第50話 本当の犯人とおまじないの効果

「なるほど。つまり元々一つの教室だった場所を区切って二つの部活の倉庫として使用していたのね。でも誰かが間仕切りを端に寄せてそのままにしてしまった。手芸部は何年も倉庫を使っていなかったからその事に気づかず、吹奏楽部の方も手芸部と同じ部屋を倉庫として使っていることに気づいていなかったと」


 黒髪の少女は目の前で興味深そうに頷いた。


 ぬいぐるみが高坂さんに渡されて一応問題が解決した次の日である。


 部屋の中には蛍光灯に照らされる古びたタイルカーペット。そして革張りのソファーとテーブル。


 図書室の隣の空き部屋で、僕は定例となっている星原との放課後の勉強会に参加していた。そして、勉強が一段落したところで先日のぬいぐるみが消えた件についての顛末を彼女に話したのだった。


「そういうことだ。二つの倉庫としてあてられた鍵も同じものだったから、高坂さんと川角先輩はお互いに自分だけがあの部屋に出入りしていると勘違いしていたんだよ」

「でも、そうだとしたらこの事件の犯人って誰だったことになるの?」


 僕は星原の言葉に一瞬沈黙した。


 高坂さんが巻き込まれた「ぬいぐるみが持っていかれてしまった事件」の犯人は川角先輩だ。しかし川角先輩を襲った「誰かがぬいぐるみを動かして、自分を脅かす手紙を置いて行った事件」の犯人は高坂さんなのである。


「高坂さんと川角先輩。お互いの事件の犯人が被害者で、被害者が犯人だったということになるのかな」

「でもしいて両方に共通する犯人を挙げるなら?」

「…………あのぬいぐるみ、かな」


 高坂さんはあのぬいぐるみを見て、その愛らしさに心魅かれて動かしたり好きな男子への手紙を書くという行動に至ったのだ。


 一方、川角先輩はあのぬいぐるみに祖母への思いや罪悪感を見出して、悩んだあげくに廃棄物を入れる段ボールに入れた。そして高坂さんの手紙を見て恐怖心を触発されたために、最後にはぬいぐるみを自分のロッカーに封印したのである。


 あの二人は同じ部屋に入りながらそれを別々の部屋だと思い込んだように、同じぬいぐるみを見ながら全く違う気持ちを投影していた。さらにぬいぐるみに触発されて片方が取った行為にもう一方が影響を受けて、お互いにそれをエスカレートさせていったのだ。


「人形やぬいぐるみというのは、人や生き物に似ているからどうしても感情移入してしまうのだろうけどさ。そのことが自分の抱えている心情や行動を具体化したり逆に歪めたりするというのは、なんか不思議だ。人形そのものは突き詰めれば心を持たないただの物体のはずなんだがなあ」


 日本のある地方には藁人形に厄災を背負わせて川に流したり、燃やしたりする祭りがあるという。それは日々の幸せを願う気持ちが形になったものだ。


 また星原が語っていたように、軍事訓練で人形を敵に見立てて攻撃させることもある。殺人行為に対する罪悪感を人形に対する攻撃とすり替えて、兵士に精神的な矯正を与えるためだ。


 高坂さんはぬいぐるみを見ているうちに「恋愛のおまじない」を考案し、それは結果として若葉くんとの縁を結んだ。


 川角先輩はあのぬいぐるみに祖母に対する罪悪感を投影したが、その事が結果的には喫煙という非行を未然に防ぐことに繋がった。


 星原が僕の言葉を聞いて静かに頷く。


「人間が無生物に何らかの意味を投影して、今度はそれに対する行為やとらえ方が人間に反映されるというわけね。まるで無生物そのものが人の心を誘導する装置になっているみたいだわ」

「人形やぬいぐるみに意味を見出して、良い方向に向かうのも悪い方向に向かうのもその人間の心がけ次第ってわけか。今回は良い結果になって良かったってところだが」


 と、ここで星原は「コホン」と咳払いをして僕を見た。


「ところで、月ノ下くん。あなた何か忘れているんじゃない?」

「忘れている?」


 何だろう。心当たりがない。


 不思議そうに首をひねる僕をよそに目の前の彼女はふところから大事そうに一枚の紙を取り出した。


「『星原咲夜さんへ。普段はあまり気持ちを伝える機会がないから、こういう形で改めて伝えたいと思います。君と一緒に過ごして色々なことを話す時間が僕にとってはとても大切な時間で、何にも代えがたい宝物だと感じています。困っている時に一緒に悩んで、助けてくれる君のことを僕は誰よりも素敵な人だと思って……』」


 思い出した。


「動くぬいぐるみ」よりもよほど恐ろしいもののことを。


 そうだった。僕は高坂さんのぬいぐるみを最初に見に行ったときに明彦に勧められて、縁結びのおまじないとして手紙を書いたのだった。


 おまじないなんて信じていなかった僕は「どうせ届かないんじゃないか」と半信半疑だったので本人が読まない前提で思い切った内容を書いてしまったのだ。


 ぬいぐるみと一緒に無くなったはずだが、川角先輩の話ではあれもクラス委員に押しつけたという話だった。つまり……。


「『……そんな君のことを世界の誰よりも大切に思っています。これからも一緒に過ごせたらと願っています。良かったら今度またデートにつきあってください』」


 手紙を読み上げた彼女は不思議そうに首をかしげる。


「これ、差出人が書いていないのよね。今朝、虹村さんから『誰かさんからの手紙よ』って渡されたのだけれど」

「そうか。……いや、僕にもそれを誰が書いたのかなんて全く見当がつかないな。残念ながら」

「ふうん」


 星原はここでソファーの上で足を組み替えながら意味ありげに僕に目配せした。


「でも、こんな風に情熱的に私のことを想っている男の子からデートに誘われたらキスの一つくらいしてあげるのにな、って思うんだけど」


 そんなことを言われたら、僕としてはこういうしかないではないか。


「そうか。さっきも言ったとおり誰が星原にそんな手紙を書いたのかなんて、僕には全くわからないけど。……それはともかく今度、一緒にケーキ屋にでもいかないか? 新しいスイーツショップができたらしいんだ」


 精いっぱい平静を装って誘ったつもりだが、頬が熱くなっていたからきっと顔が真っ赤になっていたのは明白だったと思う。 


 彼女はそんな僕を見て「ありがとう。付き合うわ」とにっこりとほほ笑んだのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る