チュートリアル in ダンジョン攻略!
初めてのスライム
杖に手を添える。
もらったばかりなのに、片手で持ち上がるそれはとても手に馴染んでいる気がした。
杖の先端を向けるのは、固いゼリー状の、向こう側が見えるほど透けた、饅頭みたいな形のモンスター。
僕はその時、初めて『Trigger』を引こうとしていた。
ジークハルトさんの像の横を通り抜けて、奥に向かって下がる階段を下りる。階段は木のトンネルに覆われ、爽やかな草の香りが頬を撫でた。
位置的には地下なのに、どれだけ下りても降り注ぐ光の強さが変わらない。この場所の特殊性を考えれば、そんなに不思議ではないのかな? 聞けば、ダンジョンは大抵不思議空間だとの事で、こういう光景も珍しくないとか。
柔らかな光が差し、土の香りがする。時折落ち葉を踏んだしゃくり、という音以外何も聞こえない静かな場所だ。
世界に僕唯一人しかいないような錯覚に足がすくむ。初めて一人で寝る時、妙な興奮と不安が混じって、なかなか眠れない時に似た感覚である。
学園の中庭から入る事の出来る、二つあるダンジョンの内の一つ。
それがここ、『常春の庭』だ。
大人しい気性のモンスターばかりで、こちらからちょっかいをかけなければ襲われる可能性が低い、らしい。けど。
本当かなぁ……。
『僕が信じられないと?』
「そういうわけでは」
『そのジト目を止めていただければその言葉を信じますが』
「残念ながら生まれつきですね!」
『わぁ、良い笑顔』
あ、今僕笑顔なんだ。現実では常時無表情で通ってるから、笑顔の自覚が無いや。
僕は今、半透明のジークハルトさんと一緒にいる。今は、先程とは反対に、僕がジト目を向けられてしまったところだ。
彼は地縛霊ではない(自称)ので、あの像から離れても支障は無いらしい。ならば何故あそこにいたのかというと、前回起きた時、適当に散歩をして眠りについたのが偶々あの場所だったから、とのこと。
何にせよ、この状況で一人ではないのは、実のところとてもありがたかった。
このダンジョンの通行許可証、もとい生徒手帳が無い今、ここから出るにはダンジョンを攻略するしかない。
ダンジョンの攻略……すなわち、最奥部を守るボスモンスターの撃墜が、脱出の必須条件である。それを倒せば、地上直通の転移魔法陣が出てくるらしい。それ以外に出る方法が無いなら、行くしかないよね?
今僕が持っている杖は、物理攻撃にはてんで向かない魔法特化の武器だ。杖をくれた張本人であるジークハルトさん曰く、初心者が持つにはやや上等で、INT+25は破格なのだとか。
ちなみに、普通の杖の能力がこちら。
樫の杖 ☆1 未強化
INT + 5
実にシンプルだ。
これだと補正はあってないようなもので、正に魔法を使うための触媒という意味合いが強い。
チュートリアル中のプレイヤーのステータスは、軒並み最低限の初期値しかない。職業や種族のレベルアップによる補正が無いので、【学生】の間はスキルやそのレベルで値を弄らなければならないわけだが……ゲーム始めたてのビギナーが、ステータス上昇系のスキルを持っているわけもなく。
対して、名前からして魔法を使えなさそうな愚者の杖は、樫の杖とレアリティは同一なのに、むしろ魔法の威力がかなり強くなる。同じレアリティでここまで差がつくとは。レアリティは何を基準にしているのやら?
なんて考えている内に、階段が終わった。ここからは舗装はされていないものの、平らに均された地面がまっすぐ続く。
階段終了からしばらくは所々足跡も残っており、大小様々な足跡があることから、本当に多くの種族がいることが分かった。
『おや』
「? どうかしました?」
ジークハルトさんの声に振り向くと、彼は今しがた歩いてきた方の道をまじまじと見つめていた。しゃがんでじっくり見ているため、長い髪が地面に付いているのだけれど……まぁ、幽霊だし、汚れはしない、よね? ほら、足跡とかも付いてないし。
僕がジークハルトさんに話しかけると、彼は数度首を傾げて、それから頭を上げた。
『どうやら、僕達以外にもこのダンジョンに誰かいるようです』
「え? 今って授業中、ですよね? サボリですか。楓雅ですか。というか、誰かいるなら見てないんですか?」
『ふうが……? えっと、そうですね。校風が変わっていなければ、許可さえとれば授業中でもダンジョンに潜る事は出来ます。それと、僕が目を覚ましたのはユズハ君が来るほんの数分前ですし、それより前から潜っていた人の事は、僕にも分かりません』
言い終えると、ジークハルトさんは小さく頬を膨らませ、そっぽを向いてしまう。
そういえば、ジークハルトさんは普段ずっと寝てるんだっけ? この話題は地雷だったようだ。この件でこれ以上尋ねるのはやめておこう。今この人を拗ねさせるの得策ではない。攻撃手段が無いとはいえ、バトルのバの字も知らない僕には貴重な情報源なのだ。
楓雅は、一度拗ねたら長いからね……。どことなく似ている部分のあるジークハルトさんも、あまり変に刺激しないよう気を付けなくちゃ。
楓雅は、他人に対する猫被りな発言が多いし、人生謳歌において右に出る人は彼の両親以外見たことがないくらい楽しそうに日々を過ごしているけど、実はかなり溜め込みやすいんだ。加えて溜め込める量が人より少ないから、すぐ爆発する。そのくせ何でそこで溜め込むの?! って驚く内容のものもあるから油断できない。
だから楓雅は子供っぽくて、大人っぽいんだ。
矛盾してるでしょ?
なのに、それが楓雅の正当な評価なんだよね。本当に不思議。ふふっ。
楓雅だと思って接してみようかな? その方が会話が弾みそうだし。あー、でも、楓雅との会話ってゲームが半分。今日のご飯と勉強の話がもう半分だから、ジークハルトさんとの話は、続くか運次第だね!
……ん、もう少し勉強の話とか増やそう。将来が心配になってきた。
「この足跡の人って、いつから潜ってたんでしょう?」
『正確には分かりませんが、一時間以内ですね。ここは簡単なダンジョンですが、ステータスの低い【学生】が一人で挑むにはやや危険。なのに、最も新しい足跡は一人分。よほど腕に自信があるか、あるいは……ふむ、何にせよ、なるべく早く合流した方がいいでしょうね』
「っ、はい!」
僕は大きく頷いて地を蹴った。
【学生】は職業レベルが上がらない。高等部なら取得できるサブ職業ではなく、チュートリアル中は変わることのない【学生】という職業の話だ。
職業レベルはその名の通り、職業のレベルの事。レベルが上がると、ステータスにボーナスが付いたり、職業ごとのスキルを覚えられる。種族レベルはその種族版で、こちらも【学生】の間は上がらないようだ。
チュートリアル中は上がらないこの二つのレベルは、こういったダンジョンに突っ走らないためのシステム。あるいは単純に、キャラメイクや種族を弄れないプレイヤーに合わせた特別措置と言える。
とどのつまり何が言いたいのかと言えば。
【学生】である限り、ステータスはどの生徒でも頭打ちになる、ということだ。
『ユニトスは学生となる前に種族レベルなどを上げられます。が、子供に出来る事など高が知れていますし、レベル1のまま【学生】となる者が九分九厘。今ここにいるのが残りの一厘だとしても、せいぜいレベル5程度でしょうね』
「それは……凄いんですか?」
『そうですねぇ。最弱と名高いスライムを、そこら辺に落ちていた木の棒で叩いて倒せる程度ですね』
「つまりあんまり強くない、と」
程度、と微妙な顔で評しているのだ。レベル1とは誤差の範囲内でしかない強さという解釈で間違いはないと思う。
何にせよ、合流は早くしないとね。
さて、かなり奥まで来たはずなんだけど、誰とも会わないどころか、モンスターすらいない。鳥の囀りも風の音すらしなくて、いっそ不気味だ……。
「何か拍子抜けですね」
『このダンジョンは、モンスターのリポップ時間が決まっていますから。きっかり一時間経たなければ、足跡もモンスターも更新されないんです』
あ、だから足跡を見て一時間以内に人が来たって分かったのか!
ダンジョンのモンスターは外の生態系とは全く異なるという。ダンジョンの外では倒せば倒すだけ数は減るし、すぐ増える事は無いけれど、ダンジョン内なら延々と湧き続けるし、リポップ条件がかなり単純なのだ。ここは時間経過が条件で、たとえ他に挑戦者がいても、倒されてから一時間はリポップしてこない。
ダンジョンで稼ぎたい人にとって少し煩わしい仕様である。自由に経験値稼ぎが出来ないって事だもの。
『ともかく、このダンジョンは初心者用で、階層が比較的浅い。その代わり下の階へ到達する毎にモンスターの種類や性質が変化します。ボスとは必ず戦う事を考えると、地下一階の段階で一体、モンスターの相手をさせておきたい所ですね』
「モンスターの……」
『ええ。それにこのダンジョンのモンスターは、基本的に気性が穏やかなんです。だからこそ初心者にはうってつけなんですよ』
心配そうな声音に対し、ジークハルトさんはキラキラとした笑顔を浮かべる。
うーんと、このキラキラ加減は……?
ハッ。
「何か(僕に対して)嫌なことを企んでる時の良い笑顔!」
『おや、これに気付くとは』
やっぱり?!
『大丈夫です。……ちょっと、前代未聞な事をしてもらうだけで』
「前代未聞の時点でちょっとじゃないです」
ぼそりと呟かれた言葉でも、静寂な空間にはよく響くんですよジークハルトさん。
あえて尖らせた視線を送れば、彼は冷や汗を流して、あからさまに目を背ける。うん、やっぱり大丈夫じゃなさそう!
もうちょっと切り込んでみようか。
そう、考えた瞬間。
── ぐらり、視界が傾いた。
次いで感じるのは衝撃。
転けて尻餅をついてしまい、強かに打ち付けた腰は、不意の事で受け身が取れず、ズキズキと痛んだ。
もっとも不意でなくても受け身は取れなかったと思うけど。
僕、体育はいつも休んでるし、俊敏じゃないもの。
突然の事に思考が追い付かず、何度も目を瞬かせる。痛みもない柔らかな感触に反し、くわんくわんと目が回っていた。
それでも何とか平衡感覚を取り戻した視界には、何やらぷにっとして柔らかそうな、透明な青色をした物体が映る。
くりっとした目、不透明な青の球体が浮かぶそれは、ずるりと僕に近寄ってきた。
更にはぽよぽよ反復横跳びじみた動きをしている。
ここまで来たら勘違いじゃないよね?
スライムが現れた!
わぁ、本当にプルプルしてる。某有名RPGのようなファンシーさはないけど、愛嬌はある顔だ。
スライムは「キューゥ」と甲高い声、というか、音を出してきた。わー、スライムって鳴くんだー。
……って、んん?
僕が転んだのって、この子が体当たりしてきたから、だよね。跳ねた勢いそのまま僕にぶつかってきたんだよね?
と、いう事は。
見れば、僕とスライムの上に色の付いたバーが浮かんでいる。緑から赤のグラデーションを描くそれは、どう見てもHPバーと呼ばれる代物で。
……つまり、バトルに入ったという事だ!
ぽよん、と。一際大きく跳ねて、スライムはピタリと動きを止めた。
次いでプルプルと小刻みに揺れ始める。
何が起こるんだ? と身構えた瞬間──
スライムが、僕に向かって跳ねる。
『避けて!!!』
「ひゃあ?!」
ジークハルトさんの声に驚いて、反射的にしゃがみこむ。
途端僕の頭があったはずの場所を、何かが物凄いスピードで通過する。
スライムだ。
スライムは弾丸のように跳ね、そのまま壁のようになっている木へと衝突する。
バギィ! なんて硬質的な音が聞こえてきて、背筋に冷たいものが通ったような、嫌な感覚に冷や汗がどっと流れ出した。
ぽよぽよと反動で転がるスライムを確認する。壁となった木は、折れてはいないものの不自然な丸い凹みが出来ているではないか。
それを見た瞬間、僕は奥に向かって一目散に駆け出した。
だってこの子、まだ何もしてない僕に攻撃してきたんだもん! ダメージは全然受けてないし、見た目プルプルなのに、弾力的にはバスケットボールと変わらない! つまり、当たるとそれなりに痛いんだよ!
それに、気になることもあるしね!
走りながら、僕はキッとジークハルトさんを睨み付けた。
「ここのモンスターは基本的に気性が穏やかって言ってませんでした?!」
『言いましたね』
「何か、むしろ好戦的なような……!」
『ええ、一時間以内にここを通った生徒が、あのスライムだけ倒し損ねたのでしょうね。スライムは、言ってみれば雑魚中の雑魚ですから。実力がある生徒なら、数だけは多いスライムを無視する事もあるでしょうし』
倒して得られるアイテムは少なく、経験値は【学生】の内は得ても意味がない。
つまり、旨味がない。
通行の邪魔だったら倒すが、それでも全部を律儀に倒すとなると、数だけは多いスライム相手では時間をくう。故にある程度倒したらあとは放置して先へ進む事も多いらしい。そんな、倒さず逃がした内の一体がこのスライムなのだそうだ。
ノンアクティブからアクティブへ。
切り替わったモードは、ダンジョンまるごと更新されない限り継続される。
早々にバトルの流れを学べるのは運が良かった。
けど、こんないきなりは勘弁かな!
というか! ジークハルトさんは!! そんな良い笑顔を浮かべないで?!
『さぁ、実践ですよ! まず立ち止まって、スライムと対峙する所からです。じゃないと舌を噛みますから!』
「うぅっ……はい!」
また転ばされるのは嫌なので、スライムが大きく跳ねた瞬間を狙って横に逸れる。
ぽよん、攻撃が当たらなかったスライムはそのまま立ち止まっている僕にすぐさま飛びかかることはなく、少し距離を開け、また反復横跳びを始めた。
なるほど、あの反復横跳びは攻撃のタイミングを計るための行動ってわけか!
また攻撃してくるまでには時間がある。
この隙に、僕は握っていた杖に集中した。
魔法を使うための条件は三つ。
一つ、必要分のMPが残っていること。
二つ、対象をしっかり視認すること。
三つ、正確に魔法名を唱えること。
使うのは火の攻撃魔法。
長い詠唱はいらない。
いるのは魔法の名称のみ。
杖の先端をスライムへと向け、小さく息を吸う。
吸った息を声と共に吐き出す。
「『フレアスフィア』!!!」
叫んだ瞬間、身体から何かが抜けた感覚がした。
抜けた何かは杖へと吸い込まれ、先端の宝石に集まっていく。
前方から熱風が吹き、髪を揺らす。
赤い炎の球が、杖の先から現れた。
基本級とはいえ、大怪我を負う可能性のある攻撃用の魔法。
触れば火傷を負うこと必至のそれは、火の粉を散らしながら真っ直ぐ放たれる。
炎の球は周囲の空気を巻き込み、進む毎にその勢いを増していった。
未だ跳ねていたスライムだが、狙いを定めるまでもなく、スライムとその周囲の空間まるごと炎が包み込む。
「ギューゥ…………!!」
何とも悲壮感漂う最期の鳴き声が、罪悪感を呼び起こす……。
炎の中に消えた流線形の物体が掻き消え、それまで燃え盛っていたはずの炎が、一瞬で収束し、消滅した。
後に残ったのは黒く焼け焦げた地面。
それだけ、だった。
時間にして、僅か五秒。
バトル終了である。
「っ、おわ、った……?」
『……はい、スライムの反応が完全に消えました。よく出来ましたね♪』
視界に、柔らかく微笑むジークハルトさんが入ってくる。
すると、それまでの緊張感から解き放たれた反動からか、かくりと膝から力が抜けた。こちらにあまりダメージが無い雑魚戦とはいえ、精神的に消耗していたようだ。そうでなくとも久々に全力疾走したから、肉体的に疲れていてもおかしくはないのだけれど。
あ、これ本当の身体じゃないんだった。
『初めての戦闘、お疲れさまでした。ドロップアイテムはインベントリに入っているので、落ち着いたら確認してみてくださいね』
「は、はい」
『初めての戦闘は誰でも緊張するものです。評価や反省、アドバイスも後にして、今は休憩しましょうか』
「……はい」
手をこちらに伸ばそうとして、引っ込めるジークハルトさん。
頭を撫でたかったのかな?
けど、透けた手では触れないから、引っ込めたんだね。
優しい声に促されて、僕はほんの少しだけ目を閉じる。
目を閉じるだけでも、少しは休まるような気がしたから……。
『 条件達成 ユズハさんはexクエスト《悠久の友 壱》 をクリアしました
チュートリアル終了後に選択可能な種族に【
選択可能な職業に【
休まらなかった。
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