第2話 調合師ヒューイ

 さて背嚢を抱えた青年、ヒューイは調合台の向かいにあるテーブルの上で慎重に背嚢を逆さにひっくり返した。ざらざらと出てきたのは数種類の果実や種子たち。そのどれもが春先ではなかなか出回らない夏や秋を旬としたものだ。迷宮はつくづく地上の常識が通じない場所であると実感させられる。

 もっとも、季節関係なく様々な素材を必要とする調合師にとっては有難いことだ。


「うーん、いい感じだ」


 ヒューイは赤黒いベリーの一種である、サイゼンの実を軽く選別しながら唸る。これから作るポーションには必要不可欠な素材だ。乾燥させれば日持ちはするが、その分だけ完成した商品の質は落ちてしまう。定期的に彼女、アリザに納品を頼んでいたものの、懇意に卸している商店の要請で急遽必要になってしまったのだ。

 ヘタを取り除き軽く水にさらしたサイゼンの実を小鍋に移し、そこから人差し指の関節一本分だけ多めに魔力水を注ぐ。

 魔力水は裏庭の井戸水にヒューイの魔力を馴染ませた水のことであり、調合師が薬を作る際に使用する定番中の定番素材だ。魔力で単純に効能を引き上げるだけでなく、魔力水に含まれた自らの魔力を通じて薬の品質を感じるため、という理由もある。

 沸騰するまでの間の時間を使って、庭で採れたハーブたちをまとめてブーケガルニを作った。柑橘樹木ニームの葉には疲労軽減、高山植物バリアンの花は気力向上、どこにでも生えるワイズは茎も葉も含めて造血作用がある。そこにオリジナルレシピで、気付にもってこいなキルケの花山椒を加え一煮立ち。木べらでくるりとかき混ぜるとワインレッドの液体が踊った。

 ヒューイは指揮棒の様に、流し台の底に置いたボウルへ木べらを振る。魔法使いが杖を使って呪文を唱える要領でひたひたに張られた魔力水を操った。


「温度降下、マイナス二度くらい」


 フイ、という造作ない動きと連動してボウルから靄が立ち上る。マイナス二度は魔力水が凝固しないギリギリの温度だ。ちなみに普通の水はゼロ度で凍り始め、魔力水にした時の二度の凝固点降下は調合師の間では常識とされている。

 なんてことはない。魔力水を自在に操る事ができて初めて、調合師は見習い卒業だ。

 そこへ背の高いガラス容器を沈ませ、ヒューイは空いた手にザルを持って小鍋の液体を濾す。ワインレッドの液体は曇りなくガラス容器の中で冷やされ、艶やかな輝きを放った。冷却材の役目を果たした魔力水は常にマイナス二度を維持したままだ。ポーション作りの中で成分抽出以上に難易度が高いとされる冷却作業を、ヒューイは難なくこなす。

 くるりと回したマドラーの先を舐めればサイゼンの実の甘さとキルケの花山椒のピリリとした辛味。規格品の試験管に満たせば、迷宮都市では湯水の様に消費される、体力ポーションの完成だ。

 試験管の表面には赤銅色で薬草の一つであるシヴァの葉がレリーフ状にあしらわれている。それがヒューイの経営するこの店の商標エンブレムだった。

 納品用の木製ケースに試験管を並べて一仕事が終わりだ。

 後片付けをてきぱきとこなして、ついでにと頼んでいた薬草たちの仕分けと下処理も済ませてしまう。これにも魔力水が役立つ。乾燥による質の低下を減らせるのだ。それらを一通りやって「ふう」と息を吐く。


「上がったぞ」


 ちょうどアリザの声が聞こえる。

 ヒューイは手を濯いで台所へ向かった。

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