居酒屋のヒーロー

真花

居酒屋のヒーロー

 賑わいは夕陽と共に始まる。

「美羽ちゃんさ、もう離婚して何年でしょ、今度俺とデートしてよ」

 赤ら顔に大声で丸山さんはお酒が入る度に私を誘う。

「んー、ごめんね、まだそう言う気にはなれないのよ」

 本当は好みではないからなのだけど、お客さんを嫌な気分にする訳にはいかない。

「あっはっはー、鍵師でも美羽ちゃんのこころは開けられないってか」

 向かいの席で手を叩きながら笑う東堂さんの一言も、この話題ではセットだ。二人はこの店で知り合って意気投合、以来いつも一緒にテーブルを囲んでいる。丸山さんはこの店に来れば酒を飲むので、つまり来る度にこのやり取りをする。最初は遠慮がちにしていた私もいつの間にか一緒に笑うようになった。

「お前の運転だったら美羽ちゃんがとろけるのか?」

「プロの運転舐めんなよ、お前だってとろかしちゃうぞ」

 ギラリと表情をキメる東堂さん。

 彼はタクシーの仕事の合間にサボって来るのでお酒は飲まない。飲まないのに丸山さんと同じ勢いでいつも居るのは神業だ。それ以上に仕事をサボって居酒屋に居ると言う根性に舌を巻く。

「あのー、すいません」

「はい、ただ今」

 斜め向こうの角の席からの声は髪の長い男性、まだ二十代前半くらいだろうか。彼の名前は知らないがかなり頻繁に店に来て、同じ席で同じものを注文し続けている。ノートパソコンを開いた状態で飲食をするのは珍しいけど、万が一壊れても店は責任を取らないと約束したので放って置いている。

「ハイボールお代わりお願いします」

「はい、少々お待ち下さい」

 注文を厨房の店長に通そうとしたら、店の奥で、えい、やー、と始まった。

 東浪大学の相撲部だ。この店が出来て以来、東浪大相撲部は代々この店で飲み会をやっている。四股は流石にここでは踏まないが独特の掛け声を上げては酒を飲む。幸い急性アルコール中毒は出ていないが、その飲みっぷりは体育会系の真価のように思えてしまう。

「あら、今日もいつものメンバーね」

 店長が歴としたおっさんなのにおネエ言葉を話すのが、わざとなのか地なのか私には分からない。でも、離婚をして娘と生活をしなくてはならないのに職にあぶれた私を拾ってくれたのは彼だし、その後も仕事をさせてくれていることには感謝している。

「面白いくらい、いつも、のある店ですよね」

「そうね。まあ、経営的には問題ないのだけど、ときにはいつもと違う人が来てもいいのにね」

 ジリリリリリリリリ!

 突然の強いベル音に全ての客が静まって、その音の出所を注視する。

 しまった、消し忘れてた。

「すいません、私の携帯です、お騒がせしました」

 なーんだ、と言う雰囲気、だがだからといってロケットスタートでさっきまでのテンションに持っていける訳もなく、結果美羽が話す内容に全員が耳を半分傾けた状態になる。

「あ、ママ、どうしたの? え? 愛菜が行方不明?」

『いや、ちょっと目を離した隙に、まだ一時間くらいしか経ってないんだけど、どうしよう』

「分かった。警察に通報するかとかは私が判断するから、ママは家で待ってて」

 美羽は携帯を切るとくるりと店長の方に向き直る。

「愛菜が行方不明なんで探しに行きます。有給お願いします」

「いいけど、手掛かりあるの?」

 美羽はちょっと考える。

「携帯は持たせてるけど、GPSが付いてない」

「取り敢えず掛けてみたら?」

 美羽は頷き、愛菜の電話を鳴らす。コール音が鳴るものの、出ない。

「どうしよう店長」

 パニックの芽が美羽に生まれようとしたのを摘むように声がかかる。

「あの、すいません」

 長髪の客。美羽の中の店員根性が、にょき、と顔を出して美羽の混乱が引く。

「あ、ハイボールですよね、もう少々お待ち下さい」

「そうじゃなくってですね、携帯の電源が入っていたらおおよその場所は分かりますよ」

 店長と顔を見合わせる。

「そうなの?」

「すいません、さっきの電話丸聞こえで、僕の出来ることは少ないですけど、場所の特定なら出来ます」

 有無もない。

「お願いします」

「では、愛菜さんの電話番号を教えて下さい」

 電話番号を紙に書いて渡すと、パソコンをカタカタと操作し始める。

「パソコンで分かるんですか?」

「えっと、僕、ハッカーなんです。今携帯会社のコンピューターに侵入して、この番号の電波を拾っている場所を呼び出しています。その受信機に囲まれた範囲に居る筈です。……出ました。区内ですね。ここから電車で15分くらいの、蜘蛛町三丁目辺りです」

「すごい!」

 美羽と店長が同時に声を上げる。

「ありがとうございます。店長、ハイボールサービスでお願いします」

「しょうがないわね」

 蜘蛛町三丁目なら勝手知ったる街、結婚していたときに住んでいた町だ。そこには元夫が居る。いや、その元夫こそが今回の事件の犯人に違いない。小学校二年生の女の子が抵抗したりせずに付いてゆく理由は、肉親だからだ。

「お兄さん、本当にありがとう。間違いなくそこにある、元夫の家に愛菜は居る」

「いえいえ」

「店長、乗り込もうと思います」

 その声を聞いた鍵師丸山が、す、と立ち上がる。

「美羽ちゃん、俺も行くよ。入り口開けてあげる」

 その粋に、むくつけき若者のただでさえ熱い血は滾ったようで、塊になって勢いよく店の中央まで出て来る。主将が胸を叩く。

「ボディーガードに自分たちも行きます。東浪の鎌、見せてやります」

 それは頼りない場合の喩えだよ。でも、心強い。人数も十人も居る。

「ありがとうございます。じゃあ、早速行きましょう。電車ですぐだから、行きましょう」

 美羽を先頭に丸山、相撲部と一団となって駅に向かう。

 取り残された店長と東堂。役目を終えた長髪お兄さん。

「あなたは行かなくてもいいの?」

 東堂は首を振る。

「私は、面倒ごとに巻き込まれたくない」

「まあ、それも生きるための判断ね」


 蜘蛛町の懐かしいボロアパートに到着する。

 部屋の前に並ぶ。

 作戦はまず愛菜の携帯を鳴らし、その着信音「ツァラトゥストラはかく語りき」が確認出来次第、丸山が鍵を開け、突入する。

「鍵開けるので気付かれないでしょうか」

「プロの本気を見せてやる、数秒で開くと思って構えてて。中の人が気付いて歩いて来るより早いから」

 携帯を鳴らす。

 ドアの近くで息を殺して、耳を済ます。

 ターー、ターー、ターー……タターーー。タントンタントンタン……。

 聞こえた。

 美羽は丸山に合図をする。

 すぐに鍵穴に道具を突っ込む。

「はい開いた」

 酔っ払いの手口とは思えない。

 ドアを勢いよく開けて、土足で踏み込む。

 次から次に入ってゆく相撲部。

 部屋の角に愛菜を見付ける。

「愛菜!」

「ママ!」

「大丈夫? ひどいことされなかった?」

「うん。今の所は」

 部屋のもう一角では相撲部が元夫を囲んでいる。手は出さない。

「お前達何なんだ。いきなり来て」

「美羽さん、ここは任せて逃げて下さい」

 主将が声を張る。

「ありがとう。行くよ、愛菜」

「うん」

 アパートを出たら、タクシーが迎車で止まっていた。中には東堂さんが居る。

「乗って。メーターは上げないから」

「ありがとうございます」

 二人で後部座席に乗り込む。

「ごめんね、最初はふん切りが付かなくて、でも俺だけ何もしないのは嫌だと分かったんだ。だから来た」

「はい!」

「店に戻るよ、プロの運転を体感しなさい」


 店に戻るなり店長が愛菜を抱き締める。

「ほとほりが冷めるか、警察にちゃんと相談するまではここに居てもらいましょ」

「いいんですか?」

「美羽ちゃんと愛菜ちゃんの両方が幸せになるためには必要でしょ」

 小躍りしてから愛菜と一緒に「ありがとうございます」と頭を下げる。店長は「いいのよ」とシナと笑顔の中間の姿。

 二階の居住スペースに自分達の生活する場所を作っていたら、下の階からやんややんやと聞こえる。

 愛菜を連れて階下に降りる。

 丸山さんと相撲部が帰ってきたタイミングだった。

 長髪のお兄さんも居て、東堂も残っていたので、また全員集合になった。

「みなさん、お陰様で愛菜を取り返しました」

 イェーイと一同両手を挙げる。

「本当にありがとうございました」

 拍手が沸き起こる。皆がお互いに称えあう。

 そこで店長が注目を求める。店長の目には涙が浮いている。

「みんな、美羽ちゃんのために本当にありがとう。私は誇らしい。美羽ちゃんがみんなに愛されていると言うことも分かって、それも本当に嬉しい。今日私が出来ることは、もう、今夜はみんなタダ! しかないでしょう?」

 うおーーーーー! と一番の盛り上がりになる。

 店長は私に耳打ちする。

「本当に良かったわ」

 私は愛菜がここに居ることと、常連さんがみんなヒーローになってくれたこと、店長が一番後ろで支えてくれていたこと、ありがとうがたくさん胸の内に重なって、溢れたら、涙になってしまった。

 愛菜は笑顔で相撲部部長の膝に乗っている。

「でも、まずは注文」

「はい、取ってきます」

 私は涙を拭いながら、感謝をもう一度一人ずつに伝えよう、みんなの居る場所へ向かった。



(了)

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