第8話 調合と錬金術

 調合部屋の手前にある土間で、庭仕事の泥汚れを落としたヒューイは慣れた手つきで引き出しがたくさん付いた棚を漁る。その小箱の一つ一つには取っ手の下に金属板で名前が書かれているものの年月の磨耗によって読み取れるものは少ない。

 虫除けの香としても知られるカイエンの木材で作られた棚は、その内側に黒々としたインクで紋章が刻まれていた。それは生の素材を多く扱う調合師にとって重要な保存の魔法であり、ヒューイに明かされていない師匠の秘術でもある。


「そういえば試験管の在庫も少なくなっちゃったな……」


 ヒューイは収穫した素材の下処理をしながらひとりごちた。暇に飽かせては作っているガラス瓶の類は、つい先ほどの納品で大量に使用してしまったのだ。ある意味で手間な試験管作りは余裕があるうちに作っておかなければいけない。

 下処理が済んだ素材を魔力水に漬けたヒューイは手拭いで手の水気を取り去った。パタパタと廊下に戻り、家のほぼ対角と言っていい場所にある素材庫の扉を開ける。

 こちらは調合素材ではなく、錬金素材の素材庫だ。


「石英と銅……インビリウム、水銀、よし」


 ヒューイは鉱石類や動物の骨などが整然と並ぶ中から、ストックの多い素材をピックアップする。それらを抱えて師匠の部屋の真向かい、素材庫の隣の部屋に入った。ヒューイのための錬金部屋として与えられたそこは簡素な様相だった。

 試験管の芯材となる石英を、机の金属板の中心に置きヒューイは定位置に手を置く。いつもの要領で魔力を流し込むと、金属板に刻まれた精緻な文様が魔力に呼応して輝き、発動した魔法によって石英は浮遊した。


「精製」


 ヒューイが魔力を通して命令を下し、金属板に刻まれた魔法が発動する。石英以外の不純物を除去し、純度を高めるのだ。それが済んだら加熱して試験管の形状へと整形していく。

 錬金術は、源流を永遠の生命や卑金属を貴金属に変えることを目的に興った学問だ。古典的には金属を化合させる、素材を混ぜ合わせるに留まっていたが、魔法による革命によって、『物質の変態』にその重きは置かれることとなる。例えば並みの炉では溶かすことも叶わないミスリルなどの魔法金属は錬金術によって精製、合金化されるのが主流だ。

 三十本ほどの試験管を作ったヒューイは、金属板、錬成板の奥の添加剤の位置に残りの素材を並べる。『月落樹の雫』のシンボルでもあるシヴァの葉のレリーフを作るのだ。


「化合、付与……添加」


 銅と下位魔法金属のインビリウムを混ぜ合わせ仕上げ材を作る。その一方で流体金属の水銀を試験管に這わせ、シヴァの葉のレリーフ位置に配置した。

 ここから更に魔法を重ねていく。


「『時の流れを緩やかに』

『朽ちる定めを穏やかに』

『再び開くその時まで』

 保存魔法『ブランミュール』」


 ヒューイが古代ジェラルド語の韻律で付与の魔法を唱えると、試験管に纏わり付いた水銀がふるふると震え古代ジェラルド語の楔形文字へと姿を変える。ブランミュールとは古代ジェラルドにおける不落城塞のことだ。魔法は過去の事物を依り代に構成されることもある。ヒューイの師匠は神への祈りをベースにした魔法を好まなかった。

 その文字列を覆い隠すように銅とインビリウムの合金、カッパリウムを定着させシヴァの葉の文様を施せば『月落樹の雫』の容器は完成だ。この容器と対応するコルク栓を閉めれば魔法が発動し、中に満たされた薬品の品質が一度開けられるまで保たれる仕組みになっている。


「…………ふう」


 ヒューイは都合百本ほどの試験管を作製し、額から垂れる汗を拭った。こともなげにこなしているヒューイだが、もちろん師匠が異常だからであって凡百の錬金術師が見たら卒倒ものの芸当であるに違いない。なぜならヒューイは保存魔法の付与の際、試験管を浮かせ、カッパリウムを錬金しつつ、保存魔法を発動、それを水銀に働かせ定着、と四つの魔法を同時並行に行なっていたのだ。


「まだまだだなあ……」


 どの辺が『まだまだ』なのかさっぱりなヒューイである。

 ちなみにヒューイが行使した保存魔法と、師匠の秘術の保存魔法には大きな隔たりが当然ながら存在していた。保存魔法と一口に言っても、保存にまつわる決めごとと期限を設定できればそれで魔法自体は成立するのだ。その意味で三つのセンテンスで構成されたヒューイの魔法は、素材棚の膨大なセンテンスに比べて『まだまだ』と言える。

 ヒューイは十本一揃いの木製の台に試験管を並べ、それを調合部屋の方に持っていく。

 ちょうどその時、表の扉のドアベルがからんからんと音を立てた。


「やあ、儲かっているかな?」


 黒いローブにプリモンテのような紫色の髪。前髪から覗く丸い瞳は猫を思わせるアーモンド型。それ以上に彼女を特徴づけているのは、利き手に持った身の丈ほどもある神木ライズハイムの杖だ。


「いつものを頼むよ」


 ヒューイを見つけ目を弓なりに細めた彼女は、酒場か何かで頼むような口ぶりで注文した。ヒューイも弁えておりすぐさま用意に取り掛かる。彼女はロペス商会ではなく『月落樹の雫』本店の戸を叩く常連の一人であり。


「久しぶり、サリエリ」


 名をサリエリという。

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