おけつを知る
リビングでテーブルを挟んで父と対峙する。病院へ行く準備をしていたらインタフォーンが鳴り、ドアを開けると父が立っていたのだ。旅行帰りのその足で駆けつけたらしい。
お茶を出してあったが湯飲みは机上に置かれたまま手をつけられておらず、陰鬱な影に彩られた硬い表情のまま彼は沈黙を貫いていた。土産話に花を咲かせる雰囲気ではない。おけつの件を千恵か義両親から耳にしたのは疑いない。
この火種の張本人である桃はベビーベッドで安らかな寝息をたてていた。
「遅くなってしまったが、これ」
やがて父は重い息を吐き、懐から安産祈願のお守りを取り出した。出産に間に合わなかったのが全ての元凶であるかのように、その口ぶりには悔恨が滲んでいた。
「父さんのせいじゃないだろう」
お守りを受け取った僕が否定してみても、父は力なくかぶりを振る。
「お前には話しておくべきだった。こうなると判っていたなら」
口惜しげなつぶやきは、はたして僕へ向けられたものだったか。しかし、我知らず心情を吐露してしまうほどに自責の念に苛まされるいわれが父にあるとも思えなかった。
「どうしてそこまで自分を責めるのさ。父さんには関係ないだろ」
「お前には隠していた事がある。今更かもしれんが、全部打ち明けよう」
「隠していたって何さ」
「お前と、お前の母親についてだよ」
僕が産まれて間もない頃に母は交通事故で亡くなったと聞かされていた。しかし、それは嘘だったいう。
真相が父によって語られる。
若くして結婚したものの二人はなかなか子宝に恵まれず、妊娠が判明したのは母が嫁いできて五年が経とうという頃だった。父は、田舎のその時代の人間には珍しく台所に立つのも厭わず、掃除洗濯買い出しと全力で身重の妻のサポートに努めた。つわりで母がなかなか寝つけない晩などは自らの睡眠時間を削って介抱し、寝不足のまま仕事へ行ったりもしたという。
お腹の子は順調に成長し、いよいよその日が訪れる。母が産気づいた時、父が隣にいたのは偶然ではないだろう。妻の体調をいつも気にかけ甲斐甲斐しく世話をしていた父は、その予兆を見逃さなかった。
車を回して病院へと急行し、地元の小さな診療所で母は初めての出産に挑んだ。
しかし、産まれたのはおけつだった。
いかな田舎の建物といえど病院には縁の下もなければ地下もない。平屋の診療所から出たおけつは院内へと引き返してきた。
医師はおけつを捕らえるべく待ち構えていたが、意外なほどおけつは速かった。追い立てる医師の手元をするりと抜け、病床をくぐり、デスクに飛びこえと広くもない室内を逃げ惑う。
ようやく事態が飲みこめた父も捕獲へ乗り出そうとしたが、遅きに失していた。
母はすでにおけつの魔の手にかかっていた。
「おかしいだろ。母さんがそれで命を落としたなら僕は? 養子だとでも」
「そうじゃない。そのおけつこそがお前なんだ」
「僕がおけつ? いや、僕は人間だよ」
「隆信、お前はおけつなんだ」
神妙な、しかし苦虫をか噛みつぶしたような顔で父が言い含める。
義父母がおけつの噂を聞いたのが僕が誕生したのと同時期だったと思い至る。あのおけつは僕だったのか。
うなだれるように頭を下げると、手に握られた安産祈願のお守りが目に入った。
五芒星が描かれている。
稲荷の狐が化身した女、葛の葉と人間の男の間に産まれたのが童子丸、後の安倍晴明だ。神の使いの白い妖狐の力が継承され、高名な陰陽師として大成する。
狐と人間は生殖的に隔離されているが妖狐、つまり妖怪であれば子を成せると安倍晴明の出自が示している。ましてや、おけつは胎児の化生した者だ。
そればかりではない。遺伝によって子供にも力が発現するのだ。
狐の子は狐同様に優れた妖力を持つのならば。
おけつの子はおけつ。
呪いのように、怨嗟は血に混じり、血によって遺伝する。おそらく末代までも。
僕がおけつだから。
僕のせいで。
千恵はおけつを産むはめになった。
「どうして生かしておいたんだよ。僕が母さんを殺したんだろ。妻の仇じゃないか。なんで育てたりしたんだ」
「あいつが最後に何と言ったか、今でもはっきりと覚えている。『あの子せいじゃない。あの子はそう産まれてきてしまっただけ。どうかあの子を恨まないであげて、そしてあの子を愛してあげて。わたしの分まで』息も絶え絶えにそう言ってあいつは亡くなったんだ」
母が僕を愛し守ってくれたからこそ、父が僕を愛し育ててくれたからこそ僕は生きている。感謝すべきだとは理解してはいたが、それでも心は晴れない。
「お前を憎んでいなかったと言えば嘘になる。正直、おかしな真似をすればすぐにでも殺してやると思った。けれど不思議なものでな、どれほどこいつはおけつなんだと自分に言い聞かせても、隆信を腕に抱きその顔を眺めていると頬が緩むんだ」
父に男手一つで育てられたおけつは、人間らしさを身につけていったという。
「いつしかお前がおけつだと忘れ普通の人の子として接するようになっていた。だが、忘れるべきではなかった。どこかでこうなると予感しながらも、そこから目を背けてしまった。お前たちには伝えておくべきだった。もっと早くに」
父の声が静かにリビングに響いていた。
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