怖い話≒エロい話

枕木きのこ

怖い話≒エロい話

 神谷くんの元気がないよね、と言う話になって、僕たちは彼の好きな怖い話を持ち寄ってやることにした。それはいかにもくだらない提案に思えたけれど、神谷くんも気を遣われているのがわかったのか、うん、とだけ返事をして参加してくれることになった。


 夜の学校に忍び込むのは存外簡単だった。正確に言うと校舎内ではない。後から取ってつけたように設置されたプレハブ小屋である。普段は文芸部や軽音楽部の部室として使われていて、施錠はされているものの、各部長はその鍵を保有しているので、もはや忍び込む、ですらなかった。


 文芸部の部室は二つだけ机が置かれていて、それらは座談会には邪魔だったから、隅にある本棚のほうへ寄せる。雰囲気のためと言っても、さすがにろうそくを燃やして火事でも起こしたらたまらない。百均で買ってきたLEDライトを中心に据え、僕たちは創作、伝聞問わず、知っている物語を語り合った。


 ——三丁目の街灯がずっと消えたままになっているのは、——

 ——先輩から聞いたんだけど、この学校の美術室の隣のトイレには——

 ——ウエスラブンデ、という単語を記述してはならない——


 一回り、二回りしたころ、ようやく神谷くんも怖い話に乗ってくれるようになった。神谷くんが怖い話を好いている、そしてそれを知っている、という自分に、僕は感謝していた。

 普段の神谷くんは僕たちいわゆる「陰キャ」の星みたいな人で、ここにいるみんなは彼が声を掛けてくれなければ漏れなく一人ぼっちの高校生活を送っていただろうという性格や容姿をしている。誰にでも平等で、みんな救われた。だから僕たちも神谷くんを助けてあげたい、と思ったのだ。


 ある程度巡り終えると、最後に神妙な顔をして神谷くんが、

「じゃあ、トリは俺が務めるよ」

 とつぶやいた。

 

 揺れるはずもなかろうに、LEDライトの灯りが瞬間、ぐわんと照らし方を変えたような気がした。この狭い空間が歪んだみたいに、神谷くんの姿かたちが不明瞭になり、捉えられなくなった——気がした。


「うちの両親の話なんだ。……昨日、聞いたんだけどな——」


 そう言って神谷くんは僕たちの顔を一人ひとり、じっくりと見回した。目と目を合わせて、自分や、僕たちの存在を確定するみたいに。


「うちの両親、——できちゃった婚だったんだ」


 低い声音で彼が言うと、——まず笑ったのは足立くんだった。

「何かと思った」


 それから、それが伝播するように、次第に意味が伝わって、僕たちはひそひそと笑いあった。正直、笑ってもいい話なのかはよく分からなかったけれど、きっとみんなが面白いと感じているなら笑ったほうがスムーズだ、と考えて僕も笑った。


 神谷くんが一番大きな笑い声を立てながら、

「心霊にはエロだって聞いたからさ」

「ある意味、それを親に聞ける神谷くんが怖いよ」

 清水くんがへらへらと言った。


 校舎内に見回りの灯りが見えたのを契機に、僕たちはLEDライトを消して、薄暗いプレハブ小屋の中を足元に気を付けながら出た。


 駅までの道を歩きながら、神谷くんはぼんやりと前を歩く二人を眺めて、


「ありがとうな」と隣の僕に言った。「なんだか悩んでいたのが馬鹿みたいになったよ。世の中は怖いことだらけだよな。それがわかるから、——自分の体験の正しい大きさがわかるから、怖い話って好きだよ」


「結局、神谷くんは何に悩んでいたの?」——と聞こうと思って、止めた。


 それを聞くのはひどく野暮だったし、彼の悩みが解消したならそれでいい、と思ってしまう。少しでも力になってあげられた——それが自分にとっても自信につながったし、彼のように明るい人でも、なにかに悩んで、落ち込むことがあるんだと、世の中そのものの平等さもわかった。


 考え方次第だ、と言ってしまうのは簡単だ。

 でもそれを実践するのは難しい。

 神谷くんとの高校生活を続けていけば、——少しは彼のようになれるかもしれない。


「俺は自分が童貞なことが今日のどの話よりも怖いよ。このまま死んじゃうんじゃないかって」

 としっかり聞きとがめていた足立くんが振り返って言う。

「僕も、高校デビューしたつもりだったんだけどなあ」清水くんも追随する。「こんな根暗たちと一緒にいることになるなんて」

「なんだとぉ」

「前田はどんな女が好きなの? 巨乳? 処女? 貝田さんとかドエロイよなあ」


 ——みんな怖い話で怖くなったのか、話題が下世話になっていくのがはっきりわかって、少し面白かった。

 夜の学校に忍び込むという非日常の冒険と、その場で行われる現実に基づいた怖い話。——確かに僕も怖くなっていた。


 でも今は、そんな恐怖よりも、みんなと居れることへの幸せが、身中を満たしているのがわかる。


「将来お金持ちになって風俗通いすんだ」

「俺は素人買いたいなあ」


 馬鹿話を交わしているうちに、すっかり駅の近くまで来ていた。


「怖い話もありがとうだけど、みんなでこういう話ができて楽しかったよ。これもいい思い出になる」と神谷くんは言って、礼を重ねた。「本当に、なんか、救われた気分。ありがとう。——でもまあ、どこで何をもらうかわからない世の中だし、うちの両親なんてビビりすぎて婚前交渉なかったんだってさ。——あ、電車来たわ。じゃあな」


 そう言って彼は、いつもの笑顔でひとり、下り方面のホームへ降りていったのだ。


 僕は漠然と、——彼が幸せだといいな——と考えながら、それから、ホームから去る神谷くんの姿を、じっと見ているしかできなかった。

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