四話 檸檬の中には
梨里が手品師を選んだのは、彼女が魔女だからに他ならなかった。
嘘を隠すには真実の中に混じらすほうがよい、という格言がある。ならば、真実を隠すんだったら、嘘の中だ。
じゃあ、魔法を隠すには? 手品の中だ。
普通の人には縁のない話だけど、今現在もひそやかに粛々と行われている魔女狩りから身を隠すためには手品師は好都合だった。
魔女狩りの魔の手が及ばなくなった手品師たちこそ、魔女の隠れ蓑になる。
基次郎は、話にならないと、語気を強める。
「馬鹿にしてんのか」
「してません。というか、基次郎先輩こそ、どういうつもりですか? 英玲奈先輩に何故あんなことをするんです。証拠はわたしの手の中ですから、潔く教えてください」
基次郎さんは眉間にぐっと皺を寄せてから、諦めと苛立ちがない交ぜになった表情で言い放つ。
「邪魔だからだよ。苛立つんだよ。自分が持ってないもんを平然と扱ってるからだよ」
嫉妬だ。恐れの裏返しだ。堰をきったように言葉が洩れる。
「あのな、始めて一ヶ月もまもない奴じゃ、わかんねぇだろ。あれがどんたけ凄いかって。簡単に『憧れる』なんて言いやがって。届きようがないんだよ。俺の気持ちも分からないくせに」
基次郎が額に筋を立てて梨里に迫ってくる。ぼくは危険を察知して、ぬっと姿を現す。そして、彼の喉元に片手を伸ばし、行く手を阻んだ。
「梨里に危害を与えようとするやつは、ぼくは許さないよ」
「な……!」
基次郎さんは驚愕していた。当然の反応だ。
契約した梨里以外に、ぼくが姿を見せ、声を聴かせるのは、何年ぶりだろうか。
硬直した彼の怯えた瞳を、よーく覗く。ぼくの姿が映っていた。
やっぱり自分でも思う。醜く禍々しい風貌だな、と。
鋭い耳、剥き出した牙、捻れた二つの角、漆黒の膚。
「……あ、あく……悪魔」
基次郎さんは声を震わせた。
ご名答。
ぼくは梨里と契約した悪魔。
梨里の夢を叶えた張本人。
こんな姿は、誰にだって見せられない。彼のように怯えさせてしまうから。
もちろん彼や英玲奈さんにも、ぼくの姿や声を認識させたことはない。思い返せば分かると思う。ファミレスで透明人間みたいに姿を消して、ただ会話を聞くだけでもそれなりに人間は面白い。
「桜の樹の下には屍体が埋まってる、っておはなし知ってますよね?」
梶井基次郎の短編の名を上げ、ぼくは静かに問いかける。
「へ?」
「美しいものが成り立っているのは、醜いものを糧にしているからだ、みたいなはなしです。ぼくは絵画が趣味なんだ。こんな醜い身なりをしてるもんだから、せめて美しい絵を描きたいんですよね」
彼は話を掴めていないようだった。
「今ね、アイボリーブラックの絵具が足りなくて。そろそろ作ろうかなと思ってる」
「アイボリー……?」
「そう。アイボリー。どうやってつくっているか知ってますか? 動物の骨を燃やして作るんだ」
わざと、動物の骨、をゆっくり発音した。
「心が醜い人間の骨でつくった絵具なら、どれだけ美しい絵を描けるだろう」
言外の意味を理解したのか、彼は腰砕けになって尻餅をつく。がたがたと肩を震わしている。
ぼくのうしろから、ひょこりと梨里が顔を出す。
彼女は魔女的な笑顔を向けた。
「レモンの中に紙切れ埋めるのも、レモンを爆弾に変えるのも、わたしたちには造作ないんです。せっかくわたしみたいな日陰者の魔法使いに憧れてくれている英玲奈先輩に酷いことをする奴は許さない」
合理的な手段をまったく用いずに奇跡を演出できるぼくたちを、手品師たちはどう見るのだろう。ぼくは空中から取り出すようにレモンを出現させる。
「もう、ぜ……絶対にやらない。ゆる……許してくれ、頼む」
声を絞り出しながら彼は乞う。
でも、ぼくは悪魔だし。
金縛りにかかったように身動きの取れなくした基次郎の胸元に、檸檬をひとつ置いた──。
「これで気詰まりな嫌がらせごと木っ端微塵だ」
レモンからは奇妙にも、かちかちと時計の音が鳴っていた。
◆おわり◆
檸檬の中には紙幣が埋まっている 緯糸ひつじ @wool-5kw
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