7


 あいも変わらず、外で食事となった。キッチンは使わせてもらったから、食卓を借りても良いとは思うのだけれど、他人の家の食卓でくつろいで食事をするほどの図太い神経がぼくには足りなかった。

 ヴァンダイクさんは何も言わずにさっさと床に腰を下ろすと「終わったぞ」と言った。

「直ったんですか?」

「ああ。注文通り連結もしておいた。ただしあんまり速度は出すなよ。荒地、がれ場も避けろ」

 安堵で胸の詰まりが緩んだ。

 わかってはいても、直ったと聞かされればやはり安心するものだ。

「で、支払いはどうするんだ」

「これで足りますか?」

 ニトがそっと差し出した手を見て、ヴァンダイクさんは眉をあげた。横目でぼくを見る。

 その視線に肩身が狭かった。お前、嬢ちゃんに払わせるのか、と言われた気がした。甲斐性なしですみません……。

 ニトの手にあったのは、小粒の赤い宝石がついた指輪だった。ヴァンダイクさんはそれをつまみ上げ、光にかざした。

「ま、良いだろう」

 ニトはほっと息をついたようだ。その指輪は、もしかして大事なものなんじゃないだろうか。声をかけそうになって、ぼくは拳を握った。ニトがそれで払うと決めたのなら、ぼくが口出しをするわけにもいかないし、代わりに支払えるようなものもなかった。自分が情けなく思えてしまう。

「あの、どうして、お金を?」

「使い道もねえのになんで金を請求してんのかって?」

 ヴァンダイクさんの問い返しに、ニトはおずおずと頷いた。それはぼくも気になっていたことだった。

 お金や宝石といった貨幣に使えるようなものは、多くの人が価値を共有しているからこそ意味がある。そもそも人がいなくなって、お店もなくなって、根本的に価値が崩壊している。だからこそ、ぼくも荷物になるだけだと思って、お金になりそうなものを持ち歩いていないのだ。

「これがおれの仕事だからだ。仕事の対価にもらう金には価値がある」

「仕事、ですか?」

「車の修理をする。客はその対価として金を払う。車を引き渡す。おれはそうやって三十年やってきた。金をもらうから仕事になる。それだけの価値がある仕事をしたんだって、おれも満足できる。もらったあとのことはどうでも良い。おれはそうやって生きてきた。だからそれを続けてるだけだ。世界がどう変わろうが、おれの生き方は変わらん」

 すっぱりと言い切ったヴァンダイクさんが、どうしてか眩しく見えた。自分を貫くという揺らぎのない態度が、ぼくには憧れのように感じられた。

 滅びつつあるこの世界で、過去と変わらずに生きることは頑迷とも言える。それでも何もかもが揺らいている状況にあって、ヴァンダイクさんの振る舞いは頼もしくすらあった。

「そうですよね。仕事をしてもらったら、お金を払う。当たり前のことですもんね」

 そんなことさえ、すっかり忘れてしまっていた。

「……ま、おれも久しぶりに仕事らしい仕事ができた。感謝するのはおれの方かもしれねえな」

 ヴァンダイクさんがぼそりと言う。ぼくとニトの視線に照れたように、彼は「さあ飯にしよう」と膝を叩いた。

 ぼくはニトと笑みを交わしてから、中央に置いたスキレットの蓋を取った。湯気が立ち上った。じっくりと火が通った野菜は色を鮮やかにして、ブラウンの焦げ目が食欲を刺激した。焼き加減まで完璧だった。

 先の丸いパレットナイフを差し込んで、形を崩さないように一人前を皿に盛った。ヴァンダイクさんに差し出すと、彼は驚いた顔をしている。

「おい、こいつは……」

「食器棚で手帳を見つけたんです。レシピがたくさん書いてあって、その通りに作ってみたんです」

 ヴァンダイクさんは皿を受け取り、その料理ーーメルタイユを、じっと見ていた。

 やがてフォークで掬うようにして口に運んだ。何かを確かめるように噛みしめる動きはだんだんと遅くなっていって、ついには止まってしまった。目を閉じてなにかを思い出すような様子で、決して邪魔してはいけない時間のように思えた。

「懐かしい味だが、ちょっと違うな」

 目をあけて、ヴァンダイクさんは笑った。それは暖かい思い出を見つめるときに人が浮かべるような、柔らかい笑みだった。

「味はよく分からないんじゃありませんでしたっけ?」

「こいつは別なんだよ」

 ぼくに言い返して、ヴァンダイクさんはまたメルタイユを口に放り込んだ。

「レシピに『特別な日に』って書いてあったんですけど、どういう意味かわかりますか?」

 こうして作ってみても、やはりただの家庭料理にしか見えない。どうしてわざわざ注意書きまでしたのか疑問だった。

「んなことを書いてたのか?」とヴァンダイクさんは笑った。「こいつを初めて食った時、おれが美味いって言ったらしいんだよ。それをあいつがえらく喜んでな。それから毎日、こいつが出てきた。十日も続くとさすがに飽きてな。けどよ、さすがにもう飽きたとは言えねえ。おれを喜ばせようと思って作ってくれてるわけだからよ。だから、こういうもんは特別な日に食うから美味いんだって言ったんだよ」

 ヴァンダイクさんはスキレットを見つめた。

 あんなこと言わずに、もっと食っておきゃよかったな、と呟いた。

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