憑物落し
研究材料になってくれと言われ良い顔をする者は居ない。
指導教官の口癖であった。梅干でも食わしたような
良いかい辰本さん
教授の言通り
先祖代々此の稼業と、二年前には話して居た。六月前には橋の下で拾われた
本間さん本間さん、良い加減覚えて下さい。僕は辰本でも岡本でも無い杉本です。
オヤ、済まないね塚本さん。
杉本です。其れとですね勘違いしないで頂きたいンですが、僕は記者じゃアなく学者ですマダ卵とはいえ。アクマデ学術的見地から本間さんの御稼業を論文にしようというので有って、面白可笑しく大衆に向けて書こうだなんて微塵も思っちゃ居ないのですよ。
渾身の力説に本間は
本間の様な拝み屋稼業、有史以前から存在する加持祈祷の類は、二十世紀科学に
従って杉本の様な学識有るエリイトが記録を
まア、ねエ。と本間は息をついた。あんたの
杉本の母の生家は一膳飯屋であった。今は伯父が継いで居る。
本間が続けた。仕様が無い。
杉本はニッコリとした。エエ守ります守りますとも。学問の未来の為なら何だって致しますとも僕は。
心からの笑みであった。
論文の締切は今月末である。
本間に荷物を持たされ市電で二人向かった先は、塀に囲まれた立派な洋館であった。大理石の階段を昇り品良い市松模様の廊下を抜けた先の部屋で、髭の紳士が待って居た。今回の本間の客であった。
犬でも憑いているのだろう。と、客の口一番の言葉である。窓脇のソファに鎖で
長男だ。今年で十六になる。十五を過ぎる
ホウホウ、と本間は頷き言った。何としてもお治しになりたいと、
跡取りなのでな。下は女ばかり、
ハハア、成る程。御察しいたします。
ソファに
御医者さまにもお診せになったのでしょうな。首を傾けまた本間が訊いた。
診せたが
成る程。
と、青年がウウウと唸った。
客は息子に一瞥もくれず、
顔色一つ変えず本間は続けた。犬と仰いましたが、何ぞお心当りでも。
曾祖父がな、ああ息子でなく私の曽祖父がな、昔、飼犬を切捨てたと聞く。口から涎を
ホホウ。
其れを代代供養して居たのだが、昨年旧邸を更地にして此処に今の
ああ。と本間は喉奥から声を出した。潰して仕舞われた訳ですな、祠を。
ウム、と客は眉間に皺を寄せた。青年はまだ鎖の合せ目をガチガチ鳴らしていた。
エエ、まあ。と言った所で客が眉間に皺を寄せ、本間は慌てて言い足した。ですが御安心くださいまし、手立てはちゃアんと御座いますよ。
本間は杉本の方を向き、ゴツゴツとした手を差出した。ポカンとしていると肘で突かれる。何呆けてんだい松本さん、
竹を編んだ昔
本間が床に広げた
サテ、
本間は青年に歩み寄った。鎖に
と、青年がグッと身を乗出した。椅子ごと倒れ込む様に、本間の手に飛び掛って来た。
ガチン、と、若い強靭な歯が空を噛んだ。本間が咄嗟に手を引かねば今頃、手は握った符ごと血塗れであった。
一瞬遅れて、椅子が倒れた。脚を床と椅子とに挟まれ喘ぐ青年を、本間は背もたれを引いてまた座らせた。
呆然とする青年の額に符をペタと貼った。唱えた。祓い給え清め給え。
其れで終いであった。
見事でしたねえ。と、戻った本間の店で杉本が言った。
まア、
ええい細かいね帝大の学生さんは、一々数えた事なんざ無いさ。其れより坂本さん今回の御務めだがね。申し訳無いが論文には書かずにおいとくれ。
エッ。杉本は声を上げた。待って下さい其れじゃ僕ぁ骨折り損のくたびれ儲けです。
約束通りの筈だよ。言っただろうアタシが書くなと言った事は書いちゃアいけないと。
だったらせめて訳を聞かせて下さい、うちの
コトンと湯呑みを卓に置いて本間は息をついた。あの御仁が財界でちょいと名の知られた御方だ、ってェのが半分。
湯呑みを
残り半分は、まア、もっと簡単だ。あたしゃアあのお
は、と、杉本は息を吐いた。いやシカシ、確かにあの若者はあの後大人しく……。
逆さ、逆。祓ったんじゃア無い、憑けたんだ。手近に野垂死にした乞食の霊が居たんでね、あの坊ちゃんに憑いて貰った。そりゃ大人しくもなるだろう、乞食から三食御馳走が食える身分に成ったんだから。
そ、そ、そ、と杉本は
ハハッと笑う本間はまだ煙草を丸めている。粉にして辛味を増すのが好みらしい。
居やしない、とは……。
本間は漸く煙管の火皿に煙草を詰めだした。言ったマンマさ。ありゃあの坊ちゃんの自前の狂気だ。あの御客の様子を見る限り、跡取りとみて厳しく躾けたんだろうねエ。随分頭の堅そうな御仁だったしねエ。相当気丈じゃないと心が折れるだろうし、実際折れたんだろうねエ。
其れならそうと何故言わなかったのです。杉本の訴えに本間はフフと笑った。
あの手の御仁は言っても聞いちゃくれないよ。
本間はニヤリと笑った。
何も憑いて居りません此れは自前です、なんて言ったら、ねエ。アタシが
杉本はアングリと口を開けた。二の句が継げぬとはこの事だった。本間はカラカラ笑い、煙管に盛った煙草にマッチで火を点けた。
論文が終る見通しは、未だ立たない。
大正拝み屋よもやま咄 柊キョウコ @hiiragikyou
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