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 テントやバックパックなんかの荷物をヤカンに積み込んでから、ぐるりと車を見てまわった。後部に取り付けられた金具から、一メートルほどの太い棒がニトのオート三輪に繋がっていた。

「三輪だからな。牽引するには都合が悪い。ずっとこっちでハンドルを握ってるわけじゃねえだろ?」

 とヴァンダイクさんが言った。

 オート三輪の車体の前部に、タイヤが二つ付いた金属の補助台が取り付けられていた。曲がったときにバランスを崩すのを防ぐためだろう。溶接跡も荒々しい金属の骨格がむき出しで男心がくすぐられてしまう。

 ちらりとニトを見ると、眉をひそめて難しい顔をしていた。女心としては微妙なものらしかった。

 荷物は積み終えたし、燃料や水もヴァンダイクさんが補給してくれていた。それがヴァンダイク蒸気工場の流儀だという。ぼくとしてはありがたい限りだった。

 牽引するうえでの運転の留意点と、蒸気自動車に負担をかけない方法や簡単なメンテナンスを教えてもらうと、ついに出発するばかりとなった。

「でも、よかったんですか? 食材、こんなにもらっちゃって」

 ニトのオート三輪の空きスペースには、冷蔵室から運び込んだいくつもの食材と調味料と、なんと肉の塊も積んでいた。ヴァンダイクさんが持っていけと言ってくれたのだ。

「どうせおれひとりじゃゴミにするだけだ。料理もできねえしな。懐かしいもん食わせてもらった礼だよ」

「色々と、ありがとうございます。助かりました」

 ヴァンダイクさんはぼくの肩をばしんと叩いた。

「やれるだけはやった。大事に乗れよ」

 ぼくは頷いた。もちろんそうするつもりだった。

 と、ぼくの背中に半身を隠していたニトが前に出て、ヴァンダイクさんを見上げた。

「……ご飯、ごちそうさまでした。あと、ベッドとお風呂も貸してくれて、ありがとうございます。車の修理も、あの、助かりました」

 たどたどしくはあったけれど、ニトはしっかりと言った。

 ヴァンダイクさんは眉をあげた。ちょっと驚いた、という風だった。けれどすぐに、にいっと男臭い笑みを浮かべて、ニトの頭をがしがしと撫でた。

 わっ、わっ、と小さな悲鳴が聞こえた。

「気をつけて行け」

「うう……髪がぐしゃぐしゃです……」

 ぼやきながら、ニトは後ろ手に隠していたものをおずおずと差し出した。

「これ、お礼、です。わたしはこれくらいしか、できないので」

 それは厚手の紙だった。そこに鮮やかな色がある。水彩画だ。工場の中を上から見下ろすような構図で描かれている。ヤカンとオート三輪があって、修理に励むヴァンダイクさんがいる。家の前で座っているのはぼくだろう。工場内ということもあって、ブラウンや黒なんかの暗い色が多いのに、ちっともくすんでみえないのが不思議だった。外から注ぐ明るい陽射しが際立って見えるからだろうか。

 ヴァンダイクさんはそれを受け取って、掲げるようにじっと見た。それからニトに恭しく一礼した。まるで騎士がお姫様から勲章をもらったみたいに。

「ありがたく頂戴いたします」

「え、やっ、そ、そんなに良いものではないので!」

 と慌てるニトに、ぼくは笑った。ヴァンダイクさんも笑っていた。からかわれたことに気づいたニトが頰をふくらませ、足音も荒くヤカンの助手席に走っていった。オート三輪の運転席には、いまは肉の塊が座っているのだ。

「良い子だな」とヴァンダイクさんが言った。「絵なんて描いてもらったのは初めてだ」

 絵をじっと見下ろしてヴァンダイクさんが笑っていた。あの振る舞いは、もちろん照れ隠しだったのだ。

「そろそろ行きます。お世話になりました」

 ああ、と頷いて、ヴァンダイクさんがぼくに向きなおった。

「……頼みがあるんだが」

「はい?」

 改まった言い方に首をかしげる。

 ヴァンダイクさんは片手を後ろに回すと、取り出した革の手帳をぼくに差し出した。それはあのレシピが書かれたものだ。

「お前さん、旅をするんだろ。こいつも連れて行ってくれねえか」

「こいつもって、これ、大切なものでしょう」

「良いんだよ。おれがここに工場を構えちまったからな。ろくに旅行にも連れて行ってやれなかった。ずっと家の中で、退屈させてたろう。ここじゃない景色も見せてやりてえ。今さら遅いって、怒られるかもしれねえけどよ」

「……ヴァンダイクさんが連れて行ってあげないんですか?」

「おれの死に場所はここだ。工場を空けられねえし、あいつの墓の世話もある。お前に任せるってのも変な話だとは分かってるが……」

 言い淀むヴァンダイクさんに、ぼくは胸が暖かくなった。ああ、なんて不器用で、まっすぐな人なんだろうと、そう思った。

「わかりました。お預かりします」

 手帳を受け取った。ヴァンダイクさんが少年みたいな笑みを浮かべた。

「助かる」

「仕事には対価を、ですよね。食材をいっぱいもらったので、ちゃんと仕事もしますよ」

「お前も分かってきたみたいだな」

 ヴァンダイクさんが手を出した。ぼくはそれを握り返す。大きくて分厚くて力強くて。今までの人生が感じられるような、立派な手だった。

「じゃあな」

「はい」

 ヤカンに乗り込むときに助手席に座るニトと目があった。ほっぺたを膨らませた不満げな顔でじろりと睨まれて、苦笑いが漏れた。

 すでに燃料室には火が入っていて、エンジンは暖機状態になっていた。メーターを見ればすべての針が問題ない値を示している。

 ぼくは窓を開けた。余計なお世話になるかもしれない。口を挟むことでもないかもしれない。ぼくの思い込みかもしれない。けれど、言っておきたかった。

「キッチンも、冷蔵室も、すごく綺麗に整ってました。手帳も、丁寧に書かれていました」

「それがどうした?」

「だからきっと、毎日を楽しんでいたと思います。ヴァンダイクさんに料理を作るのも。幸せだったと思います」

 ヴァンダイクさんは、ぽかんとした。

「キッチンが整っていたからって? まったく、変なことを言いやがる」と、苦笑して。「ありがとよ。お前らがせっかく片付けてくれたんだ。おれも皿洗いくらいはしとこう。汚すと、今度こそあいつに怒られそうだ」

「それが良いですね」

 笑みを交わして、ぼくはスロットルレバーを引いた。

 ボイラーで生まれた蒸気がどっとピストンに流れ込んだ。しゅっ、しゅっ、しゅっ、と、懐かしくさえ思える音が鳴った。オート三輪を引っ張っているのに少しも重たげな様子を見せず、ヤカンは滑るように動き出した。

 ニトがヴァンダイクさんに向けて手を振った。ヴァンダイクさんは眉をゆがめながら、ぎこちなく手を振り返してくれた。おい、慣れねえことさせんじゃねえよと、そんな声が聞こえてきそうだった。

 工場の屋根を抜けると、青い空からどっと陽射しが落ちてきた。思わず目を細めた。視界の一面に、光に透けるような草原と白い砂漠の連なる丘が広がっていた。ゆるやかな弧を描いて伸びる道はどこまでも続いているみたいだった。

 サイドミラーに目をやると、表まで見送りに来てくれたヴァンダイクさんが見えた。

 ニトが窓から身を乗り出すようにして後ろを振り返る。ヴァンダイクさんの姿が小さくなって、黒い点になって、ついに工場の屋根も見えなくなってから、ニトは助手席に腰を落ち着けた。

「良い人だったね」

 はい、とニトは頷いた。

「また会いに来よう」

 はい、と頷く声は少しだけ震えていた。

 きっとまた会えるよ、とぼくは繰り返した。







※続きは2月20日、ファンタジア文庫より刊行の本編「さよなら異世界、またきて明日−旅する絵筆とバックパック30−」にて。

 1月18日発売の「ドラゴンマガジン3月号」に本作の読切短編が掲載されます。

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