最終話

 卓と湯船につかっていると、彼が言った。

「ごめん」

 母親が出ていってから、祐子は一言も口をきいていなかった。この時も無視するつもりだったが、彼があまりにしょげているので気が変わった。

「いいって」祐子は言った。

 よく見ると、彼のまつ毛は女のように長かった。

「でも」彼は湯に向かって言う。

「だいじょうぶだって」

 彼は驚いたように顔を上げ、祐子と目を合わせた。潤んだ黒目が、なついて来る犬のようだった。

 こいつ、私のことを好きになったな、と祐子は思った。今までにも、客にこういう目をされたことが何度かある。

 そう思っていると、卓の唇がみるみる歪み、泣き出しそうになった。赤い鼻をしながら、こくりと唾を飲んで泣くのを堪えた彼は言った。

「オレ……ボク……こんなの全然好きじゃないんだ」

「あの人、いつもああやって中に入ってくるの?」

 卓はうなずく。

「それで、あんなふうに出ていくの?」

 彼は首を振る。

「まさか、ずっといるの?」

「いつも終わるまで見てる。終わると、どのくらい出たかチェックする」

「どのくらい出たか?」

 彼はうなずく。

「いつも?」

 またうなずく。

 祐子は振り返ってドアを見た。あの針のような目は、覗いてなかった。

「何のためにずっと見てるの? 女の子に注文をつけるの?」

「ちがう。ボクに」

 祐子は首を傾げた。

「ボクに言うんだ。格好や動かす速さや、イク時のタイミングとか」

 祐子はクスッと笑った。

 つられて彼も笑った。

 祐子は棚から新しいバスタオルを取って広げ、湯船から出て来た彼の体を包んだ。

「反抗してみればいいのに」

「おかあちゃまもそう言う」彼は、友達のような口調になった。

「お母さんが?」

「もっと反抗してみなさい、って」

 祐子はため息をつく。反抗しろ、と命令までされては、反抗できるわけない。だが、母親の気持も分からないではない。きっと、息子の牙を奮い立たせたいのだ。彼の情けない様子を見ているとそれもわかる。

「一度も反抗したこと、ないの?」

 彼は口の中でモゴモゴ言った。

「男なんだから」祐子は少し考えてから「……なぐっちゃえばいいのに」

 彼は目を剥いた。

 祐子は新しいバスタオル三枚を取り、それをベッドに並べて準備した。時計を見ると、時間まであと三十分。早く終わらせないと……。

 祐子は自分から先にベッドに仰向けになり、バスタオルの前をはだけた。

「さ、どうする?」

 彼は潤んだ目で、祐子の胸から太ももまでなぞるように見た。

 これでも男だ。

 祐子の中にあった小さな同情は消え、悔しさが戻ってきた。どうしてペニスがついているだけで、男は男なのか。神様は不公平だ。どうして女は、体全部で迎え入れなきゃいけないのだろう。男はソレの先っちょでチョイチョイとやるだけ。いくら男女平等だと言ってみても、やっぱりヤラれるのは女の方だ。

「上がいい? 下がいい? 決めて。そうだ……」祐子は意地悪な気持になって言った。「あなたのおかあちゃまはいつもどうしなさいって言うの?」

「え?」

「ね、どういうふうにやれって言われるのよ? 男らしくしろって言うんでしょ? ね、どうするの? 後ろから? それとも正常位?」

「……いろいろ」

「だから、いろいろって、何よ? 言ってみなさい。その通りやってあげるから」

「べつにいい」

「よくないわよ。ちゃんとやらないと、また入って来て、私が怒られるじゃない」そうなっても、あなたは何も弁解してくれないでしょ、と心の中でつけ加える。

 彼は下を向いた。

 どうにもできないでいる、と思うと、いい気味だった。祐子はわざと黙っていた。

 彼は顔を上げ、唾を飲んでから言った。「わかったよ、最初は……最初は、フェ××××……」

「え、何? フェ×××?」祐子は大声で繰り返した。

 彼の顔が赤くなった。

「ふぅーん、それから?」

「それから……それからは、その時でいろいろだよ」

「ふぅーん。じゃ、とにかくはじめようか」

 祐子は体を起こして、彼のものを口に含んだ。

「さあ、次は? どうするの?早く言って、次は?」

「後ろをむいて、手をつくの」

 祐子は手をついて、尻を彼に向けた。

「はい、こう?」

 彼は、そこを指で探り、「もう濡れてる」と、うれしそうに言った。

 祐子は黙っていた。さっき、こっそりとローションを塗っておいただけだった。

 彼はいきなり入って来た。口の中で何かつぶやいた後、猛然と動き始めた。準備ができていなかったので、祐子には鈍痛があった。「そんなに急いで、いいの? 男ならもっと、余裕見せなきゃ」

「女のくせに口答えするな」彼は、祐子の尻をわしづかみにした。

「やっと男らしくなって来たじゃない」祐子は首をひねって彼を見る。「男らしいわよ」

「ふん。今度はそこに行って、犬みたいに四つん這いになれ」

「それもお母さまのご指定?」

「うるさい」

 彼は、また後ろから入ってきた。さっきより固さがなかった。

「大丈夫?」

「大丈夫だよ、うるさいな。……今度は寝ろよ」

「こう?」

 彼は、祐子の両足首を持ち上げた。

「すごい、すごく男らしいよ」

 祐子が薄目を開けて見ると、彼は真顔で、小鼻を膨らまし、どこかムキになっていた。

 祐子の中に、また嫌悪が湧いた。目を閉じて見ないようにし、ちゃんとした男に抱かれていることを想像した。引き締まった筋肉質の体をした客たちを思い浮かべた。男の平たい下腹部が、なだらかに下に続いている様子を思い浮かべると、祐子はいつものように妙な気持ちになった。彼らは皆、堂々として、自信ありげだ。激しい動きの中には、せわしなさではなく、有無を言わさぬどう猛さがある。そうされると、祐子は何も考えられず、幸せになってしまう。女を先にイカせるまでは自分はイカないという、男のプライドも好きだった。男がその瞬間に、うっ、と漏らす、ストイックな声も好きだった。

 卓の腹が、ペチンペチンと音を立てはじめる。

 祐子は、終わってから言ってやる台詞を思いついた。……男らしかったわよ、これなら、おかあちゃまも許してくれるわよ。

 突然、卓の動きが止まった。

 祐子が目を開けると、彼は悲しそうな目で祐子を見ていた。

「どうしたの?」祐子は一瞬、心を読まれたかと思った。

「ねえ……」彼は間を置いてから続けた。「きみ、きれいだね。……キスしていい?」

「それはダメ」

「そうか……」彼は口を歪めた。泣き出すかと思った。「じゃあ、……上になってくれない?」

「いいの?」

「いいよ」

「おかあ……さまは?」

 彼は扉の方を素早く見やった。「ねえ」と哀願するように言うと、祐子を押しのけて、自分から仰向けに寝転がった。

 祐子は彼に跨がり、彼の顔を見下ろす。

「その前に……キスしたいんだ」

「だから、それは……」

「口じゃなくてもいいから」

 彼は、祐子の腰をつかんで自分の顔に持って行った。祐子は膝でいざって進み、顔を跨いだ。彼は、まるで果物にでもかぶりつくように口をつけた。分厚い舌でべろべろとなめまわし、ちゅうちゅうと音を立てて吸った。

 祐子は声を押さえた。

 ……こいつでは感じたくない。

 体をねじって扉を見たが、母親はいなかった。少し残念だった。母親が今の様子を見たら、さぞがっかりするだろう。

 彼のものが入ると、祐子はすぐに腰を使った。嘘の喘ぎ声を出しながら、薄目を開けて、壁の孔雀の羽を数えた。最後、卓は無言だった。

 ……一丁上がり。

 卓の上から降りかけた時。

 今まで、終わった後にそんなことをした客はいなかった。仰向けのままの卓は、両手の五本指をパッと開き、「キラキラキラ」と言いながら自分の周りでクルクルと回していた。

 裕子にはそれが何かすぐ分かった。絶頂の後、砕け散った快感が星屑のように散っていくあの感じ。

 男も同じなんだ、と思った。

 けれど、こんなふうに表現した人は誰もいない。

 なんとなく彼に悪かった、という気になった裕子は、その場に居づらくてベッドからおり、シャワーを出して温度を調節した。

「さあ、どうぞ」

 時間はもうオーバーしていた。


 卓に服を着せ終わった時、計ったように母親が入ってきた。

「卓ちゃん、どうだった?」母親は祐子を無視して言った。

「うん」卓はそれしか言わなかった。

「ちゃんとできたのね?」

「うん」

「じゃあ、行きましょう」

 卓は去りがたそうに祐子を一瞥し、母親の後に続いた。祐子は、玄関まで行かず、戸口で二人を見送った。

 控え室に戻ると、次の客がもう入っていた。すぐに廊下に出て迎えると、よく知った常連客が、いつものようにシャツのボタンを胸まで開け、分厚い胸板を見せつけながらガムを噛んでいた。

「おう、来たよ。元気か?」

「わぁ、もう来てくれないかと思った」

 祐子は、彼の肩にしなだれかかりながら部屋に連れて行った。

 部屋の中で、分厚い体に組み伏せられ、彼を三度イカせ、最後に祐子もイった後、

「何してるんだ?」と彼が言った。

「何でもない。キラキラキラって言っただけ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

客にキラキラを注入された嬢の話 ブリモヤシ @burimoyashi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ