第13話 かっこ悪い

 私たちは、二人で電車に乗って帰った。彼女は車内でほとんど眠っていたし、駅からの帰り道もずっと黙っている。私が少し前まで思っていた、東間凪子そのものの姿によく似ていた。


「凪子ちゃん、ごめんね。昨日も、本当は具合悪かったんでしょ?」

「……わたしから誘ったし、今日の配信があったんで、延期できなかったんですよ」

「そうだけどさ」

「センセイは悪くないんで、謝らないでくださいって」


 弱々しい声色に、彼女の物言いが重なる。


「……っていうか、家まで送ってもらわなくてもいいんですけど」

「熱でフラフラしてる教え子、放っておいて帰れるわけないでしょ」

「……そうですか」


 彼女はまた黙り込んだ。

 そうして、同じように黙り込んだ東間家にたどり着いた。


「今日、ご両親は?」

「夜まで出かけてるんです。帰り、遅くなるかもって言ってました」


 そんな風に言いながら、彼女はおぼつかない手つきでドアに鍵を刺そうとする。それを手伝ってやれば、熱で潤んだ黒い瞳が、こちらを見上げた。


「センセイ、わたし、かっこ悪い」

「え?」

「昨日から、ずっとそう」


 涙は溢れない。東間凪子は泣かない。それでも彼女は、悔しさを目元と声に滲ませる。


「こんなところ、見せたくなかったのに」


 気にしてないよ、と言えばいいのだろうか。かっこ悪くないよと、励ませばいいのだろうか。

 でも、どちらを言ったとしても、彼女は納得しないだろう。そう思った。

 

 玄関に座り込み、東間凪子は力なく靴を脱いでいる。

 だから、私は彼女の隣に座った。


「どんなにかっこ悪くても、私は嫌いにならないよ」

「……なにそれ」

「別にいいの。かっこ悪くて。だから、今日も寝るまで面倒見させて」


 なにそれ。

 同じように彼女はつぶやいて、幻みたいに立ち上がる。だから肩を貸してあげて、二階にある彼女の自室まで連れていく。

 彼女が着替えている間に、冷蔵庫からペットボトルの水を拝借する。部屋に戻れば、既に東間凪子は蒲団の中にすっぽりと体を横たえて、じっとしていた。


「凪子ちゃん、水、ここに置いとくね」


 布団から目だけを出して、彼女がうなづいた。なんだか小さな子どもみたいで、つい、私は頭を撫でてしまう。


「……子どもじゃないんですけど」

「でもさ、頭撫でてもらうと眠くならない?」

「……知りません」

「まあまあ。試してみてよ」

 

 少し汗ばんだ東間凪子の頭を撫でてやる。彼女は、しばらくの間目を閉じていたけれど、ふと思い出したように目を開けた。


「ごめん、眠れない?」

「……そうじゃないです」

「何か食べる?」

「センセイ」

「ん?」


 彼女は口をパクパクと動かすけれど、肝心の言葉が聞こえなかった。だから、私は耳を寄せてみた。彼女の声が、聞こえるかと思って。


「センセイ」


 耳元で聞こえた声は、東間凪子のものだった。


 それが頬に触れた時。頬に触れたのが、唇だと分かった時。


「凪子ちゃん?」

「なんでもない!」


 彼女は勢いよく布団を頭までかぶって、なけなしの大声を上げたのだった。


「忘れて! おやすみ! ありがとう! もう寝る!」


 呆気に取られて、丸々と膨らんだ布団を眺めてみる。でも、そこから彼女が顔を出す気配はなかったので、私も「おやすみ」と言って、東間家を後にした。



 その日の夜、彼女から一通のメッセージが届いた。


『ありがとうございました。すみませんでした。全部忘れてください』


 だから私は、返事を書いた。


『やーだよ』

『え、やめてくださいよ。忘れろー』

『なんで?』


 少ししてから、返事が届いた。


『恥ずかしいからに決まってるでしょ!』


 大きな声で叫ぶ、あの音色が脳裏をよぎった。

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