第6章

第14話 東間凪子は無口である

 東間凪子は無口である。少なくとも、私が知る彼女は無口だ。

 彼女はわからないこと以外は聞いてこないし、私はそれに答えるだけだ。だから、会話があまり長引かない。ただ、それだけのことだ。


「はい、じゃあ今日はこれくらいで終わりにしよっか」

「ありがとうございました」


 挨拶をして、参考書とノートを閉じる。すると彼女は、堰を切ったように話し始めた。


「センセイ、聞いてくださいよ。チャンネル登録数こんなに増えたんですよ。すごくないですか?」


 頼んでもいないのに、彼女は自分のスマートフォンの画面で、動画サイトを見せてきた。“東間凪子”のチャンネルに、誇らしげに数字が表示されている。


「すごいね。政令指定都市みたい」

「もしかして、センセイの地元の人口より多かったりします?」

「うん、そうだね」


 私はしげしげと画面を眺め、今も増え続ける数字をしばらく黙って眺めていた。数字は楽しそうにキラキラ動いて、“東間凪子”の配信を今か今かと待っている。


「センセイ、起きてます? 見すぎじゃないですか?」

「あ、ごめん」

「褒めてくれてもいいんですよ」


 わざとらしく胸を張る彼女に、私は言ってみた。


「じゃあ、今度ご飯でも食べに行く?」

「えっ」


 途端、彼女は口を開けたまま黙り込んでしまって、何も返してくれなくなる。


「凪子ちゃん、無口になるよね、こういう時」

「こ……こういう、時って?」

「うーん、何と言えばいいのか」


 だけど、私はほんの少しだけ理解した。


「こういう時の凪子ちゃんの無言は、“はい”って意味だと思ってるけど、平気?」

「……なんかムカつきますね、それ」


 頬を膨らませたくせに、彼女は否定も肯定もしないで曖昧に首をかしげる。


「まあ、センセイがどうしてもって言うなら、いいですよ」

「はいはい」

「もー、なにそれ!」


 彼女は私に飛びついてきて、ぐるんぐるんと体を回す。妙なダンスが始まれば、私たちは配信でもないのに大笑いして、狭い部屋の中で回り出す。


「ねえ、凪子ちゃん」


 もちろん、東間凪子というのは、彼女の本名ではない。

 でも、多くの人にとって彼女はVtuberの“東間凪子”なのだから、ここで彼女を呼ぶには、この名前の方がふさわしいだろう。


「凪子ちゃん、私ね」


 その後に続く言葉は、私と彼女、二人だけの秘密だ。



(終)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

東間凪子は無口である 矢向 亜紀 @Aki_Yamukai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画