第2話

「テツくんどうしたの? 元気ないねぇ」


 小首を傾げながら、星見ケ丘さんが俺の顔を覗き込む。

 『覗き込む』といっても、星見ケ丘さんの身長は俺の腰辺りくらいまでしかないので、正しくは『見上げ込む』といったところだろうか。

 このように、特段職場の人々の人柄が悪いわけではない。

 俺に対しても好意的に接してくれており、大変有難いことである。

 しかし…………。


「いや、大丈夫ですよ」


「そっかぁ。でも、無理しないでね。私も生理の時はいつも無理しないようにしてるから。私のヤツは人より重くてさぁ~」


 俺は幼げな口調とは馴染みのない言葉が飛び出し、固まる。

 そんな俺の様子を察したのか、星見ケ丘さんの横に座る月島さんが呆れたように星見ケ丘さんを肘で突っつく。


「何? ユウキちゃん?」


「馬鹿。テツはまだ穢れを知らない純情童貞チェリーボーイだぞ? 言葉を選べ言葉を生々しいぞ」


「あ、そうか! ごめんねテツくん!! でもでも気にしないで! 『チェリー』なんて可愛いじゃない!!」


「…………」


 フォローになっていないフォローの言葉をかけられている俺の耳に、周囲からクスクスと笑いを抑える声が聞こえる。

 諸君、わかってくれただろうか?

 これが俺の現状である。

 待て、言いたいことはわかる。

 職場の人間関係で苦労することなんていくらでもあるだろう。

 また、世の中には年端もいかないような年齢、もしくはそれに類した容姿をした異性に惹かれる者もいるだろう。

 前者は、まだ数年とはいえ社会人を経験した身としては重々承知している。

 後者はそういった個人的嗜好にとやかく言うつもりはない。

 勿論、犯罪的なものを除いてだが。

 だが、この世に生を受けてから二十年。

 中高を男子校、警察学校でも男だらけの寮生活と、女っ気のない人生を歩んで来た者にとってこの女性だけの空間はあまりにも居心地が悪く、そして異世界過ぎるのだ。

 いや、異次元と言っていい。

 普通の女性とですら話す時に戸惑うのに、見た目年端もいかない少女ならば尚更だ。

 しかも、今まで職場に男性が一切いなかったこともあり、彼女たちの口からは生々しい女性特有の下ネタが恥ずかしげもなく出てくる。

 なんで俺は自分より見た目幼い異性からこんな辱しめを受けてるの!?

 いや確かに童貞だけども!

 まだ清い体のままだけど!!


「あのぉ……お二人とも」


「「ん?」」


「前々から言ってるんですけど、もうちょっとその……言動に気ぃ遣うとかしません?」


「気を遣う? 何かわたしたち変なこと言った?」


「うん、言ってた。ついさっき」


「ほら見ろ愛。やっぱり異性の前で生理の話題は不味かったんだぞ」


「いや、火村ほむらさんもですからね」


「は? 私が何か間違ったことを言ったか?」


「事実だから尚のことタチが悪いんですよ! って何言わせんですか!!」


「勝手に言ったのはお前だろ」


「とにかく……お二人に限らず、魔特課ここの人たちはもっと自分の体裁を気にした方がいいですよ」


「そんな! わたしたちお洒落にはかなり気を遣ってるんだよ!!」


「うちの課は捜査の関係上基本私服だからな。毎日の着回しにも一苦労だ」


「いやだから服装じゃなくてもっと中身の方です」


「服装じゃなくて…………」


「もっと中身…………」


 俺の言葉に二人は顔を見合わせる。

 そして何かに気づいたのか、二人はハッとしてこちらを見た。


「テツくん……男の子だからに興味を持つのは仕方ないと思うけど……いくら何でも女性に下着のことを指摘するのはちょっと……」


「鎖骨粉砕しろ」


「違います!! 中身ってそういうことじゃないです!!」


「えっ……じゃあ更にその奥の……下の……わっわたし生えてないもん!!」


「頭皮ごと髪の毛全部剥がれろ」


「違うわ! っていうか月島さんさっきからいちいち怖い!!」


 この人らの頭は何ですぐシモの話に繋げたがるんだ?

 っていうか星見ケ丘さん生えてないのか……………じゃなくて!!

 変態か俺は!!


「マヂセクハラって無理。これだから童貞こじらせた男は……愛も気を付けなよ」


「俺は貴女にセクハラされてるんですが……」


「知らんのか小僧。世間ではこれを『ご褒美』と言うのだぞ」


「どこの世間だよ! いやだわそんなニッチな世間!!」


「朝からうるさいぞ。何を騒いでるんだお前ら」


「あ、『ボス』。おはようございます」


 俺たちの口論(?)を仲裁したのは他でもない、通称『ボス』こと日ノ輪ひのわ 夢子ゆめこ女史その人である。

 女だてらに三十二歳という若さで巡査から警部にまで登り詰めた驚異の叩き上げである。

 魔法少女犯罪に関してはエキスパートであり、警視庁に招かれて講師まで務める女傑中の女傑だ。

 まぁ、本人も魔法少女で見た目はどう見ても小学生なんだがな!


「ふんっ!!」


「あ痛っっつ!?」


 突然右足に激痛が走り、俺は思わず顔を歪ませる。

 何事かと足元を見ると、ボスの小さな足の爪先が俺の足の甲にめり込んでいた。


「痛い痛い痛い痛い!! ボス離して離して!!」


「痛いだろう? ここの足の甲のツボを押さえ込まれるとだな、人は身動きがとれなくなる」


「何で今それを俺に実践するんですか!?」


「お前が人を見かけで判断するようなことを考えたからだ。魔特課ここでは人を見かけで判断すると命取りになる」


「エスパーかあんた!?」


「魔法少女だ」


 ようやく足を離してもらえた俺は、涙目で足の甲を擦る。

 マジで痛かった。

 あまりの痛さに悶え過ぎてかけてた眼鏡を床に落としちまった。


「そんなことより愛、。仕事だ」


です、ボス。いい加減覚えてください。って仕事?」


 ボスの「仕事」という言葉に、俺は眼鏡をかけ直し、足の痛みを堪えて立ち上がる。

 俺が立ち上がった時、ボスは星見ケ丘さんに一通の茶封筒を手渡していた。


「ボス、何ですかこれ?」


「だから仕事だと言ってるだろ。二人共中の資料に目を通したら、すぐ仕事にかかってくれ」


「仕事って……どんな……?」


 首を傾げる俺と星見ケ丘さんに、ボスはため息をつく。

 あ……このパターンは………。


「私たちの『仕事』なんて決まってるだろ」


 そう言い残すと、ボスはスタスタと自分のオフィスの方に歩いていく。

 そして結局、何の説明もしないまま、ボスは自分のオフィスに入っていった。

 魔特課うちのボスは、基本的に説明をしたがらない。

 部下に自分で考えるようにさせたいのか、単に自分がめんどくさいのか。

 多分、後者だろうけど。

 警視庁で講師とかしてるクセに。

 おっと、そんなことを考えていてはまた足の甲のツボを突かれちまう。


「しょうがないなぁ、ボスは」


 そう言いながら苦笑いを浮かべ、星見ケ丘さんが俺の方を見る。

 今回ばかりは、俺も同意の苦笑いを返した。

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