二人のおけつ

 おけつを父に任せて病院に通ってはいたが、千恵とはお互い腫れ物に触るようで会話はぎこちなかった。おけつの血脈について自分から話すと父に宣言しながら、まだ妻の体調が万全ではないと言い訳をし具体的な話を避けていた。


 しかし、引き延ばしてばかりもいられない。出生届の提出期限もある。おけつの血を絶つのなら、医師に協力を仰いで死産として扱い同時に死亡届も出す必要があった。早いうちに方針を定めなければならない。


 退院の日、手続きを済ませて後部座席に荷物を積んでコンパクトカーの乗りこむ。助手席に座った千恵がシートベルトを締めたのを確認してマイカーを発進させた。


「おけつについて言わなきゃいけない事があるんだ」

 ステレオのボリュームを下げ、ルームミラーで助手席のほうを一瞥し僕はそう切り出した。話している間、相槌を打つように何度か頷き耳を傾けている千恵の気配を感じていた。けれど僕は、妻の表情を窺おうともをせずハンドルを握り前を見据えていた。


 父から聞いた内容を伝え、僕がおけつであると教える。

 そして最後に、だから僕のせいだ、僕のせいでおけつが産まれてしまったのだと述懐しようとした。

 けれど、ごめんと呟くよりも先に千恵が口を開く。


「あの子、育てよう」

 危うくブレーキを踏んでしまいそうになる。

「私たちの子供でしょ。三人で一緒に暮らそう」


 近くにあった家電量販店の駐車場に入って車を停め、まじまじと千恵の顔を見る。

 彼女は僕の視線を真っ向から受け止め、もう一度繰り返した。

「育てよう」


「いや待って、おけつだよ、おけつ。母親を殺す妖怪なんだって。傷つけられるのは僕じゃない。ちーちゃんだ。たとえ大丈夫だったとしても、その子供、そのまた子供ってずっと続いていけば誰かがどこかで命を落としてしまう。これは呪いなんだ。血筋が絶えるまで終わらない不幸の連鎖なんだよ」


 けうけげんはその家に厄をもたらすとされる。以前おけつがけうけげんであると僕は推察したけど今なら理解できる。けうけげんという存在自体が一つの災厄なのだ。おけつは新たなるおけつを生み出す。


「私は隆信はおけつなんかじゃないと思うけどな」

「僕はおけつだよ。子供がおけつとして産まれてきたじゃないか」


「人が、胎児がおけつになるなら、おけつが人になったっておかしくないでしょ」

 単純な逆転の発想だが考えてもみなかった。


「けどあの子が人になる確証なんてどこにもないだろ。ずっとおけつのままでいつかキミを危ない目にあわせるかもしれない」


「確証? それならあるよ。隆信自身が証明してるでしょ。確かに隆信はおけつだったなかもしれない。でも、おけつだっていいじゃない。私は隆信が好き。人として隆信が好き。それはもう隆信が人間なんだって意味なんだよ」

 ふいにぶつけられた言葉は、甘く緩やかに心へと浸透していった。


「私、思うんだ。隆信が人になったのは、人として愛され、人として育てられたからなんじゃないかって。だから私はあの子を愛してあげたい。おけつだって構わないから」

「うん、そうだね」目頭を押さえ僕は何度も頷く。「僕たちはあの子を愛してあげよう。もうあの子はおけつじゃない。僕たちがあの子を人間にするんだ」


 そして、新居での三人の新しい生活が始まる。

 とはいっても、千恵のおけつに対する忌避感は依然としてあるらしく、まだ距離感があった。ときおり父に桃の面倒を見てもらったりしながら少しずつ慣らしていくしかない。


 相変わらず桃のの体毛は濃いままで、バリカンで刈っても一週間とせずに伸びてしまう。多少は毛が細ってきたようだがまだ獣然としている。

 見た目がそんななので外に出掛けたりはできないが、休日に僕が家にいれば遊んでくれとせがまれた。


 そういうわけで、今日も今日とておけつは元気に室内を駆け回っている。

「こら桃。危ないよ。こけて泣いても母さんしらないからね」


 千恵の注意などどこ吹く風で僕のほうへと駆けて来て、半ばタックルするような勢いで抱きついてくる。

 まったく活きのいいおけつだよ、ほんとに。

 呆れながらも僕は桃を抱き締めて笑う。

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