執筆後記

北海道幾春別いくしゅんべつ

空知そらち地方に位置する、人口500人に満たない寒村である。

主産業はない。もう、なくなった。


幾春別町停留所でバスを降りると、むかいの山の中腹に、朽ち果てた巨大な人工物が見える。大きな『奔別』の文字――放棄された奔別炭鉱ぽんべつたんこうの、立坑櫓たてこうやぐらである。


さて、そこから一歩。振り返ってみる。

反対側には石垣ばかりになったプラットホームの跡と、そして、そのそばに、それはもう高く、春楡ハルニレの大樹が聳えている。


『アカダモの木』――そばに立つ案内書には、そう書かれている。


アイヌ伝承によれば樹齢600年。

人がこの地に踏み入る前からずっと、この地で春を数え続けている。

春を告げるウグイス春告鳥はるつげどり歌詠鳥うたよみどりとも称されるそうだが、この春楡ハルニレならなんと呼べばよかろうか。夏告げ、春終え…と色々考えてみるものの、「木」という一語に繋げるには、なかなか語調が悪い。やはり、地元で150年以上に渡って親しまれる『アカダモ』という呼び名が一番な気がする。


明治の初め。人々は、この大樹を目指してこの地へやってきたといわれる。

幾春別は、石炭に始まり、石炭で栄えた。東京と大阪に次いで日本で3番目に鉄道ができて、ここを原動力にして明治の産業革命は始まった。「北海道」が明治からの呼び名であることを鑑みれば――北海道の原点といっても差し支えないかもしれない。


北海道と聞けば、大自然と空と花畑の広大な光景ヴィジョンを思い浮かべるのが普通だ。轟々と黒煙を噴き、石炭と鉄鋼を日々粛々と穿うがつ。そんな風景には、もう思い至らない。

当然だ。大樹の根本に腰掛けて眺める草原に、もう往年の面影はないのだから。



『わが帝国の無尽庫むじんこと 世に名ざさるる北海道』

北海道唱歌1番の歌詞にある通り、北海道はその莫大な資源を期待されて切り拓かれたことに始まる。黒ダイヤとも呼ばれていたことからわかるように、当時の石炭は宝だった。その石炭に恵まれたのが、北海道だった。

ゆえに全国に先駆けて工業化が進み、産炭地域である空知地方は空前の繁栄を謳歌した。だから、たった半世紀前までは、北海道では黒煙の風景が当たり前だったのだ。


しかし、繁栄に永遠はない。


マル生運動。エネルギー革命。

70年代以降、北海道を支えた石炭は、確実に衰えていた。

それでも決定的だったのは――本作では"幌内新炭鉱崩壊事故"として取り上げた――『北炭ほくたん夕張新炭鉱ガス突出とっしゅつ事故』である。


1981年10月16日に北炭ほくたんが経営していた夕張新炭鉱で発生したこの事故では、概ね本作と同じような経過を辿って注水が行われたため、市街地の崩壊へは至らなかったものの、10年足らずで空知地方の産業を崩壊へ至らしめた。


本作で描いたとおり、この新炭鉱に北炭ほくたんは全てを賭けていた。そしてそのプレッシャーは裏目に出た。全てを賭けていたからこそ、次善の策などなかった。背水の陣で臨んで、水は決壊したのだ。

「まもなく石炭は死ぬ、ならば地元経済への影響を最小限に安楽死させて」――70年代から地元が唱えていた願いも虚しく、石炭の帝国は急速に失墜した。


当時、三井財閥の中核企業であり従業員2万を抱えた北炭ほくたんは、現在、社員総勢たったの9。北炭の炭鉱が支えた町々は、言わずもがな。



最盛期、人口6万。

谷間を縫うように団地が、ビルが建設され、線路が敷かれ、坑道が掘られた。ひっきりなしに石炭が行き交った。そんな在りし日の夢の跡は――いまや草藪の中。日本で3番めの鉄道として開通した幌内線ほろないせんも、1987年には、99年の命に終止符を打った。


100年足らずの繁栄であった。


全国の市を人口が少ない順に並べると、上位5位は――歌志内うたしない赤平あかびら芦別あしべつ三笠みかさ夕張ゆうばり――全て、空知地方のまちだ。栄華の果てにあるのは、どこまでも澄み渡る碧空なのだ。

行政の無計画だ、炭鉱の無謀が原因だ、そう単純に追及することはできまい。諸行無常、まるでこの一言に収まってしまう――だからこそ残酷なのだ。この世界は。




ゆえに、焦がれるのだ。

この悠久の大樹に。


樹高21メートル。現在でも遠くから十分目立ち、幾春別いくしゅんべつの道標となっている。

その役割は昔からずっと変わらない。

人の営みは一瞬で興亡するのに、自然の営みはなぜこうも、遠大なのだろう。



白蛇が住むとも伝えられるこの大樹は、御神木とされ、地元に大切にされてきた。

これからもずっと、人々がいなくなっても、三笠山みかさやまの裾、ここ幾春別の地を見守り続ける。この地が夢見た儚い物語を知るのは、まもなく、この大樹だけになるだろう。




もうすぐ野分のわき立とうと露を零す熊笹の狭間に、錆びたレールが覗く。

古びた看板を見つけた。そこにある駅名のひとつひとつが、なかなかに叙情的だった。


『   さよなら幌内線 1987年7月13日 

 岩見沢いわみざわ - 栄町 - 萱野かやの - 三笠みかさ - 唐松とうまつ - 弥生やよい - 幾春別 』


岩見沢に栄えた町も、ススキの野となり三笠の裾に還るのみ。

唐松息吹いぶくこの弥生の季節――また幾つ、春をわかつ。




アカダモの木は、そんな私を嘲るようにただひたすらに、悠然と佇んでいた。

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幾つ、春に別れて。 占冠 愁 @toyoashi

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