マルタ旅行記⑩ブルーグロット
最終日。10時にチェックアウトし、荷物をフロントに預けてプールで時間をつぶした。それからいつものカフェでサンドイッチを買い込み、送迎のタクシーを待った。
追放刑になった人の気分だ。このホテルとお別れするのが残念で仕方がない。チェックインの手続きをしている人たちがうらやましかった。到着したばかりの客は日焼けしてないからすぐわかる。8日前は自分たちがそうだったのに、今は彼らが世界一恵まれた人々のように思えてしまう。
やってきたタクシー運転手はポーランド人だった。大柄で、長めの金髪を小さなポニーテールにしている。話好きで、空港までの30分間ほとんど一人で喋り続けていた。3年前からここで働いている。今の季節は観光向きだが春先は暑くて乾燥して空は砂で黄色くサハラ砂漠みたいになる。マルタ人はイカれた連中で国内は汚職だらけで労働市場は狭く、仕事に就くにはコネが重要、でも給料は低いし、俺は貧乏だ。日本には行ったことがある。京都と神戸。
時間を持て余して困っている私たちに、彼は「ブルーグロット」という観光スポットに行ってみるといいと言ってきた。空港のすぐ近くにある観光名所だ。5ユーロで連れて行ってやるよ。
私たちはその提案に乗った。どうせほかにすることはないし、海は名残惜しかった。
ブルーグロットは「青い洞窟」を意味する。南東の海岸にある小さな洞窟をボートで巡るツアーだ。
商売上手なポーランド人は船着き場で私たちを降ろし、5ユーロ受け取るとさっさと姿を消した。気になるのは、ボートに乗っているあいだ荷物をどうするかだ。運転手はレストランで預かってもらえと言ったが、私たちはサンドイッチを持ってきている。そこで近くのバールに置かせてもらうことにした。2ユーロのシャーベット1個しか買っていないのに、店員のお兄さんは椅子をどかして私たちの荷物を置く場所を作ってくれた。
坂道を下ると、船着き場とチケット売り場がある。お客が6、7人集まったら小さなエンジンボートで出発。杭にライフジャケットが引っかけてあって、全員それを着用するよう指示される。
船は左舷に崖を見ながら進む。カプリ島の「青の洞窟」は奥行きのある洞窟だが、マルタのそれは波の浸食によって岩肌に出来た木の洞のような窪みだ。それがいくつもある。
船頭のお爺さんは後方で操縦し、ときおり私の背中をつついて
"Look at my hand."
と言う。手ではなく、指さす先を見てという意味らしい。そこでは太陽光の反射によって海面がサファイアのように青く発光して見える。洞窟の壁も青色に照らされる。静かで神秘的な光景だ。
フィルフラという奇妙な無人島が遠くに霞んで見える。高さ700メートルの切り立った岩でできていて、厚切りステーキ肉のような形をしている。上陸は困難で、古代では神聖な島と考えられていた。サメの産卵場所があるらしい。
20分間の旅を終えた小舟は船着き場に戻った。船頭のお爺さんに同居人が50セント渡す。2人で50セントは少ないのではないかと思ったが、チップに慣れていないので相場がわからなかった。
Boltのタクシーで空港へ行き、サンドイッチを食べてお土産を買ってゲートへ向かった。30分ほど待ったところで搭乗開始となった。
ポーランド人のおじさんのおすすめに従って正解だった。というのも、ここは渋谷のスタバかと思うほど搭乗ラウンジが混んでいたからだ。ブルーグロットに行かなかったら、座れる椅子もない空港で3時間近く待たなければいけなかっただろう。
こうしてマルタ島の旅は終わった。結局、延泊しなくてよかったと思う。本格的なバカンスシーズンで混みはじめていたし、プールにいてもリラックスできなかったかもしれない。宿泊料金も跳ね上がっていたはずだ。
旅は少し物足りないくらいがいい。
そんなふうに自分を納得させてみたけれど、やっぱりもうちょっと長く滞在したかった。
ラバトでレストランを捜してくれたおじさんや、ホテルの売店のおばちゃんのことを思い出す。笑顔が人懐こいおばちゃんで、毎日そこで買い物するのが楽しみだった。
帰ってからしばらくはホテルの朝食のオレンジマーマレードが恋しかったし、あれが食べたいねと今もときどき言っている。
ズボラなイタリア生活雑記帖 橋本圭以 @KH_
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