黙契
深川夏眠
黙契(もっけい)
本業が暇で友人の仕事を手伝って小遣いを稼いでいて、彼と知り合った。整った顔立ちではあるが全体的に地味で、口数も少なく、内向的な印象を受けながら、何かしら思い詰めたような眼差しの強い光に引き寄せられ、雑談を重ねた。
酒を飲みたがらないから
北国の出身で、実はザルに近いくらいだけれども、普段は外で飲まないと決めているらしい。
「何で?」
「油断してポロッと余計なことを漏らしちゃいそうだから」
「ふぅん。じゃあ、今夜はどういう風の吹き回し?」
「親父の命日だもんで……と言いたいとこだけど、ちょっとワケありでね」
洒落た
「親戚の家に引き取られて育ったんだけど、周りの大人が言うには、母ってのは生みの親じゃなくて父の後妻、つまり
しかし、血の繋がりのあるなしは問題にならないくらい、彼は一身に愛情を注がれて育ったと思っていたそうだ。
「あの人は本当の母親じゃないことを僕に知られたくないと言っていた……という証言もあった。妙だったのは――」
彼がその晩、襖の僅かな隙間から覗き見たのは、言い争いが頂点に達したタイミングで、母が素早く台所に駆け込んで居間に戻り、凶器と
「包丁には見えなくてね。随分時間が経って聞いた話では、
長じて自ら調べたところ、殺害に用いられたはずの鋭利な刃物は家の内外で発見されず、父が受けた致命傷の具合からして、警察ではそう考えるのが妥当との結論に至った
「暖房で氷が
「そう。予めそんなものを用意していたからには、母は前々から機を窺っていたことになる……けれど、そこまで思い詰めるだけの、どんな経緯があったのか、書き置きも何もなかったから、わからなくて」
「勝手な想像だけど、例えばお父さんが酔っぱらう
「……そんな気がする」
「指環は?」
「今は家内の薬指に。サイズはピッタリ。知り合いに頼んで宝石店で洗浄して、磨いてもらった」
美しい話に聞こえるが、冷静に考えると殺人者が犯行時に
「彼女とは地元で出会ったんだけど」
「ほう」
「橋の欄干に、小さいバルコニーみたいに張り出した部分があるでしょう、デザインによっては」
「うん」
「夜遅く、そこに立って、じっと川を見つめていたんだ。そこかしこ、薄く雪が積もって、街灯の光を反射する中に。白いコートの背中の雰囲気だけで『あ、これはいかん』と思ったね。黙って通り過ぎたら直後にドボンと水音がするんじゃないかと。寒くないですか、近くで食事でもいかがですかと、声をかけた」
「
「フフフ」
彼は色ガラスの徳利を傾け、酒の
「振り返ったら赤ん坊がいた。着ていたのは俗にママコートとか呼ばれる代物で……あ、わかる?」
ピンと来なかったので、急いで検索した。
「ああ、はいはい。へぇぇ」
乳幼児を抱っこ、あるいはおんぶしたまま着られるコートだ。お子様をスッポリ覆える作りになっている。
「去年の、ちょうど今夜の話。だから、いなくなった母が、僕を幸せにしてやろうと、どこかで念じて巡り合わせてくれたに違いないと思ってる」
「なるほど。で……?」
「以来、三人暮らし。ただ、彼女がいろいろ清算したいみたいで、遠くの知らない土地へ行きたいって言うんでね、希望を叶えてやったんです」
「ははぁ」
なかなかの度量だ。ちょいと真似できない。
「彼女の過去について、詳しくは知らないままなんだ。詮索されるのを嫌がってるって、わかるから」
それでよく一年も一緒に過ごしてこられたものだ。感心を通り越して、少し呆れた。
「馴れ
「まるで雪女ですなぁ。喋ったら指環を外して子供の手に握らせて、黙ってどっか行っちゃうとか」
「ハハハ」
彼は無造作に笑い、こちらのグラスにカチンと江戸切子を当てて一方的に乾杯の合図をすると、冷酒をグッと飲み乾した。
だが、次の瞬間、顔を見合わせた我々は、みるみる酔いが醒めるのを感じずにいられなかった。
【了】
◆ 2019年10月書き下ろし。
縦書き版はRomancer『掌編 -Short Short Stories-』にて
無料でお読みいただけます。
https://romancer.voyager.co.jp/?p=116877&post_type=rmcposts
◆ 雰囲気画⇒https://cdn-static.kakuyomu.jp/image/PwXnWhvz
黙契 深川夏眠 @fukagawanatsumi
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