サマー・オヴ・オウルズ

 帝都ロンドンの貧民街の裏路地。


 「これはお返しします、返金も結構です」


 レザボアは私の渡した輸血パックと私を交互に見つめると、落ち着かない様子で舌打ちを何度も繰り返した。

 

「…なんだよ…?お前…今更人として生きられるとでも思っているのか?化物ブラッド・フリークがよ?」


「あなたとはこれきりです」


 レザボアは狼狽えるように目を見開いた。


「おいおい、俺とお前の仲だぜ?そんな簡単に縁を切れるとでも思っているのか?」


 私が無言で応えると、レザボアはぶつぶつと呟いた。


「…くそ、くそが…。つまらねえな、つまらねえよ…俺は混沌を身に宿し、皮一枚でどす黒く笑うお前のことを仲間だと思ってたんだ…お前のことを俺は気に入ってたんだ、そこまで人間くせえのは、俺は嫌いだ」


「…私は私に似たあなたのことがずっと嫌いでした」


「んん…」


 レザボアは何事かを呟くと哄笑した。


「…そうだ…そうだな…初めからそうしていれば良かった…」


 私が何も言わないでいると、レザボアは懐に手を入れた。


 危険を感じ咄嗟に間合いを取ると、レザボアの手に光るものの正体が月夜に照らされた。


 十字剣…!?


退魔僧エクソシストの真似事など…!」


「……子供の頃から夢を見ている」


 レザボアが両手に構えた十字剣を交互に摺り合わると不快な金属音が夜の闇に響いた。


「夕焼けと共に闇に沈む帝都ロンドン助けを呼ぶ帝都ロンドン・コーリング、焼け落ちるロンドン塔、大英博物館、落っこちるロンドンブリッジ…俺は扇動者アジテーターとしてこの街の狂気を解き放つ英雄だ」


 私が赫手かくしゅを繰り出すとレザボアはそれらを十字剣でいなした。常人の反応速度ではない。


「レザボア…貴様何者だ」


「…亜人狩り《ヴァンパイアハンター》さ」


 …まさか…王立騎士団ヘルシング直属特務機関だと…?


 噂には聞いていたが、その実在は正直なところ当てにならないと思っていた。


 政府直属のプロの亜人狩りなど。


「まあ、木っ端もいいところだがな。だがお陰でお前みたいなのと楽しくやらせてもらってる!!」


 レザボアの速攻を赫手かくしゅでいなし受けきる。四本の赫手かくしゅをかいくぐるのは流石に至難だ。だが、法儀礼済みと思しき十字剣を受ける度に赫手に電撃の様な痛みが走ることが私の神経を苛立たせた。


「お前が帝都の外れで魔物狩りをしていたこと、ずっと知っていたぜ!!何匹!?何十匹!?何千匹殺した!?」


 レザボアがいったんバックステップで間合いを取ったかと思うと、破裂音が響き、私の後ろの壁に衝撃が炸裂した。


 硝煙に微かに混じる忌しい金属臭がそいつの正体を語る。


 銀弾頭…


 吸血鬼と銀との相性は最悪で、再生リジェネレーションの速度が極端に遅くなる。銀製の兵器で傷を受けた場合は吸血鬼にとって致命傷になりうる。


「正直、本部の人間はいけすかねえが…王立騎士団ヘルシングも伊達じゃねえ。お陰様でたんまりと法儀礼済みの兵器の配給をもらえる」


 レザボアは腰のベルトからもう一本拳銃を引き出すと両手で銀弾を乱れ撃った。


 貧民街の夜の静寂を発砲音と硝煙の匂いが満たす。ここにも生きた人間達が無数にいるはずだが通りは水を打ったように静かだった。


 この距離ですべての銃弾を避け切るのは難しい。赫手かくしゅを盾にせざるを得ない。銀弾を受ける度に激痛が走り動きが鈍くなる。


 このままでは埒が明かない。私はレザボアの足の腱を切って動かなくさせようと反撃を試みた。鋭く斜め後ろから横薙ぎに払ったはずの赫手かくしゅはレザボアの背中から飛び出した赤黒いものによって遮られた。


 … 赫手かくしゅ…?


「お前の両手は洗っても洗っても血みどろのままだ!!今更人並みなどと何をほざきやがる!!お前と俺は同じだ!!同じ化物だ!!」


 レザボアが口角を指で引っ張るとそこには吸血鬼のみが持ちうる吸血用の鋭い犬歯があった。


「化物同士、戦場こそがお誂え向きの地獄だ!!!」


 私の腹からは笑いが込み上げてくる。


「ははは……」


 私は可笑しくてたまらなかった。くすくすと零れる笑いはやがて哄笑へと変わった。


「そうだ!!クライド!!愉しいだろう!?その狂気こそ…」


「黙れ、道化」


 私は帝都ロンドンの夜の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


「…下級種の三下風情が。貴様が正真正銘の私と同じ化物と知れてよかった。次は本気で征かせてもらう」


 私は脈動する鋼鉄の筋肉、赫手を使役する。人間相手ならいざ知らず、化け物同士の戦闘となれば何も遠慮など不要だった。


 赫手はいきり立った鉄棒の如く赤黒く変色し、次の瞬間にはレザボア目掛けて鋭く襲い掛かる。


 レザボアの顔色は瞬く間に苦しいものに変わった。


 無数に繰り出される赫手の一振りがレザボアの足首を捉えるのにそう時間はかからなかった。


 レザボアの苦悶の悲鳴が裏路地に響く。


 狩りの形勢はこれで確定した。


「さて、化物なら安心して狩れる」


 レザボアは自らの作った血だまりの上を後ずさった。レザボアが動く度にビチャと湿った音が響く。


「ちょ、ちょっと待てよ…クライド…ちょっとした冗談だろう?…多めに見てくれよ?なあ?」


「遺言はそれだけか?」 


「ちょ、ちょっと待て!これならどうだ!?吸血鬼の俺がなぜ王立騎士団ヘルシングに所属することが出来たのか!?興味があるんじゃないか!?お前にとっても悪い話じゃないはずだぜ!?」


「興味はない」


 バシュ


 後ろから籠ったような発砲音が聞こえて、少し遅れてレザボアの目が驚きに見開かれる。レザボアの肩に突き刺さったものは注射器形の麻酔弾だった。レザボアの眼球がぐりんと逆さまにひっくり返るのを見た。


「あ……が……」


「そこまでだレザボア!!我々は王立騎士団ヘルシング直属特務機関第五課!!貴様を一般人致傷未遂の疑いで拘束する!!」


 路地の向こう側から大型の狩猟用ライフルを構えた女の隊員が距離をゆっくりと詰めてきた。ここにきて特務機関本隊のお出ましとは。


「市民ID****クライド・ダンテ!!隊員の先の報告により危険度特A級亜人種、吸血鬼ヴァンパイアと認定!!隊長!!即刻殲滅の対象としますか!!」


「先生!!」


 私は我が目、我が耳を疑った。紛れもなくレティシャの姿だった。


「戦闘中だ!!私たちは王立騎士団ヘルシング!!一般人は近づくな!!」


「先生が何をしたというのですか!!先生だって一般人ではないですか!!」


「近づくなといっている!!撃つぞ!!」


「先生が罪人だというのなら、私だって同じ罪人です!!罪人だから撃つというのならば…私ごと撃ちなさい!!」


 レティシャは裏路地に大股で入ってくると、私の前に立ちはだかった。


 銃口を向ける女隊員はレティシャの気迫に怯んだようだった。


「…………た、隊長!!ご指示を!!」


「ふふっ」


 場の緊張にそぐわない、笑い声。今まで笑うのを堪えていたかのようなそれがこだました。


「はははははっ…クライド、その子に感謝するネ」


 隊長と呼ばれた女は目尻を拭って言った。


「特例法を適用するネ、ナターシャ」


「…ッ…!…はッ!!」


 ナターシャと呼ばれた女は武器から手を離しその場で敬礼した。


「危険亜人種取締法の特例法において!人間と良好な関係を構築せしめんと努力する『善良な』個体は!これを無暗に殺傷せず!危険亜人種と人類との共生の重要なモデルの一つとして!特務機関の保護観察下に置くものとする!」


「そうゆうことネ。よろしくネ、クライド。私は王立騎士団ヘルシング直属特務機関第五課隊長のヤンいうネ」


 私が茫然としていると、ヤンはからかうようにウインクをして見せた。


「ちなみに、帝都ロンドンに住む危険亜人種は特務機関への所属及び協力が義務付けられてるネ」


 ヤンは口の端を右手の指で持ち上げた。


「わたし達も危険亜人種。吸血鬼ヴァンパイアだからネ」


 口から覗いた白く鋭利に尖った牙が、彼女の嘘のような話に裏付けを与えていた。

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