迷宮都市の片隅で

金木犀

第1話 迷宮都市の片隅で


 迷宮。それは人をおびやかすモンスターを生み出す災害の一種だ。

 山や森の中に、時には海底に突然現れては、周囲の生態系をことごとく破壊する。迷宮から無尽蔵にモンスターが溢れる現象は、いわゆる『スタンピード』と呼ばれるものだ。モンスターを吐き出し終えた迷宮は跡形もなく消え、やがてモンスターもいなくなり、荒れ果てたその地は長い年月をかけて再生していく。

 村落の近くで迷宮が生まれたのならば人々は即座にその土地を捨てなければならなかった。迷宮は災害なのだ。どうにかして抗うよりは、逃げてやり過ごす方が賢明である。

 しかしある日、とある若者が声を上げた。


『迷宮は管理できる』と。


 懐疑的な人々を前に、その若者は生まれたての迷宮に入った記録を見せる。その入り口に反して広大な迷宮内部の空間、採取できた様々な植物や鉱物の類、倒したモンスターの素材など。どれもこれも見たことのないものばかりであり、その利益を求めて、できたての迷宮を探す組合『ギルド』と、迷宮に入って資源を持ち帰る『冒険者』が誕生した。

 かくして迷宮は恩恵をもたらすものとして人々の生活に組み込まれていく。

 かつては最寄りの町から馬車などを使って行き来していたものが、迷宮に近接するようになり、やがて迷宮の上に、麓に街が作られ始める。数多の冒険者と、迷宮素材を欲する人々の街。

 それが迷宮都市と呼ばれていた。




 王国第三迷宮都市バイエルンの朝は、東にそびえるポルーネン連峰から太陽が顔を覗かせるよりも早い。カルデラ状の盆地の中心には大穴が一つ開いており、そこが迷宮バイエルンへの入り口となっている。あんぐりと開けた口のようなそこからは、時折飛行種モンスターが飛び出したりするが、それもバイエルンの見慣れた風景の一つだ。

 街の木々は青々しく茂り、薫風を孕んだ風が入り組んだ道を駆け抜ける。大通りにせり出た朝市には瑞々しい野菜や果物たちが並び、補給食や小道具を売る屋台の列からは客寄せのどら声が響く。朝焼けの空に飛翔するドラゴンの姿を見れば、冒険者はそこに無事の帰還を祈った。


「よいしょ、っと」


 そんな街の一角にひっそりと佇む一軒家。『薬各種取り扱っています』の看板がなんとも言えない寂れた感を滲ませている店もまた、この早い時間帯から営業していた。

 店は看板に気づいて、正面入り口に立ち止まらなければ、民家かあるいは廃屋かと勘違いされても仕方ない外観だ。道に面した庭にはぼうぼうと庭木や雑草が繁茂し、道にまで枝葉を伸ばしている。門扉から一軒家までの曲がりくねった石畳にしても同様で、あちこちに生い茂る草花のせいで庭の全体像すら判明しない。

 心根の優しい老婆の様に瀟洒な、こぢんまりとした一軒家であることも、荒くれ者が多い冒険者を相手にする店に見えない一因であった。

 もっとも、少しでも薬学を齧った者であれば庭に好き放題生えている植物が全て薬草であると解るだろうし、迷宮の植物を採取した経験のある者ならばその数種類は本来迷宮でしか生きられない植物だと気づけるだろう。

 そういう意味でも、この店は冒険者にとって『知る人ぞ知る』店であった。


「帰ったぞ」


 一つに束ねられた赤髪が頭部を覆うゴツいヘルムの後ろから垂れる、いかつい全身鎧の人物がドアベルを鳴らして店に足を踏み入れた。その声音はくぐもってはいるものの女性のものだ。店の奥、調合台でミルをゴリゴリと鳴らしていた青年が彼女を出迎える。いつもの質素な上下の服に、エプロンを重ねただけの格好だ。


「おかえり。どう? 採れた?」

「採れたぞ。全く、在庫が切れる前に言えといつも言っているだろう」

「ごめんごめん。うっかり忘れてた」


 彼女が背嚢を差し出すと、青年は悪びれる素ぶりなく平謝りする。それだけならまだしも青年の視線は完全に背嚢に向いていた。


「本当に悪いと思っているのか? あ?」


 鎧から漏れ出る怒気とドスの効いた声。

 しかし青年はへらっと気の緩む様な笑みで後頭部をさする。鬼武者の二つ名で恐れられる彼女にこんな態度を取れるのは大陸中探してもこの青年ぐらいだろう。


「次から気をつけるよ。風呂と朝食の準備できてるから、先に朝風呂に入ってきたら?」

「朝食は何だ」

「エイルーン海老と熟成マッシュルームのチーズグラタンと春野菜のサラダ。デザートに今朝取れたペティプルーンがあるよ」


 鎧の中で唾を飲む音が聞こえた気がした。


「……次はないからな。次はないからな?」


 察するまでもないが毎度のやり取りである。

 心なしか早足で奥の風呂場へ消えていった彼女を、青年は笑顔で見送った。

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