船頭死神の渡し舟
真打
面白い殺され方
音の鳴らない奇妙な川。
波が立つのは、船が動いたり、鳥が川に着水するときだけだ。
とはいえ、ここには鳥と呼べる生き物は存在しない。
なので、本当に川に波が立つときは船が動いた時だけとなる。
一つの小舟が、小さな橋の先に停まっている。
そこから乗り降りできるようだが、ロープも何も無い為、乗り込むのには少し勇気が必要かもしれない。
船は昔ながらの渡し舟であり、木で作られている。
船には一本のオールが船尾についているだけで、それ以外には何もない。
そして、そこには一人の人物が乗っているようだった。
おそらくこの船の船頭だろう。
黒いフードを被って客が来るのを待っているようだ。
時々人が来ないかを確認する動作をしているのがわかる。
暇なのだろう。
ぎっ……ぎっ……ぎっ……。
誰かが橋を渡ってくる音が聞こえた。
この橋は随分古い物なので、こうしてギシギシという音が鳴ってしまうのだ。
だがそのおかげで、船頭は今日の客を拝むことが出来る。
この場所は深い霧で覆われているので、遠くを見ることが出来ない。
ああ、よかった。
そう思いながら立ち上がり、手で橋を掴んで船を動かないようにする。
手袋をしているので、多少無理をしても手が痛むことは無い。
暫くそうしていると、今日のお客人が姿を現す。
その姿は……白装束に身を包んだ男性であった。
随分と虚ろな目をしているが、真っすぐにこちらを向いて歩いてきている。
「ほぉ、今日は善人ですか」
「……!?」
男性はその人物の顔を見て酷く驚いた表情を見せた。
何歩か後ずさるが、それ以上はなぜか下がることが出来ず、パントマイムの如く壁に手を当てている。
「ああ、ああ。驚かないでください。別に取って食おうって者じゃないんで……」
「……が、骸骨……!?」
「ただの船頭です」
船頭はフードを取る。
すると、そこからは確かに骸骨が現れた。
ぽっかりと空いた穴がこちらを見てくる。
だが、実は目があるんですよとでも言うように、骸骨は今橋を渡って来た人物の目をしっかりと見ていたように思う。
骸骨である為、表情などはわからないが……声からして確かに友好的な者だという事がわかった。
だが、そこにいるのは明らかに異形。
ファンタジーな世界ではそれとなくかかれているものだが、実際に見て正気を保てる人間などなかなかいないだろう。
現に男性は、腰を抜かして橋に座っている。
「あららぁ……怖がらないでって言ったのに……」
怖がってしまうのは無理もない話なのではあるが……今怖がられてしまうのは困る。
なにせこの骸骨は船から降りることが出来ないのだ。
いくら波がなく、風がないからと言って、船を出てしまえばその船が動く可能性は十分にある。
ロープがないのだから。
「むぅ……やはり乗せるより前に顔を見せるのはダメかぁ……。おーい、乗り込んでくれるかーい?」
「……」
幸いにも、その男性は陽気な声に助けられたようで動くことが出来ているようだ。
やはり喋り方というのはとても大切である。
これだけ恐れられても、危険のなさそうな喋り方をしていれば何とかなるのだから。
男性は恐る恐るその船に乗り込んでくれた。
行ける場所がそこにしかないのだから、仕方なく来てやったという感じが否めないが、骸骨の船頭はそれに安心する。
「ああ、よかったよかった。じゃ、船出すよ」
「え、あの……」
「君、死んでるの気が付いてるよね?」
「……はい」
「私が閻魔様の場所まで運んでいくから、その辺に座っておいてね~」
この骸骨の仕事は、客を渡し舟で閻魔のいる場所まで運んでいくこと。
とは言っても、運ぶのは対岸までだ。
それからはこの男性が歩いていかなければならない。
これは地上から天にまで昇って来た者への労いだ。
ここを移動する時くらいは休んでもらいたい。
これでもう、なんとなく察するだろう。
ここは死者が来る場所……。
そして今いる場所は、三途の川と呼ばれる場所である。
「ああ、自己紹介がまだでした。私は船頭の死神です。宜しくお願いします」
「……えぇ……死神がよろしくって……」
「ははは! 確かに!」
誰も死神によろしくなど言われたくは無いし、言いたくもないだろう。
カラカラと笑った後、死神は船尾についているオールを掴んでゆっくりと動かし始めた。
久しぶりに川に波が立つ。
ギィ……ギィ……という音を立てながら、船は静かに動いていく。
この船は意外と操作が難しいのだが、慣れてしまえばなんてことは無い。
どれだけ強く動かせば、どれだけ船が傾くのかがわかる。
それを調整してまた反対側に漕ぐときの力加減を変えるだけだ。
乗って来た男性はこういう乗り物にあまり乗った事が無いのか、しきりに船の下を覗いてみたり、死神が操るオールを見たりしている。
どうやら楽しんでくれているようだ。
しかし、暫くすると船の真ん中にぽつんと座って動かなくなった。
飽きたのだろうか。
「どうされました?」
「いや、ちょっと疲れてしまって」
「はははは。お若いというのに」
「俺は四十で死にました。若くはないです」
その言葉にまた笑いそうになってしまったが、ここは堪える。
死神に死ぬという概念は無い。
生きるという概念も無い為、ただあり続けるというのが一番良い表現だろう。
人間五十年と言われていた時代は既に終わった。
今は約百年程まで生きれるというではないか。
変わった世になったものだと、この仕事をしていてよく思う。
しかし、人の死に方は様々だ。
人には人の死に方がある。
寿命を全うして死ぬか、それとも自ら命を絶つのか。
はたまは事故で死んでしまうのか……殺されてしまうのか。
望む死もあれば望まぬ死も存在している。
これが人間の面白いところ。
船頭死神は、死者がどのような死に方をしたのか聞くのをとても楽しみにしているのだ。
聞きたくて聞きたくて仕方がないが、今は相手のペースに合わせてあげる。
開口一番そんなを聞かれては、気分を悪くしてしまうのだ。
話てくれなければ面白くないので、死神はそのタイミングを待つ。
「はぁ……」
「浮かない顔をしていますねぇ。未練でもありましたかね」
「まぁ……。娘が成人する前に死にましてね」
「ああ、なるほど。娘さんがねぇ……」
話を聞いてみれば、せめて結婚するまで見守りたかったが、それでは娘に負担がかかると思いすぐにこちらに飛んできたのだという。
根拠は無かったのだが、霊が人に憑りつくと肩が重くなったりする、という事を覚えていたらしい。
守護霊というものもいると聞くが、死んだあとそういうものは自分にないという事がすぐにわかったのだという。
なので何もせずにここまで来たのだとか……。
「よくもまぁ、そんなことを覚えていましたねぇ」
「はははは。怖いなぁと思った事は、不思議と覚えているもんです」
それを聞いて死神は、なるほどと顎を鳴らした。
生きている生物は学習をする。
これに触ると痛い、これを食べると不味い。
自分が嫌だと思う事は、どんな生物でも覚えて学習し、それに近寄らなくなったり食べなくなったりするものだ。
それは人間も同じだが、人間は嫌だと思う事を体験しなくてもそれをしっかりと記憶に焼き付けることがある。
勿論個人差はあるだろうが、怖い、恐ろしい、不思議と思った物を何故か記憶する。
他にも印象的だったもの、匂い、または音。
この匂いはあれだ。
あの音は鳥がが鳴いている音、声だ。
そうして何処からともなく記憶の引き出しから引っ張り出してくる。
だがまさか幽霊になって幽霊の事を覚えているとは思わなかった。
それに少し口角が上がりそうになる。
上がる口角は無いが。
「いや~、でも死ぬ前にぬか漬け食べたかったなぁ……」
「ぬか漬け? なぜ今その話になるんです?」
「いや、実は俺が死ぬ前……妻がぬか漬けを作っていたんですよ。食べそこなったなぁと思いまして」
「はっはっは! それは面白い!」
こんな所で食べ物の話が出てくるとは。
このお客は食に関しては相当煩そうだと思った。
だが、死神は途中で笑うのをやめる。
少し気になることができたからだ。
それに、この流れで行けば死んだことの話を聞けるだろう。
死神はすぐに男に聞いた。
「それってどれくらい前の事ですか?」
「二か月くらい前ですね」
「死んだのは三日ほど前ですね? どのような死に方を?」
「臓器の機能低下でしたね~……。俺、そんなに体が弱かった訳じゃないんですけど……急にね」
「あー……」
死神は、骨の顎に手を当てる。
気になる事が今、確信に変わったのだ。
この人物、なんとも面白い“殺され方”をしている。
「あんさん……。遺産って言うんですかね? あれ、結構持ってました?」
「そうですね……。俺の両親が死んで結構ありましたし、俺も随分保険掛けてたんで」
「ほぉほぉ。それは奥さんも娘さんも楽できそうですな」
「確かにそうですね。それで楽になってくれたならいいんですけど……」
男は少し感傷に浸っているようだが、死神はその男に聞かなければならないことがあった。
「あんさん……周囲の人に少し匂うと言われたことはないですか?」
死神にそう言われ、男は驚いた表情で振り向いた。
どうやら当たりらしい。
死神はやはりな、という風に頷いて満足げにしている。
こうして自分が思いついた推理が当たっていたというのは、なんとも面白い物である。
「どうしてそれを?」
「ふふふ……いやね、ちょっと覚えていたことがありましてね。普通なら覚えていませんでしたが、それがなんとも印象的なもので覚えていたんですよ。貴方が言った怖い物と同じようにね」
これは死神が数十年前に聞いた話だ。
面白い殺され方だったから、そういう殺し方もあるんだなと感心したことがある。
それを覚えていたのだ。
そして、その人物からは……匂いがした。
随分と強烈な臭いではあるのだが、本人は全く気が付いていない様だ。
死神なのに嗅覚があるのか、と言われるかもしれないが、最低限の五感は備えている。
とは言っても、自分から匂いを嗅ごうとしなければ何も感じないが。
暫く満足げにしていたが、そろそろ答えを言ってあげた方が良いだろう。
男は次に死神が何を口にするのかを、待っているようだった。
「……匂う、と言われ始めた時って……奥さんがぬか漬け作り始めてすぐじゃなかったですか?」
「…………はい……。でも何故それを……?」
もうここまで来て話さないというのはしなくてもいいだろう。
この男には少々酷かもしれないが、冥途の土産だ。
教えてあげよう。
「ふふふふ……ぬか漬けを使った呪いがあるんですよ。次第に腐っていくっていう……ね」
その方法自体は知らないが、そう言った物があるという事は聞いていた。
前に運んだ人物からもぬか漬けの匂いがしており、今目の前にいる人物からもぬか漬けの様な匂いがしている。
恐らく同じ物による呪いだろう。
とは言え、実際に四肢が腐るとかそう言う物ではない。
この男が死んだ理由に、臓器の機能低下という物があげられた。
呪いは見えないところから、蝕んでいくものが多い。
腐る=臓器の機能低下。
これがこの呪いだ。
死神は男の様子を見る。
今しがた言った言葉の意味を、どうやら理解してしまったようだ。
人間とは面白い。
六道の中でも人間道はそこまで辛くない物だとは思うが、それでもこの現実を突きつけられた人物はそれなりの地獄を見るだろう。
「ふふふふ……はははは……」
カラカラと笑う声と、舟を漕ぐギィ……ギィ……という音だけが聞こえている。
それからは会話もなく、ただただ船がゆっくりと霧の中へ消えていった。
船頭死神の渡し舟 真打 @Shinuchi
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