魔法少女に手錠をかけないで

ふーけ

第1話

 二十七年前、ある二つの出来事が日本社会の姿を一変させた。

 一つめが、空に青い光に包まれた月が突如出現したことだ。

 を『月』と呼ぶには、些か語弊があるのかもしれない。

 何故なら、今も我々がよく知る『月』は空に存在しているのだから。

 しかし、不気味な青色をしている以外、の見た目は『月』に大変酷似している。

 なので、人々は便宜的にも『月』と呼ぶことにした。

 その『月』は昼夜問わず空に居座り続け、決して欠けることはない。

 青い光を帯びて、太陽やと点対称に、今も存在している。

 そんな異常な『月』と関係しているか定かではないが、もう一つの異常な出来事が続けて起こり始めた。

 人々の中から、超常的な異能力を発現させる者たちが現れたのだ。

 空を自由に飛び回るなんて序の口で、コンクリートを飴細工のよう溶かし、動植物を自分の手足のように操り、片方の指先から炎を、もう片方の指先から氷を出す……。

 そんなことが当たり前のように出来る人間の出現。

 人々が混乱しない訳がない。

 人知外の存在に対する畏怖の念からの差別。

 そして、それを発端とする異能力者の人権問題と排斥運動。

 運動はやがて対立に代わり、日本各地で異能力者と普通の人間との争いと衝突が起こった。

 この混乱がある程度収束するまで、さらに年月を重ねることとなったが、今現在日本社会はようやく落ち着きを取り戻しつつある。

 かつて『異能力者』『化け物』と呼ばれ差別された者たちも社会的な地位を確立し、人々の生活に溶け込んでいる。

 彼ら……いや、の存在は当たり前となりつつあった。

 異能力が発現した者たちには共通点がある。

 それは、能力が発現するのが九歳から十二歳の間の年齢で、能力が発現して以降は見た目が一切変わらないこと。

 そして、能力を発現するのが例外なく日本人女性だけであること。

 人々は、彼女たちをもう『異能力者』や『化け物』とは呼ばない。

 その超常的な力と見た目から、人々は彼女たちをこう呼んだ。

 『魔法少女』───────と。



 ※



 俺は、ふと五月空を見上げる。

 別に何か感傷に浸っているわけではない。

 すし詰めの通勤電車内の手持ち無沙汰に、ぼんやりと窓の外を眺めていただけだ。

 建ち並ぶビルが車外で流れていくその間から、朝空に浮かぶ青い『月』が何度も顔を覗かせた。

 くっきりと輪郭を描き、空の青さとは別の青さがはっきりとわかるくらいよく見える。

 天気予報で言っていた通り今日は快晴なようだ。

 だが、空の清々しさとは裏腹に俺の内心は憂鬱であった。

 その理由は、今年の春から配属された職場にある。


「行きたくねぇ……」


 出入口のガラス窓に額を擦りつけながら、思わず心の内が弱音となって口からこぼれる。

 幼い頃、昔気質むかしかたぎの父から「男が簡単に弱音を吐くな」と教えられ、それを今まで忠実に守ってきた俺だが、そんな信念すらも容易くへし折られてしまった。

 死んでしまった父も草葉の陰でさぞや嘆いていることだろう。

 しかし、それは俺の心が脆弱なのか、それとも今の職場環境が劣悪なのか。

 判断しかねるところだが、俺は後者であると考えている。

 というか、そう信じたい。

 言い訳がましいかもしれないが、本当に今の俺は最悪の環境におかれているのだ。

 どれだけ最悪かは個人の考え方もあると思うので、これから各々で判断していただきたい。

 俺に共感できる者もいれば、「むしろ最高だろ」と思う者もいるだろう。

 ただ一つ確かなことは、俺がかなり特殊な環境に身を置いているということだ。



 ※



 ――――――小津おず警察署、魔法少女特殊対策課。

 通称『魔特課』。

 それが警察学校を卒業し、今年の四月から配属された俺の職場である。

 そう、何を隠そう俺はピカピカの新人巡査……つまり警察官なのだ。

 どうしようもない落ちこぼれだった俺が、念願叶ってこうして警察官になれたのは奇跡に近いことだ。

 だからこそ、そこが例え最悪の職場だろうと健気に勤め続けていられている理由でもある。

 俺は深呼吸をして、目の前の扉を睨みつける。

 扉の上にはプラスチックの札に『魔法少女特殊対策課』と黒字で書かれている。

 できることならこのドアノブを捻らず、そのまま回れ右をして帰りたい。

 しかし、前述した通りの理由とほんの少し残ったプライドがそれを許さない。

 俺は今日一日を乗り越える覚悟を決めると、ドアノブを捻って重たい扉を開いた。


「おっ……おはようございますっ」


 表情筋が痙攣しているのは自覚できる。

 それでも、精一杯爽やかな笑みをたたえつつ俺は挨拶をして扉をくぐった。


「あ~テツくぅん~おはよぉう~」


 俺を出迎えたのは、鈴の音より高く、象の鳴き声より間延びした、砂糖より甘ったるい声だった。

 フォントにしたら、丸っこい、如何にも女子が書きそうな字で表現されるであろう声だ。

 まぁ、それだと読みにくいので普通の字体で表記する。

 その声の主は、ツインテールにした髪をぴょこぴょこ動かしながら、こちらに走り寄ってくる。

 日曜夕方のアニメに出てくる幼児たちのような足音が聞こえてきそうだ。


「今日も早いねぇ~エライエライ」


「星見ケ丘さんの方が早いじゃないですか」


「そりゃあ、わたしだってもう勤続三年目だしね! これくらい当然だよ!!」


「だったらいい加減私にモーニングコールを頼むの止めてくれない?」


「あ~! ユウキちゃんのいけずぅ~!」


 デスクでディスプレイと向き合う女性に、ツインテールを振り回してプリプリ怒っているこの女性が、俺の上司である星見ケ丘ほしみがおか あいさんだ。

 今年で二十六歳になるらしい。

 え?

 二十六にもなる女がこんなぶりっ子みたいな言動をしてるのかって?

 その点は心配ない。

 何が心配ないのか言っている俺自身もわかっていないが、とにかく心配ないのだ。

 何故なら、彼女の容姿はどう見ても二十六歳ではなく、小学生女子と言われても疑うことのないものなのだから。

 彼女だけではない。

 星見ケ丘さんを適当にいなしているデスクの女性も、その後ろでキャビネットから資料を出している彼女も、俺の後ろから今しがた出勤し通り過ぎたあの人も、みんなどう見ても小学生の女の子である。

 そう、ここは『魔法少女特殊対策課』。

 昨今問題となっている魔法少女絡みの事件を取り扱う部署。

 この部署はその事件の特殊性と『目には目を』という理屈から、その構成員は同じ魔法少女で占められている。

 たった一人、神代かみしろ 鉄子てつし…………つまり、俺という例外を除いて。

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