第3話 冒険者アリザ

 アリザは風呂場の脱衣所まで来たところで着替えを失念していたことを今更知覚する。しかしそれを見透かしたかの様に、タオルが積まれた棚の一角、洗い籠の横にちょこんと替えの衣類が置かれていた。動きやすい、丈夫な糸で編まれた七分丈のパンツと麻のインナー。下着についてとやかく言う気はない。


「女みたいな奴だとは思うが、な」


 ヘルムを荒っぽく脱ぐと、長い赤毛を一つに束ねたアリザの、それでもどこか不満げな顔が覗いた。面長に高めの鼻、細く尖った眉は精悍さを感じさせる。実力主義の風潮が強い冒険者稼業にあっても、『女の前衛職』というのは比較的軽んじられてしまう。

 故にアリザはいかつい全身鎧を纏いヘルムで極力顔を見せないようにしていた。


「全く、ヒューイは私をなんだと思っているのか」


 ため息を吐きながらアリザは鎧を脱いでいく。鎧下から見える肉体はやや筋肉質でありながら引き締まっており、しかして女性的な美しさを損ねず保っていた。うっすらと汗ばんでいるのは今回の採取が強行軍だったためだ。

 迷宮バイエルンは典型的な地下迷宮である。その階層は五十を優に超えるとされ、まだ底は確認されていない。十層毎に構造が変化しそれにつれ棲息モンスターも変化する。階層の広さは下に行くほど広がり、五層の時点でバイエルンの街と同程度の広さを持つ。

 朝イチに揺り起こされ、急いで七層にあるサイゼンの群生地に向かってくれと言われた時のアリザの心境も察せられようというものだ。


「これでも金等級なのだぞ」


 浴室の鏡に映った肢体に辟易としながらアリザは呟く。どこまで鍛えても胸の膨らみと体の曲線はなくならない。むしろ女性らしさを引き立てている節さえあり、アリザは自らの体が嫌いだった。

 浴槽のぬるま湯をかけ汗を洗い流していく。

 この薬屋で居候をしながら冒険者として身を立てるアリザは、当然ながらバイエルンにもあるギルドに冒険者として登録済みだ。金等級というのは実力や貢献度合いに応じて査定されたアリザの評価。控えめに言ってかなりの実力者である。

 鬼武者、という二つ名を冠されるほどには。

 武者というのは東方の武人の事を指していたな、とアリザは独りごちた。別に東方の出身でも、東方の武器防具を好んでいる訳でもなし、噂が独り歩きした末の二つ名。不本意でないではないが女性らしさの欠片もないものであるから概ね良しとした。

 鎧を纏い剣を振るう間だけ、アリザは性に縛られず生きる事ができる。


「……ふん」


 これまではそれなりのスパンで迷宮都市を転々と渡り歩く生活を続けていた。ひとつところに留まらなければ、アリザの素性がバレることはない。流れの冒険者として食い繋いで行くだけの腕っ節もある。一人は気楽でしがらみもない。望まなければ誰とも関わらず生きていける。

 それでも今こうして、居候しているのはちょっとした縁と居心地の良さに落ち着いてしまったからだ。一人でいることに少しばかり疲れたのだ。

 柔らかなタオルで水分を拭き取り手早く袖を通す。通気性の良いサンダルで丁寧に掃除された廊下をパタパタと歩いた。青臭くも爽やかな薬剤の臭気が染み付いた家は、無頼のアリザをも受け入れてくれている気がする。

 鎧で隠した性別や、金等級の実績、語らない過去などを抜きにして。


「上がったぞ」


 台所に来たアリザは、ぶっきらぼうに言う。

 間を置かずして戻ってきたヒューイが手際よく朝食を用意する。味については文句をつけるまでもなく、流れ時代には考えもしなかった血の通った温かみのある料理だ。


「神に感謝を」


 古びた木の食卓。対の料理の前で向かい合わせに座ったヒューイが両手を握る。

 アリザは神をあまり信じてはいない。いるかどうかも分からないものを有り難がったり、馬鹿正直に信奉したりする気にもなれない。迷宮では常に危険と隣り合わせの冒険者が信じるのは己の腕っ節。生きて帰った者が勝者であり、全てだ。


「神に感謝を」


 ならばこの平和はなんなのだろう。

 アリザが感謝するならば、この幸運にだ。

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