三話 簡単な綻び

 梨里は話を一通り聞いて、呟いた。


「……ストーカー、ですか」

「そう、みたい。すこしづつ酷くなってる」


 非通知からの無言電話。それ以外にも、いくつか不穏な手紙が届いたり、SNSにも素性の分からないメッセージが来るという。

 重苦しい雰囲気だった。

 ストーカーなんて何のためにやるのだろう。たまに人は理屈が効かない行動をする。やってる行為と得られる反応が噛み合わないのは、明白だろうに。常識が通用しない人間がいると知識では知っていても、実際に遭遇すると言葉も出ない。


「──なんかあったか?」


 基次郎さんが戻ってくると、この場の雰囲気に何かを察したようだった。梨里が神妙な表情で答えた。


「ちょっと心配なことが……、ストーカーにあってるんです」

「え。なにそれ。英玲奈先輩が? 説明してくれよ」


 一瞬で困惑した表情になった。

 英玲奈さんは押し黙っていたが、梨里がひとつひとつ丁寧に話すと、基次郎さんは質問をする。


「犯人自体に心当たりはあるんすか?」


 英玲奈さんは、力なく横に首を振った。基次郎は不快感を顕にしている。


「なんでもっと早く相談しなかったんです?」

「でも……」


 英玲奈さんは「マジシャンは人気商売だから、ある程度は……」と下を向いて呟いた。まだ我慢しようと思っているようだ。基次郎先輩はその様子をみて、不満げに肩を落とす。


「英玲奈先輩……」


 英玲奈さんはまたひとつため息を吐き、顔を上げた。


「とりあえず、まだ大丈夫。こんなタイミングに言ってごめんね。そろそろ時間だから行こうか?」


 時計を見る。マジックショーの時間が迫っていた。

 そして劇場で、ぼくらは思わぬかたちでプロ意識を垣間見ることになる。今日の英玲奈さんのマジックも、普段どおり完璧だった。魔法使いだった。


 ◆


 翌日の放課後、ぼくは梨里と歩いていた。もう日は落ちていて、夜灯が若々しい緑に彩られた桜並木を照らす。

 梨里は今日一日、顔色が冴えない。ずっと英玲奈さんのことを考えていたようだった。


「あのさ、田中」

「うん?」

「この事件、わたしが解決したいんだ」

「え、本気?」

「本気。わたし許せないよ、こんなこと」

「でも、梨里が酷い目に巻き込まれたらどうするんだ?」

「図体でかいくせに、肝が小さいなー。わたし、そんなヤワに見える?」

「いや。そういう訳じゃ──」

「それに、なんかあったら、あんたが居るでしょ。大丈夫」


 強く言い切った。信頼されて悪い気はしないけれど。

 ぼくのなんとも形容しがたい表情を見て、梨里は満足したのか話題を変えた。


「手品師の仕事は嘘をつくこと、なんだよね」

「うん?」

「英玲奈さんは昨日、自分の気持ちを置いといて魔法使いを演じきっていた」

「たしかに、魔法使いにストーカーみたいな俗世の悩みは似合わない」

「英玲奈先輩に教わったんだ。嘘をつくのはコストが掛かる。嘘を成り立たせるための嘘。それを支える嘘、嘘、嘘。手品師は嘘を成立させるために、たくさんのコストをかけて、ショーを組み立てるの、ってね」

「ああ」

「それで思った。だから、ひとつの綻びも許されないって。魔法使いがただの人になってしまうから。手品師マジシャンとして許されない。まずはじめに魔法使いマジシャンを騙っているから」


 梨里が真剣な眼差しで、道の向こうを見た。ぼくも顔をそちらに振る。梨里は言う。


魔法使いマジシャンを騙って酷いことをするなら、魔法使いマジシャンが許さないよ。見ててね」


 暗い並木道の向こうから、人影がこっちに歩いてくる。夜灯の真下に入り顔が照らされる。基次郎さんだ。余裕のある声が届く。


「おう、梨里。用ってなんだ」

「基次郎先輩、話があります。単刀直入に言いますよ」

「おう」

「あなたが嫌がらせの犯人ですよね」


 基次郎さんはふっと息を吐き、梨里を見据える。

 圧迫感のある数秒の沈黙を経て、基次郎さんは口を開く。


「藪から棒に、ひどいな。根拠は」


 声色は五月にしては酷く冷たい。


「もちろん、ありますよ。嘘の綻びを自ら差し出したじゃないですか」

「どういうことか聞こう」


 淡々と話を促した。


「わたしが言った『ちょっと心配なことが……、ストーカーにあってるんです』に基次郎先輩はなんて反応したか覚えてますか?」

「いや」

「『英玲奈先輩が?』です。あのとき、誰が嫌がらせされてるのか話してません。トイレに行って聞いてない人がどうして分かるんですか」


 基次郎は、不遜な態度で頭を掻いた。


「それだけ? 顔見りゃ、わかんだろ。そんな証拠で、よくもずけずけと──」

「じゃあ、こうしましょう。今からマジックをします。『Bill in lemon』です」


 梨里は通学バックから紙袋を取り出した。

 

「ここに何の変哲もない、ただのレモンがありまして」


 紙袋から通常のサイズより三倍大きなレモンを取り出す。ぼくはさすがにつっこんだ。


「変哲あるだろ。でかすぎだろ」

「ポンデローザって品種なの。スマホが収まりそうなのが、こういうのしかなくて」


 と梨里は笑う。基次郎さんは唐突な流れについていけずに呟く。


「スマホ?」

「はい、スマホです。ちなみに基次郎先輩、ちゃんとスマホ持ってるか確認してください」


 慌ててポケットを探る。ないようだ。焦る様子を見て、梨里は満足げに続ける。


「梶井基次郎の檸檬って小説では、レモンを爆弾と見立ててましたが、このわたし、カジー梨里にとってはワープ装置に見えまして。さぁ割ってみると──」


 ぐっと皮に親指を食い込ませ、割っていく。


「──はい、出ました。基次郎先輩のスマホですね」


 梨里はちゃちゃっと操作を始める。覗いてみると、平気で暗証番号も解除する。基次郎さんは口をあんぐりと開けている。


「あー、非通知の履歴残ってますね。うわ、あのあともやってますね? さいあくー」


 軽いノリで喋っていく梨里をよそに、基次郎さんは驚きに表情を硬直させたまま口を開く。


「おい」

「はい?」と梨里。

「いまのどうやった。さっき電話で呼び出したんじゃないか。あり得ない」


 酷い混乱と窺える。

 ああ、やってしまったか。たぶん基次郎さんの知りうる、手品の合理的な方法では絶対にできない。梨里は言う。


「こんなのあり得ない。そのとおり。こんなのできたら、もはや魔法です」

「はぁ? なにを言って──」

「でもね、もしかしたらほんとーに、出来ちゃうかもしれないよ」


 梨里は穏やかな微笑みを向けた。


「たとえば、わたしが魔女だったりしたら」


 あまりに冗談めいていた。

 だが、しかし。

 魔法少女になりたい。

 こどもの頃、ぼくに夢を語った梨里は。


「いや、ほんとに魔女なんだけどね」


 その夢をちゃんと叶えて、そして手品師にもなった。

 それは小学三年生のこと。


『悪魔との契約とか、魔女狩りとか、使い魔の世話とか、いろいろ大変なことも多いし、おすすめはしないよ』

『は、そんなこと知ってるよ。調べた上で言ってんの。まず悪魔と契約すんでしょ? ひとつずつやってくよ』


 梨里は基本的に諦めが悪い。

 そんな言葉ひとつで夢を諦めることなんてなかった。

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