歌う鳥(4)
4
本営の草原は好天がつづき、ミトラたちの商売は順調だった。或る日など、オルクト氏族長が四人の妻を連れて訪れ、高価な絨毯を何枚も購入していった。鳩が絵付けした食器は可愛いと好評で、全て売れたので、鳩は心から安堵した。
「あそこだね、鳩」
オダは
〈草原の民〉はみな黒髪だが、民族衣装の
盟主のトグルは同盟氏族長たちの相手をしている。今年はタオが付き添い、隼とラディースレンもそこにいる。鷲と雉は楽器の練習をしていて、鷹と鳶は店番を手伝ってくれていた。
「会いに行く?」
オダに訊かれ、鳩は首を横に振った。胸に手をあて、声に出して言う。
「ううん。忙しいのは判っているから……」
あれから隼とタオには何度か会ったが、トグルには会えずにいた。鳩の方が遠慮しているのだ。恥ずかしいような切ないような気持ちが胸のなかで渦巻いて、顔を見れば泣きだしてしまいそうだった。そんなことになれば、トグル本人は勿論、隼とオダを困らせる。
「……ごめんね。気を遣わせちゃって」
小声であやまると、オダは真顔で
『今も怖いか?』
『ううん。今は、怖くない。いい人に見える』
『そいつは、どうも……』
――鳩がトグルと話をするのは、いつも、彼が自分の民から離れているときだった。〈黒の山〉で、朝の井戸端で、ミナスティア国で。個でいるトグルは全く慄ろしい人物ではなかった。自分には本音を語ってくれていたのだろうと、鳩は思っている。
『俺は、
『ハトも見違えた。
……解っている。トグルが気をゆるしてくれていたのは、自分が《妹》だったからだ。
あの頃には戻れない。でも。何故だろう――
目頭が熱くなり、鳩は
結婚したところで、鷲や雉、鷹との関係は変わらない。むしろ、会う機会は増えるかもしれない。タオとも、隼とも……。なのに何故、かれを想うと心の一部を切り取られるような心地になるのだろう。
オダの憧れ同様、最初から叶うはずのない恋だと、鳩は解っていた(叶えるなんて、とんでもない……)。それでも苦しいのは、どこかに割り切れない想いが残っていて、最後の絃が断たれることを嘆いているのに相違なかった。
「始まったよ」
オダが声をかけ、鳩は面を上げた。折しも族長旗周囲の群衆が動いて、盟主を迎えているところだった。群青の衣を着た人物が、片手を挙げて話している。歓声があがり、人馬が波のように動き始めた。
オダはそちらを向いたまま、ほっと息を吐いて続けた。
「凄い人だね、鳩。
鳩はオダの横顔から草原へ視線を戻した。子ども達の競馬が始まる。トグルの姿は観えない。
鳩は小声で言った。
「オダも凄いわよ……」
オダは彼女を振り返り、にっこりと微笑んだ。繋いだ手に力をこめ、
「一緒に幸せになろう、鳩。今度は俺達が、平和をつくっていくんだ」
鳩は小さくうなずいた。オダの手は、温かかった。
*
黒スグリの実のような瞳の君よ
夏の風のごとく穏やかに私を抱き
喜びの原でともにたわむれた
美しき私の牝鹿よ
思うまま草原を駆ける君よ
私の瞳は君から離れられない
心の壁はすべて突き崩されてしまった
我が愛しのジャマル
私を生きる悩みから解き放った
明けの明星のような君に
心は捕らわれつづけている
黄金の首飾りのように
日差しに煌めきながら
私の傍にいておくれ
あたたかな春の夜のような髪の君よ
君のいない朝は考えられない
夢幻のなかに凛とたたずむ
美しき私の女神よ
思うまま君は私を振り回す
君をいつまでも見詰めていたい
想いをこめて歌おう
我が愛しのジャマル
鷲が甘くひびく低音で歌いあげると、聴いていたオルクト氏族長の口から、ほうと感嘆の声があがった。シルカス・アラル氏族長も、感心した様子で頷いている。
しかし、雉が奏でる
トグルは胸の前で腕を組み、眉間に皺を刻んでいた。
雉は諦めたように肩をすくめた。
「ごめん」
夏祭りの競技が行われている間も、彼らは天幕の陰で練習を続けていた。暇な氏族長や長老たち、音楽好きな草原の男達が集まり、人垣ができている。
「馬頭琴を強姦するな。キジ」
業を煮やしたトグルが
「ごーかん?」
「お前のは、そうとしか聞こえない。無理やり啼かせるな。こういうものは、女と同じだ。優しく扱え」
「悪かったな、ヘタクソで」
鷲がくつくつ笑い出した。
「怒るなよ、雉。そういう意味じゃない……いや、意味なのか?」
「鷲。お前はおれを庇っているのか突き落としているのか、どっちだ?」
「そんなもん、突き落としているに決まっているだろう」
雉はがっくり肩を落とした。トグルは彼の手から馬頭琴を取り戻し、調弦を始める。
「十回に七回くらいは、上手く弾けるようになったんだがなあ……」
「細かいことを気にするのはやめようぜ。やることに意義があるんだから」
鷲はのほほんと言い、
雉は上目遣いにトグルを見たが、草原の男の厳格な表情は、ほどけそうにない。
オルクト氏族長が、ふさふさの口髭を動かして哂った。
「儂も行ければよいのだがのぅ。ドゥタールなら弾けるぞ」
「キジ殿は声がキレイ、ですカラ、ワシ殿と一緒に歌う方がヨロシイのでは?」
シルカス・アラル氏族長の提案に、雉は恐縮しつつ頭を振った。鷲の低音と雉の高音を合わせれば綺麗な合唱になるという案は、何度か出されている。だが、
「それをすると、もう一人、馬頭琴を弾く奴が要るからなあ……」
雉には、歌いながら演奏するという器用な真似ができない。といって楽団を雇えば、自分達が祝う意味が半減する。どうにも手詰まりだった。
鷲が即興で歌い出し、辺りが賑やかになってきた。トグルは馬頭琴を手にその様子を眺めたのち、
雉は苦笑しつつ手を叩いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます