あとがき

 この度は私の書いた物語にお付き合いしていただきまして、誠にありがとうございます。


 この物語は「放課後対話篇」という少年少女が放課後に雑談を交わしながら、身の回りの問題や理不尽に向き合い、解決する物語の四作目になります。


 基本的にこの作品はいわゆる「トラブル解決もの」であり、テーマに沿った日常の問題を主人公たちが議論し解決しながら、結論を出していく形を取っています。「学園で起こった事件を少年少女が解決する」という主軸をそのままに題材を変えることで色々な物語を描いていくことを目標として執筆しています。


 しかしいざ書いてみると、テーマ性を前面に出すと説教臭くなり、かといってエンタメ性を強くするとストーリーの軸がぼやけてしまい、双方の両立に四苦八苦しています。


 物語として楽しませることができて、かつ伝わるものがある作品が私の理想ではありますが、なかなかどうしてバランスをとるのが難しく「物語を作ることの奥深さ」「自分の未熟さ」を感じているところです。


 今回も五つの物語にテーマを込めてみましたので、この場を借りて語らせていただきたいと思います。おまけだと思って読んでいただければ幸いです。




 <イラストの盗用とミームの功罪について> 


 テーマとしては「文化の伝播とそれによる価値の変化」です。


 優れたアイディアや気の利いた表現というのは、とかく真似をされがちなものです。


 実際どんな分野でも初心者は最初に上級者を見て真似をするところから始めるものですし、その行為自体が必ずしも非難されるべきものではありません。


 しかし創作物の世界では表現それ自体が商品価値となるだけに、自分で何の努力も付加価値も加えずに他人の考えたものを自分のもののように発表すれば「剽窃」「パクリ」と言われてしまいます。


 かくいう私自身もインターネットやSNSで見かけた面白い言説をメモして作品に生かすことがあります。これをそのまま自分の考えたものとして発信すれば「コピーペースト」「パクリツイート」などの創作性のない行動になりますが、これを原点にして学校を舞台にした人間の価値観がぶつかりあう物語に昇華させることで一つの創作物としているつもりです。


 ただ不思議なことに「画期的なアイディア」もある程度広まってしまうと、それを使っても誰も非難することはありません。


 考えるに「唯一無二の作品」を露骨に真似た作品が一つ作られると、その情報価値や影響力が大きいため「盗作だ」と言われてしまいますが、「既に似たようなものが十作品くらいある状態」で真似た作品がもう一つ増えても情報価値が下がっているために「そういうジャンルなんだな」とその作品を構成する要素の一つとしてしかとらえられないからなのかもしれません。


 つまり出てきた当初は優れた発想でも、ある程度広がってコンテンツとして消費されてしまえばありきたりなものとして色あせてしまう一面があるのでしょう。


 私もこの作品の構成要素の一つとして「雑学」を組み込んでいますが、知っている人が少ないからこそ雑学として成立するわけで、もし多くの人に知られている物事だったら面白みは失われてしまいます。


 しかし一度消費されつくしてしまった表現には何の価値もないと断ずるのも少し寂しい気がするのです。


 和歌の世界では「本歌取り」という万葉集などの過去の有名な文献で使われる文句を、あえて使用する技法が存在します。温故知新ということばもありますが、時にはかつて消費されてしまった過去のコンテンツを見直すことが文化を繋いでいくことじゃないかなと思いながら書いてみました。




<バレンタインデーと印象の虚像化について>


 テーマは「印象から作られた虚像」です。


 一時の印象がイメージを作ってしまい、それが本来のものではないのに定着してしまうということはたまに起こります。


  本編中ではおしどりやレミングなどを例に出しましたが、人間でもたまたま機嫌が悪い時に自分の顔を見た人が「あの人はいつも怒っている」という印象を持つようになったり、子供の頃の失敗をたまたま覚えていた親戚が顔を合わせるたびにいつまでもそのことを話題に出してきたりします。


 人間の記憶やイメージというのはインパクトの強いものに引きずられがちな曖昧なものですが、そう言った虚像は時に弊害を生みます。H・G・ウェルズの「宇宙戦争」という有名な小説がラジオドラマになった時、演出として「音楽ニュースの最中に臨時ニュースで火星人の襲来を告げる」という体裁になっていたため、番組前にフィクションであることが宣言されていたにもかかわらず多くの人が本物と思い込んでパニックを引き起こしたという話があります。


 時には敢えて自分の抱えている印象や偏見を一度取り払って物事を判断した方が正解に近づくこともあるのですが、そもそも自分ではそれをなかなか自覚できないのが困りものです。





<集団意志と荒らし書き込みについて>


 テーマとしては「集団意志を誘導することの危険性」です。


 人間は一人ひとりがバラバラの意識を持っていますが、水の粒がたくさん集まって波を作るように、集団として一つの物事についての評価を示す時があります。


 それは時に新聞記事やインターネットの投稿などで不特定多数の人間の意見として目にしますが、そこにはある程度の意見の違いはあるものの大体の傾向として多数派の見解が存在しているのです。しかしそれは流動的でうつろいやすく、特に個人でも情報が発信しやすい現代では意図的に肯定的なイメージや否定的なイメージをあっという間に伝染させて、その方向性を誘導することもできます。


 一番それをやりやすい立場はテレビや新聞などのマスコミということになるのでしょうが、そういう危険性が発信する側に返ってきたら、という発想で書きました。


 こういう事態に立ち向かうためにできることは、月並みで平凡な話ですが一人一人が集団心理に流されずに自分の意志で判断することなのでしょう。


 なお、このエピソードでは前作の「放課後対話篇3」で登場した清瀬くるみというキャラクターが再登場しています。以前登場した際には彼女は主人公の月ノ下くんと反目するも、そのまま出番がなく消えてしまったので、どうにも立ち位置が宙に浮いたように思えていました。そのため何らかの形で決着を着けておきたいと考え今回改めて主人公と相対したのですが、結局馴れ合って友好的になるでもなく、ある程度の緊張感を保って距離を置いた人間関係として落ち着きました。





<創られた伝統と部室争いについて>


 テーマとしては「意図的に創られた伝統に価値はあるのか」という話になります。

数年前に「江戸しぐさ」というものが話題になりました。江戸の商人が作り上げた行動哲学としてメディアでも取り上げられたもので「雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないようにすれ違う」という「傘かしげ」、「後から来る人のためにこぶし一つ分腰を浮かせて席を作る」という「こぶし腰浮かせ」などがあります。


 ところが実はこの一連の相手を気遣う慣習は歴史的資料では一切確認できず、初出は一九八一年の新聞コラムだったそうです。加えてこれの存在を主張しているNPO団体がセミナーの企画をし、書籍の製作販売をしつつ商標権を登録しているということで「最初から存在しなかった文化をあったかのように見せかけて利益を得ようとしているのではないか」という疑問を感じるようになりました。


 とはいえ創られた文化そのものがすべて悪いという訳でもありません。クリスマスなどのように外からの文化をアレンジしたものでも経済活性化すること自体はその事で楽しい思いをする人が多いのであれば社会的には正しいことだと言えます。また外部の旅行客の目線を意識することで、それまであいまいだった風習が体系化されて文化として成立する例もあるようです。


 つまりは「出自や由来を偽らず」「内容として文化的な価値があり」「それが集合的な欲求と合致して多くの人を楽しませる」ものであれば、創られた文化であっても評価に値すると思いますし、そういったものが定着するうちに本物の文化になっていくのではないかと思います。




<無生物への共感と消えたぬいぐるみについて>


 テーマとしてはタイトルにある通り「無生物への共感」です。人間はそれが命を持たない物体であっても、形が人間や動物に似ていると感情移入してしまいます。そして人類は古来そのことを自覚していたのか、祭祀や宗教に人形を利用するようになります。


 ある地域では社会不安や自然災害の恐怖を人形に投影して災厄を人形が背負ってくれることを祈って燃やす祭りを行い、またある宗教では信仰の象徴として偶像を作り幸福と救いを祈ります。


 それ自体は魂のない物体なのですが、観測する人間が意味を見出すことで心理的な効果が生まれ人間の精神を誘導する装置にもなりえるのです。


 そこで、もしも同じものを見ている別々の人間がそれぞれに全く違う意味を見出して、影響を与え合ったらどんな話になるだろうかという発想で書いたのがこの話です。


 無生物に感情移入するのは非合理的なのかもしれませんが、人間や動物に似たような形をしているものに親近感を覚えたり、傷つけるのに心理的抵抗を感じたりするのは人間として大事なことだとも思います。


 作中では一人の少女は恋愛感情を投影して形にするに至り、もう一人の少女は亡き祖母への罪悪感と向き合うことになります。それはある意味で観測する人間の精神状態を映す鏡ともいえます。


 人は目の前にある物体にどんな意味を見出してどんな影響を受けているのか自覚することで、「気づいていない自分の願望」や「自覚していない自分の悩み」などを知ることができるのかもしれません。





 次は半年後が一年後になるかわかりませんが、また書きたいと思う話があれば掲載していきたいと思っておりますのでその時もお付き合いいただけたら幸いです。


 この物語を読むことで、貴方が少しでも肯定的な気持ちになっていただけたら本当に嬉しく思います。


 また、もし楽しんでいただけましたら、星の評価をしていただけますと創作の励みになりますので何卒よろしくお願いいたします。


 それでは、さようなら。どうかお元気で。 

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放課後対話篇4 雪世 明楽 @JIN-H

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