第7章 廃王国の六使徒

第30話 喪の街区


「……ああ、いらっしゃい、ヴェツェラさん。今日は、ザトペックさんはいらっしゃいませんよ」


 赤い空が徐々に紫に染まり、夜への入り口が見え始めるころ。

 逆さ聖堂から出て野暮用を済ませたアレシュは、喪の街区の入り口にいた。

 傷の痛みは未だにじくじくと神経をむしばむが、アレシュはあえて朗らかに微笑んで、喪の街区の門番に軽く小首を傾げて見せる。


「それは残念だな。でも、彼は留守中でも構わない。今日は実質的にここを仕切っているひとに会いに来たんだ。名前は……えーっと誰だったかな。綺麗な茶色い髪に、灰色の瞳の」


「クロイツベルグさん?」


 探るように聞かれたので、アレシュはにっこり笑って指を鳴らした。


「そうそう。多分そのひとで間違いないよ。案内してくれるね?」


「そうですね。では、中でちょっとお待ちください」


 喪服姿の門番は陰気に言って、古い城壁の門を開けた。

 彼はアレシュが中へ入るのを待ちながら、ちらりと辺りを見渡す。その手がすばやく上着の下に入ったのを見て、アレシュはもう一度高らかに指を鳴らした。


「止まりたまえ」


 笑い含みのやんわりとした命令に、葬儀屋の一味が従うわけもない。

 彼は上着の下から慣れた手つきで銃をつかみ出す。

 ところが、引き金にかかった指は動かなかった。


「っ……? くそっ、なんで動かん……!」


 焦って低くうめいてみるものの、門番はまるで彫像でも変わってしまったかのようだ。引き金を引く指どころか、全身がその場に固まってしまって動けない。

 アレシュは唇に邪悪な笑みを含む。


「なんでって、それは君がつけている香水の効果だよ。君はこれから僕の下僕だ。さあ、行きたまえ、僕の下僕二号。ほらほら、僕を撃つはずだったその銃を前に向けて僕を守るんだ。行き先はクロイツベルグのところだ、間違うなよ」


「くそっ、くそっ……! 畜生、誰のおかげで魔香水使って生きてると思ってやがる! こんなクソ香水、クロイツベルグさんにゃきかねえぞ!」


 門番はなおも口では抵抗していたが、体はぎくしゃくと勝手に動き初めていた。

 彼は銃を手にしたまま門をくぐり、喪の街区へと入りこんでいく。

 アレシュは白い指で装飾過多の帽子を小粋にかぶり直し、鼻歌でも歌いそうな様子で門番についていった。

 やがて墓地にさしかかると、話しこんでいたふたりの葬儀屋が銃を手にした門番とアレシュに気づく。

 彼らは慌てて銃を抜こうとしたが、わずかに早く、アレシュに操られた門番が発砲した。

 乾いた銃声が響き渡り、ふたりの葬儀屋が倒れこむ。

 アレシュは軽やかに手を叩き、前を行く門番を褒め称えた。


「さすがだ! 門番にしておくには惜しい腕だね、君」


「やめろ……やめろぉ、もう、やめてくれよ……! 今の奴は、俺の兄弟みたいなもんだったんだぜ!?」


「おや、泣いているのか? ひとりふたり殺してそれじゃあ、葬儀屋の名が泣くよ。それとも葬儀屋って泣き女の役もやるのかな。涙を拭くかい? 心を落ち着かせる香水を吹いてあげてもいいよ。クロイツベルグと対面した後、君がまだ生きていたらね」


 小さく笑いながら言うアレシュの瞳は、少しも笑ってはいない。

 門番はもはや答えることもできずに泣きじゃくりながら、それでも銃を下ろさずに足早に進んで行く。

 と、そのとき、喪の街区のあちこちでがらん、ごろん、と鐘の音が響き始めた。

 門番の横顔がわずかに明るくなったのをちらと見て、アレシュはつぶやく。


「ふぅん。あれが警鐘か。急げ。僕らにはあんまり時間がなさそうだ」


 容赦ない囁きに、門番の体は死者の家の扉を蹴り開けた。


「なんだ!? おい、貴様、銃を下ろせ!」


 死者の家にいた葬儀屋たちが、門番の姿を見て声をあげる。

 門番は涙をこぼして必死に主張する。


「駄目だ、こっちに来るな、俺を殺せ! 俺を……!」


 叫びとはうらはらに、門番の指は引き金を引いていた。

 銃声が連続し、彼はあっという間に銃弾を撃ち尽くす。

 死者の家の中は一気に騒然とした空気に包まれた。間をおかず、反撃の銃弾が次々に門番の体に食いこむ。


「う……!」


 門番が低くうめいてくずおれたのを横目で確認しながら、扉の横にうずくまって隠れていたアレシュは香水瓶をひとつ取り出す。

 扉の隙間から瓶を投げ入れると、中からは獣めいたうなりが聞こえ始めた。

 次いで、悲鳴と派手な銃声が連続する。


「おー、怖い怖い。早く終わってくれ、そら、みんな頑張ってバンバン撃てよ……。ふむ。……そろそろいい、かな」


 やがて銃声が収まるのを待って、アレシュはそっと死者の家へと入りこんだ。

 冷えた石の建物は、今やすっかりと血で装飾されていた。

 床には何人もの葬儀屋たちが血を流して転がり、己の運命を呪ってうめいている。

 今回の香水の効果は『攻撃的な幻覚、幻聴』。彼らはアレシュの香水で化け物が襲ってくる幻覚を見た結果、同士討ちして戦闘不能に陥ったのだ。

 不吉な音楽のようなうめき声の間をぬって、アレシュは慎重に先へと進む。


(ここまではうまくいったけど、ちょっとうまくいきすぎた。案内に使えそうな奴がほとんどいないじゃないか)


 はたしてクロイツベルグはどこなのか。

 倒れた葬儀屋をつついてみても、みな苦痛を訴えるのに忙しくて案内はしてくれなさそうだ。

 幹部の居場所となれば、外から攻めづらいところかな、と思いながらアレシュは広間を抜け、体を低くして細い通路の様子をうかがう。

 すると、通路の先のほうに数人の葬儀屋がたまっているのが見えた。

 アレシュの香水にはやられていない。抜け目なく周囲を警戒しつつ、この騒ぎでも持ち場を離れようとはしていない様子だ。


(当たり、かな?)


 アレシュは軽く息を吐いて心を決め、すっと背を正すと、その通路へと入りこんだ。

 喪服姿の男たちはすぐにアレシュを見つけ、数人が銃を構える。


「――ヴェツェラさん。止まってください」


 明らかな警戒の気配はあるが、まだ言葉には敬意の欠片があった。

 警鐘は聞いていても、アレシュが侵入者だという確信はないのだろう。

 彼らの態度に淡い不快感をかき立てられて、アレシュは毒を潜めて笑う。


「君がどうしてもというのなら止まってあげたいけれど、今日だけは駄目なんだ。どうしてもクロイツベルグさんに会わないと。案内人が僕の不注意から死んでしまったから、代わりに君がクロイツベルグさんの部屋まで案内してくれるかい? ちなみに、抵抗は認めない」


 アレシュは言い、自分のつけている香水の効果範囲を計算して指を鳴らした。


「さあ、動いて」


 アレシュの声に、五人ほどいた男たちは面白いほど簡単に従う。

 瞳からぱっと意思の光が消え、五人はきれいに整列した。ひとりが通路の端にあった扉を開けて、あとはぞろぞろと全員扉の向こうへ入って行く。

 アレシュが慎重に後へ続くと、扉の向こうはちょっとした控え室だ。

 壁紙も、ソファと茶卓の組み合わせも、壁にかかった絵も、どれも落ち着いていて調和している。

 そんな部屋の片側の壁に、やけに上等な木で作った扉があった。

 葬儀屋の男たちは、その扉の前に固まって沈黙する。


「なるほどね、この先が彼の部屋っていうことか。ではそこの君、銃を構えて。僕が安全に会話できるように、クロイツベルグさんをおどしつけてくれないかな?」


 アレシュの指示で、ひとりが銃を構え、ぎこちなくクロイツベルグの部屋の扉を叩いた。

 直後、くぐもった銃声が響いた。

 少し遅れて、扉を叩いていた男がよろよろと後ろへさがったかと思うと、上等な絨毯の上へ倒れ伏す。


「ん……? 何だ、今の」


 一体、誰がどこで銃を撃ったのだろう。

 アレシュが今ひとつ状況を理解していないうちに、さらに何発か銃声が響き、扉の正面に居た男たちがあとふたり、銃弾を受けて倒れた。

 アレシュは扉に空いた小さないくつかの穴を見つめ、恐れるよりも先にびっくりしてつぶやく。


「えーと、つまり。今の数発の銃声は、扉の向こうから撃った銃声ってわけか。扉を貫通させて、人間に弾を当てた、と。……ねえ、君たちの上司、本当に人間かい? 物騒だなあ。これからはもう少し注意して扉を開けたらいい」


「は……はは、ははは……嫌……もう嫌です、クロイツベルグさんにゃ、絶対勝てる気がしねえ! 許してください……!」


 衝撃のあまり多少正気を取り戻したのか、葬儀屋のひとりが半笑い、半泣きになって叫んだ。アレシュも一瞬慈悲の心をだしそうになったが、弱肉強食、悪が悪を食らうのは百塔街の掟である。


「いや、僕より君のほうが身体能力的には絶対ましだよ。頑張って先に立ちたまえ、ほら」


 アレシュが無責任に葬儀屋を元気づけ、指を鳴らすと、ふたりの葬儀屋は泣き顔のままで扉の脇に控えた。

 中の気配をうかがい、ひとりが扉に体当たりをして中に飛びこむ。

 もうひとりも、間をおかずに飛びこんだ。

 すると今度は、たん、と一発だけ銃声が響く。


(ふたり対ひとりで、銃声がひとつ。――こっちの勝ちかな?)


 アレシュが考えながらそっと扉の向こうを見ると、そこにはクロイツベルグの姿があった。

 彼は重厚な書き物机の向こうで、くわえ煙草に火をつけているところだ。

 ちなみに、クロイツベルグの片手には拳銃。

 机の手前には、葬儀屋の死体がふたつ転がっている。

 ひとつの死体の胸の真ん中に焼け焦げた銃創があり、もうひとつの額には、細く美しい銀のナイフが柄近くまで押しこまれていた。


「なるほど。一瞬でひとりを撃ち殺して、ひとりはナイフでやったのか。それなら銃声ひとつでふたり殺せるね」


 すっかり呆れてしまい、アレシュは何度か軽く拍手した。

 なんだかここまで鮮やかだと、見世物でも見ているかのようだ。


「お久しぶりだね、クロイツベルグ。葬儀屋っていうのは、奇人変人並みに戦闘能力が高くないと上に立てない職業なのか?」


 アレシュが言いながら室内へ踏みこむと、クロイツベルグは手首の返しでオイルライターの蓋を閉じ、じっとアレシュのほうを見つめてきた。


「ごきげんよう、ヴェツェラさん。派手な登場ですね」


 冷たい声に、冷たい瞳。自分の部下を自分の手で殺した直後でも、彼は完璧に落ち着いている。これなら嘘を吐くなんてお手の物だろう。

 こいつは本物の悪人だ。

 この街に掃いて捨てるほどいる悪人の中でも、悪いほう。

 アレシュは緩やかに笑って、軽く肩をすくめてみせた。


「君たちのお出迎えが盛大すぎるから、ついついつられて派手になるんだ。君がもうちょっとの間だけ僕の味方のふりをしてくれてたら、多少は地味になったと思うんだけど」


「ならばもっとゆっくり来てくださならないと。こちらにも対策を立てる時間はいるんです。……クレメンテは、どうなりました?」


 無造作に出されたクレメンテの名に、アレシュはそっと赤い瞳を細める。

 やはりだ。

 確信と共に唇をゆがめ、アレシュは囁く。


「ハナをさらって、クレメンテと僕が対決するように仕向けたの、君だね?」


 クロイツベルグは答えない。

 その沈黙は肯定と同じだ。

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