神話の地へ

「何故、俺なのでしょうか」

 先程からずっと抱いていた不安を、ヤノは口にした。なにより、手にした槍が魔王の物であるということが、ヤノを苛んでいた。まして、己の血から形成すなどと。体内を巡る血が忌まわしいものに思えて仕方がなく、またこれまで信じてきた〝自分〟が瓦解していくような気分さえしていた。

「俺は、確かにカムラナの民であるはず。そうですよね……?」

「無論だ」

 ふと溢された言葉からヤノの不安とするところを感じ取った巫女は、力強く頷いた。

「完全にすべて、とは言わぬが、我はこの三百年のカムラナの子らの起源を把握している。ときにげかいの者と交わった子がいるのも事実。だが、お前の両親はどちらも限りなく純血に近い者同士。そしてどちらにも不貞の事実はない。

 特に母カリナは、我が先代の血を色濃く受け継ぐ。血筋だけで言うのであれば、お前は純然たるカムラナの子というわけだ」

 お前に落ち度など一つもない、と微笑む。

 しかし、幾ばくもしないうちに、タマリの眉は再び顰められた。

「だからこそ解せぬ」

 口元に手を当て、タマリは傍らの石を見る。眉間の皺がさらに深められた。

「そもそも、悪魔がここに来た理由も解らぬ。これは占いでも見通せなんだ。……本当に、解らぬことばかりだ」

 タマリは一番近くの石を拾うと手の中で転がした。篝火二つの薄暗い部屋の中で、その黒い石はこの槍と同じような銀色の光を放っていた。

 しばらく無言で石を弄んでいたタマリは、ふと口を開いた。

「……今より三百年前、我らカムラナは、地上で繰り広げられる争いを拒んでこの山へと住み着いた」

 独白するタマリの石を見つめる瞳はどこか虚ろで、現在ここではなく、遠い過去へ想いを馳せているようだった。

「以後、麓とは必要以上に交わらず、羊を飼い、わずかな作物を育てて山に隠ってきた。……だが、いつまでも、というわけにはいかぬのだろう」

 そうして石からも目を離し俯くタマリの黒瞳には、苦悩が浮かんでいた。それから迷いに迷い、重々しく口を開く。

「……ヤノ、麓に下りる気はないか」

 ヤノは目を瞠った。それは、ここカムラナでは暗黙のうちに禁じられていることだった。

 先程タマリ自身が告げたように、数百年前カムラナの民は、欲と権力による闘争から逃げて、この山へと住み着いた。そして、地上との交流を極力絶つことで、戦禍から身を守ってきたのである。その掟を破ることはすなわち、カムラナを再び渦中に曝すということ。そう信じ、好奇を好む若者たちでさえ、心を御して山に隠ってきたというのに。

「我らはあまりに物を知らぬ。知らぬよう、生きてきた。……しかしお前のこの槍の秘密を探るには、三百年の間に世界が如何様に変わったのかを知らねばならぬだろう」

 それには他の誰でもない、当事者たるヤノが行くのが最善だ、とタマリは言う。

「詩人ホメルの歌によれば、西にある都市ヴィーバンの近くに、魔王モルドの死をきっかけに生み出された巨大迷宮パンデモニウムがあるという。ヴィーバンのある地に赴けば、魔王の逸話も転がっておろう。おぬしがその槍を手にした理由を知ることができるかもしれぬ」

 そしてタマリの表情は、また苦悩に歪められた。

「そなたはカムラナの若衆の長、そして次期村長でもある。しかし、いつ戻れるとも知れぬ旅となろう。村を出ることはその地位を手放すことにも等しい。無論、全てを知り、この村へ戻ってきたときには元の立場に戻すこともやぶさかではないが――正直に言えば、保証しかねる。それでも――」

「行きます」

 ヤノはタマリの言葉を遮った。戸惑いに揺れる瞳を真っ向から見つめる。

「確かに俺は、若衆の長として生きてきました。そのための努力をして来たし、村を率いる立場に付くことの誇りも持っています。しかし、だからこそ、何も知らぬままでいることなど、できはしない」

「ザザになら、村のことを任せられる。――俺は、ヴィーバンに行きます」

 ヤノの答えを聴いたタマリは瞑目すると、

「……そうか」

 両肩が一度持ち上がり、そして下がる。深呼吸の後、タマリはゆっくりと目を開いた。

「……善は急げ、という。準備ができ次第、西へ発つがよい」

 巫女の命に、ヤノは腰を浮かせて片膝を付いた形に体勢を変えると、御意、と一言発し、頭を下げた。



 翌朝。ニコの葬儀が行われた。

 死体が還る土の少ないこの地では、死体を火にくべて灰にし、地に撒くのが慣わしだった。村の風下で焼けたニコの遺体は、峰から吹き下ろす風に乗って、西へと旅立っていく。

 死に至ろうと、山の向こうの神々の地へは渡り行けない。例え死後であっても神々は〝子ども達〟――アステールの住人と直に関わることを拒んだ。アステールに住む者はアステールに還る。死者を慰めるのは、同胞の祈りだけ。

 ヤノは、葬儀が終わり次第、旅の仕度をはじめた。弟に家の、ザザに村の仕事を託し、羊の革の背負い袋に少しばかりの金銭と食糧、着替えなどを詰め込み、槍とともに背負って村の外で馬に跨がったのは、実に三日後のことである。

「気をつけてね、兄さん」

 馬上の兄を見上げて、ユトは言う。ヤノの剣が折れたことを知った弟は形見にと自身の剣を差し出してくれた。その想いを有り難く頂戴し、その剣は帰還の誓いとともに、今はヤノの腰にある。

 笑顔で見送りたくも、不安でその表情に翳りのある弟を励ますように、ヤノはその頭を軽く叩いた。

「家のことは頼んだ」

 尊敬する兄の頼みに、ユトは力強く頷いた。

 それからヤノはザザのほうに顔を向けて、

「村を頼む」

 軽く頭を下げる。既に馬に跨がってしまった手前、これだけの敬意を払うことしかできなかった。

 ヤノに代わり〝若衆〟を託されたザザは、腕を組み胸を張る。

「お前が帰って来たときには、俺が村長だったりしてな」

 頼もしい友人の言葉に、ヤノは僅かに笑んだ。

「なら、そのときはお前に従うまでだ」

 ふん、と嫌みなくザザは鼻を鳴らす。それから真摯な瞳でヤノを見つめて言った。

「必ず帰ってこい。その間、村は俺に任せろ」

 ヤノは一つ頷き返す。

 見送りに来た者たちに別れの言葉を告げて、ヤノは馬の腹を蹴った。主の意を受けた馬は、力強く斜面を下っていく。

 まずは麓へ。そして、その向こうにある神話の地へ――。



「今より三百年前、我らカムラナはこの山へと住み着いた。以後、下界とは必要以上に交わらず、羊を飼い、わずかな作物を育てて山に隠ってきた……」

 自らが送り出したカムラナの子の旅立ちを見送らなかったタマリは、自らの家に隠り、石を転がして独り呟いた。

「それは全て、我が役目と呪いがため。そう信じてやってきた。しかし、やはりいつまでもこの身を誤魔化すことなどできぬのか」

 タマリは顔をあげ、開いていない窓を見た。今頃外ではヤノが山を下りている頃だろう。彼の旅立ちは、カムラナに吉凶どちらをもたらすだろうか。

 タマリは手の中の石を床に転がした。床の石とぶつかって、かちり、と小さく音を立てる。

「……答えは、神々さえもまた知り得ぬ、か」

 そして彼女は二つの石を拾い上げると、それらを額に当てて祈った。

「どうか、彼の子の旅路に幸多からんことを」

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黒槍のヤノ ~新アステール叙事詩・序曲~ 森陰五十鈴 @morisuzu

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