お兄ちゃんには私だけがいればいいの



「お兄ちゃんには私だけがいればいいの。他の人なんていらない」


 なずなは悲痛な声でそう告げ、思い詰めた面持ちで目を伏せた。

 白銀の髪が風に煽られて靡く。

 髪の隙間から覗く紅い瞳には、わずかに涙が浮かんでいた。


「他の人なんていらない――か」


 心配しなくとも、現在この街の近辺に、俺たち兄妹以外、生きた人間はほぼ残ってはいない。

 互いの両親はどちらも憑蟲ひょうちゅうに喰い殺され、頼るべき家ごと焼失した。

 再会した幼馴染も。

 新しく出来た後輩も。

 すでにこの世にいない。

 生き残っていたかもしれない親戚や友人たちだって、いまや散り散りとなってしまった。皆、生きているのか、死んでいるのかも分からなかったが、生存している可能性は絶望的と言ってよかった。

 そして。

 最後の砦と思われた学園までもが、今まさに崩れ去ろうとしていた。


 寒い。

 冬空からは、ぽつぽつと粉雪が降り始めていた。

 俺は少しでも暖を取ろうと、なずなとともに瓦解した教室の隅に身を寄せた。



 今日、なずなは久しぶりに俺と一緒に学校に出てきていた。

 この頃は以前からの不登校に拍車がかかり、すっかり引きこもりが常態となっていたなずなだったが、どういう心境の変化か、今朝は自分から学校に行きたいと宣言したのだった。

 俺はなずなのその行動を心底喜ばしく思った。

 俺の体の《神虫しんちゅう》化はいっそう進行していた。はたして、いつまで今のままなずなのそばにいられるかも分からなかった。

 なずなが俺以外の人ともかかわりを持ってくれるのであれば、いつ俺がいなくなっても安心だと思った。



 ――――が。



 学園がかつてない規模の憑蟲の襲来に見舞われたのは、俺となずなが校門をくぐり登校したその矢先だった。

 戦場と化した学園で、俺となずなは憑蟲の攻撃を逃れつつ、反攻の機を窺っていた。


「お兄ちゃん……」


 俺の腕の中で、なずなが虚ろなまなざしで俺を見上げた。


「なんだい、なずな」

「私、お兄ちゃんがいないとダメなの……」

「そう、だな……」


 俺はなずなを強く抱きしめた。

 なずなは花降はなおり家の生き残りとして憑蟲と戦う使命を背負っている。

 しかし、実は花降本家が壊滅して以降、なずなの《天道花てんとうか》の力は衰える一方だった。

 当初はこのまま弱体化していくかに思えたなずなの力だったが、いくつかの実験の結果、俺の《神虫》の力をなずなを経由して補うことで、《天道花》に活性化の兆候が見られることが判明した。


 俺の体内で精製される《神虫》のエネルギーが、なずなの戦う力となる。


 逆に言えば、今のなずなは、俺がいなければ十全に憑蟲と戦うことができないのだった。

 俺はなずなの首筋に触れた。

 大部分が《神虫》と同質化していた俺の皮膚は、今では専用の機材を用いずとも、触れただけでそのエネルギーをなずなへ行き渡らせることができるようになっていた。


「――さて、と。このままここにいるのも危ないな。寒いし。ほらなずな、行こう」

「う、うん。お兄ちゃん」


 俺はなずなへ手を差し伸べた。

 その時。


「ぐわぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぁぁぁ――――ッッ!!」


 鈍重な咆哮が衝撃波となって辺りを駆け抜けた。

 ふっと、濃い影が落ちる。


 見上げた先の光景に、俺は愕然とした。


 学園の上空に複数体の巨大な憑蟲が飛来していたのだった。


「なんだ、こいつら……!」


 それは、俺が今までに見たことのないタイプの憑蟲だった。

 昆虫に似たフォルムは変わらなかった。

 しかし新しく現れたそれらは、先行するいなごの形を基調としながらも、それまでの憑蟲にはない目新しい要素を備えていた。

 それは例えるなら、中世の騎馬武者が纏った大鎧を昆虫型の装甲に仕立て直したような特異な外見であった。胴体は朱色の栴檀板せんだんいたを重ね合わせたようであり、触角部分はあたかも戦国武将が被るかぶとの前立てのようだった。

 突如現れたそれらの憑蟲は、まったくの新型というよりは、旧来の憑蟲が進化したもののように俺には思えた。


「こんだけ大きくなるのに、いったいどれだけの人間が犠牲になったんだよ……」


 新型の憑蟲は、どれもが旧型より一回りも二回りも肥大化していた。

 憑蟲は人間の魂魄を吸収して成長する。

 今ここに集まっている憑蟲の中にも、俺が知っている人たちの魂が含まれているかもしれない。

 あるいはもっと直接的に憑蟲化した知り合いがその列に加わっているかもしれない。親しかった人たちの顔がいくつも脳裡に浮かび、俺はそれを打ち消そうと頭を振った。


「お兄ちゃんは下がってて! ……花降はなおり除蟲じょちゅう術――第壱番、夏花ゲバナ!」


 なずなが《天道花》を振るい、空一面に焔の花吹雪を展開させた。無数の聖なる輝きが、憑蟲一体一体を焼き焦がさんと舞い踊った。

 対する新型の憑蟲たちは乱れのない動きでなずなを翻弄していた。

 宙を飛翔する新型たちは、その十数体のうちいくつかがリーダー格となって他の個体を先導し、それに従ってなずなの炎撃を回避しているようだった。

 統率の取れた憑蟲の挙動には、これまでの憑蟲のそれとは一線を画す不気味さを感じさせた。


 ――明らかに、憑蟲を外部から指揮している何者かがいる。


 その事実に気づいた時、俺の頭にはある仮説が思い浮かんでいた。

 もし仮に……、

 もし仮に、裏で憑蟲を操っている者がいるとしたら? 

 もし仮に、その何者かがひそかに憑蟲を強化しているとしたら? 

 もし俺たちが対憑蟲の迎撃訓練をしているように、憑蟲も効率的に人類を蹂躙する訓練を施されているとしたら? 

 もし憑蟲を計画的に生み出し編成する黒幕が存在しているとしたら?


 突拍子もない考えではあった。

 しかし、花降家は、現在のように憑蟲が全世界を席捲するより遥かに古い時代から、代々憑蟲と戦う役目を担ってきたと聞く。

 その背後には、人類と敵対する別の組織があったと考えるのは不自然だろうか。

 近年の憑蟲の大量発生にしても、その組織がそれまでとは異なる新たな計画を始動させことがすべての発端と考えるのはおかしいだろうか。


 もしそうならば、従来的な手法で対抗しようとした花降家が、たった一回の襲撃で全滅したことにも一応の説明がつく。花降本家が屋敷ごと失われてしまった今となっては、詳細は確かめようがないが――いや、余計なことを考えるのはよそう。

 それに俺が今更思い当たるようなことに、花降家や政府が気づいていないわけがない。

 とにかく、今は目の前の憑蟲を何とかしなければならない。



「――千早ちはやる。卯月八日うづきようか吉日きちじつよ。神下かみさむし成敗せいばいぞする……!」


 なずながあらためてまじないの文言を唱えた。《天道花》が大きく発光する。火焔の花束がうねりとなって、憑蟲の群れを薙いだ。

 しかし、編隊を組んだ新型には、なずなの攻撃もあまり有効には働いていなかった。速度も火力も不足していた。なずなは防衛に徹するしかないようだった。進化した鎧の蟲の前では、弱体化したなずなの《天道花》の力は勝機に及ばなかった。

 戦況は、なずなの劣勢だった。

 このままでは、いずれ負けてしまうだろう。

 俺はその場を動くことができなかった。

 焦燥ばかりがつのった。

 どうすればいい。

 いったい、どうすれば……。

 焦りと苛立ちが限界に達したその時、俺は一個の希望に思い当たった。


「――――そうだ」


 俺はなずなの義兄だった。

 では何故、俺はなずなの兄となったのだったか。

 それは、俺の中に《神虫》の力があったからだ。

 曰く、俺の中には憑蟲に対抗するための秘められた力、《神虫》の力が内在しているのだという。

 秘められた力だって?

 笑わせてくれる。

 大切に秘めて隠していて、それが何の役に立つというんだ?

 本当に強大な力なら、出し惜しみせずに使ってこそじゃないのか。

 そもそもこの力がどれくらい強大なのか俺は知らない。

 それはそうだ。

 まだ俺の力はろくに発揮されてもいないのだから。

 それじゃあいっそ盛大に発揮してみればいい。

 それで俺の体が壊れてしまったってかまわない。

 どうせ人間としての俺など、とうにぶっ壊れてしまっている。

 壊すなら壊せ。

 取り繕った外向けの俺も。

 中途半端に変質した蟲としての俺も。

 全部壊して俺を変えてしまってくれ。

 そして元の俺の部分が一切なくなってしまっても、俺を元にして現れた《神虫》の力が、なずなを守る力となってくれるのならば、俺はそれを受け容れようと思う。



 俺の視界の先では、ぼろぼろになったなずなが憑蟲の猛攻に耐えているところだった。

 そうだ。俺にだってまだやれることはあるさ。

 俺はなずなのいるほうへと駆け出していた。


「なずな……っ!!」

「ダ、ダメ! お兄ちゃん――っっ!」


 俺はなずなへと手を伸ばした。

 その手が震えていたのは、寒さだけが原因ではなかっただろう。

 怖かった。俺はずっと怖かったんだ。

 今まであったものがなくなってしまうのが。

 今まであったものが変わっていってしまうのが。

 俺が俺でなくなっていってしまうのが。

 でも、今は違う。

 たとえ俺がまったく俺でなくなってしまったとしても、なずなを守れるなら、それでいい。


「ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ―――――ッッッッ!」


 憑蟲の群れが攻撃の矛先を俺へと向けた。

 毒液の弾丸が降り注ぐ。

 なずなが咄嗟に《天道花》を振るうが、それだけではとても防ぎきれる数ではなかった。

 大量の呪われた溶解液が俺を直撃した。


「ぐぁ……っ!」

「お兄ちゃん……!」


 皮膚が痛い。いや、全身が痛い。

 憑蟲の侵蝕に抗するには、人間の俺の体はすでに限界を迎えていた。

 このままではいけない。

 どうか。

 どうか、俺に力を。

 俺は一心に念じた。

 すると、俺の中の奥底で何かがこじ開けられる予感があった。

 骨が軋む。

 血液が逆流する。

 めきめきと自分を構成するすべてが別の何かに置き換わってくのを感じる。

 俺が俺でない何かに変化していくのを感じる。

 そのあいだにも、憑蟲の軍勢が俺の変化を察知し、一斉にこちらに急降下してくるのが見えた。あの数に来られては、今の俺となずなではひとたまりもないだろう。

 しかし、


「う、うあああああああああああぁぁぁぁぁぁァァァァ――――――――ッッ!!」


 次の瞬間。

 俺の背中から四つの翅が伸び広がり、俺となずなを覆い隠していた。


「おにい、ちゃん……?」

「はあ……はあ……。な、なずな……」


 どくっ。どくっ。どくっ。どくっ……。


 鼓動の速度が上がり、呼吸が乱れる。


 どくっ。どくっ。どくっ。どくっ……。


 手足が硬直し、汗が噴き出る。


「うぅっ、ぐ。がはっ!」


 咳き込むと、俺の喉からはどす黒い粘液が排出された。

 体が熱かった。

 べきべきべきっ……と、鈍い音を立て、俺の外貌が決定的に変わっていくのが分かった。

 やがて、俺の手足は八本の屈強な蟲の肢脚に生え変わっていた。


「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」

「はは……。そんなに心配しなくても、俺は平気だよ、なずな」

「でも……!」

「平気さ。だからさ、なずな。なずなはなずなの力で、俺を守ってくれ。俺は俺の力でなずなを守ってみせるから」


 学園の上空では、膨大な数の羽音が共鳴し合っていた。

 一望、おびただしい数の憑蟲が漆黒の障壁を築いていた。

 いつの間にか、周辺の憑蟲がすべて、ある一点へ集結しつつあるようだった。


 標的はもちろん、俺となずなだった。


「させるかよォ――!」


 俺となずなの邪魔をする奴は、誰であっても容赦はしない。

 生えたばかりの四翅を羽ばたかせ、俺は飛び立った。

 力が漲る。俺は無我夢中だった。俺の体がどうなっているのか、自分ではよく分からなかった。

 俺は憑蟲をなずなに近づけさせまいとただただ必死だった。

 なずなを守りたいという意志だけが、俺の行動を導いていた。


 俺は襲い来る憑蟲を八つの脚で踏みつけ、引きちぎり、喰らった。曇天に響く叫喚が、憑蟲が発したものなのか、それとも俺の雄叫びだったのかも判断がつかなくなっていた。

 砕け舞う甲殻。

 飛び散る肉塊。

 焼け切れる臓腑。

 流れ落ちる髄液。

 破壊された歩脚や翅や触角が――分かれ分かれに細かくなった憑蟲の屍骸が、無惨に地上に散乱した。

 そして戦闘を通じて、俺の蟲の体は凄まじい勢いで成長していた。

 俺の脚爪あしづめは大型の憑蟲を貫き、俺の大顎おおあごは小型の憑蟲をことごとく噛み砕いた。

 むろん俺自身もまったくの無傷とはいかず、外殻の幾枚かは剥がれ、それ以上に体表に数えきれない裂傷を負っていた。

 激戦の末、依然上空を飛び交う新型を残し、比較的小さい旧型の憑蟲をあらかた討ち終えた俺は、なずなの近くへと舞い下りた。

 すぐになずなが走り寄ってきて、何倍にも巨大になった俺の体に抱きついてきた。


「お兄ちゃん……私のために、こんな……」


 なずなはざらざらに硬化した外皮を撫でて俺を哀れんだが、憑蟲の脅威はまだ去ってはいなかった。

 俺は肌の触れ合っていた部分を介して、体内に残存していた《神虫》のエネルギーをありったけなずなへ注ぎ込んだ。


「――――っ! これが、《神虫》の……お兄ちゃんの力? 今までと全然違う……とってもあったかい……心が内側から癒されていくみたい……」


 なずなは始め、信じられないといったふうに戸惑っていたが、充分にエネルギーが補填されると、自分がなすべきことを実感したようだった。

 なずなが祈るようにまぶたを閉じる。

 《天道花》に煌々と灯りがともる。

 辺りに花びらが舞った。


「行っけぇ、なずなぁ……っ!」


 なずながうなずき、《天道花》を高く掲げた。


花降はなおり除蟲じょちゅう術――最終番、天御柱あまのみはしら!」



 そして、純白の光の柱が、すべてを清らかに満たした――――――。





      ◆





「あのね、お兄ちゃん」


 なずなが俺に語りかける。

 耳が痛くなるほどの静寂だった。

 襲来したすべての憑蟲を殲滅した俺たちは、広大な焦土となった学園の跡地で、たった二人でうずくまっていた。


 辺り一面、地獄の底のような情景だった。


 なお降り続ける雪が、赤黒く染まった大地に白いベールを重ねていた。

 俺となずなは、積もる雪を拭うこともせず、降雪に互いの身をまかせていた。ただでさえ髪も肌も白いなずなは、雪の中ではまったく保護色で、風景と見分けがつきにくくなっていた。

 しかしその何もかもが白く覆われていく世界で、俺だけがインクの染みのように、黒斑の巨躯を晒していた。


「あの……あのね。お兄ちゃんは、憶えていないかもしれないけど……私は最初からお兄ちゃんに救われていたんだよ」


 最初から……?

 なずなが言っていることの意味が、俺には理解できなかった。

 疑問符を浮かべる俺に対し、なずなは穏やかに微笑んで言った。


「ねえお兄ちゃん、ホントに忘れちゃったの?」


 そして、蟲化した俺の頭部に、なずながやさしく手を添えた。

 と同時に、つぼみが綻ぶように、鮮やかに甦る過去の記憶があった。




 ――――それは、憑蟲が花降家を襲った日の出来事だ。



 多数の憑蟲に追われ、俺はなずなともに屋敷の中を逃げ惑っていた。

 正直、どうすればいいのかは分からなかった。

 ただ出会って間もない少女を守らなければという想いばかりが先走り、そのために自分に何ができるかということを必死に考えていた。

 奥の座敷まで追い詰められ、絶体絶命だと思ったその時だった。

 俺の中にある《神虫》の力が、俺の呼びかけに応えた。

 あの瞬間。

 俺は必ずなずなを守り抜くという決心と引き換えに、憑蟲と戦う力を手に入れた。俺はなずなを守るために、俺のすべてを《神虫》にささげたのだった。

 《神虫》の力を解放させた俺は、群がる憑蟲を一挙に追い払った。

 なずなの無事を確かめた俺は、その直後、意識を手放したのだった――――……。



「あの時、命がけで私を助けてくれたお兄ちゃんと、私は家族になりたいと思ったの」


 ……そうだった。

 俺が花降家の養子となったのは――なずなが俺の義妹となったのは――、何も花降本家にそうしろと指図されたからではなかった。

 それは他の誰でもない、なずな自身が、俺を家族にするのだと願い出たからだった。

 なずなは花降一族の中で《天道花》の巫女として神聖視されていたが、その一方で幼少より閉塞的な屋敷の中で過ごすことを強いられており、それにずっと孤独を感じていた。

 また、なずなが大切に扱われているのは《天道花》の力があるからで、ひとたびその力を失ってしまえば、花降家からはお払い箱になるであろうことも、なずなは薄々察していた。

 俺がなずなと出逢ったのは、なずなが自身の在り方に行き詰まりを感じていた、まさにその時のことだったのだ。


 こんなに大事なことを、どうして今まで忘れていたのだろうか。

 あるいは、これ以上大切なものを失いたくないという俺の想念が、《神虫》の力に作用して、その記憶ごと俺の中に封をしていたのかもしれない。

 もう何物もこの手からこぼれ落ちることがないようにと……。


「それに、あの時だけじゃない。お兄ちゃんがずっと私のそばにいてくれたから、私はこれまで生きてこられたの。私が今ここに生きていられるのは、お兄ちゃんがいたからなんだよ」


 なずなのつぶやきが、何故かひどく遠くに聞こえた。

 体が重かった。

 全身の感覚が喪失していくようで、腕を少し動かすのも億劫だった。


「だから、大丈夫だよ」


 なずなが静かな声でささやく。


「お兄ちゃんに憑く悪い蟲は……ぜんぶぜんぶぜんぶ、私が始末してあげるからね」


 なずなの一言一言が、冷え渡る俺の心身に柔らかく響いた。

 その響きは、まるで暗闇の中に咲く一輪の白い花のようだった。

 なずな、と俺はなずなの名を呼んだつもりだったが、俺の口から出たのは、こひゅう、というつぶやきともつかない吐息でしかなかった。蟲となった俺は、もはやまともに言葉を紡ぐこともできなくなっていた。


「だからもう大丈夫だよ、お兄ちゃん」


 なずなは念を押すように繰り返した。慈しむような、しかし今にも泣き出しそうな、なずなの顔を見上げて、俺はかすれた呼気をこぼした。






                               〈了〉    














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ヨケノウタ ~お兄ちゃんにまとわりつく悪い虫は私がぜんぶ始末してあげるね!~ カクレナ @kakurena

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