第31話 竜殺しの顛末
思えば、最初から色々とおかしなことは多かった。
消えた死体。
妙にはっきりとしたサーシャの幽霊の出現。
その直後に、アレシュとクレメンテとの邂逅。
すべての事件はアレシュの周りに吸い寄せられるように起きてきた。
アレシュたちはそれらをすべてクレメンテの差し金だと思っていたが、さっきクレメンテは確かに言ったのだ。
『自分は死者をよみがえらせることなどできない』と。
彼は理解しがたい人間だが、きっと嘘だけは吐かない。
ならば、すべてを仕組んだのは?
「クレメンテは信仰を失った衝撃で、我が家で寝こんでるよ。彼は彼でかわいそうなご老人だ、少しつきあってみてよーくわかった。あんなひとが僕のハナを人質にしようと考えるなんて、あるわけなかったんだ。僕も早く気づけばよかったよ」
軽やかにアレシュが言うと、クロイツベルグは重々しくうなずいて同意する。
「そうですね。思ったよりはずいぶん気づくのが遅かった。そういう点では、俺の狙いははずれてはいなかったんですが」
「最初に聖ミクラーシュで回収した死体を隠して、僕に罪をなすりつけようとしたのも、君かい?」
ほとんど陽気とも言えるほどの口調の問いに、クロイツベルグは世間話のように答える。
ただし、銃は構えたまま。
「当たり前です。どこの聖職者があんな妙なことをしますか。俺はあなたに罪を着せられればそれだけでよかったんですが――クレメンテほどの化け物が出てきたのは計算外でした。俺もこの街を浄化されてしまっては困りますからね。少々計画変更して、あなたたちとクレメンテがぶつかってくれるよう、小細工を」
「ひょっとして、僕とクレメンテが最初に魔法小路で会ったときも?」
「なじみの呪術師にあなたたちとクレメンテの後をつけさせていました。あなたの気を引くよう、呪術人形を放ってクレメンテのほうへ誘導したのは確かに俺の差し金です。クレメンテは実に善良なひとだ。最初の出会い以降あなたが気になって仕方なかったようで、ついさっきもあなたが逆さ教会にいると親切ぶって教えてあげたら、喜んで飛んでいきましたよ」
なめらかな彼の言い分を慎重に聞き、アレシュは静かに言う。
「……なるほど。君は、最初は単にルドヴィークを追い落としたかっただけなんだな」
「なぜそう思います?」
クロイツベルグの瞳が少しばかり興味の色に光ったので、アレシュは親切に解説してやる気になった。
ここまでしてやられて引きずり回されたのだ、少しくらいはこいつの鼻を明かしてやりたい。
「死体が消えたときに、ここの地下で見た壁の絵。あれ、君が描いたんだろう? ハナをさらったときの書き置きと筆跡が同じだった。僕らはあの竜の絵を『聖職者が水に細工をしようとしている』と読んだけれど、それは間違い。あれには君がこめた呪術的な意味があった。
『竜』はすべてを呑みこもうとする親や、目上の者の象徴とも読める。この見立ての場合、『竜』殺しは、若者を一人前にするための通過儀礼だ。つまり君はルドヴィークを『竜』に喩え、自分を竜殺しの英雄だと宣言していた」
アレシュに言われると、クロイツベルグはどことなく面白そうに小さくうなずいた。
「否定はしません。ルドヴィークは今の葬儀屋にとっては邪魔な存在でした。もちろん、個人としての能力はすばらしい。ですが我々は組織です。組織を適切に動かす力をなくしたのに引退もせず、人形遊びをしている男など必要ない。むしろ、害悪だ」
「それは君たちの事情さ。君たちがルドヴィークと話をつければよかったんだ。僕なんか巻きこまずにね」
半ば呆れてアレシュが言うと、クロイツベルグは低く笑う。
「彼を直接切り捨てると面倒が多い。あなたの不祥事の責任を取らせるのが一番簡単だったんです。あなたは人形に次いで、ルドヴィークの弱点でしたからね」
「――弱点? なんで」
少々不意を突かれてアレシュが訊く。
クロイツベルグは辛抱強く言った。
「友達だったでしょう、彼の」
「……まあ、一応」
ついつい言葉を濁してしまうのは、向こうがそう思っているという自信がないからだ。
ミランやハナはともかく、ルドヴィークはアレシュの父への義理と、アレシュの力への興味で通っていただけのような気がする。
クロイツベルグはそんな彼を見つめ、迷いを切り捨てるような乾いた声音で告げた。
「あなたの認識はどうでもかまいませんが、彼が友達と呼ぶ人間の中で生きているのは、随分前からあなただけでした。まあ、あなたはそれなりに俺の役に立ちましたよ。ルドヴィークの人形を壊して彼を役立たずにしてくれたし、あのとんでもない司教も片づけてくれたようだ。――あなたの役目、このへんで終わりにしてあげましょう」
さあ、ここからが勝負だ。
予想通りの台詞に、アレシュはとびきり甘く笑って言う。
「試してみる? 僕はこの位置からでも、君を化け物に変えることができるよ」
化け物に。
自分でそう言った瞬間から、アレシュの心臓は鼓動を早め始める。
落ち着け、と言い聞かせるものの、走り出した鼓動はそう簡単には止まらなかった。
わかっている。自分はまだ恐れているのだ。
サーシャを、アマリエを化け物に変える羽目になった、自分の力を。
クロイツベルグはそんなアレシュの心を見抜いたかのように、薄い唇に不吉な笑みを浮かべる。
「そんなに自在に使える力とも思えませんね。俺は覚えてますよ、昔のあなたのこと。サーシャのことも」
「……サーシャ……?」
急に何を言われたのかわからず、アレシュはクロイツベルグを凝視した。
彼は無機質な灰色の瞳を刃のように輝かせ、恐ろしいほど静かに言う。
「やっぱり、知りませんでしたか。サーシャは、あいつは当時、俺の弟分として葬儀屋の使い走りをしてたんです。元は飄々とした奴でしたが、最後のほうは色々無茶をやって金を貯めていてね。『どうしたんだ』と聞いたら『守りたい奴がいる』と言ってましたよ。ばかな奴でした。俺の見たところ、放っておいてもあと何年も生きられないような体でしたが」
――守りたい。
恋人のことだろうかとも思うが、すぐに心が否定する。まさか。彼にはそんな相手などいなかった。アレシュはそのことを知っている。
じゃあ、守りたい奴って?
「魔法小路で、あなたをクレメンテのところへ招いた呪術人形。覚えていますか?」
どくん、と、鼓動が大きく響く。
あのとき、実体を持っていたサーシャ。生きているときと、まるで同じ――
「あれはサーシャともよく組んでいた呪術師が作ったんです。あなたの気を引くように呪いのかかった人形でしたが、あなたには奴に見えたようですね」
胸が苦しい。
酷く圧迫されている。
サーシャ。呼んでも答えない友達。
あの人形からは、確かにサーシャの匂いがした。
アレシュを見つめたまま、クロイツベルグが目を細める。
「あなたは思ったより、本気でサーシャのことを思っていたようだ。あいつはあいつで、ずっとあなたのために生きたがって……いや、違うな。多分あいつは、あなたのために死にたがっていた。一緒に生きるより、あなたに何かを残して死にたがっていたんだと思います。
よかったですね。あなた自身の手で奴を殺せて」
急に声を甘くしてクロイツベルグが言い、引き金にかけた指に力をこめる。
しまった、とアレシュのまぶたが痙攣する。
あまりにクロイツベルグの話を集中して聞きすぎた。
銃口は見えていたのにそちらへ意識が向いていなかった。
これから動いても、もう遅い。
撃たれる。
死。
その単語が脳内で明滅する。
死ねば今度こそサーシャに会えるかもしれない。
でも、そうなったらハナは。ミランは。
(生きないと)
ほとんど本能的に動こうとした、そのとき。
目の前がふっと暗くなった。
撃たれたのか、と思う。
しかし、すぐに新たな男性香水の匂いに気づいてはっとした。
この香りを知っている。これをつけているのは、
「……ルドヴィーク……?」
呆然とアレシュが口にすると、彼の目の前を覆っていた闇がしなやかに動いた。
漆黒の袖無し外套を揺らして振り返り、ルドヴィークが不吉に笑う。
「はい、わたしです」
深みのある声で囁いた彼の手には、抜き放たれた仕込み杖が握られていた。
一体いつの間にアレシュとクロイツベルグの間に割って入り、剣を抜いたのか。
相変わらず化け物じみた体技を披露したルドヴィークの刃の先から、つ、と鮮血が零れ落ちる。
ならば斬られた相手は――と見ると、クロイツベルグの手首が、銃を持ったまま床に落ちるところだった。
「……あ……」
今まで冷静そのものだった唇をかすかに震わせて、クロイツベルグがなめらかな傷口を残った手のひらで覆う。
みるみる真っ赤に染まるその手を、青ざめていく顔色を、ルドヴィークは愛しげに見つめて笑った。
「お疲れ様です、クロイツベルグ。色々と任せてばかりでしたが、もう休んで結構ですよ」
穏やかな囁きの後、ルドヴィークの剣が斜め下から跳ね上がる。
冷たい風と共に血が舞い飛び、クロイツベルグは大きく後ろへよろめいたかと思うと、重厚な椅子を巻きこんで床に転がった。
後には、もがく気配すらない。
拍子抜けするくらいの静けさ。
すぐには何も言えないアレシュを置いて、ルドヴィークは音もなく机の向こう側へ回った。クロイツベルグが事切れているのを確認すると彼のまぶたをそっと閉じさせ、するりと頬を撫でてから立ち上がる。
「それなりに、有能な男でした」
薄ら笑いを浮かべて言うルドヴィークに、アレシュはゆっくりうなずく。
「……だろうね」
後には血の香る沈黙が残った。
とめどなく流れる血を、上等な絨毯が静かに吸っていく。
アレシュが小さくため息を吐いたとき、いきなり辺りに場違いな大声が響き渡った。
「おいっ、アレシュ! 貴様いいかげんにしろ、この!」
「ミラン……痛っ」
後ろから思い切り頭をはたかれ、アレシュははじかれたように振り返った。
見れば、ミランがいつものしかめっ面で立っている。さらにその後ろには、ハナを両手に抱えて悠然とやってくるカルラの姿があった。
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