第20話 前途多難だけど

 LINEアプリの画面に、ゆるいタヌキのスタンプが出現した。美佐緒だ。

 タヌキが背負った看板に、カラフルな描き文字で『おはよ』。

『懲罰くらって十日目おめでとう。無事今日で謹慎解けそう? 問題起こして引きこもり生活プラス十日とか言われてない大丈夫?』

 間髪入れずまたスタンプ、指差して嘲笑う白まんじゅう。

 笑いが漏れた。相変わらずだ。


 スマホ越しとはいえ、一度死んだ兄が二度目の死を迎えかけるという世にも珍しい体験をした美佐緒だ。今後ちょっとはしおらしくなるんじゃないか、と思ってたらそんなことはなかった。事あるごとにおちょくるようなスタンプやメッセージを送ってくる。

「まったくよぉ……」

 女子学生寮ドームの大玄関。ちょうど登校のための身支度を終え、正式に謹慎を解いてくれる迎えが来るのを待っていた。美佐緒のLINEに『おかげ様でな』と返したとき、後頭部のあたりで『声』が響いた。


≪お可愛らしい妹さんではありませんの≫

「可愛い? これが? 冗談言うなよバルバラ」

≪とんでもない、本心ですわ。お兄様への信頼あってのことでしょう。もっとも、当の『お兄様』がその信頼に応えられる器かは別問題ですけれど≫


 伯爵令嬢バルバラ・アビアーティ。

 あの水底から連れ帰ってきて以来、オレと彼女は一つの体に同居している。体の主導権はあれこれ議論したあげく、希望分野ごとに半々ということになった。

 あの出来事のあと謹慎処分を食らい、十日間の缶詰め生活に入ったのはむしろラッキーだった。今言った体の主導権の話はもちろん、この半年のオレの行動の説明(『正気でしたの? ええ正気のはずがありませんわね半年間丸ごと狂気の沙汰ですわね!』と激詰め食らった)、着替えだの風呂だのトイレだのに関する問答(『目を閉じていてくださいませ、いえ意識ごとシャットダウンしてくださいませ』と無茶振り)。こんなの普通に生活してたら達成不可能なミッションだ。


 学園上層部に圧力をかけ、各方面に大金バラまいて短期謹慎で済ませてくれたバルバラパパンには感謝しかない。お偉方が集った舞踏会は滅茶苦茶にするわ、伝統と格式ある時計塔のステンドグラスは魔術でぶち抜くわ、地下祭壇の封印解いて侵入して女神の棺の彫像の首落とすわ、我ながらやりたい放題だった自覚はある。ステンドグラスは土魔術で元通り修復可能らしいし、棺の彫像は『常磐卿ときわきょう』の計らいか学園職員が踏み込んだときには傷ひとつなかったらしいが、それにしたって隠蔽にもフォローにも骨が折れるはずだ。


≪お父様は、娘の幸せのためには手段を選ばない方ですので≫

「心を読むなっつっただろ。良家の淑女なら相手のプライバシーくらい尊重してくれよ」

≪プラ? 存じ上げませんわね。こちらの世界にはございませんので。異世界の概念は難しゅうございますのね≫

「いやあるだろプライバシー。お前も知ってんだろプライバシー。世界の違いでごまかすな伯爵令嬢」


 日記を読んだ限り実はジーナちゃんみたいな天使なのかと思ってたら、なかなかに良い性格をしている。この性悪娘を目に入れても痛くないほど可愛がり、アレクシオスとの縁談を蹴られても『お前が嫌なら仕方ない』の二つ返事で納得したバルバラパパン、聖人か? 誕生日を国民の祝日にすべきじゃないか?

「うちのクソ親父と取っ換えてくんねぇかなぁ……」

≪ほほほほ。月を欲するがごとく星を求めるがごとく、存分に羨んでくださって結構でしてよ≫

 ああ、本っ当に良い性格してやがる。

 オレがため息とともに頭を掻いていると、バルバラがまた思念を送ってきた。


≪タカヤ。人それぞれ乗り越えなければならないものが違います。貴方は貴方のお父様との不和。わたくしはお父様との関係こそ良好ですが、代わりにお義兄様とはまだまだ問題が……≫

 と、外から足音が近づいてきた。

 赤毛の長身青年、ルーカだ。この前の件で負傷したらしくあちこち包帯を巻いている。こっちもバルバラパパンがかなりの圧力をかけたらしく、職務面でのお咎めはなしで済んだようだ。


「バルバラ、タカヤ。謹慎明けおめでとう。もう『反省』は十分だろうから、今日からは学園生活を目いっぱい楽しむといい」

 『今行く』と答える前に、口から声が滑り出た。

「まあ、お義兄様!」

 その声の弾みっぷりといったら、ああ。

 何が『お義兄様とはまだまだ問題が』だ。そんな声出してる時点で、問題なんざ九十九パーセント解決だよ畜生め。




「十日も部屋に籠もりきりで不自由はなかったかい、バルバラ」

「大きな支障はありませんでしたわ。食事は毎日お届けいただいていましたし、図書館の本も頼めば取り寄せていただけましたので。お気遣いありがとうございます、お義兄様」

 寮から出て校舎に向かう道すがら。義兄の迎えにテンション爆上がりのバルバラに、オレは体の主導権をいったん返した。ここは義兄妹きょうだい水入らずで話させてやるのがいい。


「ええ、本当に。これが懲罰でいいのかしらと思うほどには快適な生活でした。もっとも」

 と、ここでバルバラ、眉をたわめて指先をそっと顎に当てる。

「山猿のような同居人と一つ屋根、いえ一つ体の中というのは、耐えがたい苦痛ではありましたけれども」

「ああ、何と哀れなことかバルバラ……十七の身空でそのような痛苦……」

 待て山猿ってオレかよよしその喧嘩買った。

 いきり立ちかけたところで、ふいにルーカが『タカヤ』とオレの名を呼んだ。


「君が自分の世界に帰るためには、造物主と……何というか、交信をして、この世界の枠を広げるための段取りを付けねばならないのだろう? 首尾はどうなんだ?」

「あ、それならなぁ」

 と、これはバルバラでなくオレである。

「美佐緒の友達の姉貴も、『澪底のアスタリア』を造った奴と連絡が取れなくてな。今はツイッター……この世界流にいうと誰でも使える大規模な通信魔術みたいなもんで、『澪底のアスタリア』を知ってる人がいないか呼びかけてる。オレ自身はその状況確認できねえんだけど、有名な人に拡散してもらえて何千リツイートもされてるって美佐緒が言ってた。美佐緒に捜してもらってる間に、オレはシェアード・ワールド企画の提案……この世界をもっと広げる計画の骨子を練ってる。具体的な方が話しやすいと思うし」

「そ、そうか。さっぱり分からんが手は尽くしてくれているのだな」


 頭の上に見えない疑問符を乱舞させていたルーカは、咳払いして改めて言った。

「タカヤ。バルバラを連れ戻してくれたのは感謝している。だが私としては君には、可能な限り速やかに自分の世界に帰ってもらいたい。義妹には健全な青春が必要だ、頭の中に山猿が棲んでいては謳歌はままならん」

≪お義兄様!≫

 歓喜に打ち震えるバルバラの思念。いやそういう反応は表に出してやれ。喜ぶから。絶対こいつ泣いて喜ぶから。


「分かってるよ。できるだけ早く帰る。オレにも向こうで会いたい人がいるしやりたいこともある」

「何よりだ。期待している。だが『しめしめ高貴で才色兼備な伯爵令嬢のボディを堪能だー!』などと僅かでも思ったら最後、君限定で課題を山盛りに出すから覚悟しておくように」

「まとも枠かと思ってたら相当発想気持ち悪ぃなお前!?」

 ってか、教師の仕事に私情を持ち込むな。


 赤い石を積み上げた校舎に入った。ルーカはバルバラのクラスとは反対側の教室で講義らしく、入ってすぐのホールで別れた。

 まだ≪ああ、お義兄様……≫と未練げにしているバルバラをせっつき、教室に向かおうとしたところで。

「バルバラ! いや……イエナガ・タカヤ!」

「げっ」

 思わず声が出た。

 そのうち会うとは分かっていたが、できればもう少し先送りにしておきたかった相手。

 アレクシオス・サマラスが、教室に向かう廊下を塞ぐように仁王立ちしていた。


「オレの名前呼んだな。ってこたぁ誰かから聞いてんだなもろもろの話。オレが男だってこと含めて。文句言いたいのは分かるがこればっかりはどうしようもない。気持ちを弄んだって苦情ならそのうち前向きに善処する。はい分かったら教室に行って席についたついた」

 シッシッと犬を追い払うしぐさに、アレクシオスは引き下がらなかった。

 乙女ゲームのイケメンにあるまじき、怪獣映画の怪獣そっくりの重量をたっぷり感じさせる大股で近づいてくる。速度は速くないはずなのに反応が間に合わず、壁際に追いつめられてしまう。

 顔の両脇に手が置かれる。壁と腕とで動きを封じられる形になる。

 あ、やばい。


≪バルバラ! こいつ何とかしてくれバルバラ!≫

≪あら、彼がご執心だったのは貴方ではなくて? わたくしは無関係ですもの、黙して見守るのみですわ≫

≪オレは! イケメンが! 大の! 苦手! なんだ! あんたの義兄貴とだって好きでくっちゃべってたわけじゃなくてだなあ!≫

 脳内バトルの様相なんぞ知る由もなく、アレクシオスはオレバルバラを見据え、そして叫んだ。


「イエナガ・タカヤ! 俺は絶対にお前を諦めない! 今日はそれを伝えに来た!」

「……は?」

 口元がひきつる。

 今なんて?

≪お前を諦めないとおっしゃいましたわねえ≫

 二、三秒の現実逃避くらい許してくれよバルバラお嬢様。


「俺にはお前だけだ。何があろうとどんな障害があろうとどれだけ時が経とうとお前だけだ。元の世界では男? 些細なことだな。肉体など一度離れてしまえばただの抜け殻、さしたる意味はないと俺は誰より知っているからな!」

 うっかりキスでもできそうな至近距離でまくしたてるんじゃない! イケメンの唇に一瞬でも触れたらオレは死ぬ!


「今回は引き下がろう。だが俺は必ずお前を手に入れる。いや、むしろお前みずからが俺のものになりたいと乞い願うことになる。俺はそのためにあらゆる手段を尽くし、お前の惚れ込む男になってみせ……」

≪なあ、この演説オレいつまで聞いてりゃいいと思う?≫

≪最後まで聞いて差し上げるのが筋ではないかしら≫

≪もれなくあんたの玉の肌が蕁麻疹に覆われるけどいいのかそれで?≫


 が、思ったより早くアレクシオスの演説は終わった。

 背後から声をかけてきた奴がいたからだ。

「おやおや、これはこれは。次期『護界卿』アレクシオスどの。また性懲りもなくご主人様に強引に迫って、相手にされる訳もないのに精の出ることですなあ」

「ウィリディス……」

 灰緑色の髪に緑の瞳の自販機サイズのイケメン。ウィリディス・キケーロ。


「貴様、舞踏会でも俺の邪魔をしておいてよくも抜け抜けと。よくもまあ数日の謹慎で済んだものだ」

「はて、邪魔? 査問官の方に説明した通り、僕はただ愛らしい捨て猫を放っておけず、つい会場に連れてきてしまったのですよ。あまりの愛くるしさに貴方にお見せしただけです。まさか次期『護界卿』ともあろう方が、仔猫ごときに恐れをなすとは夢にも思わず。不幸なすれ違いでしたね」

「貴様っ!」

 アレクシオスの激昂にウィリディスは、何も知らない乙女たちが黄色い悲鳴を上げそうな笑みを浮かべた。


「それより、アレクシオスどの。ファビアン君……いえ、五日前の御宣明以来、初代『護界卿』アステリクどのとお呼びしなければならないのでしたね。お捜しだそうですよ。今後の世界の在り方について、女神のご意向も踏まえ次代とじっくりお話をご所望とのことで。神官の皆さまに教師の皆さま、ご一同血相を変えて貴殿をお捜しです。ああそれから、改良中の土壌浄化の魔術陣についてもご意見の用命が」

「ま、またか! 昨日も一昨日も三日前も呼び出されたぞ!?」

「さぞやお話なさりたいことが多いのでしょう。あるいは貴殿の口に突っ込まれたい新たなお菓子がおありか」

「ちっ! いいかタカヤ、今日のところはこれだけだ。いいか近いうちに、具体的には一ヶ月くらいで、お前の心を必ず奪ってやるからな!」


 足早に去っていくアレクシオスを、オレは天使に微笑まれた気分で見送った。

 いやー、やっぱりイケメンにはイケメンをぶつけるに限る。ゴジラ対モスラ、ゴジラ対キングギドラ。

 出力三百パーセントの揉み手で、オレは今回勝利をおさめたイケメンに寄っていった。

 話が聞こえる範囲に人影がないのを確認してから、


「いや~助かったぜウィリディス~。お前本当できる男だよな! 変態だけど。どうっしようもない変態だけど」

「いえいえご主人様のためならこの程度。何ほどのことでもございません」

「さっすがオレの下僕! でもって当代の『護界卿』!」

 沈黙。

 たっぷり十秒くらいの。


≪タカヤ、タカヤ今のは一体≫

≪聞いたままだよ。何の捻りもねえよ≫

≪そうでしょうけれど、そうでしょうけれど! ああ、せめて説明なさい!≫


 脳内で騒ぐバルバラは置いといて、ウィリディス、いや『常磐卿ときわきょう』は静かに微笑んだ。そしてオレバルバラの耳に顔を近づけ、録音して売りさばきたい美声で囁いた。

「いつからお気づきで?」

「もしかして最初から、とか、舞踏会のあのタイミングで、とか思ってるか? だったらとんだ買いかぶりだな。コトの最中はまるで気づかなかったよ。ピンと来たのは何もかんも終わった後だ」

 そう。思い返して不思議に感じたことがあったのだ。


 アレクシオスは『常磐卿』の自我が危ういと言っていた。特に、事物を認識し判断する力が明らかに弱まっていると。

 なのにアスタリアと対峙したあのとき、そしてバルバラを迎えに行ったあのとき、『常磐卿』――正確にいえば『常磐卿』の魔力は実に的確な仕事をした。自我の危うい存在にはとてもできない芸当だ。


 この疑問につき、考えられる解は二つ。アレクシオスの言ったことがそもそも間違っていたか。あるいは、自我の危うい『常磐卿』本体の代わりに、影で工作していた何者かがいたか。 

 ここで思い出されるのがファビアン、いやアステリクの転生に関する言葉だ。『行程だけを言えば、転生体というより転写体が近い』『自我が摩滅する前の段階で、その一部を胎児の精神に転写する』『特に強大な魔力を持つ者のみ、それが可能』。

 ご本尊様が健在なら、厳密には『転生体』とはいえないが……『常磐卿』もアステリクと同じく自我の一部を胎児に転写し、物事の認識や判断が困難になった後の準備を整えていたんじゃないかと、そう思ったのだ。


「僕はアステリク様には遠く及ばないので、あの方の十分の一も力はないのですけれどね。『常磐卿』というよりは『常磐卿』の端末というべきでしょう。そもそもアステリク様のように、転生を繰り返しこの世界の顛末を永く見守っていくつもりはありませんでしたし」

「あくまで、自我が薄れていく中でこの世界の崩壊を防ぐための手足……いや、脳か」

「そんなところです。魔力量そのものは一般生徒を多少上回る程度ですので、『蘇芳卿アステリクどの』もお気づきにならなかったようですね」


 一連の騒動の引き金になったのは、バルバラの実家の部屋で発見した彼女の日記だ。だが、更に思い起こしてみると、日記発見のきっかけ自体がウィリディスに行きつく。『なぜか突然行方不明になった本と同じ本』を、『バルバラが持っている』とジーナちゃんに伝えたこいつに。

 呪具の石が吸った『常磐卿』の魔力が土壇場で発動したのも、ウィリディスの手回しによるものだろう。こいつは生徒会役員、特別な用事がなくても時計塔への出入りが可能な立場だ。地下祭壇への扉を封じている自分の本体の魔力に細工をし、必要に応じてオレを守り、バルバラのいる場所へと導けるようにするのは、ちっとも難しくなかったはずだ。

 美佐緒に確認したところ、ゲームではウィリディスと『常磐卿』との関連は特に語られなかったと言っていた。ウィリディスはあくまで成績優秀なだけの一般生徒。しかし名前がラテン語で『緑』を意味するところを見ると、企画当初はそういう設定だったのかもしれない。


「不本意すぎてゲロ吐きそうだが、お前にゃ本っ当に世話になったよ」

「おや。大したことはしておりませんよ僕は。全てはご主人様のお力です」

「今更すっとぼけなくたっていい。……オレがこの世界に召喚されて、バルバラの体で目が覚めたのは女神アスタリアのせいだ。あの女神様、現実域に干渉できないもんだからその方法でしかオレを呼べなかった。ここまで全部確かに事実だが……これ『だけ』だと説明しきれないことがある」

 オレはドレスの胸元、特注のポケットに納まった文明の利器をトンと叩いた。


「スマホだよ」

 静かに微笑んだままのウィリディス。

「現実域に影響を及ぼせないアスタリアが、オレの元の世界での私物をこの世界に持ち込むなんて出来る訳ねぇんだ。お前常磐卿だろウィリディス」

 スマホがなかったら、LINEを通した美佐緒の助言がなかったら、きっとオレは何もできなかった。この世界に呼ばれてから半年経った今でも、何ひとつ分からずに右往左往していたに決まっている。

 何より――これが無かったら、オレと美佐緒はきっと永遠に、まともに言葉を交わすこともなく終わっていた。


「だから、な。一応、礼は言っとく。一応な」

 ウィリディスはまだ微笑んでいる。

 現世のあらゆる愉しみと繋がりに背を向け、世界を守り支えるため三百年近い時を高次の存在として過ごしてきた男が、雛を見つめる親鳥のようにオレを見ている。


「道具は、ね。しょせん道具でしかないんですよ、ご主人様」

 『常磐卿』の端末は唇に人差し指を当てた。

「道具を、そして道具が繋いだ人との絆を、活かして試練を乗り越えたのは僕ではない。貴方です。そしてこの先を乗り越えていくのも、貴方です」

「やっぱり気持ち悪いなお前」

「ふふ、そうですか?」

「気持ち悪い。二十四時間年中無休で気持ち悪いが今日は出血大サービス五割増しで気持ち悪い。大体お前な……」

 ふーっと、オレは細く息をついた。


 ――ご主人様、ご無事ですか。

 ――ウィリディス・キケーロです、愛しいご主人様。

 ――輝ける方、力に満ちた方、望めば世界さえお救いになれる方。


「お前、オレのこと一度も『バルバラ』って呼ばなかったろ」

「ええ。違うお名前でお呼びするなど不敬ですので」

「そーいうとこだよ。そーいうとこが気持ち悪いんだよ覚えとけ」

 望めば世界さえ救えるとか、よく言うぜ。最初っからオレに世界救わせる気でいた野郎が。


「さて、答え合わせが済んだところで、ご主人様」

 すっと、ウィリディスがその場に膝をついた。

 頭を垂れる。深く深く。

「影ながらのご支援の褒美として、その靴底で踏みつけては頂けませんか! 遠慮は無用です、さあ思いっきり、グリグリと!」

「お前その性癖素かよ!?」

 オレの叫びが廊下に響き、バルバラは脳内で静かにドン引きしていた。




 寮出て教室で席につくまでに、どんだけの試練に遭遇してんだオレはよ。

 わずか数分でエネルギーを搾り尽くされ、オレはバルバラに体の主導権をまた戻して、頭の中でひたすらグダッていた。もともと授業中はバルバラに主導権を渡す約束だったから、まぁ決めた通りではあるのだが……

 ああ、こんなときジーナちゃんがいたら一発で体力気力全回復するのに、始業まで五分切った段階で彼女の席は未だ空。何の過酷な運命さだめか。この世に神はいないのか。あ、いるな。十日ちょっと前に会ったばっかの女神様が。

 ため息をついて≪タカヤ。うるさいので黙っていてください≫と言われたとき、教室の扉が音を立てて空いた。


「バルバラ、もう来て……あっ!」

 飛び込んできたのは、ふわんふわんの亜麻色の髪の女の子。そう、ジーナちゃん。

 オレバルバラの姿を見て、目を輝かせて駆け寄ってくる。時折つんのめりそうになりながら。

 可愛い。なんだこりゃ妖精か。


「ごめんなさい、バルバラ! お部屋に迎えに行くつもりだったんだけど、少し遅かったみたいで……ルーカ先生に連れられて先に行ったって言われて」

 えっ、謹慎明けのオレバルバラをわざわざ迎えに? それで遅刻しかけて走ってきた?

 やばいオレ死ぬもう死ぬ。死因:ジーナ・オータム。遺骨は海に撒いてください。

≪死なないでください。勝手に骨を撒かれるのも困ります≫

 そういう無粋なツッコミやめてくれるかバルバラ。


 オレの机の前までたどり着いたジーナちゃん、うっすらピンクに紅潮した顔で席に座ったオレを見下ろした。相変わらずの天使のような笑みを浮かべて、

「おはようバルバラ、久しぶり! 会えなくて寂しかった!」

 えっ抱きしめていい? この可愛すぎる生き物抱きしめていい? いいよな? これそういうフラグだよな? ギューッと潰れるくらい抱きしめて構わないよな?

「駄目です」

 と、口から言葉が滑り出た。

 バルバラだ。


≪えっちょっと待ってバルバラお嬢様誤解しないでこれはあくまで純粋な友情というか親愛というかやましい狙いなんてこれっぽっちもなく≫

「お黙りなさいイエナガ・タカヤ。ジーナに関しては貴方に任せていると碌なことになりません」

 きつい口調で言い切る。ぽかんと呆気にとられているジーナに、同じ口調で言った。

「ジーナ・オータム。わたくしの中にいるこの男は害虫です。貴女にやましい想いを抱いています。みだりに近づいては危険です」

「え? えっ、バルバラ? バルバラじゃない? えっ? えっ?」

「貴女のことはわたくしが必ず守ります。信じて任せてくださってよろしくてよ」

 おい、やめてくれ、そういうのいらないから!

「じ、ジーナちゃん違うんだ、っていうかまず説明させてくれ色々っ!」


 あと一分で始業の鐘が鳴る。それまでにつくのかこのひでぇ状況の収拾。

 ピロン、と胸元でスマホが鳴った。取り出して見ると美佐緒のLINEだった。

『そろそろ授業かー。まだまだ色々大変そうだけど、まぁ気楽にやれや兄貴!』

 妹よ。ああ妹よ妹よ。遠く離れた元の世界でオレの帰りを待つ妹よ。あんまり気軽に言ってくれるな。


 家永孝也、十八歳。ただいま、同人乙女ゲームの悪役令嬢やってます。諸事情あって百合エンドは放棄、近日元の世界に帰ることにしました。それまで心のちんこにやたら厳しい同居人と、二人三脚体制でやっていきたいと思います。

 前途多難だけど。いやほんっと泣きたいくらい、前途多難だけど!

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百合エンドめざしてた悪役令嬢♂だけど攻略方針変更します 柊キョウコ @hiiragikyou

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