第6話 それぞれの立場

「まだ、気になるか」


 蟠った沈黙のなかユングがそう切り出す。ヒューイをよく知る人物だからこそ出た言葉であり、その気遣いには心根の優しさが滲んでいた。

 左肩に刻まれた焼印はユングに付けられたものではないというのに。


「……大丈夫です」


 ヒューイは厚手のシャツの上から、左肩を触るのをやめる。これ自体も見るものが見ればわかってしまうと昔から窘められた悪癖だ。似た境遇の者と顔を合わせた経験は少ないが、そういうものだと教えられた。


「それにしても、ここまで一人前になるとは思わなかったよ」


 ユングはソファの背にもたれかかりながら嘆息する。呆れを多分に含んだそれは、賞賛もまた同程度に含まれていた。


「はは、まだ師匠には遠く及びません」

「何度も言うがあの方を基準にするのは間違いだからな?」

「師匠にあの店を預かったのですから」


 引き下がらない強情さにユングは肩を竦める。

 ヒューイを引き取った師匠は何かと変わり者と呼ばれる人物だった。質の高い薬を作れるくせに辺鄙な場所に店を構え、手慰みと始めたらしい錬金術は職人顔負けの腕で、素材調達に迷宮へ連れていかれた際目にした魔術はモンスターを圧倒する。国王からの使いを足蹴にしていたのも一度や二度の事ではない。こうして大店の経営者となったのも、師匠と懇意だったことが大きいとユングは常々言う。


「預かったというか、なんだかなぁ……」


 そしてヒューイの十五の誕生日、成人を境に師匠は忽然と姿を消した。

 それから数年、一通り教わったことを続けながら、ヒューイは薬屋を続けている。


「そのうちふらっと帰ってくるかもしれませんし」

「……ないとは、言えないな」


 あの気まぐれな師匠のことだから、稀少な素材を手に入れたら薬品を作ってみたくなるに違いない。そうやって帰ってきた時にヒューイが店を畳んでいたら師匠はかんかんに怒ることだろう。


「だが、いいのか? お前ぐらいの年頃は色々試してみたい時期だろう。冒険者になって名声を勝ち得たいとか、酒に女にと遊びたいとか」


 まるで父親であるかのようにユングが問う。若い頃はやんちゃだったらしい。


「興味はありますけど、なんだかんだで今の生活が性に合っているんですよ」

「欲がないな」

「それに、これ付きで働ける場所は少ないですしね」


 ヒューイはちょんと左肩を指差す。過去はコンプレックスだが、笑い草の種にできる程度にはヒューイも成長した。虚を突かれたようにユングは黙り、ニヤッと口元を歪める。


「薬師が嫌になったらウチに来るといい。歓迎するとも」


 逆に一本取られたヒューイは照れ気味に後頭部をかく。


「もしもの時は考えておきます」


 それから薬品素材の流動状況などの世間話を少しし、頃合いだと立ち上がる。

 ちょうどその時だった。


「邪魔するぞ」


 ノックもなしに応接室の扉が開けられ、絢爛な衣装で着飾った長身の男が割り込む。ヒューイはその胸にある徽章に硬直せざるを得なかった。


「おお、これはマイヤー伯爵様! 本日はどうされたので」

「予定通り事が進んでいるか確認に来ただけだ」


 慇懃無礼に低頭したユングに鼻を鳴らしつつ、向かいのソファへ腰を下ろそうとしたマイヤー伯爵は、その場に突っ立っているヒューイに目を細める。高い鼻梁の頂点にシワが刻まれ嫌悪感を露わにしていた。


「なんだこの小僧は」

「……申し訳ございません」


 我を取り戻したヒューイは深々とお辞儀をし、マイヤー伯爵に場所を開ける。根拠の薄い憶測ではあるがマイヤー伯爵がユングの言う『個人』に違いない。ヒューイにとっては百害あって一利なしの存在。ゆえにヒューイは早足で応接室から抜け出す。


「貴様は平民とも取引しているのか」

「いえ、彼はかの有名な『月落樹の雫』の跡取りでして……」


 閉じかけの扉の隙間から、そんな会話が漏れ聞こえた。

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