第32話 廃王国の六使徒

「ハナ……! 無事だったのか、ハナ! カルラ、君が助けてくれたんだね? ありがとう!」


「おいこら、俺を押しのけてそっちか!? 真っ先に貴様の心配をしてやった俺はどうなるんだ、一体! いいか、アレシュ。貴様はいいかげん自分が喧嘩のできない男だと自覚しろ‼ 館に帰って『さらわれたハナを助けに行きます』とかいう置き手紙を見たときには、まさに体が凍るかと思ったぞ!」


 ここぞとばかりにぎゃんぎゃんわめくミランを両手で横に押しやりながら、アレシュはじっとカルラの腕の中のハナを見下ろす。

 ハナはいつもより青ざめた顔色で、薄いまぶたを閉じていた。

 別段外傷はないようだが、こんこんと眠りこんだまま起きる気配はない。

 肌に触れたいな、と思ったけれど、それすら躊躇われてしまって、アレシュは彼女の髪に指先を触れさせた。その感触はなめらかで、でもちょっと荒れていて、しごく普通の女の子だ。

 そんなアレシュを眺め、カルラが静かに告げる。


「あなた、今回は一応ミランを褒めてあげたらいいと思う。ミランはね、あなたが目覚めた、って私のところにわざわざ知らせに来てくれたの。それだけじゃなく、使徒全員でまたアレシュの館に集まろう、ってすごく熱心で。私も祭壇の封印が終わったところだったから、そんなに熱心に言うんならそうしましょうか、ってミランと一緒にルドヴィークのところへ行って――そうしたら、彼が葬儀屋に幽閉されてるじゃない? これはおかしいわ、っていって、ことの次第がわかったってわけ」


「……なるほど。何もかもミランのおせっかいのおかげ、っていうわけか」


「誰がおせっかいだ、誰の何が」


 むすっとして言うミランを横目に、アレシュは乱れたハナの髪を整えながらカルラに提案した。


「ハナは、僕が抱いていってもいいかな」


「まあ、そうなさいな。この子は葬儀屋配下の呪術師たちが捕まえてた。すっかりクロイツベルグ派だったのね、彼ら。それにしたって『扉を開けられる』この子が人間に捕まるなんてびっくりよ。よっぽどに集中してたところを襲われたのかしらね?」


 カルラの声からにじむトゲに我が身をさらしつつ、アレシュは両手を伸べてハナの体を受け取った。腕に抱いてみると、彼女の体は拍子抜けするほどに軽い。

 こんな体で、と思うと急にひどく悲しくなってしまって、アレシュは壊れ物を扱うようにして彼女の頭を自分の肩に添わせた。


「僕の食事なんか、ビスケットでも放り出していけばいいのに。……困った子だ」


「あなたは相変わらずですな。やけに自分を無力なものと思いたがる。記憶が戻れば治るかと思えば、そういうわけでもなさそうだ」


 喉の奥で笑って言ったルドヴィークに、アレシュは苦みを混ぜた笑みを向けた。


「僕は無力だよ。こうして彼女を助けてくれたのも、クロイツベルグを殺したのも、君たちだ」


「ほう。では、アマリエを亡くしてふぬけ状態で捕まっていたわたしがなぜ、ここへ来たと?」


 ルドヴィークの声に苛立ちに似た響きを聞き取り、アレシュは瞬く。

 そういえば、どうしてだろう?


「……ミランの阿呆さにほだされたとか、カルラが説得したとか?」


 おそるおそる聞いてみると、ルドヴィークは容赦のない哄笑を放った。


「ははははは! まあ、両方といえば両方ですが。ミランとカルラはこう言いました。『アレシュはあなたの友だちだろう』『あなたが深淵の使徒から抜けたら、少なくともアレシュはこの街で生き延びられない』と。そう聞いて、はっとしたのです。アマリエを葬ったのはあなたですが、わたしのアマリエへの愛を理解する人間もこの世にあなたしかいない。あなたを亡くしたら、わたしはあなたの中のアマリエの思い出すら葬ってしまうことになる。

 ……もう二度となくしたくない。そう、思いましてな」


 ルドヴィークの声がかつてなく人間的なかすれを帯びたので、アレシュはあっけにとられて彼の顔を見上げる。

 ルドヴィークは意味もなく黒眼鏡を直し、にやりと笑った。

 お世辞にも気持ちのいい笑いとは言えなかったが、照れ隠しであることはよくわかる。驚きがふわりと穏やかな気持ちになるのを感じ、アレシュは思わず小さく声を立てて笑った。


「ありがとう、ルドヴィーク。そうだね……。女性においていかれたときにどうしたらいいかの助言なら、僕にもできる。ふられることに関しては、僕は相当な玄人だから」


「あなたのような美しい方でそうならば、わたしなどこれから一体どれだけふられなければならないのか。気が遠くなりますな。実に恐ろしくも楽しみだ」


 いつものなめらかな物言いに戻ったルドヴィークにうなずき、アレシュは皆を振り返る。

 血の香る部屋にたたずむ、善人とは言い難い三人と、腕の中のひとり。

 アレシュの恐ろしさを知っても、変わらずそばに居ると選んだひとたち。

 彼らにどんな言葉を投げていいのか悩んだ後に、アレシュは言う。


「……じゃあ、そろそろ帰ろうか。僕の家へ」


 ミランが、ルドヴィークが、カルラが、互いに顔を見合わせ、小さく笑う。

 他に特に言葉はなかったが、彼らに異論がないことはわかった。

 ひょっとしたら、誰もがみんな、このときに自分たちを仲間だと認めたのかも知れない。『使徒』がただの遊びでも、誰もが明日にはくるりと立場が変わって敵になっているかもしれなくても、とりあえず、今は仲間だ。

 それでいいんだ。

 心の欠けた部分にその思いがしっくりとはまって、アレシュはめったに見せない、屈託のない笑みを浮かべて歩き出した。



□■□



 すっかり荒れ果てた死者の家を出ると、外はとっぷりと暮れている。

 夜の匂いの中で、カルラが後ろから甘く囁きかけてきた。


「ねえ、アレシュ。あなたとハナちゃん、そうしてるととっても絵になってるけど、そのぶん妬けるわ。私ね、ほんとはついさっきまで、ハナちゃんにいい魔女ぶった魔法をかけてあげようかと思ったんだけど。気が変わっちゃった」


「よかろうが悪かろうが、君はいつだって素敵な魔女だと思うけど。それって一体、どんな魔法?」


「こういうのよ」


 カルラは満面の笑みを浮かべ、わずかに目を細める。

 と、アレシュは急に体の均衡を崩しかけてよろめいた。

 慌てて足を踏ん張り、腕から転がり落ちかけたハナの体を抱き直す。波打つ栗色の髪が腕からあふれ、白い顔が頭の重みであおのけられる。

 豊かな髪の間から彼女の顔があらわになった途端、アレシュは驚愕に目を瞠った。


「…………な…………」


「こ、これは…………」


 いつの間にやら、横でミランも愕然と声をあげている。

 それはそうだろう。アレシュの腕の中にいるのは、いつの間にやら十六、七歳の、とんでもない美少女になっていたのだ。

 薄く繊細な鼻筋や顎の線と、ふっくらと優しい頬と、艶やかな髪と、人形のような長いまつげ。すべてが硬質な美貌の中で、うっすら開いた唇だけがなまめかしい。

 その不均衡も含めて、十人男がいたら九人までが視線をくぎ付けにされそうな美しさだった。

 どんな美辞麗句を尽くそうかと思いながらぼうっとしてしまったアレシュの横で、カルラの声が無情に響く。


「はい、おしまい」


 声が消えると同時に、ハナの姿は緩やかにぼやけて元の十歳くらいに戻ってしまう。

 アレシュとミランは、はっと我に返って勢いよくカルラに向いてくってかかる。


「おい、カルラ! どういういじめなんだ、今のを一瞬だけ見せるとかありえないだろ!」


「そうだ、一体なんなのだ今の壮絶なる美の幻は!? 頼むからもう一回!」


 子供っぽく叫ぶふたりに向かってカルラは優しく微笑み、硝子ビーズのやまほどついた小さな鞄から色とりどりの飴を取り出した。

 ひとつを自分の口に放りこみ、ハナの体の上にひとつ、ミランの口の中にひとつ、それぞれ投げ入れて言う。


「素直すぎるわ、ふたりとも。見てくれなんかにだまされてるんじゃ、まだまだ。――さ、帰りましょ、帰りましょ。とりあえずはお茶よ。あと、美味しいご飯。で、みんなの怪我をとっとと治して、クレメンテの処遇なんかも考えて。あとは、楽しい楽しいこの街の日常が待ってるわよ」


「いや、それにしても……」


 ミランは口ごもるが、飴のせいで派手な無駄口はたたけないようだ。

 アレシュは昏々と眠るハナを見下ろし、小さくため息を吐いた。


「……まあ、それもそうだね。近道を急ぎすぎるとろくなことがない。生き残ったからには、この後も人生は続く、ってやつだ。ゆっくりやるか」


 そもそもハナが大人の姿になったままだと、アレシュの腕力では抱きかかえ続けることが難しい。今はこの姿がちょうどいいのかな、なんて思いながら、アレシュは曲がりくねった墓地の小道を抜ける。

 旧市街に戻ってきたアレシュたちに、ぼちぼち表に出てきた住人たちが気軽に声をかけてくれる。今夜の百塔街はどことなく浮かれた空気だ。まるでお祭りの前夜のよう。


(やっぱり、この街の夜は美しいな)


 アレシュは満ち足りた気分で空をあおいだ。

 真っ黒な空にばらまかれた星は銀の粒に似て、巨大な月から注ぐ光で照らされた街はきらびやかでちゃちな舞台装置みたい。汚れや古さはみんな美しい闇の底に沈んでしまい、絵本じみた家の軒先から軽やかな音楽と笑い声が聞こえてくる。

 なんらかの呪術に関するものであろうが、ただ小さなしあわせを祝うものであろうが、歌と笑いはいいものだ。どちらも、クレメンテたちがやってきてから途絶えがちだったからなおさらだ。


(あれ。これは――あれか。『愛こそすべて』)


 昔、サーシャが歌っていた古い歌がきこえた気がして、なんだか胸がたまらなくしめつけられる。アレシュがくるりと振り返ると、それぞれぽつぽつと話し合いながらついてきていた仲間たちが、石畳の上でアレシュを見つめ返した。

 いつの間にかそこらでお菓子を買い食いしているカルラ。

 未だにアレシュの腕の中のハナに注目しているミラン。

 不吉に微笑んで首を傾げるルドヴィーク。

 そして、その脇で微笑む、真っ赤な髪の男。


「――え……?」


「どうした、アレシュ」


 愕然とした様子のアレシュに、ミランが素早く反応する。

 アレシュはミランを見つめ、もう一度ルドヴィークの隣に立つ長い赤毛のひとを凝視した。


 ――これは、間違いようもない。忘れようもない。


 どう見ても、サーシャだ。

 サーシャはアレシュに何度か手を振ってから、皮肉げに顎をあげてこちらをにらんでくる。

 その姿の向こうにはぼんやりと街の光景が見えることからして、実体ではないのだろうが、それにしても鮮やかな幻だった。


(なんだ? 僕はまだ、彼の幻に縛られてるってことか?)


 アレシュが半分開いた口を閉じられずにいると、不意にミランが顔をしかめた。


「お前、ひょっとして、やっと見えるようになったのか?」


「……え……!?」


「あらあ、遅いわー。ほんとに遅いわー。びっくりするわね、この子の鈍さ」


「ふむ? ああ、この幽霊君のことですか。いつもアレシュのそばに居ましたな」


 みんなの言いように、アレシュはますます青ざめる。


「ま――待ってくれ。みんなにも見えてるのか? いや、むしろ、ずっと見えてたのか? ミラン、お前にも?」


「これだけはっきり残っていれば、呪術の才能がある奴には誰にでも見えるわ、阿呆が」


「下僕のくせに僕のことを阿呆とか言うな! だったらお前、どうして『サーシャの幽霊なんかいない』みたいな態度をとり続けてたんだよ!」


 アレシュが怒鳴ると、ミランはびしり、とアレシュの顔を指さして告げた。


「それはな、アレシュ。お前だけが、いつもこのサーシャのいるところと別のところを向いてぼそぼそ話しかけていたのが哀れというか腹が立つというか、そういう絶妙に駄目な感じだったからだ!」


 ほとんど厳かなミランの言いように、アレシュは今度こそその場に固まった。

 それは、つまり。

 まったく信じたくないことなのだが。

 偽りの記憶につかまった自分だけ、本当のサーシャが見えていなかった、ということか。


 彼は、ずっと側にいてくれたのに?


「…………ひどい…………」


 今にもその場にくずおれそうになりつつ、アレシュがうめく。

 ミランはさすがにあきれ果てた声を出した。


「いやいやいや、ひどいのは貴様だろう! この呪いだらけの百塔街にあってだな、ここまで邪気のない幽霊など俺は今まで見たことがない! どれだけ愛されていて、しかもそれを無視しまくっていたのだ、お前は! 俺は常に胸が痛くて痛くてたまらなかったぞ、このばか!」


「……ミラン、お前は台詞がいちいち恥ずかしい……」


「こんなときでもそこは反応するのか、貴様!」


 うなだれたままミランとやりあったアレシュは、のろのろともう一度サーシャのほうを見る。柔らかな視線を合わせて、サーシャが笑う。

 その笑顔だけで彼がちっとも怒ってなんかいないことがわかってしまって、アレシュの声は喉に詰まってしまった。

 頭のどこかで、ちかちかと美しい光が輝いているような気分だ。

 得がたいものが、もう二度と得られないと思ったものが、自分の上に降ってきた。これを奇跡と言わずになんと言おう?

 今なら、クレメンテにもっとはっきり言ってやれる気がする。


 ――百塔街も、そんなに捨てたところじゃないよ、と。


 ここに善人はいないけれど、悪人だって、気まぐれに美しい心を見せることもある。その心が明日どうなるかわからなくたって、それがどうしていけない?

 外だって同じじゃないか。

 美しいものはうつろう。

 でも、だからって美しいものが存在しないわけじゃない。

 確かに、ここにあるんだ。


「どうした、黙りこくって真剣な顔をして。こういうときはもっと、泣いたり笑ったりわめいたりするものではないのか? まさか、怪我が痛むのではあるまいな」


 少し真面目な顔になったミランに向かって顔を上げ、アレシュはとびきり綺麗に笑った。


「嬉しいなって、思っていたんだよ。僕に力があることが。君たちが、ここにいることが。ねえ、ミラン。僕は君たちが赦すなら、これからも、この、王様のいない街の守護者になる。気まぐれかもしれないけど、今は本当に、ここを守りたいと思うんだ」


 彼の言い分を聞き、皆が顔を見合わせる。

 ……もちろん、サーシャも。

 そして、結局代表してミランがにやりと笑って言った。


「ならば、我々は『深淵の使徒』だな。それなりにあてにしているぞ、アレシュ・フォン・ヴェツェラ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

廃王国の六使徒 ~親の遺産と美貌しかない無職、仲間が最強なので無双する~ 栗原ちひろ @chihiro_kurihara

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ