をみわたせる丘に登った。


「あそこだね、鳩」


 オダは目陰まかげをさして草原を眺め、氏族長たちの旗が並んで立つ一角を指さした。鳩は呼吸をととのえながら頷き、目を凝らした。

 〈草原の民〉はみな黒髪だが、民族衣装の長衣デールには赤や青といった鮮やかな色が多い。濃い緑の草原に集まると、色とりどりの花が咲いているようだった。競馬に出場する馬と子ども達が集まり、準備をしている。大人達が見守る向こうに、氏族長と長老たちの天幕があるはずだった。

 盟主のトグルは同盟氏族長たちの相手をしている。今年はタオが付き添い、隼とラディースレンもそこにいる。鷲と雉は楽器の練習をしていて、鷹と鳶は店番を手伝ってくれていた。


「会いに行く?」


 オダに訊かれ、鳩は首を横に振った。胸に手をあて、声に出して言う。


「ううん。忙しいのは判っているから……」


 あれから隼とタオには何度か会ったが、トグルには会えずにいた。鳩の方が遠慮しているのだ。恥ずかしいような切ないような気持ちが胸のなかで渦巻いて、顔を見れば泣きだしてしまいそうだった。そんなことになれば、トグル本人は勿論、隼とオダを困らせる。


「……ごめんね。気を遣わせちゃって」


 小声であやまると、オダは真顔でかぶりを振った。鳩自身にも説明できない混乱した感情を理解して、受け容れようとしてくれている、その心根が嬉しかった。



『今も怖いか?』

『ううん。今は、怖くない。いい人に見える』

『そいつは、どうも……』


 ――鳩がトグルと話をするのは、いつも、彼が自分の民から離れているときだった。〈黒の山〉で、朝の井戸端で、ミナスティア国で。個でいるトグルは全く慄ろしい人物ではなかった。自分には本音を語ってくれていたのだろうと、鳩は思っている。


『俺は、あいつを、泣かせたくないんだ……』


『ハトも見違えた。ムスメになったな』


 ……解っている。トグルが気をゆるしてくれていたのは、自分が《妹》だったからだ。頑是がんぜなく、丁寧に言い聞かせなければ分からない子どもだったから。

 あの頃には戻れない。でも。何故だろう――

 目頭が熱くなり、鳩ははなをすすった。――どうして、こんな気持ちになるのだろう?

 結婚したところで、鷲や雉、鷹との関係は変わらない。むしろ、会う機会は増えるかもしれない。タオとも、隼とも……。なのに何故、かれを想うと心の一部を切り取られるような心地になるのだろう。

 オダの憧れ同様、最初から叶うはずのない恋だと、鳩は解っていた(叶えるなんて、とんでもない……)。それでも苦しいのは、どこかに割り切れない想いが残っていて、最後の絃が断たれることを嘆いているのに相違なかった。


「始まったよ」


 オダが声をかけ、鳩は面を上げた。折しも族長旗周囲の群衆が動いて、盟主を迎えているところだった。群青の衣を着た人物が、片手を挙げて話している。歓声があがり、人馬が波のように動き始めた。

 祭りナーダムが始まったのだ。

 オダはそちらを向いたまま、ほっと息を吐いて続けた。


「凄い人だね、鳩。族長トグルは、方法を間違えた――戦争を起こしたのは間違いだった、って言うけれど。草原を平和にして、ニーナイ国とキイ帝国と和解して……ここにいる皆を、幸せにしてくれたんだ。俺も、隼さんも、ミトラさんも」


 鳩はオダの横顔から草原へ視線を戻した。子ども達の競馬が始まる。トグルの姿は観えない。

 鳩は小声で言った。


「オダも凄いわよ……」


 オダは彼女を振り返り、にっこりと微笑んだ。繋いだ手に力をこめ、


「一緒に幸せになろう、鳩。今度は俺達が、平和をつくっていくんだ」


 鳩は小さくうなずいた。オダの手は、温かかった。



           *



     黒スグリの実のような瞳の君よ

     夏の風のごとく穏やかに私を抱き

     喜びの原でともにたわむれた

     美しき私の牝鹿よ


     思うまま草原を駆ける君よ

     私の瞳は君から離れられない

     心の壁はすべて突き崩されてしまった

     我が愛しのジャマル


        私を生きる悩みから解き放った

        明けの明星のような君に

        心は捕らわれつづけている


        黄金の首飾りのように

        日差しに煌めきながら

        私の傍にいておくれ

     

     あたたかな春の夜のような髪の君よ

     君のいない朝は考えられない

     夢幻のなかに凛とたたずむ

     美しき私の女神よ


     思うまま君は私を振り回す

     君をいつまでも見詰めていたい

     想いをこめて歌おう

     我が愛しのジャマル



 鷲が甘くひびく低音で歌いあげると、聴いていたオルクト氏族長の口から、ほうと感嘆の声があがった。シルカス・アラル氏族長も、感心した様子で頷いている。

 しかし、雉が奏でる馬頭琴モリン・フールの音がかすれ、曲が止まった。鷲が苦虫をかみつぶす。

 トグルは胸の前で腕を組み、眉間に皺を刻んでいた。


 雉は諦めたように肩をすくめた。


「ごめん」


 夏祭りの競技が行われている間も、彼らは天幕の陰で練習を続けていた。暇な氏族長や長老たち、音楽好きな草原の男達が集まり、人垣ができている。


「馬頭琴を強姦するな。キジ」


 業を煮やしたトグルが慍然うんぜんと言った。雉の眼がまるくなる。


「ごーかん?」

「お前のは、そうとしか聞こえない。無理やり啼かせるな。こういうものは、女と同じだ。優しく扱え」

「悪かったな、ヘタクソで」


 鷲がくつくつ笑い出した。


「怒るなよ、雉。そういう意味じゃない……いや、意味なのか?」

「鷲。お前はおれを庇っているのか突き落としているのか、どっちだ?」

「そんなもん、突き落としているに決まっているだろう」


 雉はがっくり肩を落とした。トグルは彼の手から馬頭琴を取り戻し、調弦を始める。


「十回に七回くらいは、上手く弾けるようになったんだがなあ……」

「細かいことを気にするのはやめようぜ。やることに意義があるんだから」


 鷲はのほほんと言い、口琴コムズを咥えて鳴らしはじめた。うぃん、うぃん、ヴぃい~ん、と拍子をとる。長い手足と豊かな髪を揺らして彼が踊ると、たちまち見物人の間から拍手が起きた。

 雉は上目遣いにトグルを見たが、草原の男の厳格な表情は、ほどけそうにない。

 オルクト氏族長が、ふさふさの口髭を動かして哂った。


「儂も行ければよいのだがのぅ。ドゥタールなら弾けるぞ」

「キジ殿は声がキレイ、ですカラ、ワシ殿と一緒に歌う方がヨロシイのでは?」


 シルカス・アラル氏族長の提案に、雉は恐縮しつつ頭を振った。鷲の低音と雉の高音を合わせれば綺麗な合唱になるという案は、何度か出されている。だが、


「それをすると、もう一人、馬頭琴を弾く奴が要るからなあ……」


 雉には、歌いながら演奏するという器用な真似ができない。といって楽団を雇えば、自分達が祝う意味が半減する。どうにも手詰まりだった。

 鷲が即興で歌い出し、辺りが賑やかになってきた。トグルは馬頭琴を手にその様子を眺めたのち、親友ともに合わせて弾き始めた。さすが、音がのびやかだ。鷲の方も彼に合わせ、場は宴会のようになってきた。

 雉は苦笑しつつ手を叩いた。





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