邂逅

 僕はひたすら呆然と、素晴らしく芸術的な扉に見とれていた。

 けれど、ふと「そういえばこの先って何があるんだろう?」とひとりごちる。


 すると、横にいたマリアさんがニッコリと微笑んだ。


「この扉の先は、寮と校舎を繋げる渡り廊下です。中庭へもここから行けますよ」


 その台詞に、そういえば元々この先を案内してもらう予定だった事を思い出す。

 うっかり魅入って更に時間を費やしてしまった。今何時だろう? 時計を全然見かけないし、ステータスにも時間とか書かれてなかったんだよねぇ。


 それと僕、よく無表情で感情が読みにくいって言われるんだけど、マリアさんは何で分かったんだろう? 楓雅並みに読み取れるのかな。あるいはこのゲーム中だと分かりやすくなっているのだろうか? チュートリアルだし……って、それは関係ないよね。


「……やっぱりマリアさんは心を読むスキルを持ってるんじゃ」

「残念ながら持っていませんね。それに、今のはユズハくんが心の声を漏らしていただけで、読むも何もありませんでしたよ?」

「あ」


 普通に自分の落ち度だったらしい。うわ、物凄く顔が熱くなってきた。こういう感覚もリアルなんて、さすがだと思うけどちょっと恥ずかしい。

 今の僕は耳まで真っ赤な自信がある。


「んんっ。えーと、この先に中庭があるんですか?」

「あ……ふふっ。はい。校舎と寮、それから研究棟で囲まれたとても広い中庭で、英雄広場とも呼ばれていますね。校舎側にはシグニール様、寮側にはジークハルト様の像が建てられているのですが、魔法で植物を管理しているので、違う季節に咲く花や、異なる気温の中で育つ薬草なんかもあるんです。それでいて景観を美しく保っているので、じっくり見るとなると何日もかかるほど見応えがあるんですよ」


 誤魔化しきれていないだろうけど、マリアさんはからかわずに説明を続けてくれた。


 中庭、と言われると、僕のイメージはこじんまりとしていて、木陰が涼しそうな場所である。僕が通う学校がそんな感じなのだ。

 けど説明を聞く限り、普通の学校の校庭より大きいと思った方が良いだろう。

 加えて、学園の施設には貴重な薬草や毒草を栽培する薬草園という施設などもあるそうで、校庭に危険なものが無いという。学園なのだから安全を考慮しての事だろう。きちんと考えられているなぁ。


 しかも、そこまで力説されると、ちょっと見たくなってくる。


「……時間的にあと三十分ほどで昼休みに入ります。すると生徒達がお昼ご飯を食べるために中庭へ集まります」

「は、はい」

「それまででよければ、散策してみます?」

「えっ……良いんですか!」


 僕が前のめりになって尋ねれば、マリアさんは苦笑を浮かべて頷いた。


「さすがに広すぎますし、あまり見て回れないと思いますが」

「っそれでも、見てみたいです!」


 申し訳なさそうに眉を下げるマリアさん。けど彼女が力説するほど美しいのなら、見られるだけでもわくわくしてくる!


 というか、もうお昼なんだ。ゲーム開始時点での現実の時間が正午だったから、軽く時差ボケしてそうだよねぇ。

 時間が分かると、お腹が空いてきたような気がしてきた。多分身体的に時差ボケとかは無いのだろう。無いと思いたい。明るい時間に欠伸とか、やだよ、僕!


 そうして、いよいよ芸術的な扉を開くと、その先には寮と同じような壁が続いていた。およそ二〇〇メートルはある廊下の側面に、おそらく校舎へ続く対面の扉と、その間に中庭へ続く扉が三つ。学園外へ出る扉は見当たらず、扉は中庭側だけだ。

 マリアさんはその中でも、手前の扉へと手をかけた。






 言われた通り、中庭はとんでもなく広かった。

 時計回りに、渡り廊下、校舎、研究棟、謎の建物、寮で、渡り廊下だけが短い五角形が作られている。渡り廊下は一階と四階部分にもあったらしく、その間には何本か柱とガラスが嵌め込まれていた。

 ガラスは屋根にも嵌め込まれ、やや歪な五角錐になっている。


 明るいとはいえずっと屋内にいたからか、太陽の光が目に染みる。眩しさに何度も目を瞬かせ、光に慣らして、刹那。

 草花特有の甘い香りが頬を撫でた。


「ふわぁ……!」


 開いた口が閉じてくれない。

 自分で自分の目が輝くのが分かった。頬が熱くて、胸の辺りがじんとしてる。

 今日何度目の感動だろう?

 多分、今日は感動しっぱなしなんじゃなかろうか、と思うくらい感動しっぱなしだ。


 舗装されたクリーム色の石畳の道に、キラキラとした光の粒子を放つ赤い薔薇の生垣。背の低い生垣で区切られた向こう側は広場になっており、淡い緑の絨毯と、魔方陣を模した円状の水路が通っている。水路にはガラスが嵌め込まれていて、水で濡れないよう細工されていた。

 水路の隣には小高い丘があり、屋根付きのベンチなどが配置されている。ふわりと優しい風が吹くそこは、ただ座るだけで心地よさそうだ。


 青々と茂る樹木は大小様々で、素人目にも力強く根付いているのがわかった。色とりどりの草花が咲き誇り、葉や花びらに付いている雫が太陽の光を反射しているのと同時に、薔薇と同じく光の粒子を放つ種類もあるらしい。キラキラと天井へ向かう光が、いつだったか、画面越しに見たダイヤモンドダストを彷彿とさせる。現実では、水蒸気が空気中で凍る現象だけど、こっちは多分魔法関連だよね。ポカポカ陽気だし。

 加えてそこかしこから鳥の囀りが聞こえてくる。


 お貴族様の穏やかな午後って感じだ。アフタヌーンティーがスッと出てきてもおかしくない雰囲気である。

 まだギリギリ午前中だけど……。


「わぁ、わあぁ……! 凄く綺麗です!」

「ふふ、気に入ってもらえたようで安心しました。代々の生徒達が自由に手入れを加えているので、その年によって様相を変えるんですよ。今は西欧風ですが、洋風だったり」

「ということは、中には和風だったりとかもした、と」

「ありましたありました! あとは鉱石だらけで草花が一切無かった事も……ああいえ、あれは鉱山でしたね」


 遠い目を浮かべるマリアさん。

 鉱山っぽい庭って何だ。物凄くゴツゴツしてそうなんだけど。ある意味見てみたい気はするけど、そんな癒しのいの字もない庭なんて遠慮したい。


「では、自由に見てみてください。チャイムが鳴ったら戻ってきてくださいね」

「え、マリアさんは?」

「私は、その。種族の関係で、あまり日の光が得意ではないので」

「あぁ……吸血族って言ってましたもんね」


 笑顔を浮かべるマリアさんだけど、表情から隠しきれない悲壮感が滲む。


 吸血族は、作品によっては平気なようだけど、このゲームでは日中に外へ出るとステータスが半減するらしい。聞けば、マリアさんはそれを克服する【デイウォーカー】というスキルがあるらしいけど、苦手意識が消えるわけではないようだ。


「じゃあ、行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい」


 残念に思いつつ、僕は石畳の石を踏みながら進む。


 中庭の定義に当てはまってはいるが、随分と広い庭である。近所の公園が軽く六つ以上入りそう。

 入口からはよく見えなかったけど、所々木が密集したエリアもあり、予想よりも自然に溢れているみたいだ。これはたしかに、じっくり見て回るには時間が足りない。


 耳を澄ませば水の流れる音、小鳥の囀りが聞こえてきて、無意識に頬が緩んでいく。

 大きな石から大きな石へ、一歩、二歩と飛び移る。トン、トトン、トン、リズム良くやっていると、いつの間にかリズムゲームのようにスピード感が増していく。

 ふふっ……段々楽しくなってきた!


 ろくに前も見ず、なるべく大きな石の上を跳ね回る。元々庭を見るために出てきたというのに、後から思えばとても勿体ない事をしていた。

 楽しいからしょうがない、よね?


 そうしてしばらくの間夢中になって石畳を踏んでいると、ふと視界が薄暗くなる。それでも大して気にしなかったのだけれど、次いで全身を薄い膜を突き破ったような感覚がして、さすがに顔を上げた。

 慌てて振り返るも、そこには何らおかしな事は起きていない。


「……?」


 しきりに首を傾げて、視線を右往左往させてみる。

 そして気が付いた。


 適当に歩いていたせいで、僕はいつの間にかよくわからない場所にいた。生け垣はあれど、僕の低い背でも辺りを見渡せる設計になっていたはずなのに、十メートル以上ありそうな木に囲まれた空間が広がっている。

 遠目から中庭を見た時、こんなに森っぽく木がたくさん生えている場所なんてあっただろうか?

 記憶を漁るも、あの中庭にこんな森と見紛うような場所はない、という結論へ達してしまう。木が密集しているエリアもあったけれど、あれはここまで背が高くないし、第一、広さが段違いなのだ。さすがに中庭という空間で、木と木がひしめき合うほどの景観があれば目立つだろうし、間違いない。


 え、じゃあ、本当に何ここ?


 都会っ子ではないし、精神的にはインドア派でもないけれど、僕はあまり外に出ないタイプだ。だから、マイナスイオンたっぷりの空間というのは、感覚的によくわからない。けれどこの場所は爽やかな空気に満ち満ちていて、息を吸う度肺に入ってくるひんやりとした空気に背筋が伸びる。

 木が密集しており、薄暗いのは否めないけど、木漏れ日の間から差し込む日の光は柔らかい。道に葉っぱは落ちていないけれど、日の光がまばらに散らばっており、それが落ち葉に似ていた。


 ただ、踏みしめる石畳はクリーム色。

 ここが中庭である事は間違いない。


 選択肢は二つ。

 進むか、引き返すか。


 要するに、このまま知的好奇心に身を委ねて進むか、チャイムが鳴る前に大人しく帰るかの二択である。


 僕は正直ワクワクしていた。現実より動かしやすい身体のせいか、現実より子供っぽい探求心というか、冒険心が疼いてたまらないのだ。

 あとどれだけ時間があるかは分からないけど、いい、よね。自由に見て良いって言われたもんね?


 僕は一歩、来た方とは逆方向へ歩みを進める。

 そうすれば、もう止まれなかった。

  

 逸る心を抑えながら、それでも早足になってしまう足で奥へ奥へと進んでいく。

 道は整っているので迷うことは無いだろうし、進む事自体にもう躊躇いはない。

 問題があるとすれば、あと二十分くらいでチャイムが鳴るから、それまでに戻れる距離しか進めないという事だろうか。チャイムが鳴るまでに、とは言われてないけど、余裕は持たないとね。


 そんなわけでてくてく歩いていると、やがて開けた空間に出た。

 柔らかな日差しがスポットライトのように空間の中央に座す彫像に集中している。真っ白な岩を彫って作られた彫像だ。綺麗に整えられた大理石の台座には金色のプレートが輝いており、文字が彫られている。


 えっと、あ、これアルファベットだ。英語読みで良いのかな。良いよね、たぶん。


「ぎー……じゃない。ジーク、ハルト……、ジークハルト?」


 ジークハルトって、確か寮を創設したっていう、あの? あぁ、マリアさんが言ってたジークハルト像ってこれか!

 なかなかの好青年だ。杖を構えた状態で、落ち着いた雰囲気を醸し出している。翻ったコートや緩く纏められた長髪はたなびく様をそのまま彫り出されており、今にも動き出しそうなほどリアルだ。

 表情が凛としているのも、動き出しそうな印象に手を貸しているのだろう。真っ直ぐ前を見据えている彼の像は、戦場へ赴くが如き緊張感を醸し出していた。現実でもここまで精巧な像はそう無いだろう。


「物凄く、精巧な造りだ」


 ハイクオリティ過ぎて若干引いてしまう。ここまで綺麗な仕上がりにする執念には恐れ入った。

 あの扉といい、ユニトスの技術力がプレイヤーに勝るとも劣らない事がよく分かる。


 恐る恐る触れてみると、ひんやり、ツルツルとした、硬質な感触が手に伝わってくる。癖になりそう。

 今日何度目かの感嘆のため息に、伸ばしていた手を引っ込める。

 ここまで綺麗な像をベタベタ触ってたら、罰当たりな気がしてきたのだ。英雄の弟らしいし無下な扱いはしたくない。


『やだなぁ、ベタベタ触った程度では怒らないのに』


 いやいや、世の中には触らぬ神に祟りなしって言葉がありまして。


『神様じゃないよ? ただの人間だった人の彫像だよ?』

「それは、そうですけど。初代学園長の血縁ってだけで何かこう、高貴じゃないですか」

『そうかなぁ。元は貧乏の出だし、当時身分なんて有って無いようなものだったけど……それに、英雄本人を敬うならともかく、その弟だし』

「ある意味親より近い存在を軽く見ることなんて出来ません、って……ん?」


 あれ? 僕、さっきから誰と話して──


『あ、やっと気付いた』

「え」

『ふふ、いつ気付くかドキドキしたよ。久々に楽しませてもらった』


 謎の声に振り返る。

 そこには──


『やぁ、僕はジークハルト。ジークハルト学生寮の創設者にして、シグニール学園創設者の双子の弟さ』


 腰まで伸びた漆黒の長髪は緩く纏められ、翡翠色の瞳はじっと此方を見つめる。上質で丈の長い瑠璃色のコートを羽織り、黒のスキニーパンツと太いヒールの付いたブーツを履いた、少年がいた。


 加えて半透明!


 え、幽霊? 幽霊なのか?! 足はあるし頭に輪っかとかも無いけど、幽霊なのか?!


 それに……今、何と名乗っていた?

 ジークハルト? この像の人と同じ名前、だよね??


 確かに、シンプルながらも豪奢な銀細工があしらわれたコートのデザインや、髪型なんかは像ととても似通っている。何なら顔立ちもやや幼くなっているだけでとても似ている。

 しかし。

 像はどう見ても二十代、目の前の少年は、明らかに十代、行ってもその後半程度なのだ。

 

『あはは、混乱するのも無理はない。僕も何で全盛期の姿じゃないんだろうって思うから。そんな事より、君は誰?』

「え、あ。ユズハ・ティトロン、数時間前にここに来たばかりの、編入生、です」

『編入生! なるほど、許可証もなくここに来る生徒なんて珍しいと思ったけど、案内もまだの子だったんだね。その様子だと、立ち入り禁止の看板を無視したかな?』

「看板」


 はて、そんなものあっただろうか?

 あったのは、そう、あのよく分からない、膜をすり抜ける感覚だけだ。


「気付いたらここにいました。たぶん道の真ん中を歩いてきたはずですが」

『看板も分かりやすく道の真ん中に立てられていたはずなんだけれどね』


 正直に話せば、彼はふむ、と顎に手を添えて俯く。しかし、思い当たる節でもあったのか、彼はすぐに顔を上げた。


『んー、精霊の悪戯にかけられたかな』

「精霊の悪戯、ですか? 字面からして良いものとは思えませんが」

『あはは、それが良いこともあるんだ。精霊の悪戯は、たとえば知らない場所に飛ばされたり、いつのまにかステータス補正が上がっていたりする現象の事さ。小規模な自然災害と思えばいいよ』


 怪訝な顔をした僕に、ジークハルトさんは笑顔で答える。その朗らかな笑顔を見ていると、不思議と落ち着いてきた。

 何故彼がここにいるのか? そもそも本当に寮設立者のジークハルトなのか? 疑問は尽きそうにないけど、僕がそれらを尋ねる前に、彼の方が口を開いてしまった。


『何にせよ、久々に人と話すなぁ。僕はいつも寝ていて、起きるのは年に数回。その時に限って誰もいない、なんて事が当然だったから』

「じゃあ、今日はその数回に当たった日なんですね。運が良かった、んでしょうか??」

『何でそんな大きく首を傾げるんだい?!』


 嬉しそうに話すジークハルトさんには悪いけど、幽霊(多分)と嬉々として話せる人なんてそういないと思うんだ。

 珍しいことが起きている事は分かる。分かるけど、あんまり良いことのようには思えないんだよねぇ……。


 懐疑的な視線に耐えられなかったジークハルトさんは、涙目でツッコミを入れてきた。ちょっとかわいそうだと思わなくもないけど、突然現れた見知らぬ人、というか幽霊だし。むしろ出会い頭に塩をまかれるよりはましじゃない?

 ほら、楓雅は常にマイマヨネーズとマイ塩とマイ胡椒を持ってて、主にゆで卵に使ったり何もないところにかけたり悪戯用に振り撒いたりしてたから……うん、多分僕の対応はマシだよ!


 それからしばらく涙目だったジークハルトさんだけど、ぐしぐしと袖で拭って、すぐに僕へと視線を移した。

 うん?


『よし、僕から編入祝いを贈ろう!』


 脈絡が無い!!

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