黙契

深川夏眠

黙契(もっけい)


 本業が暇で友人の仕事を手伝って小遣いを稼いでいて、彼と知り合った。整った顔立ちではあるが全体的に地味で、口数も少なく、内向的な印象を受けながら、何かしら思い詰めたような眼差しの強い光に引き寄せられ、雑談を重ねた。

 酒を飲みたがらないから下戸げこだと思い、無理強いせずにいたところ、ある晩、彼から誘ってきたので、寒風吹きすさぶ宵の口、指定された店にせつけた。

 北国の出身で、実はに近いくらいだけれども、普段は外で飲まないと決めているらしい。

「何で?」

「油断してポロッと余計なことを漏らしちゃいそうだから」

「ふぅん。じゃあ、今夜はどういう風の吹き回し?」

「親父の命日だもんで……と言いたいとこだけど、ちょっとワケありでね」

 洒落た切子きりこの器で日本酒を舐めていた彼は、先を続けようか、やめようか、しばし思案顔を見せた後、ある雪の晩、母が父を殺して失踪したと、衝撃的な告白を始めた。彼はまだ小学生で、覚えているのは殺人の瞬間と、母が近寄る気配を察して布団に潜り込み、寝ているフリをしたこと、震える声で「ごめんね」と囁きながら彼のひたいに触れた氷のように冷たい手、そして、掌に残された、彼女が外した結婚指環の重さだったという。

「親戚の家に引き取られて育ったんだけど、周りの大人が言うには、母ってのは生みの親じゃなくて父の後妻、つまり継母ままははだったって」

 しかし、血の繋がりのあるなしは問題にならないくらい、彼は一身に愛情を注がれて育ったと思っていたそうだ。

「あの人は本当の母親じゃないことを僕に知られたくないと言っていた……という証言もあった。妙だったのは――」

 彼がその晩、襖の僅かな隙間から覗き見たのは、言い争いが頂点に達したタイミングで、母が素早く台所に駆け込んで居間に戻り、凶器とおぼしいキラリと光る何かを正面から父の胸に突き立てた姿だったという。

「包丁には見えなくてね。随分時間が経って聞いた話では、氷柱つららだったんじゃないかって。軒端のきばに垂れ下がった一本をポキッと折って、冷凍庫で保管していたのを引っ張り出したんだろうと」

 長じて自ら調べたところ、殺害に用いられたはずの鋭利な刃物は家の内外で発見されず、父が受けた致命傷の具合からして、警察ではそう考えるのが妥当との結論に至ったよし

「暖房で氷がけて、傷の周りは一旦ビシャビシャになったけど、そのうち乾いてしまったのか」

「そう。予めそんなものを用意していたからには、母は前々から機を窺っていたことになる……けれど、そこまで思い詰めるだけの、どんな経緯があったのか、書き置きも何もなかったから、わからなくて」

「勝手な想像だけど、例えばお父さんが酔っぱらうたびに、つい、おまえは実の母じゃないのに――とか何とか口を滑らせたのが、お母さんの殺意を少しずつこうじさせていったんじゃないだろうか」

「……そんな気がする」

「指環は?」

「今は家内の薬指に。サイズはピッタリ。知り合いに頼んで宝石店で洗浄して、磨いてもらった」

 美しい話に聞こえるが、冷静に考えると殺人者が犯行時にめていたものであり、グロテスクな冗談と受け取れなくもない。しかし、混ぜっ返さずにいた。母の形見とでも言って奥さんに渡したのだろう。

 平生へいぜい寡黙な彼は、亡父の忌日きにちに事寄せて手酌を繰り返し、既に相当きこし召していた。いつになく滑らかに舌が回る。

「彼女とは地元で出会ったんだけど」

「ほう」

「橋の欄干に、小さいバルコニーみたいに張り出した部分があるでしょう、デザインによっては」

「うん」

「夜遅く、そこに立って、じっと川を見つめていたんだ。そこかしこ、薄く雪が積もって、街灯の光を反射する中に。白いコートの背中の雰囲気だけで『あ、これはいかん』と思ったね。黙って通り過ぎたら直後にドボンと水音がするんじゃないかと。寒くないですか、近くで食事でもいかがですかと、声をかけた」

ソツがない」

「フフフ」

 彼は色ガラスの徳利を傾け、酒のおもてが記憶を映す鏡でもあるかのように、ぐい飲みを見つめていたが、

「振り返ったら赤ん坊がいた。着ていたのは俗にとか呼ばれる代物で……あ、わかる?」

 ピンと来なかったので、急いで検索した。

「ああ、はいはい。へぇぇ」

 乳幼児を抱っこ、あるいはおんぶしたまま着られるコートだ。お子様をスッポリ覆える作りになっている。

「去年の、ちょうど今夜の話。だから、いなくなった母が、僕を幸せにしてやろうと、どこかで念じて巡り合わせてくれたに違いないと思ってる」

「なるほど。で……?」

「以来、三人暮らし。ただ、彼女がいろいろ清算したいみたいで、遠くの知らない土地へ行きたいって言うんでね、希望を叶えてやったんです」

「ははぁ」

 なかなかの度量だ。ちょいと真似できない。

「彼女の過去について、詳しくは知らないままなんだ。詮索されるのを嫌がってるって、わかるから」

 それでよく一年も一緒に過ごしてこられたものだ。感心を通り越して、少し呆れた。

「馴れめなんかも他人に教えてほしくなかろう、迂闊に話されたくないだろうって、忖度してますよ」

「まるで雪女ですなぁ。喋ったら指環を外して子供の手に握らせて、黙ってどっか行っちゃうとか」

「ハハハ」

 彼は無造作に笑い、こちらのグラスにカチンと江戸切子を当てて一方的に乾杯の合図をすると、冷酒をグッと飲み乾した。

 だが、次の瞬間、顔を見合わせた我々は、みるみる酔いが醒めるのを感じずにいられなかった。



                  【了】



◆ 2019年10月書き下ろし。

 縦書き版はRomancer『掌編 -Short Short Stories-』にて

 無料でお読みいただけます。

 https://romancer.voyager.co.jp/?p=116877&post_type=rmcposts

画⇒https://cdn-static.kakuyomu.jp/image/PwXnWhvz

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黙契 深川夏眠 @fukagawanatsumi

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