第5話 ロペス商会の手引き

「それじゃあ、留守番頼んだよ」

「任された。と言っても店は閉めるのだろう?」

「まあね」


 朝一番から仕事をさせてしまったせいか、大きな欠伸をするアリザに見送られ、ヒューイは荷台を転がしながら家を出た。ヒューイがいない間、店舗になっている正面扉は施錠したままだ。直接店に来るような常連の中にはその場で調薬を依頼する者も少なくない。だからこうして敷地内にいない時は基本的に閉店の構えを取っている。

 代々続く伝統のようなもので、ヒューイもそれに従った。

 ガラガラと荷台が石畳の道で揺れる。それでも運搬する薬のガラス瓶が耳障りな音を立てないのは、車軸と荷台の間に挟んだ緩衝材のおかげだ。ヒューイはゆったりと人通りのまばらな裏通りを進んでいく。

 バイエルンの街並みは石灰質の壁と木組みの構造を主体とした木造の建物が軒を連ねている。早朝をすぎたからか荒い仕上げのガラス窓の多くは開かれ、鉄が緩やかなアーチを描くベランダに干したての布がはためく。屋根となる瓦は近くで取れる赤土の粘土で作られており、見るも鮮やかな紅色と洒落込む。通りに面したバルのテラス席はパラソルが広げられていて、朝刊片手に朝食を摂る人の姿があった。

 ヒューイは住宅街の路地を通り抜けて、大通りをしばらく進み、とある気さくな店構えの建物の前で立ち止まる。そこには既にヒューイを待つ者がいた。


「どうも」

「きちっと仕事をこなしてくれて助かるよ」


 少しばかり恰幅の良い体型に橙と黒を基調とした制服を羽織り、潰れた鼻に丸眼鏡を掛けた中年の男は歓迎するように両手を広げた。ヒューイはそれにお辞儀で応え、すっと割り込んだ従業員に荷台を任せる。


「まあ、茶でもどうだ?」

「ありがとうございます。頂きます」

「はっはっは」


 くるりと上機嫌に踵を返した男はこの商店、否、この商会の会長だ。名前をユング・ロペスといい、ロペス商会は王国内に点在する迷宮都市でめきめきと頭角を現して中堅どころ。そしてヒューイが唯一薬類を卸している所でもある。


「座ってくれ」


 階段を上って二階の客間に通され、程なくしてティーセットが運ばれてきた。チャリ、とヒューイの手元に上品な布袋が置かれる。従業員が耳打ちするとユングは頷く。


「依頼した分の代金は入っている筈だ」

「はい。確かに」


 ヒューイが紐を緩めるといくらか多めに硬貨が詰め込まれていた。滅多にあることではないが、体良く言えば割増料金ということだろう。迷惑料とも言う。


「それで、どうしたんですか? ずいぶん急な依頼でしたが」


 普段の納品は、それこそ店先で済ませてしまうことも少なくない。何せユングはこの本店の他にも複数の支店を抱えている。それらの視察で不在の時もあり、たかが労いで応接室に招く時間はそれほどないはずだ。

 それにユングも然りと首肯する。


「ああ。迷宮で未開拓領域が発見されたらしい」

「……階層は?」

「悪いがそこまでは開かせない。私も所詮仲継ぎでしかないからな」


 未開拓領域とは、単純には新たに発見・報告された、マッピングされていないエリアや階層のことを指し示す。意図的に隠された場所がほとんどで、発見できれば一生遊んで暮らせるだけの財産を築くことも不可能ではない。

 一方、危険が多く潜むエリアでもあることは言うまでもなく、そのための急な製作依頼だったことが容易に想像できた。ヒューイが日常的にストックしている素材が尽きるほどの量を必要とする数量。とても尋常ではない。


「依頼人は……ギルドですか?」


 通常の方式であれば冒険者は未開拓領域を発見し次第ギルドへの報告が義務付けられている。それはギルドの運営方針に基づくもので、発見した冒険者にも貢献度等のメリットが存在する規定だ。ギルド直属の部隊が偵察に赴き、その後に冒険者による攻略隊が組まれるのが通例。

 だがしかし、ユングは重く息を吐いた。


「個人だ、とだけ言っておこう」

「……なるほど」


 それを聞いて察せられないほどヒューイも疎くはない。決して安価とは言えないシヴァの葉印のポーションを大量に買い占める財力、恐らくは攻略隊規模の戦闘要員を抱える武力、そしてユングの口をつぐませギルドに悟られないよう行動できる権力。

 そんな『力』を揃えているのは、貴族くらいのものだろう。


「ありがとうございます」

「礼を言われる筋合いはない」


 素っ気ない言葉だったが、ヒューイは深く頭を下げた。

 ユングはヒューイを貴族と関わらせないために依頼人をぼかしたのだから。

 ズキリ、と幻覚の痛みを疼かせた左肩をさすり、ヒューイは水分を欲してカップに口をつける。ユングも神妙な表情をしていた。

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